第11話 古い記録
屋敷から一時撤退したヘキサたちの姿は、そこから遠くない役所にあった。
クロエルの公的機関は、基本的にあらゆる層において同じ場所に位置し、同じ間取りと役割で、それぞれの層を管轄としている。だからこそ、あまり来ない下層の役所へ迷いなく辿り着いたヘキサは、表層の役所と同じように公に開かれている資料室へ向かった。
目的はもちろん、あの屋敷に入る許可を得るため。
恩恵により、既にあのメイドの主人はこの世にいないと分かっており、役所へ向かう際、これを伝えたルクスからも「そのまま伝えればよろしかったのでは?」と言われたものだが、ヘキサは別の考えから電子化された資料を漁っていく。
「そう言えば、ヘキサ殿はあのメイドを見た時にフィリアと呼ばれていましたが、どなたかお知り合いと似ていたのですか?」
木目のパーテーションで区切られた机の一角に陣取り、目的の記事を探していると、ルクスがふと思い出したように聞いてきた。ヘキサにとっては資料漁りの一端を担う単語でもあったため、思い出す手間もなく答える。
「フィリアというのは、大昔に絶滅した種族の名です。透き通るような肌と煌めく瞳、虹色の光沢を持つ髪と甘やかな声音が特徴ですね。とても美しく、可憐で、それゆえに絶えたと伝えられています」
「つまりは乱獲ですか。よくある話ですな」
種族名と分かった途端、オウル以外の種族に興味がないというルクスは、自分から話題を振ってきた割に、出された答えへ投げやりに感想を述べた。
ヘキサはあからさまな声音の変わりように苦笑しつつ、メイドの姿を思い出す。
「そうかもしれません。私も授業でそう習ったくらいで、原因についてまでは分かりませんが。ただ、フィリアを題材にした絵画を観たことがありまして。先ほどの方はそこから出てきたと言われても、いえ、それ以上に美しかったものですから。……格好は、さておき」
最後は小声で付け加える。
屋敷で会った女は、顔立ち、スタイル、所作の全てが見蕩れてしまうものだったが、髪型と服装は、あの屋敷の規模のメイドを名乗るにしてはずいぶんみすぼらしかった。それでも陰らない美貌ゆえに、絶滅した種族の名を口にしたヘキサは、画面の操作を進めていく。
これを目で追うルクスは、眉を寄せて首を捻った。
「ということは、あの娘は生き残りですか? それにしては生体反応が薄いというか、どちらかと言えば羽虫に近いような」
「ええ。お察しの通り、あの方は生き残りではなく、フィリアを模したアンドロイドでしょう」
「あんどろいど、とは?」
「簡単に言えば、金属の骨格に、限りなく動物性のものに近い綿と布で覆われた身体と、自意識を持つ機械のことです。元々は別種族が道具として造り上げたそうですが、便利さを追求する内に生物と同等の心が生じ、これにより今では数ある種族の一つとして地位を確立しています。……そういう意味では、彼女はアンドロイド足り得ないかもしれませんが」
「というと?」
「自意識を持つにしては、主と呼ばれる方を絶対的なものと考えているようでしたので。もしかするとフィリアがまだ存在した時代か、記憶が薄れていない内に造られた、かなり旧式のアンドロイドなのかもしれません。――ああ、やはり」
ヘキサの手が止まり、数枚の写真と関連する文章が画面に並ぶ。
中でも際だって目を惹くのは、件のアンドロイドの姿。
金が混じる空色の瞳に、先ほどとは違い、きちんと結い上げられた銀髪。これにより、耳の位置にはめ込まれた薄青の楕円形の金属が、一目で彼女をアンドロイドだと知らしめている。ともすれば冷たく感じかねない色彩と理知的な美貌だが、紅色の唇は柔らかく微笑んでおり、それだけで周囲を明るく華やかに魅せていた。細身ながら女性型と分かる体つきに黒いワンピースと白いエプロンを纏う姿は、彼女自身が述べた通り、メイドのそれだ。
「日付はクロエルができて約300年の頃ですから、思った以上に彼女は昔の型のようです。登録も市民としてではなく所有物。そして、この方が彼女の主で」
