566 パーフェクトゲーム

 『貴族ファンド』から借りた貴族の名簿一覧を見ると、当然ながら学園生徒の実家も散見される。そもそも貴族学園なのだから当たり前の話なのだが、それでも見覚えのある名が目の前に現れると、本当に大丈夫なのかと思ってしまう。ウチのクラスでいうならトルザムアルト伯爵家、マルーテ子爵家、ベイクウェル男爵家、テナント男爵家などがそれだ。


 ウチのクラスでそうなのだから、他のクラスも同様。アイリやコレットが「あの方の家だ」「あの人の名前が」と言っているのは、貴族学園なのだから当然の話である。しかしそれでも平民階級の人間にとっては他人事。なのでアイリやコレット、リディアなんかは、俺と一緒で大丈夫なのだが、貴族子弟となるとそうはいかない。


 レティやクラートだけではなく、クリスも不安そうな顔をしているのを見た俺は、各家の事をどうするのかは今後別に考えようと話した。やはり利害関係者となると、中々平常心を保てないようだ。個別の問題を棚上げしないと作業が前には進まないので、ここは作業をやり抜くしかない。対処法はその後に考えるべきだろう。


 貴族家の整理をしている三人から色々聞いていると、陪臣家を中心に何処の家なのか分からない家が結構あるようだ。数千もあるという貴族家の全部を知っている人間なんて、そうはいない。そこで俺はグレックナーの妻室ハンナを招聘する事を提案。クリスとレティの了解を得たので連絡を取った。その時、早馬が会議室に飛び込んできたのである。


「リサからだ!」


 渡された封書を見た俺は、思わず声を上げた。俺はすぐに封書を開き、便箋を広げる。レティが俺の声に立ち上がり、側へと駆け寄ってきた。ジルが慌てて部屋を出ていく中、皆の視線が俺に集中している。広げた便箋に書かれていたものは・・・・・ ドルナ解放、レジ制圧。そして、全員の無事が記されていた。


「喜べレティ! 全員怪我もなく無事だ!」


「ミル!!!!!」


 レティが叫ぶと、俺に抱きついてきた。レティが声にならない声で泣いている。俺は思わず抱きしめた。何故だか分からないが、そうせずにはいられなかったのだ。俺が「良かったな、良かったな」と言うと、レティが「うん・・・・・ うん・・・・・」と返してくる。ミカエルが出てからずっと不安だったんだな。


 リサの便箋によると、リサ達やダダーンの第三警護隊、ミカエル率いる地主兵ラディーラ。それにレアクレーナ卿が団長を務める第四近衛騎士団や『常在戦場』のモンセル部隊「ヤヌス」が、リッチェル子爵領の北を流れる川の北岸より西に進撃。ドルナ側に布陣していた第一警備団やムファスタ支部と対峙していたレジ側を側面から急襲した。


 その結果レジ側は難無く崩れ、ドルナ側にいた第一警備団やムファスタ支部、そしてドルナ自警団が三つの橋の封鎖を解いて、レジ側へ一気になだれ込んだ。結果レジ側の者達は為すすべもなく捕らえられ、トゥーリッド商会を初め、レジドルナギルドや冒険者ギルド、そしてレジドルナ行政府を完全に制圧したとの事である。


完勝パーフェクトゲームだったのですね・・・・・」


 話を聞いたクリスは天を見上げてそう言った。『常在戦場』に近衛騎士団、それにリッチェル子爵家の地主兵ラディーラとドルナ自警団。合わせて千五百は下らなかったのではないか。この混成集団がどこまで有機的に機能したのかどうかは分からないが、数の上で圧倒し、質においても上回っていただろう事は間違いない。


「レティ・・・・・ 落ち着いたか?」


 俺の胸元に顔を埋めていたレティに声を掛けた。レティはコクリと頷いた後、俺の顔から背けるようにして離れていく。


「・・・・・あ、ありがとう・・・・・・」


「良かったな、ミカエルが無事で」


「え、ええ」


 小声でそう言うと、自分が座っていた場所に戻っていった。アイリが駆け寄って「良かったね、良かったね」と声を掛けている。レティは何度も頷いていた。こういった両ヒロインの絵面は、エレノ世界であるが故か、光り輝いている。こういう場合、何も声を掛けないほうがいいだろう。俺は魔装具を取り出して、若旦那ファーナスに連絡を取った。


 ――俺が息子のリシャールやカシーラ、セバスティアンが皆無事で元気だと封書が届いたと伝えると、若旦那ファーナスは「良かった・・・・・ 良かった・・・・・ ありがとう、ありがとう」と、男泣きを始めたのでビックリした。「リシャールのヤツめ。二度とこのような事はさせん」と泣きながら話す若旦那ファーナス。


 感情をあらわにして泣きに泣くエレノ世界と、我慢をする現実世界。現実世界の住民が男、それも大の大人が、所構わず泣くという場面に初めて遭遇したら、ドン引きするのは間違いないだろう。だがストレートな感情表現がゆえに若旦那ファーナスが、リシャールの事をそれだけ大切に思っているのが伝わってくる。


