第111話

明からの電話を受けた雅。

愛野家に現れた母親に、雅はゲイだとカミングアウトした時のことを思い出す。



111



フスカル



「雅さ〜ん、電話鳴ってますよ〜」


カウンターに置きっぱなしだった、雅のスマホ。

それを手にした雛山はフリフリと頭上高く振り、離れた場所に居る雅にアピールしている。

雅はそれに気がつくとBOX席からカウンターに戻り、スマホを受け取るとすぐに画面を確認した。


「何だ?」


今日は休むと連絡があった甥っ子からの着信に、首を傾げる。

他に何か要件があるから電話を掛けているのだろうが、こっちは仕事中。

よっぽどの事じゃない限りは、相手も気を使えるものだと思っているが・・・・


「あ?」


通話を開始し、ぶっきらぼうに応答する雅。

雛山はそれを横目で見ながらも、追加のお酒を作っている。


『倖田が家に来てる』


電話の向こうから聞こえた明の声に、雅は言葉をつまらせる。

途端にザワザワと胸がざわつく。

チッと舌打ちをし、誰にも話を聞かれないようにと厨房へと入った。


「今すぐ向かう」


『馬鹿か、仕事中だろう。それにお前が来る頃には、オレが追い出してる』


「くそっ」


『こっちは任せろ』


「追い出したら、連絡しろよ」


『ん』


短い明の返事の後、通話が切れた。

雅はシンクに手をついて、はぁ〜〜と項垂れる。

到頭家に来た・・・・どこまでしつこいのかと、苛立ちがこみ上げてくる。

自分の息子ではなく、孫に執着する母親に殺気が芽生えるほどに憎らしい。


本当・・・あの時に殺しておけば良かった・・・


「雅君・・・・」


遠慮がちに声が掛かる。

相手を見ずとも、桃だと解った。


「中々戻ってこないから、ピヨちゃんが心配してるわ・・・。何かあったの?」


そっと背中に触れる桃の大きく厚みのある手。


「あの女が、明の家に来た」


桃が息を呑むのを傍で感じる。


「そう・・・・来たのね」


「本当に、腹が立つ・・・・何でそこまで家に拘るんだ」


叫びたいほどの苛立ち。

だがそれを抑え込み、忌々しげに言葉を吐き出す。


「・・・・・・・前々から、思ってんだけど・・・怒らないで聞いてね?」


「・・・・・・何だ」


「寂しいんじゃないかしら・・・・」


「は?寂しい!?あいつが?」


怒らないでと言った桃に対して、雅は怒りの表情を相手に向けた。

桃が、まるで倖田を庇護をしたかのように感じたからだ。


「お父さん、入院したままでしょ?」


そう・・・・倖田の主とも言える父親は、数ヶ月前から入退院を繰り返していた。

明が倖田に目をつけられ興信所に追われていた頃、雅は何もしなかったわけではない。

分家の知り合いに連絡を取り、倖田が今どうなっているのか探りを入れていた。

父は肺炎を起こしてから一度は回復したものの、高齢という事もあり体力の消耗が激しく、私生活もままならなくなった。

それが今は、家にすら帰れない状態だと分家の人間から聞いた。


「広い家でたった一人、孤独だったんじゃないかしら。そんな時、成長した明ちゃんと再会して、家に戻って来てくれると思ったのかも」


「それなら息子の俺に言うだろう、何であいつなんだ!」


口調がきつくなる雅に対して、桃はいつものように穏やかな言葉で続けた。


「息子だからよ」


「どういう意味だ」


「一番近い存在だから、言えないのよ。・・・最後に雅君に言った言葉を後悔しつづけて、余計に顔を合わせ辛いのよ。きっと・・・」


10年前。

あの事件が起き、明が釈放された頃。

太郎と明が倖田の家から追い出された時、何度も母に訴えたが・・・・全く取り合わない。

それなら自分だけでも見捨てないように、2人に関わり続けようと思った。

明が大学受験に向けて前向きになっていた事もあり、度々勉強を教えに愛野宅へ通う日々。

そんな中で起きた、被害者の自殺。

傷ついた明は部屋から出て来ず、太郎と雅そして日富美の支えもあり、再び元の明へと戻っていった。

受験間近、毎日のように愛野宅へ入り浸る雅に、母久美子は幾度も「止めなさい!」「縁を切りなさい!」としつこく言ってきた。

雅にとっては倖田の家との関わりではなく、家族としての関わりを大切にしていた。

母が何と言おうが、姉が愛した家族2人との縁を切りたくはなかった。


そして、慶応大学に見事受かった明に・・・・久美子は急に手のひらを返しのだ。

どこから聞いたのか・・・結果発表の日、帰宅した雅に久美子はこう言った。


「まさかあの子が、慶応大学に受かるなんて。雅、明日にでも明を連れて来なさい」


上機嫌でそう言った彼女の言葉が理解できず、言葉を失った雅に久美子は更に続けた。


「昔はあんなに手がつけられなかったのに、大人になれば変わるものね。今なら倖田に向かい入れれるわ。明を養子にして、貴方の弟にしましょう」


昔から話が通じない事は多かった。

だから母の一方通行な物言いは馴れていたが、この時ばかりは目の前にいる母親が別の生き物の様に感じた。

あの2人に助けが必要だった時に追い出した過去は、彼女にとってなんだったのか・・・


「待てよ・・・。太郎さんはどうすんだよ」


「あの人は、倖田の血が流れていないじゃない」


「何だよ・・・それ・・・・。あの事件の後、どれだけ2人で頑張ってやってきたか知らないだろう。明が立ち直ったのは、太郎さんが居たからだぞ。あいつが必死に勉強頑張って大学受かったのも、支えてくれた父親のためでもあるんだぞ」


