夜を小規模に照らす。
名南奈美
夜を小規模に照らす。
アレルの肌は白い。ただのヒューマンだから――東大陸の森のなかで紅の目を光らせているホーリーエルフのように――象牙色とまではいかないけれど、それでもリンクルハイムに住んでいる男の子のなかではいっとう白いと思う。そもそもリンクルハイムには性別問わず赤白橡寄りの肌の子が殆どなのだ。そのなかでアレルは色白で、みんなと同じはずの白群色の瞳が他の子と全然違って見える。
集団のなかで違えば勿論虐められてしまうのだけれど、アレルの家には魔導書が沢山あって、飲み込みの早い彼はあっという間に魔法を覚えて撃退する。それから投げ槍まで覚えたアレルは、ある日虐めっ子グループのボスの家に火を灯した槍を投げつけ、燃え盛る家の鎮火をボスが謝るまでやってあげなかった。それ以降はもう誰も、アレルに危害を加えようとは思わなかった。
でもその代わりに誰も友達になりたがらなかった。リンクルハイムはほぼすべての家屋が木造住宅だった。だからみんな、機嫌を損ねたら放火するかもしれない存在と友達になって、喧嘩でもしたらと想像すると恐ろしかったのだ。
だからこそアレルは自由で物怖じをしなくて、教会で暴力はいけないと説かれた日の夕方に男の子と女の子をひとりずつ殴り飛ばすことができる。アレルは白く長い腕をニッサとジューティーに振るい、突然殴られて戸惑っているふたりに魔法で生んだ氷塊をぶつける。ガールフレンドのジューティーの手前逃げられなかったニッサがアレルにやり返そうとするが、風の魔法でふたり仲好く吹っ飛ばされて川に落ちる。
そんな暴力をわたしは呆然と眺めている。傷だらけで泥だらけのわたしをアレルはちらと見る。
「大丈夫? じゃないよね、血が出ている」
「あ、いや」
アレルはわたしの頭に手を乗せて何か言う。聞き取れないけれど、それから間もなくわたしの身体の傷が塞がったということはそういう魔法なのだろう。
「治った?」
「治った。ありがとう、アレル・リーブナ」とわたしはお礼を言う。
「どういたしまして。ところで、僕と君はどこかで会った?」
「いや、わたしが一方的に君を気にしていただけ」
「僕の肌が白いから?」
「うん。そしてわたしの瞳が黒いから」
わたしがそう言うと、アレルは「そうだね。素敵なチャームポイントだ」と微笑む。
そんなことを言われたのは初めてで、どう反応したらいいかわからない。
リンクルハイムの子はみんな美しい白群色の瞳をしているのに、わたしの瞳は神様が気が狂ってイカスミを塗りたくってしまったみたいに漆黒だ。お陰でどうしても目立つうえに、光の感じ方もみんなと違うようだから、そのせいで変な空気になったりする。それが虐めに繋がってしまう。
得なんて何もないし、アレルにそう褒められたところで肯定なんてできない。アレルはそういう感性の子なんだな、と思うだけだ。
「ねえ、名前は? 僕だけ知られてるんじゃ不公平じゃないか」
「メラ」
「いい名前だね」
「わたしも思う。いい名前だよね。書くのがとっても楽で」
わたしがそう言うと、アレルは目を細めて、白い肌にいくつかのシワを作って、綺麗に笑った。歯も白くて、清潔感のある子だなと思った。
「ねえ、歯を綺麗にする魔法ってあるの?」
「どの魔導書のまえがきにもね、掃除とか歯磨きとかは助けてあげないって書いてあるんだ。暗唱はできないけれどいい文章だから興味があったら読んでみて」
わたしは魔導書なんて触ったこともなかった。そんなものは我が家にはなかった。あれは本当に高価なのだ。
我が家にはないが教会の地下図書室には中級までの魔導書がある。地下にあるのは、仮に教会が焼けてしまっても、大切な教えや必要な知識の綴られた書物は焼失せずに済む可能性が高いから……とシスターが言っていた。地上階にある全知のユプラ神の像や、毎朝ごしごしと愛を込めて掃除される机と椅子や、神父さまがはちゃめちゃに軽やかに弾くオルガンは燃えてもいいの? とわたしが訊いたときには、「燃えていいものなんて何もない」と前置きをしてから、
