リビングとモノリスと瞠目
犬丸寛太
第1話リビングとモノリスと瞠目
久しぶりに心地よく眠ることができた。
俺は勢いよくベッドから身を起こし、カーテンを開く。朝の光が私を心地よく照らし、大きく伸びをする。今日は良い日になりそうだ。
洗面台に向かい朝のルーティーンを済ませた後、リビングを抜けキッチンへと向かう。久しぶりにインスタンドではなくドリップコーヒーをいれよう。
リビングの窓際に立ち、コーヒーの香しい香りを楽しみつつ朝の穏やかな時間を満喫する。
「実に気分がいい。今日は久しぶりに外へ出かけよう。」
俺は早々に身支度を済ませ、玄関へと向かう。神保町へ出かけて古本屋を冷やかし、カレーでも食べよう。
「ちょっとちょっと、無視しないで下さいよ。」
午後は何をしようか、上野まで足を延ばし、博物館にでも向かおうか。
「待って待って、気づかないふりはダメですよ。あーあ、大きな声出しちゃおっかなぁ、マンション退去になっちゃうかもしれませんよう。」
俺は溜息をつきながら履きかけの靴を丁寧に揃える。
「なんだお前は。いや、お前というかなんというか、なんなんだ。」
「良くぞ聞いてくれました。私の名前はセラエノ。遥か遠くプレアデス星団の第四惑星からやってきました。以後お見知りおきを。」
清々しい朝、朝の光を浴びてセラエノと名乗る石板は馴れ馴れしい口調で私に語り掛けてきた。私は夢を見ているのだろうか。
「もしもし、粗大ごみを捨てたいんですけども、ええ大きなモノリスでして・・・。」
「私は粗大ごみではありません!待って!やり取りを進めないで!」
俺は溜息をついて電話を切る。どうせ夢なのだ。話半分聞いてやろう。
「目的はなんだ。あとリビングの真ん中は邪魔だ。部屋の隅に移動しろ。テレビが見れん。」
「ほら、私石板じゃないですか。動けないんですよ。」
俺はソファーに腰を下ろし、コーヒーをすする。圧迫感が凄い。
「おめでとうございます!あなたは天文学的確率から厳正な抽選で以って、異世界への切符を手にしました!さぁ、早速異世界へ向かいましょう!」
「いや、いい。」
胡散臭い事この上ない。部屋の中に入って来ない分押し売りの方がまだましだ。
「何でですか!異世界ですよ!未知の世界!ワクワクしませんか!」
「いや、俺は今で満足してるし。」
「そこを何とか!私を助けると思って!」
ノルマでもあるのだろうか。異世界転生稼業も楽ではないらしい。
「ほら、話だけでも聞いてみませんか?きっと興味が湧きますよ!」
「すいません。私引っ越してきたばかりで無職とか不満とか持ってないんですよ。買ったらこちらから連絡しますから。」
久しぶりにエチオピアのカレーが食べたいなぁ。
「きゃー!助けて!暴漢が私をチョメチョメしようとしてくる!」
「わかったわかった!話だけ聞いてやる!大声を出すのはよせ!」
「やっと聞く気になりましたか。ではそもそも異世界と何なのかご説明いたしましょう。」
「異世界ってあれだろ、剣と魔法の世界とか、転生チートで無双とか、美少女に囲まれてハーレムとか。」
「やけに詳しいですね。気持ち悪。」
こいつ、ぶっ壊してやろうか。
「そもそも異世界とはですね、読んで字の如く、異なる世界の事です。この世界はビッグバンをルートとして以降、無限の枝分かれ、つまりパラレルワールドが存在しています。」
まぁ、オカルト雑誌でちらと目にしたことが事がある。
「しかし、それはあくまで同じ物理法則のもと似たような世界が存在しているにすぎません。」
「ほう、それで。」
「異世界とはこの世界でいうビッグバンと同時期に発生した別のビッグバンにより発生した世界です。つまり、異世界転生というのは、枝を移動するわけではなく、木を移動するという事なのです。」
なるほど、まぁ、十分の一理ある説明だ。
「お前はさっき物理法則について言及したな。お前の話を聞く限りでは、異世界はこの世界と異なる物理法則に基づいて存在しているという事か?」
「ご明察!この世界の物理法則はもとより、現代の知識で無双なんて不可能ですね!」
「そうか、じゃあな。俺が帰るまでにはお家に帰れよ。」
「なんで!お願いします!このままじゃ上司に怒られます!私だけいまだにパソコンがXPなんです!」
「いいじゃないかXP。俺は好きだぞ。」
「お願いします!今なら出血大サービス!二千円の所をイチキュッパでご案内させていただきます!」
なんて、営業が下手くそなんだ。ラバン・シュリズベリィ教授も草葉の陰で泣いている事だろう。
「まぁ、他を当たってくれ。今のご時世異世界転生と言うだけで飛びつく輩はごまんといる。数を打てば当たるさ。営業は足を使ってなんぼだ。」
「そんなぁ・・・。」
石板からしょぼくれた声が漏れだす。シュールだ。
