ハッピハピ2

大河かつみ

 

(1)

 都内某所の雑居ビルの二階201号室にあるヒューマンカンパニーという人助けの人材派遣会社で、定例の会議が行われていた。会議といっても出席者は芝田社長と佐久間部長、そして最近中途採用された緒方君の三人だけで、けだるい午後に、お茶をすすり、せんべいをかじりながらまったりと話し合うだけ、至ってのんびりとしたものだ。議題は新しいお客さんの要件について。


「え~今回のお客さんはですね、ナカタマコトさんといいまして、まだ学生さんです。依頼というのが来週月曜から一週間、日雇いのアルバイトをするらしんですが、そのバイト先で誰も話し相手がいないのでその話し相手募集との事です。」

議事進行役の緒方君がボソボソと言う。

「別にアルバイトに話し相手なんている?無駄話なんかしていたら、会社の人に怒られない?」

度の強そうなメガネ越しに芝田さんが早口でまくし立てる。この女性は見てくれは掃除のおばさんといった風情なのだが、この会社の立派な社長さんである。

「こちらの仕事、主にダイレクトメールの宛名シールをひたすら郵便物に貼るだけの単純作業らしいんですが、作業さえすれば、ある程度その辺は自由らしいんです。それに朝九時から十八時まで、話し相手もいないで黙々とやり続けると、けっこうキツイらしんですよ。」

と緒方君が補足した。

「だったら、隣の人とかに話しかけて仲良くなればいいじゃない。」

芝田さんがせんべいをばりばり頬張りながら言った。

「なんでも、大概は友達同士、誘い合ってバイトに来ているんで、その会話に、見知らぬ人間が入っていきヅライらしいんですね。ナカタさんは一人の登録なんですが、“一緒に来てくれる友だちもいない可哀想な人”と思われるのも嫌なんだとか。・・・」

「考え過ぎなのよ。」

「でも、なんとなくわかるんですよね。その気持ち。・・・」

緒方君が下を向いた。

そこに主任の佐久間さんが

「ムフフ。」と言って話に加わってきた。

「前に、友だちのいない学生が“ぼっち”と思われたくなくて、トイレの個室に隠れてお昼ご飯をボソボソ食べているなんて話題ありましたねぇ。」

芝田さんがそれに呼応した。

「あれさぁ、器用よねぇ。食べながら出すなんて、あなた出来る?」

「いや、社長、同時にはしないと思いますよ。」

と緒方君。

「あら、そうなの?」

「食べるだけですよ。」

「に、してもさぁ、しゃがみながら食べるのもツラくない?よほど足腰、鍛えていないと出来ないわよねぇ。」

「・・・和式が思い浮かびます?普通考えて洋式ではないかと。・・・」

緒方君が遠慮しながら言う。

「えぇ?今の学校って洋式便所あるの?!佐久間さん、アタシたちの頃は全部、和式だったわよねぇ?」

「ムフフ。私の頃は既にデデーンと洋式ありましよ。奥に一個だけでしたけどね。」

佐久間さんは五十半ばで、社長より若干若い。

「うーん。ちょっとの年の差でトイレ事情って変わるのねぇ。・・・」

 結局、会議はその後も様々な年代のトイレについて語られ、グダグダになりながらも最終的に年齢の一番若い緒方君が、ナカタさんの友だちのフリをして同じバイトに登録する事となった。


(2)

 翌週月曜の朝九時よりニ十分前、バイト先の会社のロビーで緒方君はナカタさんと初めて面会した。まだ他にバイト参加者は来ていないようだった。ここのバイトは服装が自由との事だったが、緒方君は無難な方がよかろうと考え、白いポロシャツに茶系のコットンパンツ、スニーカーという出で立ちだったのだが、それがナカタさんともろ被りしていてお互い初対面で苦笑いした。目立った違いといえば、おっとりした感じの緒方君に対してナカタさんの方は銀縁のメガネをかけており、少し神経質そうに目をしばばたかせている。


