30

 高校二年生の冬までにマリアが誰とも交際をしていないのは奇蹟に近かった。


 それは美波あやと同じようにマリアのファンが多いあまり、クピドが一人の男にしぼれなかったせいだろう。中学生の時の小林のようにマリアにねちっこく思いを寄せている男もいなかった。


 マリアは田畑研二が好きで、研二もマリアが好きだったが、二人とも日々相手のことで胸をいっぱいにして、交際を強く望んでいるわけではなかった。マリアはもてる女性特有の「待ち」の姿勢を崩さないし、研二もおれに抱かれたかったらそっちから来いというタイプのモテ男で、他校の女生徒とのつきあいもあり、忙しかった。二人は当分カップルになることはないだろう。

 

 学校ではマリアはいつも浅見加奈と飯塚亜紀と一緒だった。二人はさながらボディガードのようにマリアに近づいて来るものたちを睨みつける。中学時代の青島孝美に引き続き、マリアは良い護衛を持った。二人ともマリアのおこぼれをちょうだいしようとか、主役を食ってやろうと考える身の程知らずではないからだ。


 優慈はマリアを男どもから守ってくれるご褒美に、二人の恋愛の望みをかなえてあげてもよいと思った。しかし、彼女たちに好きな男はいなかった。飯塚は十七歳にして女を捨てたのかのように明るく太っているし、浅見のほうは男よりもマリアが好きだった。彼女は恋愛経験が人生でまだなく、彼女自身もマリアにほのかな恋心を抱いてることに気がついていないようだ。


 優慈が校舎の玄関にいた時、マリアと浅見が現れたのは偶然ではなかった。優慈はマリアに伝えたいことがあり、この数日間、学校でマリアと接触する機会を多く持った。しかし、マリアと言葉を交わすことはできなかった。飯塚がインフルエンザで学校を欠席しても、浅見は二人分の役割を担い、マリアをしっかりガードしていた。


 この玄関でも、「森村君、あんた、ストーカー? ちょっと会い過ぎじゃない」と、優慈は浅見にしっかりっと睨まれた。マリアは優慈に軽く会釈し、二人はブーツをはいて雪降る校舎の外へ出ていった。その時、優慈は愛を感じた。

 

 玄関の床に尻を降ろし、もたもたと冬靴をはいてる男がいた。靴紐をゆっくりと締め直している。学年でも目立たない星真介という男だった。優慈は星の一途な愛が見えた。星は浅見加奈が好きだった。マリアと浅見が帰る時間に星が玄関にいたのも偶然ではなかった。


 優慈は他に誰の気配もないことを確かめると、背の高いシューズ棚の背後で青い翼を出した。姿を消し、星の背後に近づいた。弓がないので、優慈は星のダッフルコートの肩に直接手を置いた。手の平から光がこぼれ、星を包んだ。光は星の体に染み込むようにいったん消えた・・・星は浅見とキスをしたいと考えている。憧れの場所は、学校だ。ほかに浅見の胸が大きいことが気になっており、そいつをさわっている自分の姿を想像したことがある・・・「心のままに」優慈が唱えると、光は胸の真ん中から飛びだし、校舎を出て、浅見加奈を追いかけた。


 外は千切ったような雪が間断なく降っていた。マリアと浅見は校門の手前にいた。気の光は浅見の体の中へ背中から入った。衝撃で、ブラジャーの下の乳房が揺れた。浅見は「ああん!」と悩ましい声をあげた。


 マリアが思わず、浅見の口を見た。「どうしたの」

 浅見はポッとなっていた。

 心身に男があふれてくる。体の中から抱きしめられているように、満身がほてってくる。ああん・・・なにを自分は考えているのだろう。学校で、マリアの前で・・・。


 しかし、抑えられない。振り返ると、雪の中をが走ってくる。何組かも、名前もわからないけど、さっきまで心にもなかったこの男がとっても愛しかった。


 二人はぶつかるようにして立ち止まると、互いに見つめた。星の若い体内には浅見の丸い大きな乳房が太陽のように煌々と浮かんでいた。星は浅見との強いつながりを感じ、どうしようもないほど彼女を好きになっていた。二人は互いの手をとりあい、歯をぶつけあいながら、ぎこちないキスをした。


「邪魔しちゃ悪いよ」

 優慈は星のあとからやって来た。マリアの腰に軽く手をふれ、歩くように促した。

「あの人、誰? 何組? 森村君、知ってる?」

「いや。でも、羨ましいね。クリスマスも近いから、みんなカップルになりたがるんだね」

「信じられないわ。好きな男の子はいないって、加奈、いつも言ってたのに」

「本当に好きな人ができたら、口には出したがらないものさ。これは隠しているわけではない、自分にも気がついていないんだ。でも、心の底で絶えずくすぶっているもんだから、ちょっとしたきっかけですぐ燃えあがっちゃう。恋愛ってそういうもんだと思うよ」

