04. 受験前

 湊が現実世界に戻ってきた時、ユーグリアから持ち帰ったものがある。

 それはユーグリアで使われている教本だ。

 ユーグリアへの進学を決めた以上、ユーグリアでの生活は最低限こなせるようになっておかなければ話にならないからである。


「………うーん、やっぱりなんか英語と違うんだよなぁ」


 今は幸いにも冬休み。時間ならいくらでもあった。

ユーグリアの教本と向き合う中で湊にも分かったことがいくつかあった。

 当たり前だが、ユーグリアの世界で使われている文字は現実世界で使われている文字のどれにも当てはまることのない独自の言語文化だった。

 形としては、いつだったか授業で習った象形文字の様に、何かの形を言葉に置き換えているような、そんな文字だった。

 それを繰り返し、繰り返し読んでいるうちにある法則に気づいたのだ。

 《アルファベット》である。

 文字の形や文法から、彼が色々試してしっくり来たのがこの英数字の原始、アルファベットであった。

 しかし、ではそのアルファベットの羅列をいざ英和辞典で調べてみても全然その言葉はヒットせず。

 ここで湊は大きな壁に追突してしまったのだ。


「イヤリングもそうだけど、メガネも手放せなさそうだな。こりゃ………。」


 前途多難な学園生活を思い浮かべ、湊は苦笑しながら本を閉じる。

 そろそろ夕飯の支度をしないといけない時間だ。

 湊はユーグリア文字の事を頭の片隅に追いやって、すぐさま今日の献立を考えることにした。


「腹が減っては戦は出来ぬって言うしな。ちゃんと食べて、しっかり休もう」


これは現実逃避ではない。決して。

 彼は自分にそう言い聞かせ、自分の部屋から台所へと向かった。



※※※※※



 冬休みも開けた頃、湊はクラスの話題の中心になっていた。

 湊は中学卒業と同時に海外へ移住。

 よって日本の高校への通学を諦めるとクラスメイトに漏らしてしまったからである。

 もちろん、異世界に行くとは言っていない。

 そんな突拍子もないことを言って3年間で築き上げた自分のイメージが瓦解することを恐れたのである。

 

「にしてもイキナリ海外か。寂しくなるよ」

「海外のどこら辺?俺も行ってみて―なー」

「良かったら私にも海外の感想教えてね!ホームステイとかするかもだし!」


 男子に女子に質問攻めを受け続けている。

 湊は曖昧に笑いその場をやり過ごしていたが、だんだんとその状況に嫌気がさし、1人になれる図書室を主な活動拠点としていた。


「はぁ~~~~………。」


 最初の頃は質問も少ないしよかったのかも知れないが、こうも同じような質問ばっかり繰り返されると気が滅入る。

 大体、ホームステイの参考にするから海外の感想を聞かせてくれって、どういう頼みだ。

 ウチにホームステイしに来る気か?