「はじめまして。ヒューマンカンパニーの緒方です。」

そう言って名刺を渡そうとすると慌ててナカタさんがそれを制し、緒方君をロビーの隅の方に引っ張っていった。

「ちょっと待って、ちょっと待って!名刺交換する友だちなんていないでしょう!」

「ああ、そうですね。」

「バイトに来た誰かに見られたらどうするんです。頼みますよ。今日は緒方さん、僕と親しい友人という設定なんですからね。」

「すみません。・・・」

「でも、まぁ今日はよろしくお願いします。」

「よろしくお願いいたします。どうです?私、本当は二十八なんですけど、大学生に見えますかね?」

「大丈夫だと思いますよ。」

緒方君はホッとした。

「そんな事よりも今、他の人が来る前に決めとかないと。」

ナカタさんが小声で言った。

「決める?」

「お互いの呼び名ですよ。親しい友達なんがから“さん”付けじゃ変ですからね。」

「なるほど。今の学生さんはどんな感じなんですか?“君”付けでも硬いですかね?」

「ニックネームか、もしくは下の名前、呼び捨てかな。」

「マイッタなぁ。」

「どうしました?」

「いや、私、親しい人でもニックネームや呼び捨てできないんですよ。なんか恥ずかしくて。・・・なんと言いうか、こちらから“親しい”アピールしているみたいでしょう?でも、こちらは親しいと思っていても、あちらはそうは思っていないんじゃないかと考えちゃうと。・・・」

「あの、今日はアピールしていいんです。アピールして欲しいんです!」

「ああ、そうでしたね。」

「わかりました。では練習しましょう。僕の下の名前、呼び捨てしてください。」

「マジですか?」

「マジです。」

「・・・・・・・じゃ、行きますよ。」

「どうぞ。」

「マコト。・・・」

緒方君の顔がみるみる赤くなり視線を下にそらした。頭の中で(うひゃー)と言った。

「恥ずかしからないで。僕も行きます。」

マコトが緒方君の名刺を見て名前を確認した。

「・・・コウイチ。」

コウイチの顔が更に赤くなった。それを視てマコトまで恥ずかしくなってくる。

「駄目です。こんな事じゃ。もっとお互い目を見て。もう一度。」

「マコト。・・・」

「コウイチ。・・・」

「マコト。・・・」

「コウイチ。・・・」

何故か気持ちが段々高まって距離を縮めていく二人。

そこに通りがかりの社員が一人。

「あ、ごめんなさい。」

見つめ合う男二人を見てそそくさと引き返していった。



「・・・・・やめませんか。」「やめましょう。・・・・・」

食い気味でマコトが言った。


(3)

 九時から始まった仕事はなるほど単調なものだった。ダイレクトメールの封筒の封を閉じて宛名の印字されたシールを貼る。ただそれだけを淡々とこなす。大きな会議室の中、コの字型に並んだ長テーブルの周りに並んでいる椅子に適当に腰掛けて作業する。作業の流れを説明した社員が二名、そのまま事務作業をしながら封書の不良品やバイトの質問を受け付ける役割でいるだけで、あとは全員アルバイトだ。見たところざっと二十人ぐらいで、その半分程度が学生で皆、男である。残り半分がおばさんなど、初老のおじさんもひとりいた。学生は友だち同士で参加しているようで、自然と仲間同士が横並びになるから確かに“ぼっち”だと疎外感がある。

 社員が常駐しているからおおっぴらに無駄話はできないが、手さえ動かしていれば小声で話す分には注意されることはない。だからあちこちで話の花が咲いている。ゆるいと言えばゆるいバイトである。但し、けして楽な作業ではない。単調な作業も十分もすると嫌になってくる。たまらずコウイチはマコトに話しかけた。

