素晴らしき我が家

髙橋

 なぜかは分からない、だがそうなってしまった。

ある日を境に世界には自分1人になってしまった。なぜか?


 人生なんてどうなるか分かったもんじゃない。一寸先は闇。突然全てを失い、これまでの人生が全て無駄だと思えるようなことが起こったりする。

昔、兄がそんなことを言っていた。

私は何をそんな馬鹿なことを、と笑い飛ばした。

しかし、兄は大真面目な顔をして言った。

笑っているのも今が平穏だからだ。自分の周りの世界が一変した後じゃ、何をやっても遅い、手遅れなんだ。

なんて非現実的なことを言っていたのを思い出す。

心配性な兄貴はよくそんな話を家族に吹聴しては笑われたり、心配されたりしていた。

しかし、兄の言っていたことはどうやら本当らしい。私は兄に謝らなければならない。だがそれも今となってはできない。


 きっかけは何だったのだろうか。ある日を境に私の周りにいる生物たちが次々と消えていった。

原因は分からない。その消失現象が始まったのも突然だった。

ただ消えていく。そして決して止められない。

 私が異変に最初に気づいたのは隣の家で起こった事件だった。

私は単身で暮らしているが、隣家は大家族で父母のもとに子供たちが全部で10名もいて毎日にぎやかに生活していた。

 それがある日突然、子供たちの半分が忽然と姿を消したのだ。両親の驚きようといったら傍目から見ていてもかわいそうなぐらいだった。子供たちはどこへ消えてしまったのか、半狂乱になって叫び声を上げているのが隣の家の私にもよく聞こえた。

 これだけでも十分に悲劇だが、事件はこれだけでは終わらなかった。むしろほんの些細な始まりにすぎなかった。

 隣の子供たちの半分が消えてから数日たった頃、なんともう半分の子供たちも跡形もなく消え去ったのだ。

しかし、今回は残された両親の悲鳴は聞こえてこなかった。なぜなら今度は父母もまとめて姿を消したからである。

たった数日で両親と子供たち、家族12名全員が忽然と姿を消した。

 これが全ての始まりだった。

 何か深刻な事態が起こっているのは明らかだった。私としても他人のふりはできなかった。たしかにお隣とは直接の関わりはない。お互い顔が会ったら軽く会釈する程度のご近所付き合いだ。

しかし、隣の家族仲の良さは傍目から見ても微笑ましいぐらいだったし、どう見ても善良を絵に描いたような家族だった。

 何かトラブルでも抱えていたのだろうか、そしてそれが原因で何らかの事件に巻き込まれたとか。

ただし家の中で殺害されたというわけではなさそうだ。見る限り血の跡や争った形跡などがない。

 そうなると誘拐だろうか。しかし、誘拐となると犯人は最初に5名の子供を両親に気付かれないように誘拐し、その数日後残りの5名と両親をも誘拐したことになる。しかも隣の私に気付かれないようにだ。そんなことが可能だろうか。

 これだけの事件が起きれば大騒ぎになりそうなものだが、この隣家の集団消失事件はすぐに忘れ去られることになる。

 もっと正確には言えば、それどころではなくなった。


 近所の家々でも同様の消失事件が次々と起こりだしたのである。

消えたのは隣家のような大家族もいれば、私のような単身のものもいた。

まるで見境なく消えていった。

 ここまでくると私はただただ恐ろしくてたまらなくなった。次は自分ではないのか、と。

毎日の大半を寝床に隠れるようにしてブルブル震えていた。そして兄が昔言った言葉を思い出した。

兄は正しかったと痛感した。

 世界がいきなり変わってしまったのだ。


 そこからまた数日がたった頃、1つ法則性が分かった。事件は決まって夜に行われているのだ。

朝や昼は特に異常はない。皆が寝静まった夜に消失事件は起きている。

しかし、それが分かっても決して止められない。そこら中で消失は続いた。


 近所はもはやパニック状態だった。皆が好き勝手なことを言い合っている。

何者かによる大量誘拐説だとか、新種の病気説なんてのもあった。その謎の病気にかかった者は夢遊病のような状態になり、自分の意志と関係なくフラフラとどこかへ出て行ってしまう、なんてものだ。神からの天罰を主張する者もいれば、宇宙からの侵略者がUFOで連れ去ったなんて説もあった。無数のトンデモ話が挙げられていたたが、どれかに正解はあるのだろうか。