「それでも、私達は全知神に仕える身でしょう? だから、智恵を護って生きていくことこそがあるべき信徒の姿なのよ」
と説いてくれたのを覚えている。
さておき次の日の昼下がり、地下図書室に降りたわたしは、何も考えずに中級の魔導書を手に取る。閑散とした室内。椅子のひとつに腰かけて机上に本の背を乗せる。
まえがきにはアレルの言った通りのことが書いてあった。それが『いい文章』なのかどうかは、正直なところ、よくわからなかった。
そして本文に入ると、もう何もわからなかった。初級書の知識がある前提で書かれているから、知らない単語が頻出する。わからないところを飛ばせばどうにか読めるってレベルじゃなかった。わからないところを飛ばしているうちに奥付に辿り着いていた――まえがきのよさも理解できなかったし、どうやらわたしに魔導書は向いていないらしいと嘆息していると、
「こっちから読んだほうがいいよ」
と、机のうえに一冊の魔導書を置かれた――聞き覚えのある声。そのほうに目を遣る。すると、隣の席に座ろうとしているアレルと目が合った。
「やあ、メラ。まえがきはどうだった? よかった?」
「……やあ、アレル。まえがきは、どうでもよかった」
「そっか」
「わたしがここに寄ること、誰かに伝えたっけ?」
「ううん、僕はこれを読みに」
そう言ってアレルが目の高さに持ち上げたのは、大人が読むような、素っ気なくて遊び心のない、白地に黒文字だけの書籍だった。
そこには『脱け出しのすすめ』と書いてあった。
「アレル、閉じ込められているの?」
「閉じ籠るしかないんだ、今は。僕は何も知らないし、できないから」
アレルはそう言うと、すぐに読み始めてしまった。わたしも追及を諦めて、薦められたほうの魔導書を開いた。それは初級書で、専門用語や考え方の説明から始まっていた。
これならゆっくり読めば理解できそうだ――と楽観できたのは中盤までで、残りページが半分を切ったところからは、少し話が難しくなっていき、なんだか頭が痛くなってしまった。
栞を挟んで本を閉じ、背伸びをしながらアレルを見る。アレルもちょうど、本を閉じたところだった……けれど、栞を挟んだ様子はなかった。
「……アレル、読み終わった? まさか」
「読み終わったよ? ためになる本だった。そっちは?」
「難しくなってきたから休憩」
「そっか。ちなみにどこが難しかった?」
という流れでアレルに教えてもらいながら読み進める。わたしとアレルの間には理解力や前知識に差があるはずなのに、それを気にさせない、寄り添うような手助けをしてくれる。
一冊を読みきったわたし達は本を仕舞って地上階に出る。シスターと目が合う。
「気を付けて帰りなさい。もう夜のとばりは降りていますよ」
驚いて急いで外に出ると、太陽はもうすっかり姿を消していて、穏やかな月の光が夜空に浮かんでいた。帰らないと叱られる。
「ごめんなさい、アレル。こんな時間まで付き合わせて」
「楽しかったからいいよ。それより、忘れないうちに何か魔法をやってみせて」
「あ、わかった」
わたしの手のなかで小さな火玉が生まれる。夜を小規模に照らす。アレルはわたしの手のなかをまるで宝石でも見るかのような目で覗き込む。自分でいつでも出せるものだろうに――魔導書の読みときを手伝った成果が見られて嬉しいんだろう。
それからいくつかの細やかな再現をやりながら帰路を往く。本に書いてあった魔法の半分しか出来ない。
「また読みながら練習すればいいよ。僕も付き合うから」
「いいの?」
「どうせ友達なんていないから暇なんだ」
と笑うアレルの頬が民家の灯りに照らされて、白い肌に産毛が映えて、火玉のように綺麗だった。
次の日からわたしとアレルは魔法の練習を一緒にやった――もとい、わたしの魔法の練習にアレルは付き合ってくれた。初級魔法を完全に覚えるまで一月掛かった。中級魔法に取りかかると読みときで三ヶ月掛かって、覚えるまでさらに二ヶ月掛かった。
