第6話【赤頭巾と真っ黒てるてる坊主】

 FTファミリーの下部組織に属する『レッドウルフルズ』を束ねるリーダー、ニィナ・ローズカナンは舌打ちをした。


 階下で盛大な爆発音を聞いた時、何事かと焦った。

 一階にあるクラブ『レッド』のダンスフロアへ駆け込めば、そこはまさに地獄絵図。壁は煤け、従業員や客は肉片になり、吐き気を催すほど凄まじい世界が広がっていた。


 一体誰がこんなことを、と窓を見やれば、犯人は凄惨な店舗内を観察していた。


 金髪で無精髭を生やした草臥れた印象を受ける男と、黒い雨合羽レインコートを纏った線の細い青年の二人組。

 どこかで見たことのある顔だと思えば、つい数日前にFTファミリーのボスから回ってきた写真の悪党どもだ。FTファミリーの次期ボスであるスノウホワイトを殺害した、ゲームルバークを騒がせる理不尽な殺人鬼。



「草の根を掻き分けてでも探し出せ!! まだそう遠くには行っていないはずだ!!」


「イエス、ボス!!」



 部下たちに命じて犯人どもを探させ、ニィナもまたあの二人組の捜索に専念する。


 店を壊された恨みとか、次期ボスの仇とか、ボスの命令などが理由ではない。

 彼らは、ニィナをじっと見ながらこう言ったのだ。


 ――男の娘じゃないですか、と。


 確かに、ニィナ・ローズカナンは男性である。

 それでも心は女性なのだ。可愛いものを好み、メルヘンなものに囲まれたくて部下たちには赤い頭巾の装着を強制させた。むさ苦しい男たちも、これで少しは可愛くなれるはずだと信じて。


 なのに、あいつらは。

 あろうことか、ニィナを男だと見抜いたのだ。



「絶対に殺してやる……何が何でも、ボクを男だと言ったことを後悔させてやる!!」



 可愛い女の子だと言ってほしかった。


 だから、夢を見る為に【DOF】に手を出した。あの御伽話から作られる麻薬を飲んでいる時だけは、自分が本当に女の子であると思い込めたから。

 つい飲みすぎちゃって異能力も開花させた【OD】になってしまったけれど、可愛い異能力だったからよかったかもしれない。これで可愛くない異能力だったら、そのまま自殺していたかも。


 夜の闇に包まれたゲームルバークの裏通りを早足で歩くニィナは、じゃりというコンクリートの地面を踏みしめる音を聞く。



「こんばんは、可愛い女の子の格好をした変態野郎」



 慇懃な口調は相手を挑発する言葉を選び、的確にニィナの地雷を踏み抜いてくる。


 早足で歩いていたニィナは、ピタリと立ち止まった。

 相手の言葉がムカついたのではなく、ようやく目当ての人間と対峙することが出来たからだ。


 暗闇から浮き出てくるような、黒い雨合羽で全身を覆う青年。

 その格好は邪悪なてるてる坊主を想起させるが、フードの下から覗く黒い瞳が不気味な空気を漂わせている。肌という肌を覆い隠した彼は、儚げな顔立ちに曖昧な笑みを浮かべて立っている。



「……君が、私のお店をめちゃくちゃにした悪い人?」



 相手の挑発に乗るまいと、ニィナは努めて可愛らしい声で応じる。



「ぶりっ子ですか? 逆に気持ち悪いんですけど」



 ピキ、とニィナのこめかみに青筋が浮かぶ。


 目の前の邪悪なてるてる坊主は、まるでゴミを見るような目でニィナを観察する。素朴で可愛らしい格好を意識したニィナの服装を、彼は「ペッ」と唾を吐き捨てて批判した。



「僕、男の娘は守備範囲外なんで。とっとと死んでくれませんかね? 可愛いロリが同じような格好をしてくれるのであればまだしも、年増がそんな格好をしてるなんて痛々しいですよ」


「……は、何を言って」


「いやね、別に全ての男の娘を否定している訳ではないんです。そういう趣味や性癖があるのは理解していますし、相手を誑かすには便利ですからね。でも、アンタは僕たちの敵として目の前に立っている訳なんで、容赦なんてないです」



