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 午前10時、受験者は天井画が描かれている二階ホールに集まった。

 小学生前の子供から普通の大人まで大勢いて、男女別にいくつかの列をつくり、架設の演壇に向かって並んだ。デップは女の子が気になって仕方がなく、優慈が天井の絵を見上げている間も落ち着きなく顔を動かし、女の子の品定めに余念がなかった。


 壇上にクピド協会北海道支部の幹部が現れても前を見ず、「おい見ろよ、可愛いの、いるじゃん」と首を伸ばすようにして後方を振り返っていた。優慈もつきあい、そっちのほうを見回したが、デップが言うところの「可愛い子」はどの子かわからなかった。

「どの人ですか?」

 デップの前にいる手塚も振り向くと、

「がきは前を見てろ」

 デップは強い声で言った。


「ちょっとそこらへんうるさいですよ」

 いかにも愛を捨てて生きてきたような中年女が壇上から睨む。日本クピド協会北海道支部の嘉納響子副会長だ。

「高いところから見ていると、男性の列も、女性の列も、美しくありません。それは顔がきょろきょろと動いているからです。皆さんはまだ異性が気になっているようですね。そんな皆さんに私は次の言葉を贈ります。自分の愛を思う前に、人々の愛を思いなさい、と。それが翼を持ったものの使命なのです。私たちは『恋のキューピット』と呼ばれていますが、唯一のクピドは恋愛の神様です。唯一のクピドは人前に決して姿を見せることはありませんが、人間のそばに寄り添い、数えきれない程の愛を成就させてきました。時には物語や戯曲、詩歌の中にまで入り込み、永遠に語り継がれるような男女のカップルも誕生させました。皮膚の色も、言語も、学歴の違いも、貧富の差も、容姿も関係なく人々が恋愛をし、結び合うことができるのはすべてクピドのおかげです。もしもクピドがいなければ、人間は怒りや憎しみだけで生涯を送るか、悶々とした不快な症状に陥り、愛は風邪と同じように保険が効く病気の一種になっていたかもしれません。世界がローマを中心に回っていた頃は、唯一のクピドだけでもことは足りました。しかし、ヨーロッパにいくつもの王国が生まれ、人口が爆発的に増えていくと、唯一のクピだけではこの地球上の恋愛の面倒をみきれなくなりました。そこで、クピドは彼の使命を受け継ぐものたちを地上につくったのです。クピドは人間の中から生まれ、選ばれた人間は翼を持ち、クピドと名乗ることを許されました。それが私たちなのです。今日ここに集まった方は全員で百五十六名。翼を持った方のなかには優秀な方もいれば、そうでない方もいます。それを認識し、自分のレベルを知ることができるのが、このクピド適正試験です。このお城は、魔法学校でも車の教習所でもありません。試験会場です。私たちは何も教えません。あなたがたはもうすでに能力を完璧に身につけています。私たちはあなた方がクピドとして立派にやっていけるかどうかを見極めるだけです。テストの結果は、順位を付けて発表しますので、部屋のパソコンで確認してください。成績が上位の方は励みにしてください。成績が悪い方は上を目指して頑張ってください」


 励ましの言葉で挨拶が終了するのかと思ったら、

「みなさんにお願いがあります」と嘉納副会長は言葉を続けた。「ここでみなさんの翼を見せてください。そして、今から帰りのバスに乗るまでの間、食事のときもお風呂に入っているときも寝ているときも翼を出したままで過ごし、みなさんがお持ちの愛の能力を最大限に発揮できるようにしましょう。それでは、翼を! 出してください!」


 優慈の周囲で一番最初に翼を出したのは、デップだった。スーパーサイヤ人でもなるかのようにウォーと奇声を発しながら翼を出した。デップの翼にみな圧倒された。とにかくデカかった。愛野村のじいさんに無駄だらけと言われた田中の翼よりもワンサイズ上だ。クピドや鳥の翼というよりも、獣の翼のように見えて、優慈は気味が悪かった。


「どうだ」と誇らしげに言うもんだから。優慈は皮肉を込めて言葉を返した。

「ケンタウロスかと思ったぜ」

「ば~か、アレの大きさに比例しているんだよ。だから、でかいんだよ」

 

 デップと優慈が言い合っているうちに、小学五年生の手塚も、雷様の村井も、翼を出した。

「チビはお遊戯会だし、雷様はドリフのコントだな。で、おまえのは?」デップは優慈を見た。

「いま、出すよ」

「あれひょっとして、優ちゃんは才能がないの。だから、翼を出すのに、こんなに時間がかかっちゃうの」

「うるせーな、だまってろよ」


 優慈は見回した。人数が倍に増えたと思えるほど、翼を出したものたちによって会場は賑わっていた。サイズは人それぞれだったが、どの翼も白かった。若いから、未熟だから白い。ということではなさそうだとは思っていたけれど、手塚や村井まで白い翼をひらひらさせているのを見て、優慈は改めて理解した。青い翼は特別であることを。未熟だから青いのではなかった。異常だから、奇形だから青いのだ。優慈は翼を見せるのが恥ずかしくなってきた。


「みなさん、翼を出しましたか」壇上で嘉納副会長が見渡すと、

「まだでーす。ここに一人、まだのやつがいます」デップが叫ぶ。

「てめえ、おぼえてろよ」


「焦らないで、落ち着いて、時間はたっぷりあります。春の芽吹きをイメージするように、ウラウラとした温かいものを心で感じとってみて」


 けっ。


 優慈は副会長のアドバイスに気恥ずかしさを覚えた。周囲からの冷たい視線にも同じことを感じた。能力に長けているはずの自分が、憐れむような助言や視線を送られるなんて・・・優慈は悔しくなってきた。


 恥ずかしさよりも悔しいという感情の方がいやだった。

 

 優慈は色辺マリアとのエッチなからみを妄想し、翼を出した。


 すると・・・


 笑いあったり、ちゃかしあったりしてザワザワしていた会場の声が次第に静まった。彼らの視線の中心に優慈の青い翼があった。


 静寂に包まれ、その青ざめた小ぶりの翼は不安げに震えていた。


 優慈は嘲られ、笑いものにされるのを覚悟し、ふうっーっと長めのため息を吐いた。


 しかし、


「ぶっとんでんな、おまえ」デップが最初に声をかけてきた。「青い鳥の羽を毟ったのか、この目立ちたがり屋が」


「どうやってやるの、それ。いいなあ。染めたの、ねえ僕にも教えて」村井が続いた。「僕もピンクの翼にしたいよ」


「カッコいいです、優慈さん」手塚も心底感激していた。「生まれつきですか、すごいじゃないですか、優慈さんはきっと選ばれた人なんですよ。すごいな、僕、尊敬しちゃいます」


 他の者たちもわおっと一斉に声を上げ、優慈の青い翼の周りに集まってきた。


「お静かに!お静かに!」と嘉納副会長が壇上で叫んでも収拾がつかなくなり、八月六日のホールでのセレモニーはそのまま終了したのだった。






 




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