「疲れますね。」

ぎょっとしてマコトがヒソヒソ声で

「丁寧語はやめて。友だちなんだから。」

と注意した。

「ああ、スミマセン。」

コウイチが小声で返答した。

「だるいなぁ。」

改めてマコトが答えた。

「マコトって何処住んでるの?」

再びマコトが怪訝そうな顔してヒソヒソ声で

「個人情報的な事は話題にしないで。他の人に聞かれたくないから。」

と注意した。

「そりゃどうも。難しいですね。」

「何か日常会話があるでしょう?」

「そうですね。」

ヒソヒソ声で打ち合わせをする。


「昨日テレビでさぁ。」

今度はマコトもうんうんとうなずいた。コウイチはホッとした。

「芸能人が馬鹿でっかい丼物の大食いチャレンジしてたんだけど、あれ、食べきれなかった分、タッパーに詰めて持って帰れるのかなぁ?」

「さぁ?」

「持って帰れるなら、冷凍すれば二~三日分食費浮くんじゃね?」

「・・・普通、残った食材の方じゃなくて、大食いチャレンジしている人の方に目を向けない?。」

「その後、激辛料理を食べるチャレンジがあったんだけどさぁ。」

「ああ、あの番組か。観たことある。」

「もっと具在本来の味を楽しめるように薄味にした方が良くね?」

「それじゃ激辛じゃなくなっちゃうでしょ?疑問が根本的過ぎてどう返していいかわからいよ。・・・て、いうかコウイチは他の番組を観た方がいいと思う。」

話題が広がらず二人は溜息をついた。

 


(4)

 どうにかこうにか昼休憩になり、コウイチは買っておいたコンビニ弁当を食べた。おばさん達は午前中の間に皆打ち解けていて、和気あいあいとおしゃべりしながら食事している。おじさんもその輪の中で楽しそうに話に参加していた。それに対して、学生たちは一言も喋らずスマホ片手に食事をしていた。マコトもさっさと食事を済ませコウイチの横でスマホゲームに熱中しだした。明らかに“話しかけないで”オーラを発している。

(なんだ。こういう休憩時間こそ会話して仲良くれなれるのに。・・・・)

仕方なくコウイチもスマホをいじりながら物思いに浸った。その内にコウイチは考え違いをしている事に気が付いた。

(なんだ。僕、本当に友だちになろうとしていた。あくまで僕はマコトにとって、“疑似友だち”というツールでしかないんだ。・・・元々そういう仕事だったっけ。)

だけど、なんだか割り切れない気持ちでいるとおばさんの一人が

「良かったら食べない?」

と言ってお茶菓子のチョコを幾つか差し入れしてくれた。

「あ、どうもスミマセン。いいんですか?」

「いいの、いいの。皆、考えが同じでさ、同じ様に持って来ていて、けっこう余っちゃってんのよ。」

「ありがとうございます。遠慮なくいただきます。」

そう言って緒方君は頂いたチョコを頬張った。少し気持ちが和んだ。何もお返し出来る物がないことを残念に思う。

「皆さんもどうぞ。」

と言っておばさんがナカタさんや他の学生たちに配った。皆、口々に礼を言い、チョコを食べながら、又スマホに没頭した。緒方君はおばさん達のおしゃべりに耳を傾けた。そのほとんどが芸能人の不倫騒動の話題で、緒方君のよく知らないものだった。


 午後、緒方君は18時まで、どうでもいい会話をマコトにポツリポツリとしながら、その日の仕事を終了した。玄関を出た。マコトが

「コウイチ、お疲れ様。じゃ、又明日。」

と挨拶してきたので

「お疲れ様でした。明日も宜しくお願いします。ナカタさん。」

と緒方君は返答し会社に向かった。あと六日あるのかと思うとゲンナリした。それにしても日給八千円の内、ナカタさんは千円をウチの会社に納める契約なのだが、勿体ないとは思わないのだろうか?


(5)

 会社に帰ると佐久間さんが出迎えて苦労をねぎらってくれた。どことなく機嫌がいい。

「何かいい事でもあったんですか?」

佐久間さんがニコニコしながら言った。

「ムフフ。あの後、社長と“トイレで食事”の件で話をしていて、いいアイデア、思いつきましてね。」

「まだ、あの話をしてたんですか?」

緒方君が呆れていると

「学食のテーブルの三分の一程度、椅子をドドーンと洋式便器に変えるんですよ。これなら洋式便器に座って食べたい生徒も嬉しいし、トイレを使いたい人に迷惑もかけない。一石二鳥でしょ?」

