22
翌朝、地下のレストランにデップの一目惚れ女がいた。
デップは舞い上がり、「食事の時間が同じだなんて運命を感じちゃうな」と言った。そんなんで「運命」と言われちゃ女も迷惑だろうと思いながら、優慈はデップの女観察につきあってあげた。
女は協会のスタッフと同じテーブルで食事をしていた。ノースリーブの白のワンピース。ストレートな肩までの真っ黒髪。やや猫背で、骨ばった腕から指先まで異様に長かった。が、風采は清らかで、彼女のところだけ爽やかな風が吹き抜けているようだった。
「な、いい女だろう」
食事の手をやすめ、デップが同意を求めてくる。
「うん。でも、おれ、年上に興味がないし」
女は二十歳かもう少し上にみえる。
「おれは、甘えられるから年上がいいな」
デップは夢見る少年になって女を見ている。
「デップさんは甘えたいのですか」
オムレツを食べながら手塚が聞いてきた。
「ああ、でも、小学生のガキが頭で考える『甘えたい』って言うのと、まるで違うけどもな」デップは子供の質問に答えてあげると、「おれ、燃えちゃうぞ。ぜってーものにしてやる。おまえには負けないから」と優慈に言った。
「負けないって、何が?」
「どっちが先に彼女をものにできるかだ」
「おれがなんでおまえと競わなきゃいけねーんだよ」
「声がちょっと大きいのではないでしょうか」手塚が注意する。
「おまえだって、抱いてみてーと思うだろう」声を落としてデップが言う。
「思わねーよ」
「おまえは不能か。それとも、戯言という亡霊をまだ恐れているのか」
「おまえと一緒にするな。おれはな、いい女に会ったからって、たやすくがっつくような男じゃねーんだよ」
「そう言わずに、一緒に燃えてよ、お願い。どの世界にも、ライバルはいたほうがいいだろう。負けたくないから、がんばろうと思うじゃん」
「思わねーよ。まだ黒須麗奈ってどんな子だろうと、ひそかに恋心を抱いていたほうが、今日も明日もがんばろうっていう気になるよ」
「ええ、優ちゃん、のりわるいー」
バイキングの料理をたらふく腹に詰め込んでいた村井が、満腹になり、話に入ってきた。
「森村君に代わって、僕がライバルになってあげようか」
デップは唸った。
「雷様はひっこんでいてください!」
二日目の最初に行われた第二試験は「消える」テストだった。
優慈は廊下で自分の前後に並んだ女性三人とテストを受けることになった。23番のオーエル、59番の中学生、98番の背の低いおばさん。みな貧相な顔立ちで、優慈の心をときめかすような女性ではなかった。
部屋に入ると厳格そうな玉子顔の白服男が長テーブルに一人いて、低い声で「三分だ」と言った。「三分以内に消えなければ、失格!」
優慈はパイプ椅子に座り、腕を組んだ。すると、玉子顔が眉を潜め、優慈を睨みつけた。優慈は「うー! うー!」と気張り、努力をしているふりをした。
優慈は昨日の成績で自分が他の受験者よりも優秀であることを確認できたので、もういいやって思った。別に一位をとることが目標じゃないし・・・優慈は自分が実力をセーブする理由をそう決めつけようとした。しかし、心の奥には別のぼんやりとした理由があった。それは、黒須麗奈の存在だった。面識もないし、能力も知らないが、どんなに必死になっても彼女を超えられないような気がした。優慈はそれを翼の能力で本能的に感じ取ったのだった。その予感と本来のサボリぐせがこねくりあって、優慈はクールに試験に挑むことにしたのだった。そのおかげで、優慈は他の女性の消えっぷりを最後まで観察することができた。
三人とも立ったまま目を瞑り、じっと動かず、精神統一を図っていた。23番と98番は沈黙していたが、59番は呪文のようなものを喉の奥の声で唱えていた。
女性たちの背中に大振りの翼があるのは奇妙だった。顔を化粧でばっちりきめ、派手な衣裳をまとえば、タカラジェンヌだ。
最初に消えたのは59番だった。玉子顔が第三試験「壁抜け」の開始を伝える。
「消えたら、壁を抜けて、隣の部屋へ! 制限時間は、一分!」
クピド同士は消えても相手の姿が見える。だから、相手が翼の神秘的な能力を使って姿を完全に消しても、消えたことに気づかない場合がある。優慈も最初はそうだった。しかし、今はわかる。空中に散らばっている光の欠けらが肢体にまとわりつくのか、空気の中に溶け込んだクピドは、輝きを少し増す。
赤縁の眼鏡を掛けた中学生は、隣の部屋との間仕切りになっている壁に向かって大股で歩いていった。足取りは自信に満ちていたが、壁にぶつかり、跳ね返された。
次に98番が消えた。このおばさんにも「制限時間一分!壁抜け開始!」が伝えられる。彼女は用心深かった。両方の手の平で壁を押すような仕草をした。すると、手首より先が壁の中へ消えた。次に右足を前へ進めた。膝より下の足が壁に入った。次は顔だ。彼女は息を大きく吸い、顔を壁に突っ込んだ。同時に左足を前に動かして歩き出そうとした瞬間、フリーズした。「あれあれ、どうしましょう!」98番のおばさんは壁に溶け込んだまま身動きができなくなってしまった。大きな尻とふくよかな翼がオブジェのように壁に残った。
「二分三十秒!」
玉子顔の事務的な声が部屋に響いた。
23番のオーエルはまだ目を閉じている。焦っているのか、化粧っ気のない顔に汗が吹き出ている。彼女はもう無理だろう。
59番の中学生は眼鏡を外し、手に持った。壁への激突を繰り返しながらも、制限時間の一分以内に壁抜けに成功し、隣の部屋へ行くことができた。
「二分五十秒!」
優慈は立ち上がった。歩きながら壁の直前で姿を消し、壁を通り抜けた。
隣の部屋は騒がしかった。数人の受験者が集まり、壁を見て、大笑いしていた。
「これは合格なのか、不合格なのか、どっちなんだい!」
98番のおばさんの顔は、壁に飾られた剥製の熊顔みたいだった。
「どうしましょう、どうしましょう!」と壁から飛び出た手先や右足先をばたばたさせている。
可哀そうだが、滑稽だった。
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