進路先は異世界です。 ~母の行方を追ってやってきた、この世界で四苦八苦~

一之枝

0. プロローグ

 とある春先。

 幼かった頃の、うっすらとした記憶。

 桜の花びら舞い散る街道を一生懸命ついていく。

 今と比べると随分と短い手足で、その後姿を追いかける。

 今はいない、大切だったはずの人。

 その人が自分へと振り返る。

 そう、大切だったはずの人。その人は確か―――――。

 確か―――――――

 確――――――

 ――――――




「………」


 目覚ましが鳴る5分前。

 最上湊もがみみなとは目を覚ました。ゆっくりと体を起こし、時刻を確認する。

 今は朝の7時前。今日は自身の通っていた学校の最後の登校日だ。

 まだ働かない頭を無理やり動かし、布団から出てリビングへと向かう。


「おはよう」


 帰ってくる声は無い。

 2階建ての一軒家。この広い家に住んでいるのは湊1人だけだった。

 家主の父親は海外で仕事をしていて長い間日本には帰ってきていない。

 父親とのコミュニケーションは、定期的に送金される生活費のやり取りだけだ。

 そして、母親は―――。


「おはよう、母さん」


 彼はそう言って家族写真に声をかける。

 記憶には残っていないが、この写真は七五三の時に撮った物。

 紋付袴で緊張した面持ちの、幼い湊が中心に写っている。

 そして左隣には、優しそうに微笑む父。

 そして右隣には………。


 誰も写っていない。

 本来なら写っているはずの母親のスペースが、不自然に空いている。


 最上湊の家族は歪んでいる。

 子供とは、父親と母親の二人がいて成り立つ存在。

 離婚して片方のみになってしまったとしても、必ず両親がいるものだ。


 では、最上湊を産んだ母親はどんな人物だったのだろうか?


 その問いを答えられる人物はこの世界に存在しなかった。

 一緒に過ごした湊も。

 一緒に立ち話をしていたご近所さんも。

 永遠の誓いを立てた父親も。

 ましてや、その母親を育ててきた祖父母ですらも。


 