間違っているとも言いづらい現に起こっているのだから。

しかし私はどれも違うと思う。なぜかは分からない。だが違う。

本能がそう言っている気がした。


 そのうちに皆気付き始めてしまった。謎の大量消失は止められないと。

そして近いうちに自分も消えた者たちの仲間入りをすることを。

 追い詰められた者の行動は分かりやすい。暴力的になったり、自暴自棄になった者が多く出たが、しかしそれも長続きしなかった。我々が互いに滅ぼし合うまでもなく、消失は止まることなく確実に広がっていった。


 死のみが唯一の平等である、と誰かが言っていた。なるほど、そうなのかもしれない。いまや皆等しく消えている。


 もはやこの辺りで残っているのは私だけだろう。人々が罵り合う怒号も、嘆き悲しむ声もしばらく前から消えてしまった。

 見渡す限り誰もいない。シーンと静まり返った見慣れたはずの近所がひどく不気味に思えた。

 私だけが残っている。しかし、いずれ消えることになるのだろうか。消失した皆はどこにいったのだろうか。

 しかしなぜなのか、なぜ今私だけが残されたのか。こんなことばかり考えていた。


 私は今、はっきりと本能で感じる。

もう残っているのは自分だけだ。

 このあたりだけではない、もう世界中で私しか残っていない。

信じられないが、はっきりと自覚できる。

また考える。

ならばなぜ、私は残されたのか。

考えても分からない。理屈では説明できないことが今まさに起きているのだから。

自分だけでできることなどたかが知れている。

 ただでさえ私は何の特徴もない平凡な存在だ。ごく普通の両親のもとに生まれ、兄がいた。

毎日食事をし、運動もする。部屋には走れるようにランニングマシーンもある。そして夜になるとまた食事をし、眠りにつく。

そんな平々凡々な日々を送ってきた。しかしもう誰もいない。誰も残っていない。私だけが残されてしまった。


 絶望したい気持ちもあった。自ら死を選ぼうとも思った。しかしそうはならなかった。

なぜなら私は生きているからだ。間違いなくまだここにいるのだ。

 ならばせめて、と思った。たいした理由があるわけでもない。

世界中に私だけだとしても、私が絶望してしまうことはない。私はまだここに存在しているのだから。


 ふと窓の方に目をやると庭のリンゴの木が目に入った。ここの建物のオーナーが植えたものだろう。見慣れたはずのそのリンゴの木を見て私はようやく満足した。

 リンゴの木は青々と光り、空に向かって手を伸ばしていた。



 そんなことを考えてきたとき、ふいに家の前に男が2人現れた。

私があっけとられていると、キョロキョロと周りを見回しながら男たちは喋りだした。

「ここのオーナー、結局夜逃げしたんだって?」

「まったく迷惑な奴だよ。借金とペット達を残してとんずらさ」

「債権回収するこっちの身にもなれってんだよな。こんなさびれたペットショップじゃ、買い手もつかないし、動物以外ろくなもんが残ってない」

「動物たちの管理状況もよくない。夜騒がないように睡眠薬入りの餌を与えていたりと、かなり劣悪な飼育状況だったようだ」

「まぁおかげで運び出すのは楽だったがな。売れそうな動物から順々に出せたし」

「まったくだ。動物飼育のノウハウなんて知らないからどうやってスムーズに運び出そうかと思ったが、餌さえ食わせちまえばみんな眠っちまうんだから。あとは夜まで待って人目につかないように運び出すだけ。楽勝だったな」

「犬猫なんかにギャンギャンわめかれると近所に不審がられるし、人目にもつきやすいからな。なんせ俺たちの債権回収のやり方もとても合法なものとは言えないから目立つことは極力避けたい。その点今回はうってつけだったな」

1人が店内をゆっくり見回すと

「これで売却できそうな動物たちはあらかた運び出したが、もう残ってないよな?」

「たぶんな。もうそろそろ引き上げよう。施錠を忘れるなよ。しばらくは空き家になるだろうしな」

そう言うと男の1人が私に気付いた。

「おいこれ見てみろ、まだ残ってるぞ。どうする?」

もう1人の男が私をのぞき込むと言った。


「放っとけよ、そんな小汚いハムスター1匹、1円にもならない」

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素晴らしき我が家 髙橋 @takahash1

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