黄変する童話
十一
Ⅰ:キテラとひゃくにんのおともだち
あるところに、キテラという金色の髪をした可愛らしい一人の女の子がいました。
キテラは山の奥にある、大きなお屋敷に住んでいました。
キテラはまだ幼くて、小さい女の子です。
それでも、いつもお父様に着せてもらっていた優雅なドレスのおかげで、美しく、ちょっぴり大人に見えました。さらさらとなびく金色の髪は、絵画のようでした。
キテラが笑うたびに、苺のような唇が輝きます。
キテラが笑うだけで、お父様は笑顔になりました。
キテラのお父様は、町の立派な役人さんです。お父様が働いてくれるおかげで、キテラは裕福な生活を送ることが出来ました。
キテラは、優しく笑うお父様が大好きでした。
お父様も、きらきら輝くキテラが大好きでした。
ですが、キテラには悲しいことがあったばかりだったのです。
「キテラ・・・・・・・本当に覚えていないのかい?」
「うん。おぼえてないの・・・・・・・」
なんとキテラは、数日ほど前に、屋敷の階段から落ちてしまったのです!
そのせいで、キテラの頭には今、少しだ大きなたんこぶができています。
その他のケガは大したことはありませんでしたが、なんといっても、その日から、キテラの持っている記憶が無くなってしまったのです!
これにはお父様もショックを受けて、数日は寝込んでしまった程でした。
それもそうでしょう。だってキテラは、大好きなお父様のことも、お母様のことも、五人姉妹の末っ子だったことも、そしてキテラとお父様以外は伝染病でみんなすぐに死んでしまったことも忘れてしまったのですから。
ですが、キテラはそこはかとなく明るい女の子です。
お父様を慰めようと、声を弾ませて言います。
「でもね、お父様! わたし、おねしょをしなくなったのよ! メイドの人にそう言われたわ! 記憶が無くなる前は、いつもシーツが汚れて大変だった、って!」
「おぉ! それはよかったなぁ。キテラはきっと素晴らしい女の子になるよ」
「うん!」
キテラは太陽のように笑います。
お父様は、キテラの成長を心から喜んでいました。
ですから、キテラは記憶が無くなったことについては、あまり悪く考えないことにしました。お父様が笑ってくれれば、それでよかったのです。
♰ ♰ ♰
他にも、キテラにとって楽しいことは沢山ありました。
朝になり、朝食を食べようとダイニングルームに足を運んだ時のことでした。
一足先に席につく、一人の女の子の後姿が見えます。背丈はキテラと同じくらいで、ブロンズの美しい髪をしていました。
キテラは喜んで声を上げました。
「ペトロ―ズちゃん!」
呼ばれた女の子は、キテラの顔を見て元気よく笑い返します。
「キテラちゃん! 久しぶり!」
「うん! ペトロ―ズちゃんも、久しぶり!」
キテラには、大好きな親友がいたのです。キテラと同い年の、これまた可愛らしい女の子です。名前を、ペトロ―ズと言いました。
「また、お外から来たの?」隣の椅子に座りながら、キテラが問います。
「そうだよ!」ペトロ―ズは嬉しそうに頷きました。
「いいなあ・・・・・・・」
「キテラちゃんも、いつか出れるよ!」
大きく頷くキテラに、ペトロ―ズは小さな首をかしげます。
「・・・・・・・でも、キテラちゃんは、なんでお外に出たいの?」
キテラは、瞳に星を溜めて、言います。
「わたしね、おともだちをたくさん作ることが夢なの! 百人くらい! それで、みんなでピクニックをするのよ!」
キテラは、お屋敷の外に出ることを禁じられていました。
出られるようになるのは、立派なレディになった時です。普段は本を読んだり、お勉強をしたりします。キテラは、とても賢い女の子でした。
ですが、読書やお勉強ばかりをしていたら、優しい女の子にはなれないとお父様は言います。立派な役人の娘として、人と関わることも欠かせません。そして何よりも、キテラには同い年のおともだちがいなかったのです。