 ああいう行事は、現地に暮らす家族と共に互いの国の文化や言語を学ぶ学習の場だろうに。

 とか何とか馬鹿な事を考えながら、ノートにユーグリア文字を書き写す練習をしている。


「………次はいつ、あっちの世界に行けるんだろ」


 あれからもうすぐ1ヶ月は経つだろう。

 年は明け、気温は下がりすっかり冬景色へと様変わりだ。

 あの1件以降、湊はユーグリアの地を踏むことなく過ごしてきた。

 マスターキーを持っているのは帽子屋だし、そんな彼曰く。


「タイミングになったらキミの家にお邪魔するから、それまで待ってて~」


とのこと。

 だったら別に宿屋の部屋をもっと狭くしても良かったのではないか?とか少しは思ったが、あえて言わないことにした。

 今はただ、15年目にしてやっと訪れた母親への手がかりのチャンスを逃したくない。

 湊の思いはそれだけだ。


「これで家に帰ったら帽子屋が居座ってたら怖いな」


 湊は少し苦笑しながら帰り支度を始める。

 帰り道でもクラスメイトと鉢合わせたら厄介だ。

 湊は周りを見渡して、そそくさと帰途へついた。



※※※※※



「やぁ」


 家に帰った湊を待っていたのはリビングでくつろぐ帽子屋だった。

 数分前に思っていたことが現実になってしまったようだ。

 やはり、家に仮面の男が突然現れるのは怖い。


「心配しなくても、貴重品はとってないよ。そもそも俺にはそういうの必要ないからね」

「それはそうでしょうけどね。向こうの世界じゃ貨幣価値も違うでしょうし」


 湊は荷物を置いて、向かいに座る。

 帽子屋が現れたということは、待ち望んでいたタイミングがやってきたと言う事だ。


「この前、キミを返した後に色々手続きを済ませてきたよ。試験日程は3月の始め。キミの学校のスケジュールを聞く限り、卒業式も終わってそうだしちょうどいいかな?」


 冬休みも明け、今は2月の終わりに差し掛かっている。

 日本基準で考えたら、今から受験するというのは遅すぎるような気もするが、異世界基準で考えたらそうでもないのだろうか。


「受験のやり方が特殊だしね。ただまぁ、滑り止めとかはないから一発勝負であることに変わりはないよ。」

「もしこの試験に落ちたら、次はどうするんですか?」


 湊の問いに、帽子屋は暫し考え込む。


「学院に編入などの制度は基本的に認められていないからね、落ちたらもう1年待たないといけないかもしれないな」


 それは困る。

 何せ、季節が変われば最上湊はこの街にいない設定になっている。

 そんな湊が春になってもこの街にいるのは大問題だ。

 次の1年間、家から出る事が出来ない生活なんてゴメンだ。


「そうならないためにも、今年の入学試験は成功してほしいけどね」


 そう言いながら、帽子屋の内ポケットから1枚のカードを取り出す。

 そこにはユーグリアの文字で湊の名前と年齢が書かれていた。


「これが受験票、入学後にこれがそのまま学生証になるから無くさないようにね」


 そう言って、カードを湊に渡す。


「ここでその話を切り出すってことは、いよいよタイミングが来たってことですか?」

「そうだね、キミの学校の卒業式が終わったタイミングで本格的にユーグリアに移ろうと思っている。」


 いよいよ時が来たようだ。

 ここから始まる、母親への手がかりを探すための大事な1歩。

 湊の表情も自然と強張る。


「この前も言ったけど、試験の内容はサバイバル。会場となるフィールドは《スパルタ林野》。森林地帯と平野地帯のミックスで、洞や河川などの自然由来のフィールドギミックもある、サバイバルにうってつけの場所だよ。」


 そんな事を言いながら、帽子屋は机の上に地図を広げる。

 見たところ、森林の面積よりも平野の面積の方が広い。

 湊は幼少期に少しだけ齧っていたボーイスカウトの知識を思い出す。

 小学生の時はよく課外活動としてキャンプやハイキングで野山を駆け巡っていた記憶はあるが、まさかこんなところで役に立つとは。

 地形で見るならば、早めに森林エリアに潜り込み、そこでやり過ごすのがセオリーか?


「試験時間は6時間、今年の受験生は見た感じ3万人くらいかな?例年の結果を見る感じ、この内の半分くらいは落ちると思うよ。」

「3万人の半分は受かるんですか?そう聞くとあんまり難しそうに感じませんけど」


 湊の一言に対して、帽子屋は小さく笑いながら言葉を続ける。


「まぁ、《ガン逃げ》でどうにかなるからな。無駄な喧嘩を吹っ掛けたり、《バケモノ》相手にぶち当たったりしない限りはどうにかなるのさ。」

「前も言ってましたけど、《バケモノ》って何なんですか?」


 その問いには帽子屋は答えてくれなかった。

 大きく笑い、ただ一言。


「見りゃ分かるさ。見れば、ね」


 その一言の真意に湊は気づけなかった。

 ただ分かったことが1つあるとするならば、やはり自分で喧嘩を売るのは得策ではないと言うことだ。

 帽子屋の言っていることを信じるならば、魔力による恩恵を自分が受ける事は出来ない。

 まさに、信じることが出来るのは己だけだ。

 湊は気合を入れなおし、早速ボーイスカウトで使っていた教本を読み直そうと決意した。

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