と自慢げに話した。

緒方君がドッと疲れた顔をしているので

「あれ?何かありました。」

と佐久間さんが心配そうに尋ねた。

「あの、社長はいます?」

「いえいえ。社長、夜はパートでスーパーのレジに入ってますから。」

「社長、自ら派遣されてんですか?」

「ええ。我々の今月の給料分、少し足りないからって、稼ぎにいっています。」

「あの、社長って普通、この会社の仕事を我々に指示する立場ですよね?」

「はい。」

「その社長が他社の仕事にパートに行くって変じゃないですか?」

「ムフフ。確かにね。でも今、何も仕事がないんです。だから手っ取り早くパートで稼ごうと、自ら汗をかいてるんでしょう。考えるより行動ですよ。」

「佐久間さんは何もしなくていいんですか?」

「ワタクシだってこれを見てください。」

そう言って机の上の雑誌を指さした。

「クロスワードパズルですか?」

「そう。懸賞一万円なんてのもありますからね。どれか当たれば大きいですよ。会社に還元できます。」

緒方君はこの会社の人たちはどこか間違っていると思ったが、これ以上考えない事にした。

「それより、社長に何の用です?代わりにわたくしが聞きますよ。」

「実は、今回の仕事、辞めたくて。・・・それで社長に相談をって思ったんですが。・・・」

「あらまぁ、そうでしたか。・・・どうです?緒方さん、夕飯一緒に行きませんか。奢りますよ。そこでいろいろお話ししましょう。」

緒方君が同意したので、二人で会社の戸締りをして夜の街に消えていった。


(6)

「トクトクトクトク。」

そう言いながら佐久間さんが緒方君の空のコップビールを注いだ。この手の擬音を言うのが佐久間さんの妙な癖だ。駅近の居酒屋さんのテーブル席に二人はいた。

唐揚げなどボリュームのあるつまみを食べつつ、緒方君は今日の出来事をあらかた話した上で自分の思いを伝えた。

「ナカタさんは、このアルバイトの間だけの、自分がボッチと思われないようにする為の話し相手を望んでいたのに、いつの間にか、僕は本当に友だちになろうとしてんです。可笑しいでしょ?」

「緒方君はホワンホワンとしているんですよ。」

ホワンホワンは、おそらく優しいという意味の擬音だろう。

「割り切れませんか?あくまで疑似友だち役。」

「ええ。なんか自分がミジメで。」

「そうですか。ウチとしては緒方君のバイト代・日給七千円とナカタさんからの日給千円、その一週間分として計五万六千円がバチコーンと入ると見込んでいたので、ちょっとクシュ~ンですね。」

「・・・スミマセン。」

暫く二人とも無言でつまみを頬張った。なんとく気まずくて緒方君が話す。

それにしてもナカタさんって矛盾していませんか?稼ぐためにバイトしているのに、たかだか自分の見栄の為に僕、雇って金払うなんて。」

緒方君はナカタさんを悪く言う事で自分を正当化しようとした。

「そうですねぇ。でも、緒方さんがさっき言っていた、そのおばさん達がお茶菓子持ってきたのも矛盾ですかね?自腹切っている訳だからナカタさんと一緒です。」

「あぁ。」

「経費ですね。但しお金の使い方が違います。自分独りに還元するか、周りの人にも還元するか。」

「・・・そうですね。気が付きませんでした。」

「女の人ってコミニュケーションが上手ですよね、特に年配になると。男はその点、ドヨ~ンとしてます。」

「分かります。」

「ナカタさんにしても他の学生さんにしても、まだ社会性が無いんでしょう。関心が自分だけに向いてます。周りの人への気遣いが出来れば自然と友だちも出来るもんです。だって気遣われた方はハッピハピですもんね。」

「あ。久々にでましたね。ハッピハピ。」

その時、佐久間さんのスマホにLINEで連絡が入った。社長さんからだ。今、パートの仕事が終わったらしい。二人が飲み食いしている間、芝田社長は我々の給料の為に働いてくれていたのだ。たとえ方法は変だとしても。

「緒方君、社長に伝えましょうか?」

「いえ。佐久間さん、やっぱり大丈夫です。僕も自分が傷ついたとかどうとか、自分の事しか考えていませんでした。僕は社長や佐久間さんの為にこの仕事を続けますよ。」

「そうですか。良かった。ありがとう。頼りにしていますよ。」

佐久間さんはそう言うと又、私のコップにビールを注いでくれた。

「トクトクトクトク。」

と言いながら。今度は緒方さんが佐久間さんのコップに注ぎ返した。その際、緒方君も声に出して言ってみた。

「トクトクトクトク。」

注がれるよりも注ぐ方が嬉しいことを知った。


                                おしまい

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