半年も過ごしていたら普通にお互いに友達として認識していて、図書室が使えない日には教会の交流室でお菓子を食べながら喋っていた。それだけで楽しかった。黒い目のわたしにも友達ってできるんだな、と思うと嬉しかった。
そのまま三年経つ頃にはわたしもアレルも十五歳になる。その間にわたしは髪が伸びて生理が来て、アレルは背が高くなって声が変わって、なんだか《性》が《別》であることが強調され始める。
世界がわたし達を『女性と男性』にしようとしている……。というのをよりはっきりと伝えてくるのは周囲の目で、わたしとアレルは狭いとも広いとも言えない村のなかでカップルみたいな扱いを受ける。両親にすら。
それを否定するのに疲れてきたある日、背が高くてスタイルがよくて頭のいいシーラという女の子が同じような化粧の女の子を引き連れて、ひとりでいたわたしを囲んで、
「メラさん、アレルくんと付き合ってるの?」
と言ってくる。はちゃめちゃに面倒な気配を感じる。
「違うよ……」
「じゃあアレルくんと縁切ったほうがいいと思うんだけど。付き合ってる? ってずっと言われ続けて嫌でしょ? メラさんがアレルくんと関わらなければそんな噂なくなるよ」
「えー……いや……」
「メラさんのためを思って言ってあげてるんだけど」
嘘つきシーラ。
虐めっ子屋敷放火事件も第三者の記憶から薄れた現在、アレルは綺麗な白い肌をしていて優しくて魔法の達人で、そのうえ(これはわたしには共感ができないが)声変わりで色気も纏い始めて、女の子にすごく人気なのだ。ひとりのときによく声をかけられるらしい。咲いた花に集まる蝶のように。咲くまでは見向きもしなかったくせに。
シーラも一匹の蝶なのだろう。
だからわたしが邪魔なのだ。
どうしよう、と考える隙間もない。中級魔法をぶっぱなしてこの場を切り抜けたところで未来は明るくない。全員殺す? できちゃったらわたしは罪人だ。
うーん。
諦めるか。
「わかった。アレルから離れる」
「本当!?」と喜ぶ表情が本当に可愛くて、シーラならたしかに釣り合うだろうな、とわたしは思う。「約束できる?」とシーラは言う。
「うん。わたしが明日からアレルと仲好くしてたらはったおしていいから」
シーラ達から解放されたわたしはアレルの家に行って、
「ごめん。アレルと遊んじゃ駄目になった」
と言うと、
「そっか。またね、メラ」
と返される。
それで終わる。
友情が終わる。
愛情が残る。
アレルと遊ばなくなって一週間経つ頃に、なんだか身体がギチギチになるくらい苦しくて息もできなくて涙が止まらなくなる。最初はそれがなんなのかよくわからない。三年間一緒だった唯一の友達が居なくなって寂しすぎただけかと思ったが、その後にアレルとシーラが腕を組み合って歩いているのを見て、また同じような状態になる。
わたしはアレルを愛していたんだろう。だから吐きそうなほどに胸が苦しくて、何も吐けないくらいに息が詰まるのだ。
アレルとシーラは本当にお似合いだった。わたしが入り込む余地なんてなかった。最初からこれこそが正解だったみたいに見えた。正解は辿り着いたら揺るがないもので、わたしはもうアレルの隣にはいられない。綺麗で優しくて頭がいいアレル。明るい未来が見えなくたって、手放すべきじゃなかった。手を離すべきじゃなかった。なんて馬鹿なメラ。愚かなメラ。きっともうずっと前から異性だったのに、戸惑うフリをしていたのだ。
明日はリンクルハイムの聖夜祭だ。でも親は準備係で忙しいからわたしはどうせひとりだし、アレルとシーラがデートをしているところなんて見たくない。
孤独を伝える肌寒さから逃れるようにして毛布を被る。そんなものはなんの慰めにもならない。
そして世界はわたしを慰めようなんて思っちゃいない。
翌日、わたしの両親はいつになっても帰ってこない。聖夜の儀式の祭壇をセットしているときに、落下事故で揃って命を落としたから、帰ってこれるはずがなかった。