 この世に最上湊を産んだ女性の事を、知る人間は存在しないのだ。

 幼い頃は、この事実を信じる事が出来ず癇癪を起していた湊だが、産まれてから15年が経った今、彼はそれを気にしなくなっていた。

 「納得」したのではなく、「諦め」ではあるものの。それが、一番折り合いがついたから。


 顔を洗い、慣れた手つきで1人分の朝食を用意する。

 小学校を卒業し、父親が海外に移住してから身に付けたルーティンだ。

 パパッと済まし、すぐさま制服に着替える。

 今日は終業式。中学生活最後の冬休みだ。

 何にも入ってない、形式だけの通学鞄を持って準備完了。


「おっと、忘れるところだった……」


 そう言って彼は、玄関に置いてあるネックレスを手に取った。

 チェーンの先にリングがついた、シンプルなネックレス。

 校則の関係上、身に着けて登校することは無かったが、このネックレスを忘れたことは無かった。


 理由は1つ。これがこの世界で唯一残っている母親の形見だからだ。


 母親が死んでしまったのか、生きているのかも分からない。

 だけど、何故かこのリングネックレスの事だけは覚えている。

 物心ついた時の、いつだったかのプレゼント。


「これは、湊へのプレゼント。悪いことから守ってくれるお守り」


 声も思い出せないし、本当にこんなことを言っていたのかも覚えてない。

 だけど、何故か湊の記憶の奥底には、これが母親の残した「お守り」であるのだと、刻み込まれていた。

 バックにネックレスを仕舞ったら、彼は扉を開く。



※※※※※※



 時は流れて、終業式。校長先生の有難いお話を聞き流し、教室へと戻る道すがら、クラスメイトが声をかける。


「中学生活もいよいよ終わりだな~。湊、お前高校どこにするか決めた?」

「まぁ、適当に何校か願書出したからね。受かったところの1番いいところに入るんじゃないかなって感じ」


 12月の半ば、冬休みに入ればいよいよ受験本番だ。

 周りの人たちの雰囲気も変わる。それは、隣にいる彼も例外ではなく。


「にしても、お前の口から受験の話を聞くことになるとは思わなかったよ。今までそんな話全然してこなかったのに」

「そりゃもう12月だぜ? 嫌だって言ってもその話になるだろうよ。」


 隣にいる友達は不機嫌そうに口を尖らせる。

 その様を見て湊は苦笑する。が、すぐに自分の事を考え始める。

 湊が願書を出した高校は、自分の家の近所や、電車やバスの乗り継ぎが少ないところと言った、アクセスがいい学校が中心である。

 高校のレベルなどは関係なく、いかに自分が「ラク」出来るか。それが湊にとっての重要な要素だった。

 だからこそ、湊はクラスメイト達の受験に対する熱に追いつけず辟易していた。


「受験の事を気にせずバカみたいな話が出来るお前が貴重だったんだけどな」

「? なんか言ったか?」

「いや、何も。お互い受験頑張ろうぜ」


 そんな話をしながら、冬休み前最後の登校日は終わりを告げたのであった。



※※※※※※



「受験、かぁ……」


 寒空の下、1人呟きながら帰途を急ぐ。

 首からぶら下げたネックレスを弄りながら、1人考える。

 今は校則に縛られることもない、プライベートな買い物の帰りだ。


「ま、今更考えたところで高校を変える事は出来ないけどな」


 片手にスーパーで買った食材を持って、今度は目先の事を考え始めた。

 1か月の事よりも、10分後の献立の方が大事だ。

 今日は寒いし、何か簡単なものを作ろうか……。


「キミ」


 むしろ、最近圧力鍋も買ったし、今まで試したことのないレシピを考えよう。

 どうせ明日から長い休みだ。

 凝った献立を作る時間はいくらでもある。


「キミ?」


 それにしても、なんか後ろから男の声がする気がする。

 今日はイヤホンを忘れてしまったからな。

 いつも登下校中にスマホで音楽を聴いているから、空耳でも聴こえているのだろう。


「最上湊クン? キミを呼んでいるのだが?」

「はい!?」


 フルネームで呼ばれてしまった。

 そこまで言われたら流石に自分の事だと嫌でも分かる。

 湊は意を決し、振り向いた。


「あぁ、やっとこっちを向いてくれたな。初めまして、最上湊クン」


 振り向いたことにより、声の主の姿を確認する。

 白い背広をビシッと着こなし、白いシルクハットを被っている。

 これだけでも現代日本では結構目立つ格好をしていると思うのだが、男は更に顔に白い仮面をつけている。

 もう、ここまで来ると「目立つ」を通り越して「怪しい」まで行くレベルだろう。

 湊が通報するかどうか悩んでいると、そんなこともお構いなしに男が話を続ける。


「そのネックレス、素敵だね。母親の形見だろ?」

「ッ!?」


 このリングネックレスは、凝った装飾をしているわけではない。

 デザインだけで言うのであれば、よくあるシルバーアクセサリーだ。

 こちらから「これは母親の形見なんですよ」みたいに言わなければ、これを特別なものだと思う人間はまずいない。

 なのに、見た瞬間これを「母親の形見」だなんて言えるのだ。

 

「あなた、母親の事を知っているんですか?」


 仮面の男の表情は分からない。

 俺はこんなに焦っていると言うのに、なんかズルいなコイツ。

 そんなくだらない思考を頭の片隅に追いやって、仮面の男の返事を待つ。

 時間にしたら短かったのだろうが、湊の体感では長い沈黙が流れた。

 強く北風が吹いた後、仮面の男の言葉が紡がれた。


「知っているさ。勿論」


 初めてだった。

 母親の事を知っている人間に会えた、今まで誰も知らなかった母親のことを知っている唯一の人間に。


「それでキミに相談があるんだけど」

「な、何ですか?」


 聞きたいことを聞く前に、仮面の男に先手を打たれた。

 相談と申されても、こちらはただの中学3年生。

 これと言った特色も何もないのだが、彼は何を望んでいるのだろうか?

 そんな事を思っていると、男の口からは常識の遥か上を行く答えが返ってきた。


「キミさ、進路先を《異世界》にする気はない?」

「………………はい?」


 突飛すぎる一言に、湊の頭はフリーズする。

 父さん、ボク。異世界の学校に進学します。

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