そこで、お父様は『遊び役』の女の子を屋敷に招くようになりました。『遊び役』は、キテラと一緒に遊んで、仲良くなるのが仕事です。
その『遊び役』こそが、ペトロ―ズだったのです。お父様が街に仕事に言った時、知り合った役人さんの娘だそうです。
ペトロ―ズはキテラのようなドレスは着ていませんでしたが、色々なことをキテラに教えてくれる、笑うとかわいらしい女の子でした。
記憶が無くなる前も、記憶が無くなった後も、二人はすぐに仲良くなりました。
ペトロ―ズも最初は驚き悲しみましたが、すぐに打ち解けました。親友とは、きっと、そのような関係を言うのでしょう。
朝食が済めば、あとはペトロ―ズが帰るまで、遊びの時間でした。
「じゃあ、ペトロ―ズちゃん、今日は何して遊ぶ?」
「今日はメイドさんごっこしようよ!」
「うん! じゃあ、エプロンドレスに着替えよっ!」
キテラは屋敷のメイドに声をかけます。
キテラはメイドのみんなからも好かれていました。
ちなみに、メイドは〝奴隷〟であると、こっそりお父様が話しているのを聞きました。キテラは〝奴隷〟というものがよく分からなかったけれど、優しくしてくれる人はいい人だと心得ていました。
エプロンドレスに着替えた二人は、ティーカップに紅茶を注いで、レディのように美しくお茶会をしました。ペトロ―ズが美味しそうに紅茶を飲む姿を見て、キテラは幸せな気持ちになりました。
楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。キテラが気がついた時には、外にはオレンジ色の空が現れていました。お別れの時間です。
「キテラちゃん、ばいばい!」
キテラはペトロ―ズに帰って欲しくなくて、泣きそうになります。けれど、ここで泣いてしまったら、立派なレディにはなれません。
「また遊ぼうね、ペトロ―ズちゃん!」
キテラは涙を堪えて、笑顔でペトロ―ズに手を振りました。
きっと三日後には、また遊びにやって来るはずです。そう思うと、悲しい気持ちよりも、楽しみな気持ちになりました。
順調に成長していくキテラを、お父様は以前のように微笑ましく見守っていました。
♰ ♰ ♰
その日の夜、ベッドの中で、キテラは目を輝かせていました。
キテラはペトロ―ズと遊んだときは、いつも思います。
「わたしも、早くお外の世界に出てみたいわ・・・・・・・‼」
そう思うと、夢の中で、楽しい外の世界での生活を送れるのです。
夢は決まって、ピクニックの夢でした。
本で見たような晴れた山で、動物や鳥たちに囲まれながら、ランチバスケットを広げ、みんなが楽しそうにお食事をしています。
そこには、お父様やペトロ―ズ、お屋敷のメイドの姿もありました。お外の世界で仲良くなった、ペトロ―ズ以外のおともだちもたくさんいます。
みんなが笑って、キテラも笑う、幸せな夢でした。
キテラの住んでいるお屋敷も山の中にあるのですが、キテラはよく分かっていないようです。
となるとやはり、キテラはペトロ―ズを羨ましがっていました。
ペトロ―ズがキテラのお屋敷へとやって来る時、まるで解放されたように、顔がぱああっと明るくなる表情が、キテラは好きでした。きっと、色々な場所に出かけているから、あのような表情が出来るのでしょう。
キテラがお屋敷から何故出られないのかは、彼女自身もよく分かっていました。というのも、記憶が無くなって数日後に、お父様が教え直してくれたからです。
『いいかい? キテラにはお母さんと、四人のお姉ちゃんがいたんだよ。キテラは一番下の子だったんだ。キテラがまだ小さいとき・・・・・・・そうだな、この屋敷にメイドを雇っていないくらいの頃、一番上のお姉ちゃんのバレエの発表会があったんだ。