「これでセルモンティさんやマルツーンさんに顔を合わせる事ができる」


 安堵の声を上げた若旦那ファーナスは、セルモンティ家とマルツーン家に連絡すると言って魔装具を切った。何か話を伝えた俺の方が胸を撫で下ろしたような気分である。ザルツにも連絡を入れたが、こちらの方には既にリサの封書が届いており、リサの無事を極めて冷静に受け止めていた。その反応が若旦那ファーナスとは対照的なのが極めてザルツらしい。


 かく言う俺も、リサやミカエルの出発当初から、全く心配をしていなかった。リサ達を警備してくれているダダーンと第三警護隊を信頼していたし、彼我ひがの数を考えた時、こちらから派遣される第四近衛騎士団と『常在戦場』、それにリッチェル子爵領にいる地主兵ラディーラの方が数的に勝っていたからである。


 翌朝にはリサから第二報が入り、フォーブス・フレミング率いる『常在戦場』第一警備団レジドルナ行政府において、元行政府守護職ドファール子爵を拘束。庁舎を制圧した際、元公爵アウストラリスが陪臣ロスニスキルス子爵、アウストラリスの腹心であり陪臣でもあるモーガン伯の陪臣ティーラドーラ男爵が確保された。


 モーガン伯の立場は非常にややこやしい。アウストラリスの陪臣であると同時にディーラドーラ男爵という人物の主君でもあるのだから。しかしこれによって、レジドルナで行われていた工作を指揮していたのがモーガン伯である事が明らかになった。何故ならトゥーリッド商会に出入りしていたのが、他ならぬモーガン伯だった。


 つまり元公爵アウストラリスの意を受けたモーガン伯がレジドルナ行政府やトゥーリッド商会に出入りをして、対レジドルナ工作の指揮を執っていたという証が捕縛されてしまったのだから。この二人の貴族の身柄を確保した第四近衛騎士団長のレアクレーナ卿は、これを糺問きゅうもんすべくアウストラリス公爵領への出立を決断したのである。


 第四近衛騎士団騎士監フマキラにレジ統治を委任し、『常在戦場』ムファスタ支部とドルナ自警団、リッチェル子爵家の地主兵ラディーラに治安維持を委嘱。レジとドルナとの関係で、これまで支配者側に立っていたレジが、従属させていたドルナの自警団に警備される事となった。このような状態下、レアクレーナ卿は第四近衛騎士団率いて出発。


 フレミングの『常在戦場』第一警備団と共に公爵領の首府リンレイへ向かった。リサはダダーン率いる第三警護隊と共にこの出立に同行。ミカエルやリシャール達は地主兵ラディーラと共にレジに残り、警備の任に着いたとの事である。しかし昨日の一報でレジ制圧の話が、次はアウストラリス公爵領への進駐か。それにしても動きが速い。


 事務処理をする為に今日もやってきたレティに聞くと、ミカエルからの封書が今朝届いたと言っていた。若旦那ファーナスもリシャールからの封書が届いたと言っていたので、皆の封書を纏めて早馬で送ったのだろう。しかし一報が入るまでは動きが緩慢なように思えたのに、いざ封書が届くと異様に早い展開に感じる。それはメディアでも同じこと。


 貴族会議の終了後『週刊トラニアス』が早刷りを出したのにも驚いたが、翌日には『小箱の放置ホイポイカプセル』が号外を出して後に続いた。この二誌はロバート経由で貴族会議の模様を魔装具越しに聞いていたので、記事にしたのが早かったのだろう。出し抜かれた形となった他社は挙って号外を出して、貴族会議以降の状況を伝えた。


 『蝦蟇がま口財布』は「王都燃ゆ 民衆の怒り爆発!」と題して暴動の模様を伝え、『無限トランク』は「首魁アウストラリス公、遂に王都を退散!」という見出しを掲げて、アウストラリス公の王都脱出を書き立てた。これに対し『小箱の放置ホイポイカプセル』は定期刊で、『週刊トラニアス』は号外で応じている。


 『小箱の放置ホイポイカプセル』は、「小麦勅令、絶大な効果!」と小麦が行き渡っている様を前面に押し出し、その舞台裏までを書いている。それによると王子殿下は、小麦暴騰に苦しむ民衆を如何にすれば救えるのかを一心に考え、貴族会議での進言という義挙に出られたのだと、ウィリアム王子を絶賛する内容。


 『週刊トラニアス』は「小麦暴騰の責任はフェレット、トゥーリッドにあり!」と、舌鋒鋭く両商会の悪行を指弾した。書いている事は全て事実だからいいとして、書くならもっと前に書くべきではというのが、正直なところ。だって、メディア本来の仕事というのは問題提起。事後では、提起にならないだろうと思うのだ。


 そんな中、一つ異変が起こっていた。『翻訳蒟蒻こんにゃく』が号外を出していないのである。あれ程出しまくっていたものが、今日は無いなんておかしいじゃないか。そう思ったが、やはり貴族会議がよもやの結果だった上に、アウストラリス公がまさかの爵位返上。更には都落ちと、垂直落下式に状況が激変したので、号外が出せなくなったのだろう。

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