「今のは、森村君がとりもったの」


 いきなり聞かれたので優慈はちょっと焦ったが、冷静に答えた。


「クリスマスのせいじゃないかな。この時期は恋のキューピットはみさかいなく働くから」

「森村君は働かなくていいの」

「僕はまだプロのクピドじゃないから」優慈ははぐらかすと、マリアに聞いた。「ところで、マリアはクリスマスに予定はある?」

「予定って」

「誰かに誘われて、どこかへ行くとか」

「今のところ、別にないけど」マリアはすぐに答えた。

「じゃあさ」優慈はどきどきしながら伝えた。「二十四日の夜に僕と会わない。あっ、デートをしようとか、そんなんじゃないんだ。五分とか、十分とか、時間がとれないかな」

「いいけど、なあに?」


 マリアの言葉に、優慈はほっとした。


「いつか、僕の背中に翼が生えたらさわりたいって言ったよね。覚えている?」

「うん」

「さわらせてあげる」

「ほんとに?」

「うん」

「見たい、見たい。コートの下に隠しているの? 見せて」

「今、見せてもいいんだけど。クリスマスのほうがムードが出るかなと思って」

「どうして」

「なんとなく」

「わあー、楽しみ」

「何もあげられないけど、マリアへのクリスマスプレゼント」

「じゃあさ、わたしも森村君に何かをあげないとね」

「ほんとに? 僕も楽しみにしている」


 その週末、優慈は集合場所の三越の屋上で安藤に伝えた。

「二十四日はアルバイトを休みますので」

「おいおい何を言ってるんだ。一年で一番忙しい日だぞ。おめーは自分が何を言ってるのかわかっているのか」

「別に僕一人くらい休んでも、困ることはないでしょう。優秀な福山君とリーダーの村井さんがいるんだから」

「おまえ一人でもとりもてるカップルはたくさんある。休んだら、本来結ばれるはずの愛が結ばれないおそれが出てくるんだぞ」

「それは、そいつらがついていないと思わなくちゃ。とにかく僕は休みますからね。どうせ僕はバイトなんだし」

「バイトだから休んでいいという決まりはないぞ。休むなんて、認めねーからな」

「大事な用があるので、絶対に休みます。それで僕に認定書をくれないって言うんなら、どうぞご勝手に。僕はその用事が叶えられるのなら、別にクピドにならなくたっていいんだから」

「で、用事って何だ?」

「女の子とデートがあるんです」

「デートだと? 何を考えてるんだ、おまえはあ!」


 優慈はそれから十分間くどくどねちねちと安藤に説教された。


 安藤から解放されると、村井が羨まし気に寄ってきた。

「森村君、デートなの。すげー」

「いやいや、ほんとはみんなと一緒に働きたかったんだけどさ。彼女がどうしても、イブの日はおれと一緒にいたいって言うもんで」

「彼女から誘ってきたのか」瑠美夫もぶっきらぼうな声で質問してきた。

「まあね。もしかしたら、やっちゃうかも。あれ、福山瑠美っちも、デートとかじゃないの」

「いつもデートしてるもんは、あえて二十四日は避けるんだよ。旅行でも何でもわざわざ込む日には出かけねーだろう。それと同じだ。あっ、おまえ、クリスマスに女と会うからと言って浮かれてない?」

「いや、別に」

「浮かれてるって、恥ずかしいくらい」

「村井さん、僕、浮かれてないよね」

「浮かれてるんじゃないかな」

「ほら、見ろ。浮かれ男が。おれらはな、おまえと違ってガキじゃねーから、仕事は最後まできっちりまっとうするんだよ」


 それから三人でパルコや4プラ界隈の路上に向かって愛の矢を放ちながらもこの話題は続いた。


「いまのところ、変わった症状は」

 村井が優慈に尋ねた。

「症状?」

「僕らクピドはカップルになれないどころか、デートはもちろん恋愛すらできないという話があるだろう。でも、森村君はデートをするという。身体か、心のどこかに、災いの徴候が現れてないかなと思って」

「いたって健康だよ。恋愛ができないというのは迷信だよ、戯言さ」

「あっ、てめー、夏に会った時、俺がそれを言うと否定してたじゃねーか」

 瑠美夫が放った矢はちょっとずれてギターケースを持った赤髪の強面男の胸に刺さった。その背後を歩いている恋人未満カップルの女性の思いは隣の医学生には届かず、目の前の赤髪が愛に満ちた表情で振り返る。女性は一秒前まで見ず知らずのバンドマンと雪が舞う路上で抱き合った。


「どんな世界でもな例外っていうものがあるんだよ」

 優慈が立て続けに矢を放ちながら答える。

 愛の光たちはイルミネーションのように飛び交い、クリスマスソングが流れる繁華街に彩りを添えていく。

「クピドは結婚できませんって言うけど、そう言ったやつに今までいい男はいたか? いい女はいたか? 実はクピドだから結婚できないのではなく、みんなそれぞれ心とか顔に欠陥があったから、結婚ができなかったんだよ。そこに、俺のようなまあまあ今どきのいい男がクピド見習いになった。愛がおれをほっておけるか」

「そうか、そういうこともあるな、おれたちそこそこいい男だし、雷様をのぞいて」と瑠美夫が言う。

「僕だって、ちょっと太った人が好きだという女性にそこそこもてるんですよ」と村井が続く。「何か希望がわいてきたな。結婚して子供が生まれたら、ヒーローのように伝えるんだ。パパはね、恋のキューピットなんだよって」

「結婚後に嫁さんに話すのもいいかな」瑠美夫も愛の夢を語り始めた。「君と僕の愛を取り持ったのは、実は僕だったんだよって。そう言って裸になって背中の翼を見せるのさ。でかいやつをな」


 ところが二日後、クリスマスイブがある週の月曜日、

「ごめん、ちょっと用事ができちゃった」と優慈は学校でマリアに断られた。「翼は別にクリスマスイブじゃなくてもいいでしょう。いつでも見られるし、今でもいいし。冬休みなら二十七日とか二十八日にあいていると思うから、その頃に電話して・・・電話番号は知ってるよね、忘れちゃった? 昔から変わってないよ」

「うん、わかった」


 優慈の心はいっぺんにどんよりした。十二月二十四日に、マリアにどんな用事ができたのか尋ねる勇気はなかったし、知りたくもなかった。そして優慈は認めたくないことを改めて理解した。


 クピドは愛する人と絶対に結ばれないことを。

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