もちろん家族みんなで行こうとしたんだが、キテラはまだ町には慣れてないんじゃないかってお母さんが心配してね。私とキテラで、留守番をすることになったのさ。
そしたらね、ちょうどその頃、町では伝染病が流行っていたんだ。かかってしまったら咳が止まらなくなって、死んでしまうらしい。かわいそうなことだが、みんなはその伝染病にかかってしまったんだよ。
だから、もうあんな町にキテラを連れていったりしない。・・・・・・・私を心配してくれるのかい? キテラは優しい子だね。きっとお母さんに似たんだ。なあに、私は男だから強い。きっと伝染病にもかからないだろうから、大丈夫だよ』
シーツを抱き寄せながら、キテラは少しだけ悲しくなります。
お母様にお姉ちゃんたち。キテラの記憶は、やはり元に戻っていないからです。まるで最初からお母様もお姉ちゃんたちもいないように感じては、キテラは自分を責めました。
キテラがまたもや泣きそうになっていた時でした。
キテラの部屋のドアが、ゆっくりと空いたのです。
最初はびっくりしたキテラですが、すぐに温かい気持ちになりました。ドアから顔をのぞかせたのは、キテラの大好きなお父様がだったからです。
「・・・・・・・お父様? どうしたの?」
目をこすりながら、キテラはお父様にたずねました。キテラが起きていることを知って、お父様は少し驚いたようでした。
「おや、起こしてしまったかな?」
キテラは眠そうに首を振りました。お父様が心配そうにキテラを見ます。
「キテラ、寝れないのかい?」
「ううん。そうじゃないわ。お父様こそ、眠れないの?」
キテラの質問に、お父様は笑いだしました。「そうだな。キテラがおねしょをするのかどうかが心配で、眠れないよ」
「もうっ、お父様ったら!」
キテラはかわいらしく唇を尖らせます。温かい雰囲気が、夜をおおいました。
お父様はしばらく笑った後、キテラに静かに言いました。
「・・・・・・・キテラ。私はお前のことを、大切にできているのかな?」
その声は弱々しくて、いつもの頼れるお父様の声とはかけ離れていました。
キテラは少し不思議な気持ちになりましたが、すぐに言いました。
「もちろん。わたしは、お父様がお父様でよかったわ」
キテラは、言ってから、顔が赤くなりました。
顔をぺたぺたと触っていると、お父様がキテラの頭に手を置きました。
「・・・・・・・そうか。ありがとう。キテラ」
相変わらずお父様の微笑みは弱々しかったですが、キテラは力いっぱい頷きました。
♰ ♰ ♰
それからは楽しい毎日が続きました。
記憶が無くなっても、キテラはすくすくと成長しました。
おねしょは、ここ二週間ほど、していません。
ペトロ―ズとは、どんどん仲良くなっていきました。色々な遊びを覚えました。その中には、ペトロ―ズが暮らしている場所での珍しい遊びもありました。
「・・・・・・・かくれんぼ?」
「そう! 鬼さんから見つからないように、すきな所に隠れるの!」
キテラのお屋敷は広かったですから、ペトロ―ズはかくれんぼにはもってこいだと思ったのでしょう。ですが、二人でかくれんぼすれば、隠れる方が必ず勝ってしまい、あまり盛り上がりませんでした。
それでも、ペトロ―ズは新しい遊びを提案しては、キテラを楽しませました。
ペトロ―ズがいない日でも、キテラは毎日が幸せでした。
自分が出来るようになったことが、増えていったからです。
お勉強をして、時計を読めるようになったこと。
字も読めるようになって、おとぎ話が読めるようになったこと。
大好きな歌を、全部歌えるようになったこと。
お花の図鑑を開いて、絵を描くこと。
そして何よりも、それらが出来た時、同じようにお父様も喜んでくれたことが、キテラは幸せでした。
今日もペトロ―ズと遊んだキテラは、ベッドの中で笑顔を弾けさせます。
