お題:面倒

「めんどくせぇ」

 溶けるように椅子へしなだれかかっているのは、陸上部の先輩。

「ほら出番近いんですよ先輩! 起きてくださいッ!」

 そして私は先輩専属のマネージャーである。

 今日は陸上記録会で、ここは控室であるというのに、先輩はやだやだと頭を振っている。

「なんで部活強制なんだよめんどくせぇ。令和の世にこんな校則が生き残ってていいわけねぇだろ……」

「そこにはおおむね同意ですけど! そろそろストレッチとかしないといけないんですって!」

「歩きたくねぇー……」

「そういうと思ったので!」

 予見していた私は用意していた台車を持ってきた。

「こちらへどうぞ!」

「あぃー……」

 先輩は台車の上で三角座りをした。周囲は奇異の目でこちらを見るが、私含め我が校においてこの運搬は日常風景となっている。

 めんどくせぇが口癖の先輩は、こと部活関連においては歩く事すらも面倒くさがってしまうので、私がこうして専属で面倒を見ている。

「めんどくせぇー……」

「がんばりましょうよ先輩!」

「無駄に熱血だなホント……どうせ俺が何したって変わらねぇよ」

「じゃあ私がご褒美あげます!」

「いらない。めんどくせぇ……」

 にべもなく断り、先輩は重たいため息を吐く。今日は曇り空なせいか、いつも以上にアンニュイだ。

「頭痛いです?」

「気分が微妙なだけ……きみさ、なんで俺の面倒見てんの?」

「そりゃまあ、先生から言われてますし」

「真面目だな……テキトーに済ませても別にチクったりしないし、俺なんて放っておけばいいだろ」

 私はムッと唇を尖らせる。そう投げやりな言い方をされると、反論したくなった。

「私がしたいからやってるんです」

「普通のマネージャーより楽だから?」

「ちーがーいーまーす! 私は先輩の専属マネがしたいんです!」

「ふーん」

 打てど響かずといった様子で、先輩はまたぼーっと流れていく天井を見上げていた。

 私だって、ただ怠惰な先輩なら専属になんてならない。先輩は、なんというか危なっかしいのだ。

 発端は先輩の走りだ。

 強制的に部活へ入らねばならないということで、先輩は私と同じように消去法で陸上部を選んだらしい。文化系は水が合わなかったと話していた。

 しかし、先輩にとって一年目の陸上部は最悪だったらしい。怠惰な性格は周囲から浮き、顧問からは問題児扱いされて一挙手一投足に文句を付けられる日々。

 退部もできないせいで機嫌が最悪になった先輩は、誰もいなくなったグラウンドで憂さ晴らしのような練習をして体を壊しかけていた。

 私は、そんな先輩が危なっかしくて見てられなかった。そこで、普通のマネージャー業務の傍ら、先輩を専属でお世話している。

「ちゃんとストレッチしてくださいね。特に右脚は入念に!」

「……はいはい」

 会場の手前につく。廊下を抜ければ、もう競技会場だ。

「さすがに観客がいるので、台車はここまでですね」

「はぁー、めんどくせぇ」

 先輩は立ち上がると、気だるげにフラフラと歩き出した。

「だ、大丈夫ですか?」

「言ってんだろ、めんどくせぇよ。……俺って、お前に何かしてやったことあったっけ?」

「はい?」

 急な質問に、私は記憶を彫り返す。我ながら驚くほど、先輩から後輩的な扱いを受けた事はない。

「いえ、特には」

「だよな……」

 大きくあくび。そして伸びをして、先輩は会場へ出た。

「なんできみが俺に懐いてんのか知らねぇけど、たまにはがんばるわ」

「へ?」

「……なにその顔」

「い、いや。急だったので……あの、なんでがんばろうと?」

 珍しく、先輩が笑った。

「説明がめんどくせぇ。秘密」

 その日、先輩は我が校の記録を更新した。

 大いに沸く観客や部活の仲間たちには目もくれず、先輩は私のもとへ来た。

「疲れた」

「はっ、はい! スポドリです! 脚は痛くないですか!?」

「ありがと。平気……今日、俺の出番終わりだろ。帰ってもいい?」

「そ、それは顧問に訊いてみないとわかりませんけど……」

 汗をポタポタと落としながら、先輩は排熱するように深く息を落とす。

「めんどくせぇ。まぁいいや。……昼メシ食いにいく」

「ご一緒します! では台車へどうぞ!」

 台車で運ばれていく先輩は、走る前より心なしか安らいだ表情をしていた。

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