お題:自転車

 当然ながら、不幸というのはいきなりやってくる。

「うわぁ、チェーン外れてる……」

 勤続15年、母と私の移動を助け続けてくれたママチャリだが、最近は色々と限界を迎えている。ブレーキを引くと酷い音が鳴るし、チェーンも錆びてペダルが激重い。

 そして今日はがっつりチェーンが外れてしまった。買い物帰りでカゴに重たい袋を積んだのが原因なのかもしれない。

「うえー……めんどくさいし、手に錆がつくのヤだなー……」

 文句をごちりながら自転車を道の脇に寄せ、修理に手を付けようとしゃがみこんだ。

「おーい、どうした」

 振ってきた声に振り向くと、見慣れた坊主頭がこちらを覗き込んでいた。同じクラスのやかましい男子だ。

「野球部の練習は?」

「なんと先輩がタバコ吸って部活停止。マジ卍」

「どういうテンションよそれ……」

「まぁそれはそれとして、チェーン外れたか」

 そいつは何も言わずにしゃがんで、迷わずチェーンを素手で掴んだ。

「任せろ。こういうの得意だから」

「ふーん……男子ってみんなこういうの得意なの?」

「そりゃ人によると思うぞ。俺は整備とかが好きなだけ……ふんッ! ……お前、このチャリ油差したことねぇだろ」

 引っ張られてギチギチと嫌な音を立て、錆の粉を落とすチェーンを前に、私は目を逸らした。

「……サラダ油でいいならカゴに入ってるけど」

「別にいまはいらねぇけど、これからも乗るなら買っとけ。この感じだとまた外れるぞ」

 彼は手が汚れる事もいとわずにチェーンを引っ張り、ペダルをクルクルと回す。

 他人のために自分の手が汚れることに躊躇がない。教室にゴキブリが出たら誰よりも早く捕まえて窓から逃がすような人間なのだ、こいつは。

 だから、便利使いされることも多い。何を言われずとも率先して面倒くさいことを請け負うから、誰もが自然とこいつに仕事を押し付けているフシがある。

「ふー、とりあえず直った!」

「……ありがとう」

「いいってことよ!」

 そして、こいつは見返りなんて考えてもいない。以前、便利使いされすぎだと注意したこともあるが、こいつは何も考えずに今日も明日も面倒くさい仕事を請け負うのだろう。

「鼻に錆がついてる」

「マジか! ……ホントだなんかくせぇ!」

「ぷふっ……ウチ来て顔洗っていきなよ。ケーキ出してあげる」

「お、ラッキー! ありがとな!」

 どうせ死ぬまでこいつは人助けをするつもりだろう。

 だから私は、できるだけこいつを労ってやろうと思うのだ。

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