身寄りのないわたしは教会で保護されることになった。本当はもうさっさと死んでしまいたかったけれど、教会でそんなことを言えば酷く叱られることくらいわたしにだって想像できた。
教会の白いベッドのうえで眠って/泣いて/少し食べて/戻して/泣いて/眠って/シスターや神父に物を投げて/泣いて/眠って/少し食べて/戻して/泣いて/眠って/起きたくなくてまた眠った。
そんなことばかり続けていた。
アレルはその間、一度も教会に立ち寄らなかった。教会という空間が嫌いなシーラとずっと一緒にいるからだろう。
アレルはわたしのことなんて忘れたのかな、と思った。そんなはずはない。アレルは記憶力がいいから、忘れてなんてない。覚えているのに、わたしと会わないことを選んでいるのだ。
何言ってるんだろう、とわたしは思う。アレルと会わないことを選んだのはわたしなのだ。アレルは何も悪くない。あっさり諦めたわたしが悪い。わたしが友情を終わらせた。自分で自分の首を絞めて苦しがっている。
アレル。アレル・リーブナ。わたしの瞳を素敵だと言って、わたしの名前をいいと言った男の子。
わたしはあなたに会いたい。
わたしは少しずつ、ちゃんと食事を摂れるようになっていく。眠る頻度も減っていく。わたしは起きていられるようになる。そうなると暇だから本を読んだり教会の掃除を手伝ったりする。外に積もった雪が銀色に光っているのを見て感動したりする。少しずつ、喜びを感じる機能が回復していく。
シスターや教会に来た人と話すことも増えていく。
するとある日、わたしは久しぶりにアレルの名前を耳に入れる。彼がまた放火したらしい。シーラと喧嘩をした日の夜にシーラの家を火槍で焼いたそうだ。ちょうどシーラのいないときを狙って――シーラの両親は一命をとりとめたが全身に火傷を負っているという。
おかしい、とその話を聞いたわたしは思う。
賢明なアレルが、喧嘩をしたくらいで家を焼くだろうか? ストレス解消のために家を焼くほど幼稚なアレルじゃない――三年前だって、虐めっ子の家を失わせることではなく、鎮火と引き換えに謝罪を要求することが目的だった。それにそのときは虐めっ子の両親の不在時だったはずだ。
今回は――シーラが悪い喧嘩だったとして――謝らせるべきシーラのいないときに、ただただ家に投げ槍で放火し全焼させ、無関係なシーラの両親に火傷を負わせた。なんのために? シーラを後悔させるため? それなら、ある程度成熟した今ならもっと色んな、もっと最小限な手が思い付きそうなものだけれど……というか、わたしにだって別の方法くらい思い付くのに……?
……という思考はアレルの罪を認めたくない恋心から来ているものなのだろうか……?
そんな疑問を抱えながら、シスターからのお使いで村を歩いていると、不意に誰かが「アレル」と言うのが耳に入って、立ち止まる。
そのほうを向くと、そこには大きな木がある。木のしたに二人の、同い年くらいの男の子がいる。ひとりは、昔アレルを虐めていたグループのボスだ――わたしは気づかれないように近づいて、聞き耳を立てる。
「……で、今はシーラはアレルがすっかり怖くなってる」
「だろうなー。でもほんとすげえわ、お前。すかさず家に泊めてさ、段取り完璧すぎ」
「そりゃ、ずっと練ってた計画だからな。アレルのくせに俺のシーラを彼女にするなんて百年早いっての」
「はは、まだお前のシーラにはできてねーだろ。……でもシーラにバレたらただじゃ済まないな」
「バレる訳がないさ。燃える石槍を家に投げつけるなんて、アレルしかいないってみんな思うだろ」
わたしはいつの間にか二人に向けて氷の矢を飛ばしている。頭を貫いている。わたしの前に、雪のうえに、血を流して白目を剥いて痙攣する二人がいる。わたしはその二人を囲うように植物魔法で木の壁を作る。景色として不自然だからどうせすぐバレる。
さてどうしよう?