「記憶がなくても、お外に出られなくても、わたしは幸せだわ!」
♰ ♰ ♰
キテラが目を覚ましたのは、月が闇夜によく輝いている時間でした。
もぞもぞとシーツが動いているような気がしたのです。
キテラは怖くなりました。最近読んだ本に、夜は幽霊が出ると、書いてあったからです。
キテラは慌てて飛び起きました。そして、見たのです。
「お父様・・・・・・・?」
そこには、キテラの大好きなお父様の姿がありました。しかし、様子が変です。
お父様は、服を着ていませんでした。裸だったのです。
そして、よく見ると、キテラが寝る時に着ているネグリジェが、たくし上げられていました。あらわになったパンツが、あと少しで下げられそうです。
お父様が、慌てた様子でキテラに言います。
「これは、キテラがおねしょをしないように見張っていたんだ」
しかし、キテラの目には、おねしょをしているのはお父様のように見えました。沢山汗をかいていたのも、お父様の方です。
そのことをお父様に伝えると、お父様はキテラの薔薇色の頬を、ばちん! と叩きました。
そして、怒鳴り出したのです。
「おねしょをしなくなったと思ったら、こうか! やはりお前は悪い子のままだったんだな‼」
悪い子のまま。その言葉の意味はキテラには分かりませんでしたが、お父様がとても怒っているということは分かりました。
あんなに優しかったお父様が・・・・・・・。キテラは信じられない思いでした。そして、とても怖くなりました。
次の瞬間、キテラはパンツをはき直したかと思うと、ベッドから飛び出して、別の部屋へ逃げました。
背中にお父様の怒鳴り声を感じながら、広いお屋敷を逃げ回りました。外に出ようとは考えませんでした。
空いている部屋に逃げ込むと、キテラは隅の方で体を丸めて、ぶるぶると震えました。
涙が止まりませんでした。
お父様の怒った顔が、目に焼き付いて離れません。
お前は悪い子。悪い子。悪い子・・・・・・・。
キテラは震えながら、夜を明かしました。
次の日から、ペトロ―ズはお屋敷に来なくなりました。
♰ ♰ ♰
あの夜があってから、お父様は怖い人になってしまいました。
「悪い子」と言って、キテラを叱るのです。最近読んだ、『シンデレラ』という本に出てくる、怖い継母のようでした。
メイドに助けを求めますが、首を振るだけで何もしてくれません。次の日には、そのメイドはお屋敷のどこを探してもいませんでした。
ペトロ―ズが遊びに来ないのは、もっときつくキテラの心を苦しめました。
ペトロ―ズに会いたいと、何度も思いました。お父様を怒らせたから、二度と遊べなくなってしまったと、そう思いました。
お父様は、決まって夜にやって来るようになりました。
「おねしょはしていないか」と、そう言って、裸で、キテラのネグリジェを脱がしてくるのです。
気持ち悪くなって、キテラは夜のお屋敷を必死で逃げ回ります。それは、いつの日かペトロ―ズと一緒にやった、かくれんぼのようでした。
キテラはいつも泣いていました。夜、眠るのが怖くなりました。
しかし、キテラは武器を一つ持っていました。おねしょです。
お父様の前でおねしょをすれば、お父様はキテラのことを不潔だと言って、しばらくの間、近寄らなくなるのです。その時間が、キテラにとっての平和な時間になりました。なので、記憶が戻ってから初めて、キテラは毎日のようにおねしょをしました。
お風呂に入ることも、体を洗うこともやめました。そうすれば、キテラは不潔になれるのです。不潔になれば、お父様は近寄らなくなるのです。
♰ ♰ ♰
その日も、キテラはお屋敷を逃げ回っていました。すっかり夜なのに、キテラの目はパッチリと開いたままでした。
一か月が経った頃、お屋敷のメイドは、一人も居なくなりました。
今では、このお屋敷に、キテラとお父様しか住んでいません。
