第114話

明と別れた白田は、未だその場に居た。

家の中で何が起こっているのか心配する白田の前に、幸田久美子が姿を現した。



114



明が家に入って数分が経った。

白田は彼と別れた場所で車から降り、愛野宅の様子を伺っている。

明が何を言おうが、元元帰る気はなかった。

一緒に行けないのなら、せめて近くに居ることにしたのだ。

後々バレて怒られても構わない、それほど明の事が気がかりだった。


やがて、視線の先に停まっている車の運転席のドアが開いた。

雇い主を出迎えるように、運転手は背筋を伸ばし家の方を向いて立つ。

すぐに白田の視界へ現れるだろうと思っていた、倖田の姿。

だが予想に反して、門扉が開く気配がない。

それから数分が経ち、運転手が後部座席のドアを開けるのと同時に、門扉から着物姿の女性が現れた。

薄暗い夜道で表情まではっきりと見えないが、品のある立ち振る舞いが遠目からでも解った。

そして開かれた後部座席のドアの前に立った彼女は、運転手から何かを言われたのか少しの間を置いて、白田が居る方へと顔を向けた。

お互いの目が合う。

明がこの車から出てきたことは、運転手は知っている。

それからずっとここで家の様子を伺っていた白田を、怪しく思っていてもおかしくはない。

どうすべきか・・・・女性が何か言ってきたとしても冷静に対応しなくては・・・

白田は気持ちを落ち着かせようと、静かに深呼吸をした。

そんな白田の緊張状態とは裏腹に、彼女は白田へと体を向けるとゆっくりと頭を下げた。

え・・・・

綺麗な90度の最敬礼に、白田は拍子抜けしてしまう。

明から聞いていた倖田のイメージからかけ離れた礼儀正しい女性に、ただただ目をパチパチとして見るだけしか出来ず、そうこうしている内に彼女は車に乗り込みそして愛野宅の前から居なくなった。


「白田君?」


呆然としていた白田に、門扉から顔を出している太郎が気がついた。


「どうしたの?明を送ってくれたんだよね・・・」


小走りで白田の元へとやってくる太郎に、白田は慌てて「こんばんわ」と会釈する。


「車止めて、うちに来ればいいのに」


「いえ・・・明に帰るように言われてますので。今日は帰ります」


「そう・・・・・。心配してくれてたんだね」


太郎がどこまで知っているかはわからないが、ずっとここに居た白田に太郎は何かを感じ取ったのかもしれない。


「大丈夫だから。もう、心配しなくていいよ」


「はい・・・・では、今日は帰ります。おやすみなさい」


「うんうん、気をつけてね。おやすみなさい」


ニコヤカな太郎に見送られ、白田は車に乗り込んだ。

太郎に大丈夫だと言われたが、まだ心の中の不安の影は消えない。

後は明の電話を待とう。

そう白田は思い、いつでも通話が出来るようにとBluetoothの準備をした。



******



愛野宅



居間に残っている、客用の湯呑。

手つかずの湯呑を、居間の入り口で突っ立って見下ろしている明。

もうここに居ない祖母の事で、軽く頭の中が混乱している。

てっきり、家に殴り込みに来たと思った。

だが居間で太郎と話している内容を立ち聞きすれば・・・・・今までの祖母のイメージを覆すものだった。

もしかして演技か!?と一瞬疑ったが、今にも泣きそうに声を震わせて話す彼女の言葉に、燃え上っていた闘争心が一瞬にして鎮火してしまった。


「はぁ・・・何なんだよ・・」


誰に言うわけでもなく、そう口から出る。

明はテーブルの脇に腰を下ろすと、置いていたお盆を手にする。

冷めきったお茶が入った湯呑をお盆の上に乗せると、そのまま立ち上がり廊下に出た。


「明君」


そこへ丁度家の中に入ってきた太郎に見つかり、声を掛けられた。


「たで〜ま」


明はそれだけを言うと、台所に向かって歩き出す。

太郎が後を追ってくる気配を背中で感じつつ、静かな台所に足を踏み入れた。


「ねぇ明君。後から聞く程、心臓に悪いことはないんだよ」


シンクに湯呑を置く明の横に立つ太郎。

見上げてくる太郎は、少し怒ってるような悲しんでるような曖昧な表情をしている。


倖田と再会してからの出来事を、一切何も言わなかった明。

久美子が来たことによって、知ったのだろう。

明にしてみれば悪気があったわけじゃない、要らぬ心配を掛けたくなかった。

生存している太郎の毛根を守るためにも・・・


「明君にしてみれば頼りない父親だけど、僕も家族なんだよ」


太郎の手が、シンクの上に無造作に置かれている明の腕を掴む。

訴えかけるような父親の視線に、胸がグッと苦しくなった。


「明君は、僕に心配かけまいと思って黙ってたんだろうけど。一番大切な息子の事を心配出来ないなんて、親としては寂しいんだよ」


あの事件以来、父親に対して反抗的だった態度を改めた。

それでも、世の中の素直な息子とはかけ離れた振る舞いだったと思う。

乱暴な物言いも、突き放したような態度に、興味もないとばかりの素っ気なさも、傍から見たらとんだ不良息子だと誰もが誤解する。

だけど明自身は、それが精一杯の優しさだった。

「成長した明に会った時、我慢できなくなったの。雅が無理なら、明だけでも・・・・そう思って、無我夢中になって追いかけて・・・・傷つけてしまったわ」

祖母が居間で言っていた言葉。

それならそうと素直に言えばいいのにと、その時に思った。

だが・・・今思えば、肝心な事を言わないのは自分も一緒だと痛感した。

祖母みたいに、強引で汚い手など使わなくとも・・・・言わないでいた事で、相手を傷つけているのは同じ。


「親父・・・悪かった」


傷つけたかったわけじゃない。


「もうしない」


明は、目を伏せて素直に思いを口にした。

その言葉に太郎は満足したのか、明の頭に手を伸ばして優しく撫でる。


「何があったか、話してくれる?」


先程まで沈んでいた太郎の口調は普段の穏やかさを取り戻し、明は素直にコクンと頷いて見せた。



115へ続く

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