1.イリューシュ国の地下

第1話 王宮人造師ネネコ-1


 イリューシュ国は夜空の色が漆黒よりも浅い。


 東に位置しているせいだ。

 古代帝国期には群青都と呼ばれていた。帝国以前の王国同盟時代には東つ国という名だった。それより以前の黄金神話時代には地底に続く虚無の門、だがそこまでの古い知識は必要ない。

 古代帝国が破裂したのが千五百年前のこと。

 帝国最後の皇帝が斃され《大陸の錫》が奪われた。非人間族と下層民にとって不平等で窮屈だった恒久平和は、生命の自由と革命と混乱を求める叛乱軍によって覆された。帝都から追われ貴族大虐殺から逃れた皇女リュージュが旗を立てたのがこのエンダール大陸東端の辺境の地、群青都だ。

 満天の星が降り注ぐ夜の中心で、リュージュは自身の王国を建て、滅した帝国の再興を誓った。


〝我はこの地を治め必ずや《大陸の錫》を奪還し大陸をひとつにする。我は屈さず、我は滅びず、何度でも立ち上がる。

これは我の誓いの言葉リュージュ=リュードュル=ル=リスイリューシュである〟


 そして足下に石を積んだ。

 これこそが我らがイリューシュ王国の定礎石である。

 つまりこの極東の小さな辺境国は大陸唯一の正当な帝国継承者ということだ。……


 ――だが今の世となってはこんな知識も必要ない。


「どれもこれも人造術には関係のない蘊蓄ばかりじゃないですか。先生、もっとちゃんとした講義を聴かせてください」


 顔の右半分を布で覆った少女が、うんざりとした表情で溜息をついた。


「汗で眼帯も汚れちゃった。もう洗濯の替えもないのに」


 怠惰なしぐさで顔面の布を外して頭を振る。

 美しい娘だが、あるべき場所に右眼がない。

 生まれつきの隻眼だった。それでも彼女は美しい。きめの細かい真白の肌とゆたかな紅の髪、琥珀色に輝く左眼ひとつで充分すぎるほど彼女は魅力的だ。

 眼帯を捨てると、さらに毒除け作業衣の袖をまくって左頬の汗も拭う。

 作業衣にはありとあらゆる薬品が飛び散って洗浄しても取れない。まるで王宮の地下調理場で犠牲獣を屠殺する奴隷のような姿だ。せめて汗だくになった肌着を替えたいと望んだが、そんなわがままをきいてもらえる健全な職場ではない。

 少女は振り向いて書棚の陰を睨んだ。


「それで先生、私はいつまでこの大鍋をかき混ぜればよいのですか。今朝からずっと同じ作業をさせられて意味もわからないし」


「短気な書記官よ、その手を止めるな。我にはおまえの間抜け面が視えているんだからね、手を抜いたらおまえの髭を抜く。猫は髭を抜かれたら死ぬだろう?」


 薄暗い書棚の奥から声が応える。

 青年のような声であり乳飲み子を抱えた母親のような声でもあり、酒に潰された兵士のような声であり、神殿を震わせる女神の声にも似ている。

 この声を初めて聴く者ならばその威厳と迫力にたじろぐが、隻眼の少女は動じない。もうひとつ溜息をついてみせる。


「私はまだ成年前ですから髭を生やしていませんし、というか女の身ですから男ほどの美しく長い髭は生えませんし、もし生えたとしても抜かれて死にやしません。なぜなら猫ではありませんから」


「それなら我がおまえの姿を不細工な猫に変えてから髭を抜くよ。さすれば死ぬだろう」


「私を殺すという話から離れてくれませんか」


 三度目の溜息だ。


「私はですね、先生、王宮人造師付きの書記官として採用されたんです。王国史編纂室に配属されたわけではありません。そもそもですよ、先生が朝からずっと語っている宇宙創成から王国樹立までの長い話なんてすべて士官学校で習ったから知ってます。しかもちょっと間違えてる箇所もあるし……。私はこう見えても飛び級を重ねて総合成績三位で卒業したんですから舐めないでくださいよ。三位ですよ。自分で言っちゃいますが私は大秀才なんです、本当は内務相付きに配属されて賄賂をもらって扇を振っていてもおかしくない才色兼備の美少女なんです。ちょっと真面目に話し合いませんか、私の前に出てきてください」


「……ほんっと鬱陶しい子だねえ……」


 隻眼の少女から猛抗議を受けてひょっこりと姿を現した者こそが、王宮人造師ネネコである。

 人間ではない。

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