お父様の行為はエスカレードしていき、最近では体を擦り合わせるようになりました。お父様が気持ちよさそうにしているのを見て、キテラは逃げたくて仕方がありませんでした。
それでも、お屋敷の玄関の扉は鍵がかかったままで、開くことはありませんでした。まるで、ずっと鍵がかかっているかのように、扉はびくともしません。
キテラは走りながら考えます。そろそろ、隠れる場所がなくなってきました。
お父様はかくれんぼが上手になってきていて、簡単にキテラを見つけることが出来るようになっていました。お父様に捕まってしまうと、恐ろしい「お仕置き」をされました。
今日も逃げながら、キテラは新しい隠れ場所を考えます。
そして、まだ隠れたことがない、とっておきの隠れ場所を見つけました。
「ここなら、お父様に見つからないわ!」
恐怖の中、キテラは希望を込めて、その場所に向かいました。
♰ ♰ ♰
その場所は、ワインを冷やすために作られた地下室でした。キテラはワインが飲めない年齢ですから、お父様に入らないように言われていた部屋でした。
ここなら絶対に分からない。キテラは自信をもって、埃っぽい地下室への階段を下りました。しだいにひんやりとした空気になり、静かになっていきます。
階段を降り切った時、キテラは初めて来る地下室をぐるりと見まわします。
しかし、キテラの目に飛び込んできたのは、想像もできないような光景でした。
「ペトロ―ズ・・・・・・・ちゃん?」
なんとそこには、もう会えないと思っていたはずの、ペトロ―ズがいたのです!
ペトロ―ズは外の世界からやってきたのではなく、ずっとこの地下室に閉じ込められていたのだと、キテラは理解しました。きっと、怖いお父様に脅されたに違いありません。
ペトロ―ズは裸で、さるぐつわをされたまま、ベッドのようなものの上に寝かされていました。
ペトロ―ズは震えて、その目からは、沢山の涙が溢れています。その目だって、焦点が合っていないうつろな目でした。
「ペトロ―ズちゃん!」
キテラは慌てて、ペトロ―ズのいる場所へと駆け出しました。途中で転びそうになりましたが、必死で走りました。
ペトロ―ズのもとに着くと、さるぐつわを外します。
「ペトロ―ズちゃん! 大丈夫! 大丈夫だから・・・・・・・‼」
キテラは泣きながら、何度もペトロ―ズに語りかけました。
やがて、鉄製のさるぐつわが、ペトロ―ズから外されます。
ペトロ―ズはまともに呼吸ができるようになると、何かを言おうとして、すぐに冷たくなってしまいました。糸がちぎれたように、突然動かなくなったのです。
キテラは絶望しました。ペトロ―ズはたった今、死んだのです。
「ペトロ―ズちゃん‼ なんで・・・・・・・どうして‼」
キテラは空気を埋め尽くすように、泣きました。
冷えて固くなったペトロ―ズの頬に、優しく口づけをしてあげると、気持ちは落ちつきました。それでも、涙は止まりません。
しばらくして、涙が枯れるまで泣いた後、袖で涙を拭いながら、キテラは地下室をぐるりと見まわしました。その目には、憎悪が宿っています。
そこには、沢山の小さな女の子が、裸のまま死んでいました。
どこかで見たことがあるような子や、キテラよりも小さい女の子の遺体もありました。
どの遺体も腐敗が進んでいて、一部の骨が見えていました。
頭蓋骨も転がっていました。いなくなったメイドの姿も、全部遺体ではありますが、ここで見つかりました。
黒いと思っていたものはすべてが血で、ノコギリや鉈も散らばっていました。本で見た、拷問器具もあります。
キテラはこの場所が何なのか、すぐに分かりました。
その時です。誰かが階段を降りる音がしました。お父様です。
キテラの肌に汗が流れます。
ペトロ―ズを、他の女の子をこうしたのは、お父様なのです。
キテラの心の底から、滲み出てくる感情がありました。黒くて、赤い、濁った色をした感情です。