 真っ黒なてるてる坊主は、グッと立てた親指を静かに地面へ向けた。


 本性を知られている相手に対して猫を被るのは、隙を与えることに繋がらないらしい。特にあのてるてる坊主は、警戒心がめちゃくちゃ高い。

 盛大に舌打ちをしたニィナは、可愛らしい態度を捨て去って「で?」と言う。



「何が目的な訳? ウチの店を潰しておいてさ、よほど死にたいようだな」


「残念ですが、死ぬのはアンタの方ですよ」



 てるてる坊主が、雨合羽の袖から何かを滑り落とす。


 注射器だ。医療現場でよく見かけるような、細い針の注射器。

 シリンダー内では透明な液体が揺れていて、何かの薬品であることが窺える。麻酔か、劇薬かとニィナは警戒する。



「何を期待しているのか不明ですが」



 注射器の針を自分の首筋に突き刺したてるてる坊主は、中身の透明な液体を体内へ注入する。


 その行為で、ニィナは理解した。

 てるてる坊主が自分の体へ注入したのは【DOF】だ。そしてボスからの情報によれば、あのてるてる坊主は【OD】らしい。


 引き裂くような笑みを見せたてるてる坊主は、



「見るのも嫌なので、ここで死んでください」



 次の瞬間、目の前にナイフの白刃が迫っていた。



 ☆



 近場のビルに身を潜めるユーシアは、純白の対物狙撃銃を構えていた。



「あーあ、ボスが一人で行動するなんて馬鹿だね」



 リヴの前に現れたのは、レッドウルフルズのボス一人だ。


 先程まで可愛らしい声でリヴの挑発に応じていたが、男の娘であることを全面的に否定された挙句、相手の神経を逆撫でするような暴言の数々にとうとう本性を表した。

 彼の言う通り、やはり男の娘――女装した男性で間違いないらしい。退役してからしばらく経過するが、自分の視力も落ちたかなとユーシアは遠い目をする。


 それよりも、下のやり取りだ。


 間抜けにも一人でのこのことやってきたレッドウルフルズのボスは、サクッとリヴに殺されるはずだった。

 相手が【OD】だろうが関係ない、世界の誰より殺人鬼なリヴに殺せない人間はいないのだ。



「――んえ?」



 ユーシアは間抜けな声を上げた。


 リヴがナイフで赤頭巾を殺害しようとしたが、赤い頭巾に触れたナイフがあらぬ方向に飛んでいく。手の中から弾かれた得物を一瞥したリヴは、飛び退って赤頭巾から距離を取った。


 何があった?

 赤頭巾から少しも目を逸らしていないのに、何が起きたのか読めない。


 照準器を覗き込み、ユーシアは赤頭巾とリヴの状況を確認する。耳を澄ませば、彼らの会話内容が聞こえてきた。



「どうした? 得物をあっさり手放して、降参でもするつもり?」


「……知ってるくせに。弾かれたの見えたでしょう」


「そうだな。だって頭巾だから、弾いて当然だろ?」



 何が当然なのか。


 しかし、理解できた。

 あの赤頭巾に近接戦を挑むことは愚の骨頂だ。さっきのように弾かれてしまう。



「うーん、この位置だとまずいな。俺も下りるべきかな」



 赤頭巾を殺すのであれば、頭巾を脱がせるか頭巾から見える位置を狙撃する他はないだろう。狙うは眼球か、脳幹の二択だ。


 対物狙撃銃を抱えて腰を浮かせると、遠くからバタバタと複数の足音が近づいているのに気づいた。窓から外を見やると、赤頭巾を被った大量の人間が、こちらへ押し寄せてきていた。

 その光景に、ユーシアは思わず「うわッ」と呟く。リヴの隣で見ていたら、きっとその場から逃げ出していたかもしれない。



「はは、君も終わりだね。この人数を相手に、たった一人で勝てるかい?」



 赤頭巾が挑発するように、両腕を広げで笑ってみせた。


 数えるのも面倒になってくるほど、大量のむさ苦しい赤頭巾に囲まれて、リヴも心底嫌そうな表情をしていた。

 むさ苦しい赤頭巾を一人見るだけでも嫌なのに、この大量の赤頭巾は頭痛を覚える。一般人であれば発狂することだろう。



「たった一人ですって? アンタの目はガラスか何かですか?」



 リヴはどこからかチェーンソーを取り出すと、そのギザギザの刃を高速回転させながら微笑む。


 そう、赤頭巾の集団には見えていないが、ユーシアはちゃんとここにいる。

 彼の本職は前衛ではなく、後方支援。狙撃手とは、遠方からの攻撃を得意とするのだ。


 かつて、数多の【OD】を屠った天才狙撃手『白い死神ヴァイス・トート』――その二つ名を持つ彼は、音もなく死神の鎌を振り上げる。



「いるよ、ここに。――お前さんの真上にね」



 照準器に映り込んだむさ苦しい赤頭巾の眉間に照準を合わせ、まずは一撃。


 引き金を引けば、タァンと極力抑えられた銃声が夜空に響く。

 射出された弾丸に気づくことなく、ユーシアの狙い通りにむさ苦しい赤頭巾の眉間を弾丸がぶっ叩いた。本来であれば貫通するはずのそれは、弾頭が潰れた状態で地面に転がる。


 もちろん、撃たれた方も傷一つ負っていない。

 ただし、ユーシアの異能力をモロに食らって、永遠の眠りへと誘われる。仰向けに倒れた赤頭巾は、ガーガーといびきを掻いて寝てしまった。


 赤頭巾の集団が、慌てた様子でユーシアの姿を探す。



「どこだ、どこにいる!!」


「よそ見してると危ないですよー」


「ぎゃあああああああああッ」



 ぎゃりりりりり、と高速回転するギザギザの刃に切り刻まれた赤頭巾の汚い悲鳴に耳を傾けながら、ユーシアは純白の対物狙撃銃へ新たな弾丸を送り込む。



「さて、殺戮を始めようかね」



 誰に喧嘩を売ったのか、その身で味わうといい。


 うっそりと笑い、ユーシアは照準器を再び覗き込んだ。

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