ヘキサの指が、メイドの横で椅子に座る、大柄な男に触れた。
つばの広い黒い帽子を被った顔は見えにくく、地肌を晒したくないのか、襟首まで覆うシャツと暗色のジャケット、黒い手袋を身につけた男の種族は判別し難い。ただ、猫背であっても広いと分かる肩幅が性別だけを伝えている。
そんな男とヘキサの指の間に情報が現われたなら、一つ頷く。
「公式にも亡くなっていると記述があります。種族は……ハーミット。とても頭の良い種族ですよ。なるほど。ハーミットであれば市長の目を盗むことも――んん?」
「何かありましたか?」
男の履歴をなぞっていたヘキサは、思ってもみなかった記述に目を留めた。
「それがこの方、亡くなる前に彼女含めたあの屋敷の全てをクロエル、つまり市長に譲られていたみたいです。ほら、ここにサインがあります。市長のものも一緒に」
「ほほう、確かに。……で、それが?」
「市長が持ち主なら、あの屋敷は本来あんな風に放置されていないはずなんです。無駄に面を設置しておくことなど許さないでしょうから。それなのにここにサインがあってあのままということは、年代からみてビクトール侵攻のせいでしょうか」
「ビクトールというと、クロエルより南方に位置する国ですね。血筋を探している時に寄りましたが、ずいぶん穏やかな国に変わっていました。そこそこ血気盛んなところだと記憶していたのですが」
「ええ。特にクロエルができた当初はビクトール侵攻の名の通り、何度か衝突があったそうです。市長が言うには試行錯誤していた時期で、防衛も一苦労、せっかく建てたモノも壊されて、とても迷惑だったそうですが」
(市長のような高位種族ならその程度の認識で済みますが、私たち市民から見れば戦争そのもの)
だからこそ、あの屋敷も手つかずのまま、あそこに在ったのだろう。
認識はどうあれ、高位種族であっても市長は全知全能ではない。都市の完成と防衛を同時に行う混乱の最中で見落とされてきたモノ、戦火で失われたモノは数多い。そして、資料室に保管される資料のほとんどは市長の承認を得た物とされてはいるが、要は役目を終えた物であり、市長自身が見返すことはほとんどない。
「未完のクロエルとビクトール侵攻、この二つにより忘れ去られた屋敷。……彼女の中の主は市長ではなく、今もこの方なのでしょう」
ヘキサの導き出した結論に、ルクスは「はあ」と気の抜けた返事をした。
「しかし、次から次へと。こんな小さな機械で個人のことをここまで調べられるとは、クロエルはなかなかどうして、恐ろしいところですな。ヘキサ殿は大丈夫なのですか?」
「いえ、さすがに存命中の市民の情報は非公開ですよ。それに、亡くなったからといって、皆が皆、ここのデータベースへ追加される訳ではありません。彼女の主について詳細があるのは、亡くなってからかなり時間が経っていて、功績があるからでしょう」
「功績?」
「ええ。クロエルに多額の寄付をされていたようです」
ヘキサはルクスが見えるように身体をずらすと、別の操作を進めていく。次いで机下から一枚の印刷紙を取り出し、ルクスに断りを入れてから電源を落とした。
「では、行きますか。まずは所長にあの屋敷のことをお伝えしなくては」
「所長? ここのですか? ヘキサ殿ならば、クロウ殿に直接話された方が早いのでは? 先ほどの譲渡書の署名は市長のものでしょう?」
ヘキサの後に続いて歩き出したルクスが、不思議そうに尋ねてくる。
これに、四白眼の中で琥珀の虹彩をぐるり一回り。
ヘキサは苦笑の顔をルクスへ向けた。
「会えば分かりますが……ここの所長にお伝えした方が市長を待つより早いんです。いえ、もっと言えば、近場の公的機関の長に、でしょうか」
「はあ……」
ルクスの不思議そうな顔を目の端に、ヘキサは役所の窓口へ声をかけた。
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