キテラは汚い床に落ちていた、大きな鉈を取りました。ずっしりと重かったですが、しっかりと持つことが出来ました。
そして、その鉈をきちんと持った時、頭が痛くなりました。突然、締め付けられるように痛くなったのです。
いいや、違いました。キテラは思い出したのです。
無くなっていた記憶が、全て、流れ出るように溢れてきました。
キテラは役人の娘でも何でもありませんでした。
お父様と呼んでいたあの男は、キテラの本当のお父様ではありませんでした。
あの男は、キテラのような幼い女の子を町で誘拐し、ここに閉じ込めた犯人だったのです。
この場所は、彼の欲望を満たすための、いわば箱庭でした。
キテラも、もともとはこの地下室にいました。きっとおねしょも、その時に覚えた防衛手段だったのでしょう。
ですがある日、地下から抜け出そうと、地上へ昇る階段を昇っていた時でした。運悪く男がやってきて、キテラを突き落としたのです。
命に別条はなかったものの、キテラは記憶を失いました。
男はそれをいいことに、キテラを自分に懐かせるために、キテラに嘘をついたのです。
キテラにはお母様とお姉ちゃんなどおらず、全て作り話だということ。
あの男はキテラの父親などではなく、町で凶悪犯として恐れられていること。
ペトロ―ズは外から遊びにくるのではなくて、この家の地下から定期的に解放され、キテラを懐かせるための餌だったということ。
何もかもが嘘でした。思えば、お屋敷にずっと鍵がかかっていたのも、メイドが奴隷であったことも、キテラをお屋敷から出さなかったのも、全て、彼の都合のいいように作られたものだったのです。
キテラはあの男にいいように利用され、夢と、ペトロ―ズを奪われたのです。
あの男が階段を降りてきます。
怒鳴りながら、キテラが隠れている場所へと足を進めます。
全てを思い出したキテラに、迷いはありませんでした。
男が背中を見せたと同時に、キテラは、その鉈を男の頭めがけて振り下ろしました。
♰ ♰ ♰
一か月ほどがたって、山に狩りをしに来た若い猟師が、ある屋敷を見つけました。
ちょうどそのころ、町では、幼い女の子が誘拐させるという事件が忘れ去られた頃でした。
猟師が屋敷に近づくと、異様な臭いが漂ってきました。腐ったような、腐敗した吐き気をもよおすような気分の悪いものでした。
慌てて、猟師は屋敷へ走ります。燃えてはいませんが火事のような、人の肉の焼ける匂いも混じっているのです。
その光景は、屋敷に向かう途中にありました。
何やら、女の子の無邪気な話声が聞こえてくるのです。
そして、猟師は見ました。
屋敷に通じる道の上で、ピクニックをしている集団がありました。
晴れた山で、腐った食べ物を広げ、みんなが楽しそうにお食事をしています。
その集団の周りには、たくさんのハエと、動き回るウジ虫、森の動物の死骸がありました。
エプロンドレスを着させられた、白骨化した遺体が何体もありました。
可愛らしい女の子用の服を着た、幼い女の子たちの遺体が寄せ集められていました。
それらの遺体を囲まれるように、男と思われる生首が、焚火によって焼かれていました。
猟師は思わず口を押えていました。吐き気が止まりません。
全てが灰色に染まった、おぞましい光景でした。
でも、猟師が一番驚いたのは、その輪の中にいた、一人の美しい女の子でした。
女の子は遺体に頬を寄せると、溶けるような笑みを浮かべてこう言います。
「ペトロ―ズちゃん、わたし、夢がかなったよ! 外の世界で、みんなと、楽しくピクニックができているわ!」
キテラは百人のおともだちに囲まれて、幸せそうに何回も、何回も、そう言いました。
―――めでたしめでたし。
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