第6話 中邑嚆矢(なかむらこうし)-2

「あのう、これって通り魔事件ですよね? たしか以前にも市内で女の子が刺されて亡くなった事件があったと思うんですけど……」


 中邑が気弱な小声で尋ねる。

 田中警部補はさりげなく視線を動かす。まさか中邑のほうから核心に触れてくるとは思わなかった。自分をまっすぐに見つめる中邑の眸の色を観察しながらあっけなく頷いてみせる。


「おっしゃる通りです。ちょうど一年前に同様の事件がありました。我々も関連を考えています」


 ほぼ同じ事件がこれで二件。去年の事件では被害者が死亡し、遺留品からは犯人を辿れず目撃証言も有力な手がかりもなかった。


「同一犯の仕業でしょうか」


「警察としてはそうであってほしいと思います。女の子の腹を刃物で刺して逃走するような人間がこの管内に二人も住んでいては我々もやりきれない。――中邑さん、去年の事件で何か心当たりでも?」


「いいえ。私が住んでいる駅裏のワンルームマンションは飲食や風俗関係の男性が多いですから、去年も刑事さんがしつこく聞き込みに来ていました。私も事件の夜についていくつか聞かれてお答えしましたけれど、それからずっと気になっていたんです。犯人が捕まったという噂も聞かなかったですし。まだ捜査は続いているんですよね?」


 犯人は男性、二十代から三十代、そして独身、被害者とは面識がない者と分析されている。まさにぴたりと合うのがこの中邑と、彼が住んでいる安普請マンションの住人たちだ。今回もお住まいの近辺をしつこく捜査しますからご迷惑をおかけします、と田中警部補は冗談めかした早口で告げた。

 そして、中邑に魂胆を見抜かれ牽制されたのだと気づく。

 善良な通報者を犯人扱いしやがってという軽い憤りで中邑は田中警部補に嫌味を言ったのだ。中邑嚆矢という男は見た目ほど心が弱くない。職場のストレスで心身の調子を崩したというが、おそらくそれは自身のプライドが高く他人の視線に敏感なせいもあるのだろう。


 こうして互いの素顔を晒して会話すれば人間の性格と特徴が見えてくる。ホームズ風に言うのなら見るのではなく観察するのだ、推理の初歩だよワトスンくん。……


 もう一押しだなと田中警部補が身を乗り出したところで、再び姿を現した女刑事が左手首の腕時計を示し小さくかぶりを振った。

 田中警部補は頷き、観念した表情で中邑に向き直る。


「もう十時か。中邑さん、早朝からご足労いただいたのにこんな時間までお引き留めしてしまい申し訳ありませんでした」


「いえ無職の人間ですからお気遣いなく。お役に立てるような証言ができず心苦しいですが、私でよろしければいくらでも捜査に協力します。何か思い出せたらすぐにご連絡しますから」


「この後にご予定があるのでしたら、私も休憩を取って外に出る所用がありますしお送りしますよ」


「いえとんでもないことです! 少し疲れてしまったので帰って休もうと思います。ではここで」


 中邑嚆矢は一方的にそう言って皮の薄いソファから立ち上がったものの、立ちくらみで足下がふらつく。

 貧弱な男だ。


「大丈夫ですか」


「すみません、立ち上がる瞬間の目眩が治らなくて。もう大丈夫です」


 今朝方はショックで眠れなかったと言っていたから疲労は本当だろう。同情した田中警部補が心からの言葉で


「しっかり休んでください、お大事に」


 と声をかけると、中邑は弱々しく会釈して出て行った。


「さて」


 こちらも仕事だ。

 椅子から立ち上がった田中警部補のそばで、女刑事は中邑が口をつけなかったコーヒーの紙コップを片付けている。


「中邑嚆矢は去年の事件で捜査線上に名前が浮かんでいた。水島と大谷はどう思う」


 水島と呼ばれたのはずっとメモをとっていた若い刑事だ。自分の文章を眺め直して頭を振る。


「通り魔が第二の犯行に失敗して自分で救急車を呼んだということですか? そうですね――しくじった犯人がわざと警察の懐に潜って協力者として捜査進捗を確認するという行動は、まあ、ベタで幼稚なミステリならありうると思います。ねえ大谷さんはどう感じた? あんたはセクハラやストーカーが得意でしょ。さっきの男、メンタルやられちゃってるらしいけど深夜に女子中学生を襲うタイプに見えた?」


 いきなり水島から話を振られた女刑事の大谷は、生真面目な表情を崩さない。


「無責任なことは言いたくありません。中邑嚆矢が自律神経失調症で通院しているという心療内科クリニックの担当医に当たるべきです」


「いやそうじゃなくてさあ、今は刑事の勘の話をしてるんだよ」


「我々のような若輩者が勘に頼るべきではないと考えます」


「……うっぜぇ……」


 水島がむくれる。大谷の眉間には不機嫌な皺が寄る。

 仲の悪い部下ふたりのそれぞれの視線を平等に受け止め、田中警部補はいつもの癖で肩をすくめた。


「おれ個人としては、中邑は去年の事件とは関係ないと思う、勘だけどね。でも一応やれることはやっておこう。大谷は昨夜の、公園横のコンビニの防犯カメラに映っていた泥酔クソ学生連中に当たってみて。他のカメラからは何か出そうかな」


「報告待ちです」


「だな。あとは何はともあれ女の子の意識が回復しなきゃな、病院で待たせてもらおう。水島、おまえ先に行って主治医に面会許可をもらっておけよ。あの大学病院は危機管理って言葉を最近覚えて事務方がうるせえからさ、課長から事務長宛に根回しの電話を入れてもらっとく」


「了解」


 短い返事で水島が先に動き出す。

 大谷も短く頷いた。


「あ、そういえばこれから第二西中学の教師と校長が来るそうです。本格的な捜査が始まる前にどうしてもお話ししておきたいことがあるのだとか。学校では昼から保護者説明会を開く予定で、今しか時間がないそうです」


「学校の先生か」


 呼ばれる前に駆けつけるということは、学校側にはあらかじめ警察に伝えて弁明しておかねばならない事情があるということだろう。


 被害者の少女は、自宅から誘拐されたのではない限り自分の意思で深夜の駅裏を徘徊していたことになる。少女には同居の親がなく、介護士の祖母が福祉施設の夜勤業務をこなしながらひとりで孫を育てているという。この祖母も職場から孫の入院先に駆けつけたが、過労とショックで倒れたきりまだ誰とも話ができない状態だ。


 学校は、生徒が抱えていた個人的な問題が露わになるのを危惧しているのか。


 何にせよ被害者の羽生田ヤイコが一命をとりとめた。去年の犯人による第二の凶行なのか、中学校の校長が担任を連れて警察に駆け込んでくるほどの深い事情が関与しているのか、すぐに明らかになるだろう。

 すべては羽生田ヤイコが目覚めてからだ。



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