わたしは震えている。なんて恐ろしいことをしてしまったのだろう。愛情とは恐ろしい。わたしがまさか人を殺してしまうなんて。なんて馬鹿なことをしたんだろう。教会の人達はきっと許さない。わたしの両親……はもう亡くなっているけれど、もしも霊魂の概念が実在するのならば、きっと幻滅していることだろう。
わたしは。
わたしは逃げる。お使い用の手提げをぶん投げてとにかく逃げる。雪のうえを駆け抜ける。鋭い冷風が肌を苛む。誰もがわたしのことを見ている気がする。誰もがわたしのことを怪しんでいる気がする。このままじゃあここでは生きていけない。わたしは逃げないといけない。
一心不乱の無我夢中だったはずなのに、冬の川を眺めるアレルが視界の端に映った途端に停まる。声をかけようとしたところで深く咳き込んでしまう。
「メラ」とアレルはわたしに駆け寄って背中を擦ってくれる。アレルがわたしを触っている。「どうしたんだい、そんなに汗だくで」
「……ア、レル。ねえ、アレル」
「何?」
「アレル、って……リンクルハイム、好き?」
「……リンクルハイムは、嫌いだよ」とアレルは言った。「だから、明日の夜に僕は脱け出すんだ」
「そっか」
「この狭く小さな世界が僕を苦しめる。僕を独りにする。脱け出さないといけない。そうしないと幸せになれないって思ってる」
「そうだね。あのね、わたしも同じこと考えてた」
「……メラ?」
「ねえ、その脱け出すの、今日にできない? わたし、食料とか持ってくるから」
「メラもついてきてくれるの?」
と言うアレルの顔は嫌がってはいなくて、よかった、と心の底から思う。全てがよかった。
「わたしもリンクルハイムには居られないから。アレルが居なくなっちゃうなら余計に、居る価値ないから」
「ありがとう、メラ。夕方に出よう」
アレルは微笑む。わたしも笑う。もしかしたらアレルを見たときからずっと笑っていたかもしれないけれど、気にしない。
「アレル。愛してる」
わたしはアレルにキスをして、硬直するアレルを置いて教会に走り帰る。
シスターは言う。
「ねえメラ、あなた顔が真っ赤っか。熱があるんじゃないの?」
「走ってきたし、キスしてきたから」
「あら、そう」
「ところで、今からたくさんの保存食が必要なんだけど、どれを自由にしていいんだっけ?」
と訊いて提示された食料がなんだか少なく見えたので、シスターの目を盗んで他の棚からも缶詰を取っていく。
食料を詰め込みながら、あのキスでアレルがわたしのことを嫌いになったらどうしようとふと考えて、不安で泣きそうになる。
でも泣かない。どうせ遅かれ早かれ好意は伝えないといけなかったのだし、それに、泣き腫れた顔で好きな男の子のところに行きたくない。
夕日が見えた頃に川に行くと既にアレルが荷物をたくさん持って待っていて、わたしを見ると手を振ってくれる。夕日のせいにしては紅い頬にわたしはどうしようもなくときめく。
「お待たせ」
「今来たところだよ。行こうか」
「うん。ねえ、アレル。ひとつ訊いていい?」
「どうしたの? メラ」
「……初キスだった?」
「……うん」
「え、別に気を使わなくていいからね? シーラとしたとしても意外じゃないし」
「いや、してない。シーラとは付き合ってたけど、気が合わなくて」
「ふぅん」と言いつつ一安心。では次のステップへ……というか最初からこっちを訊くべきだった気がする。「わたしとは付き合える?」
「メラと?」
「っていうか付き合って」
「いいよ。メラのことは前から好きだし」
「……その割りには、遊べなくなるときすんなり了承してたね」
「かっこつけたんだよ。僕も僕なりに馬鹿なんだ」
じゃあアレルもあとでめちゃくちゃ苦しんだりしたのかな、と気になるが、それは訊かない。
そしていよいよリンクルハイムから外に足を踏み出す。数年前は魔物とかいたらしいけれど今はいない。平和って素敵だ。
夕方に出たせいでリンクルハイムの近くの橋につく頃にはもう夜になっていて、その場でテントを張って野宿する。保存食はそんなに美味しくない。テント内に毛布を敷いて寝る。積雪の夜だから、という理由で抱き合って眠ることにする。
当然すんなりとは眠れない。心臓がはちゃめちゃにドキドキする。アレルもなんとなく寝たフリな気配がする。でも声をかける勇気がでない。
人殺して逃げる勇気はあるのにここで進む勇気はないのかよ自分!
