お題:悪魔

「ねーえー、ご飯まーだー?」

 ソファに寝転び、無防備に晒した脚をばたつかせるのは、何度見ても息を吞むほどの美女だ。夜空を溶かしたように艶やかな髪に、どこかアンニュイな魅力をまとう瞳。百人が見れば百人が美人だと答えるだろうし、顔だけで世を渡っていくのも苦労しないだろう。

 ……彼女が、俺にしか見えない悪魔であることを除けば。

「はいはいもうできるから。ある意味、悪魔らしい振る舞いではあるのかな……」

「いえーい。悪魔は気楽ー、堕天使サイコー」

 彼女はいわゆる堕天使であるらしい。頭上に浮かぶ濁った色でどろりと形を崩した輪っかとカラスのような黒翼が堕落を証明している。

 そんな彼女がウチに居座るようになったのは三日前のことだ。突如として室内に現れた彼女は、唖然とする俺を前に口を開いた。

『きみを堕落させにきたよ』

「……で、それから何もしてないよね?」

「んー。だってあたしってば堕落の悪魔だもん。天使のお仕事も悪魔のお勤めもめんどくさいんだよね」

「それって悪魔としてどうなの?」

「悪魔が勤勉でもヤじゃん」

 たしかに、内容はどうあれ悪魔が人を誑かすのは、悪魔が『人を悪の道へ誘う存在』として定義され、そうあれかしと望まれるが故の半ば本能的な行動だ。その点、彼女は元は天使。あまりにも怠惰であるというだけで、人を誑かすという本能は備わっていないのかもしれない。

 出された料理をニコニコと食べながら彼女は言う。

「誰も怒らないし、悪魔ってサイコー。あとはキミを堕落させればずっと一緒にダラダラできるね」

「え……俺が働かなくなったら、メシも食えないし生活できないよ」

「あーそれは困るなー……よーし、じゃあ悪魔らしく契約といこー」

 彼女がテーブルに手を置くと、紫色の火花と共に一枚の紙が現れた。

「キミが私を養う。その代わりに私はキミを堕落させる。こんな契約でいかが?」

「俺にメリットないよね?」

「えー? そうだなー、例えば……えーい」

 突如腕を広げてソファに引っ張られると、そのまま彼女と密着した状態で寝転がる形になった。

「な、にを!?」

「私の添い寝だよー。ふっふふー、抗えぬ堕落の中へどうぞー」

 声が水面を走る波紋のように何度も静かに反響する。脳内を塗り潰す眠気とぬくもりに包まれ、意識はあっさりと手放された。



「……ふふ、もう寝た。何もしてないのにねー」

 穏やかに寝息を立てる青年の頬を慈しむように撫で、悪魔は呟く。

「キミ、休み方も忘れるぐらいずーっとがんばってたもんねー」

 悪魔は微笑む。聖母のように優しく、狂気を秘めて艶然と。

「かわいい人。私が堕落させてあげるからね……」

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