「あ、体に蚊が。すいません、私石板なもので、代わりに叩いて貰えませんか。」
石板なのだから血を吸われる事は無いだろうに。妙に潔癖な奴だ。
「ほれ。」
ペチンと石板を叩く。
「それでは一名様ごあんなーい。」
「なっ!」
壁一面赤黒い、まるで、幾度幾度も血を浴び塗り重ねられたように。突然吐き気が襲ってくる。幾何学の渦、底知れぬ深淵、およそ人が触れるべきではない宇宙的恐怖に私はたまらず目を閉じる。
「イヤンイヤンイイオトコジュルルン、イヤンイヤンイイオトコジュルルン・・・」
およそこの世のものと思えぬ、おぞましき、これは音、声、言葉だろうか。判然としない。私の理性が理解を拒んでいる。
次第に勢いを増していく呪いじみた声は男性のようでいて女性のようでも無い。現代人では理解はおろか発声することも困難、いや不可能だろう。
私は両耳を塞ぎ、呪詛を体内に、脳髄に入れまいと努めるがそれは無駄だった。体中のありとあらゆる隙間を見つけ呪詛は私の体内へと染み込むように侵し始める。
脳髄は縮み、胃袋はねじれ、およそ私の内臓はその機能を混乱させていた。
「イヤンイヤンイイオトコジュルルン、イヤンイヤンイイオトコジュルルン・・・」
次第に近づく呪詛に覆われ、体表の感覚が分からない、もはや自分が固体を保っているのかすら私の脳髄は把握できていない。
ふと呪詛がやむ。私は一刻も早く自我を把握するため自らを自問し続ける。体表、臓腑、それぞれを確認するが、五感を確認する事を私は拒んだ。
目、耳、鼻、肌、口、それぞれの内どれかが機能を全うしてしまったら私は崩壊してしまう。しかし、恐怖はそれを許さなかった。
肩に何かが触れる、人間ならざる力、しかしそれは五本指の掌のような何か。
私は目を開いてしまった。見てしまったのだ。
名状しがたき角刈りの、“それ”は確かに男だった。
私が胚芽の頃より刻まれた恐怖が私を崩壊させようとする。しかし、私は見てしまった。冒涜的な呪詛を吐きながら“それ”の口と思しき開口部からぬらぬらと淫靡な海洋生物の触手のうような何かがまろびでてくる。
「ジュルルン!」
私はそのあまりに背徳的な光景を前に思わず叫び声を上げる。
「近寄るな!」
私が叫ぶと“それ”は一旦私のそばから離れていく気配を感じた。しかし、終りでは無かった。
私の声に反応したのか“それら”が部屋、空間、隙間という隙間から這い出てくる。
“それら”は名状しがたき角刈りに群がりなにやらぼそぼそと呪わしき音を発している。
同じ音が何度か聞こえる。どうやら私が最初に目にした異形、“それ”の名はツァトゥグアと呼ばれているらしい。
ツァトゥグアとその眷属と思しき群れは一様にして何もかもが矛盾していた。
角刈り、スポーツ刈り、坊主頭。それでいて肉体は豊満な脂肪をさらけ出すように煌びやかなドレスを身に纏っている。
取りつかれたように目を閉じる事も、耳を塞ぐ事も出来ない私にツァトゥグアとその眷属は再び呪詛を吐きつける。
「イヤンイヤンイイオトコジュルルン、イヤンイヤンイイオトコジュルルン・・・」
瞠目し、刮目し、ようやく私は理解した。してしまった。私は叫ぶ。
「ゲイバーじゃねぇか!」
「あら?ちょっと行先を間違えてしまいました。まぁ、でも、異世界っちゃ異世界ですよね。」
「ようこそ、Ah...come house へ。」
俺はセラエノを思いっきり殴りつける。
「石板だから痛くありませーん。」
「あらあら、物に当たるのはイケないわよ。」
ツァトゥグアが俺に話しかけてくる。
「すいません、間違えました。すぐ出ていきますんで。ごめんなさい。本当。」
「オニイサン良い男なんだからちょっと遊んでいきなさいよ!」
ツァトゥグアの眷属に腕を引っ張られる。なんと怪力なことか。
「おい!セラエノ!なんとしろ!」
「はいはーい。では、私のもう一つの役割、異世界の知識を授けますね。」
「や、やめろ!そんなものいらん!元の場所へ戻せ!」
「異世界行きは片道切符なんですよ。いやーこれでやっと私もVistaに変えてもらえます。ホント助かりました。」
「ふざけやがって!うおっ!」
ツァトゥグアの眷属達が俺を逃がすまいとその豊満な肉体をこれでもかと押し付けてくる。以外に尻は柔らかい。
「それでは知識を授けますね。ほい。」
セラエノからまばゆい光が発せられた瞬間アタシはこの世界のあらゆる知識を脳髄に押し込められた。光が消える刹那、セラエノの声が聞こえる。
「いやー今日は上出来でしたね。明日も頑張っていきましょう!」
その後、アタシがハーレムでチートで無双した事は言うまでもない。
リビングとモノリスと瞠目 犬丸寛太 @kotaro3
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