ありません。というか殺人からの逃走は勇気とかで美化してはいけません。
まあここはそろそろおしとやかに、アレルさんからのアプローチを待つことにしましょうか……と思って委ねるも結局何もなくて、そういう夜を三回繰り返したわたし達はエルエット王国に到着する。
実質三日徹夜したので眠くて、欠伸をするわたしに「やっぱり外じゃ寝れなかった?」とアレルが訊いてくる。寝たフリしてるっぽいだけで寝てたのかよ!
アレルがエルエット王国を脱出先に選んだ理由は、入国してすぐにわかる――広い城下町のはずなのに、それでも足りないくらいの人口がいるのか、どこもかしこも人でぎっしりだ。
そして、色んな人がいる。肌の色も瞳の色も多様で、アレルのように色白い人もいればわたしのように目が黒い人もいる。
「エルエット王国には旅行客も行商人もたくさんいるし、移住人も多いから……色々と違って当たり前なんだよ。誰も僕達を変だと思わない」
「……すごいね」
「よかったでしょ? 脱け出して」
早いうちに宿を取って、それから城に行って居住許可を貰いにいく。
一年後に無事に国民となる。正直、それまでの間に殺人がバレてリンクルハイムから誰か来たりしないか不安だったが、そんなことはなく過ごせてよかった。
城下町の端っこに家を借りる。庭もない小さな家だけれど、住むには十分だ。ご近所さんも和やかで安心。
アレルはよその家の子供に魔法を教えて回る仕事を始める。自分で子供向けの魔導書を書いて商人に掛け合って売ってもらったりする。
わたしも働きたかったけれど、許可がおりてすぐに妊娠が発覚したので静かにしているしかない。
それからさらに数ヵ月して、わたしは無事に子供を出産することができる。産後に気絶から目覚めたわたしに、アレルは名付けを託してくれる。
「……んー、『イト』で」
「素敵だね、でもどうして?」
「画数が少なくて、いい名前でしょ?」
イト、イトー、と布を巻かれた生まれたての赤ちゃんにアレルもわたしも声をかける。
イトは肌が白くて目が黒い。
はちゃめちゃに可愛い!
思わず右頬にキスしようとすると、アレルも同じタイミングで左頬に近付いていて、顔を合わせて笑ったあとに、両頬へ同時にキスをする。
もちろんそのあとアレルとも。
また少し経って、体重を増やしたイトをふたりがかりであやしながら、わたしはふと、外に雪が降っていることに気付く。リンクルハイムを脱け出した日の雪と重なって、なんとなくもう十年くらい経った気がする。
でもそんなことはなくて、わたしもアレルもまだやっと十八歳で、世のなかのことなんて何も知らない。狭い世界から脱け出せたとはいえ、エルエット王国だって比較的広いだけで、世界の全てなんかじゃない。そもそもエルエット王国という世界だって、わたしの知らない部分はまだまだたくさんあるのだ。
でも、それはゆっくり知っていけばいい。わたしは結局いつまでも馬鹿なので、知って覚えていくまでに何ヵ月も掛かってしまうだろうけれど、アレルが助けてくれるなら、正しい方向に理解していける。夜を照らす小さくて暖かい火玉に、アレルと一緒なら辿り着くことができる。
本当は必ずしもそうではないのかもしれないけれど必ずしもそうなのだと信じていたくて、言い切ってみたくて、なんでそうしたいのかと問われれば、そういう風に愛しているからとしか言いようがないのです。
了
夜を小規模に照らす。 名南奈美 @myjm_myjm
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