「雅、あの人は他人よ。倖田には、必要ない人間よ。」


「・・・・・・・・・」


人を必要、不必要と分別する母親に、生まれてはじめて母親を殺してやりたいと思った。

殴りたいと思った事は何度かあるものの、今まで理性がそれを制御していた。

頭が熱く沸騰するような怒りが湧き上がった雅は、ぐっと握った拳で近くの壁をガンと殴る。

これには母親もびっくりして、肩を震わせた。


「あんたにとって家族ってそんな程度なんだな。なら俺もこの家では、必要のない人間だ」


「何を言ってるの。貴方は倖田の長男よ?」


「ゲイでもか?男が好きでもか!?」


「・・・・何言ってるの・・・。冗談はよしなさい」


「嘘じゃない、もう1年も付き合ってる男の恋人もいる。あんたも知ってる、何度もここに出入りしてるあいつだよ」


雅が言った相手を思い出したのか、彼女の顔色がみるみる青くなっていく。


「やめなさい!そんな世間に顔向けできないこと、許されるわけないでしょ!?」


「許されない!?誰に許されたら良いんだ!?あんたか!?そんなの必要ね~よ!!あんたは一生、気付かなかっただろうな!息子がどれだけ、言わずにいた事を苦しんでたかなんてな!倖田の名前ばかり気に気にしてるような母親に、一生解るわけがねーよ!!」


「やめなさい!だれも解るわけ無いでしょ!そんな不純な事、誰も受け入れるわけないでしょ」


「太郎さんと明は、カミングアウトした俺に嘘だろなんて聞かなかったぜ。それどころか、すんなり受け入れてくれたさ。肉親のあんたより、よっぽど俺の事を考えてくれてる。あの2人は、損得で人の関わりを図らね〜しな!」


真っ青だった彼女の顔が、途端に真っ赤になっていく。


「長男の役目を果たせないなら、貴方も必要ないわ!倖田に長男は居なかった、今すぐ出ていきなさい!!」


叫ぶように言い放った母親の言葉。

家を重んじる母親には、ゲイである自分を受け入れてくれるとは期待していなかった。

解りきっていた結果だったが、それでも彼女が最後に言った言葉は深く胸をえぐった。

息子でも必要、不必要と分ける母親に愛情の欠片も無くなった瞬間だった。


長い間、一緒に生活をともにしていた家族。

父と母、姉と自分。

そして太郎が家族になり、明が産まれた。

賑やかだった倖田の家。

姉が亡くなり、少しずつ静かになっても・・・それでも、まだ家族であり続けれた。

だが母の倖田への執着に、家の中は閑散したものになっていった。


バラバラになって漸く思い知った。

長い間共に生活していた家族に、母親は愛情一つ生まれていなかったのだと・・・


家を出た時の事を思い出した雅は、苦しそうに顔を歪ませる。

母の言葉によって傷ついた胸は癒えず、思い出す度にジクジクと痛む。

そんな雅の背中を優しく撫でる桃は、まるで子供に言い聞かすような穏やかな言葉で続けた。


「言ってたじゃない、昔はもっとマシだったって・・・。何かがお母さんを倖田に縛り付けてしまったんじゃないの?」


桃の言葉に、記憶を手繰り寄せる。

それは時間がかからなかった、母が倖田に執着し始めたのは・・・・姉が亡くなった頃だった。

それまでは口うるさく厳しい人だったのは変わりなかったが・・・・・姉がまだ居た頃は賑やかな家の中で、少なくも笑顔をみせていた。

料理が出来ない姉に口うるさく言いながらも、明が好きだったポテトサラダを作らせていた。

口が乱暴な雅に小言を言いながらも、テストの点数が良いとご馳走を作ってくれていた。

太郎を便りないと言っておきながら、庭の手入れを手伝ってもらう度、その日の夕食では振る舞うようにお酒が並んでいた。

走り回る明に怒りながら追い掛けながらも、目新しいおもちゃを見つけては買っていた。

辛い記憶の中に埋もれて見なくなっていた、母の顔。

不器用な人だったけど、まだそこには愛情があった。


「一度、貴方から歩み寄って話したほうがいいわ。お父さんの事もあるし・・・ね?」


「・・・・・そうだな・・・」


「何なら私も一緒に居るわよ。桃バージョンがいい?それとも茂信(シゲノブ)バージョンで会おうか?好きなの選んでよ」


桃の言葉に、雅はふっと笑いを漏らす。

今の自分に寄り添い、支えてくれている家族の存在。

桃の存在は大きく、荒ぶっていた気持はいつの間にか桃の口調のように穏やかになっていた。

そんな桃の首に腕を回して、雅は気持ちを伝えた。


「サンキュ・・・どっちのお前も好きだし、どっちもお前だろう」



112へ続く

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