お題:教育
「55点。ギリ不合格ライン」
「面目ない……」
放課後の教室でがっくりとうなだれ、僕は額を押さえた。
大学受験まであと半年。いままで勉強してこなかったツケが回ってきている。
「しっかしメガネのくせに成績悪いよねぇキミ」
机の向かいでは、粗野な口調の女子が僕を小馬鹿にして意地悪く笑う。
「まぁ? ボクってば成績優秀の天才サマですしぃ? 落ちこぼれ寸前のインテリ風メガネクンお勉強教えてあげるのもやぶさかではないっていうかぁ?」
煽るような抑揚に青筋が立つが、グッと堪える。見ての通り性格には大きく難ありな彼女だが、これでも全国模試で一桁代に入る秀才なのだ。
傲岸不遜な態度は大いに腹が立つ。しかし、特別に勉強法を指導してもらっており、その効果が出ている以上、逆らうことはできない。
「不正解部分の解説を頼む……」
「もっと誠意が欲しいなぁ! ほらほらぁ、自尊心をもっと擦り減らすような感じでさぁ」
「ぐぅっ……どうか愚鈍な私にご指導ご鞭撻のほどをお願いいたします……!」
「いいよぉ! はぁぁ~、バカを躾けるのって興奮するぅ……」
勉強を教えてもらううちにわかってきたのは、どうも彼女は人の上に立つことが大好きだ。それも、見下して足蹴にするような関係性に執着している。
聞くに、彼女は幼少期からズバ抜けた好奇心と理解力を有しており、常に同世代よりかなり進んだ知識を学び続けていたらしい。つまりは、常に同級生を見下せる位置に立っていたのだ。
性格が歪み切っているのは、天才である弊害なのかもしれない。
「なにボサっとしてんのさ。バカなんだからさっさと覚えてよね」
「はい……」
「ぷくく、じゃあ最初のトコ。うわ、こんな初歩的なミスするんだぁ」
半笑いで続く解説は、驚くほどに理解しやすく噛み砕かれて僕に教授される。彼女は問題を感覚的に理解しつつ、自身の語彙力でそれを簡易的に説明する能力にも長けている。性格さえマトモなら、優れた教師になれたかもしれない。
「ちゃんと聞いてる?」
「あぁ、聞いてる……」
「ったく。ほらほらほら、前もこのタイプ間違えてたよね。ホントバカだなぁ」
「…………」
我慢だ。こいつに教えてもらわなければ、俺はとっくにドロップアウトしていたんだ。
「漢字は綺麗に書けって言ったよね? 焦り散らかしてるのが丸見えですっごいバカっぽーい」
「…………」
耐えろ。水の泡になる。
「あぁー、問題集やったときと同じミスだ! 信じられない! このボクが教育してあげてるのに、ホントにかわいそーな頭してるんだねぇー」
●す。
気付くと、俺は身を乗り出して彼女の肩を掴んでいた。
「っ……な、なんだよ……はなせよ……」
そのまま引っ張り、壁に軽く突き飛ばす。
「痛っ、なにするのさ! これだから元ヤンは――」
苛立ちを込めた蹴りが、華奢な脇腹を掠めた。鈍重な衝突音が教室にこだまする。
「な、なにさ……暴力は……ダメだよ……」
「………………」
「な、何か言えよ……ね、ねぇ…………」
俺を見下して煽っていた瞳が、怯えて震える。泣きそうな目に、俺はどんな形相で映っているのか、大体は予想がついた。
眼鏡を外し、彼女の両目に刻み付けるように顔を寄せる。
「黙って聞いてりゃ散々言ってくれたな。……俺ァ確かに学の無ェバカで、あんたに恩義がある身だが……人間以下の扱いをされても黙ってるほど脳無しじゃねェんだよ」
「ご、ごめんなひゃい……」
「俺を教育してる、んだっけか……じゃあ俺もテメェに口の利き方ってヤツを教育してやろうか……あァ?」
「はっ……ぁはっ……っぁ……」
凄んだ直後、彼女が過呼吸になっていることに気付いた。細い膝がカタカタと震え、腰が抜けたのか壁に背中をつけたままへたり込んだ。
冷や水を浴びたように急速に怒りが醒め、俺は急いで彼女を支える。
「す、すまん! 大丈夫か? あぁ、くそ、過呼吸って何をしてやれば……」
「へ、平気だよ……ちょ、ちょっとその……ぇへへ、とにかく、ボクは大丈夫だから……」
重圧から解放され、肩で息をする彼女を椅子に座らせる。
俺は膝を床につき、頭を下げた。
「面目ない。短絡的でキレやすい性格のせいで荒んでたってのに、全然改善できてねぇ……責任は取る。金輪際、あんたには関わらないし、何か要求があるなら必ず叶える」
「……い、いいよ。頭をあげて。……せ、責任って……なんでもいいの?」
「ああ。無責任な人間が俺はこの世で一番嫌いだ」
彼女は呼吸も静まり、落ち着きを取り戻したように見えた。だが、俺が返答した瞬間から、顔が紅潮して呼吸を荒らげ始めた。
「じゃ、じゃあさ……さっきの言葉、ちゃんと守ってよ」
「さっき……?」
「口の利き方を……きょ、教育っ、してくれるって……」
「は……?」
たしかに脅しとして口走った。だが、俺の頭には疑問符が増え続ける。
「どういう意味だ……?」
「ボクは、これからも変わらずキミに勉強を教えるよ……そ、その代わり、キミがボクの言動にイラっときたら、その……さっきみたいにボクに『教育』してよ」
あまりに突飛な要求に、混乱するばかりだ。しかし、責任を取ると男が口にした以上、二言は無い。
「……わかった」
「ぇへへ、ならいいよ……さ、続きをやろう」
彼女は机へ向かうが、その足取りは酷くフラついていた。
「おいおい、膝が笑ってるぞ。……さっきからどうなってんだお前。脅した俺が言うのもアレだが、俺が怖いんならそう言ってくれれば――」
「違うよ」
彼女は力を抜いて俺の胸にしなだれかかる。上目遣いをするその顔は、上気していた。
「こ、興奮したんだ……」
「は?」
「強烈な蹴り……ドスの効いた声……ナイフみたいな瞳……最っっっ高にゾクゾクしたんだぁ……!」
「そ、それは単に怖かっただけじゃ……」
「いいや断じて違う! ボクはいままで人を見下すことだけがボクの存在意義だと思っていた。けどキミがあの瞬間に放った有無を言わせぬ暴威と、ボクの肉体は傷付けないが精神は獅子搏兎の如く追い込むアンバランスな野生と理性に触れた瞬間、落雷が落ちた! 腰が抜け、呼吸の仕方を忘れるほどの悦楽が背すじを走った! ボクは自身をサディストだと思っていたけど、表裏一体で激烈なマゾヒストでもあったんだ!」
客観も主観もあったもんじゃない分析を深めるほどに陶酔も加速していく。俺はどうやら、この七面倒臭い女の更に面倒な扉を開いてしまったらしい。
「も、もっと罵っていいよ……公衆の場がダメならボクの家でも……!」
「貞操観念がねぇのかお前は! とりあえず黙っとけッ!」
「あぁぁぁいい! 肚の底に電流が走るみたい……!」
こうして、相互に『教育』し合ういびつな関係ができてしまった。
「ぇへへ…………初恋の人を見下せて、初恋の人がこんなボクを叱ってくれて……夢みたいだ……」
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