521 売り払い

 午後の相場も引き続き上がり相場で三三〇〇〇ラント台にまで乗せたのだが、そこで値動きが止まってしまった。そこからはジリジリと値を下げてしまい、結局午前終値より下の三一二九八ラントで引けてしまったのである。先週末の小麦相場の失速と同じような流れだ。この値動きについて俺が考えていると、魔装具が光った。


「おい、買いが消えたぞ!」


「先週と同じか?」


「ああ、同じだ。途中から三〇〇〇〇ラント台でお前の買い以外の注文が無くなってしまったよ」


 エッペル親爺が俺の読みを肯定してくれた。やはりザルツが言っていたように、フェレット商会が今動かせるカネをかき集め、貴族に貸し出して相場へ注入した資金が尽きたのだろう。エッペル親爺の話を聞いて、そう確信した。俺は会議室に入ってきたザルツとリサに、早速今日の小麦相場の動きとエッペル親爺との意見交換の内容を話す。


「やはりそうか。いよいよ来たな」


「何が来たの?」


「相手を仕留める時がだ」


 リサにそう言ったザルツは、こちらを見てきた。


「グレン。明日仕掛けるぞ」


「明日?」


「ああ。小麦を全て売り払え」


「えっ?」


 ザルツからの突然の指令に俺は固まってしまった。三〇〇〇〇ラント台まで乗せた小麦を全て売れという指令。それを俺に三〇〇〇〇ラント台に乗せろと指示した人間が言う。いくらなんでも、それは無茶というものではないか。これにはリサからニコニコ顔が消えた。


「お父さん。突然そんな事を・・・・・」


「突然だから言うのだ。グレン。今、全てを売ったら相場値はどうなる?」


「・・・・・半値。あるいはそれ以下だ・・・・・」


「これまで買い上がってきた貴族達が買った小麦価よりも高くなるのか、安くなるのか、どちらなのだ」


「どちらって・・・・・」


 安くなるに決まっているじゃないか。


「あっ!」


 思わず声を上げてしまった! まさか・・・・・


「高値掴みをさせるつもりか!」


「そうだ。貴族達が買った小麦の資金を完全に相場へ括り付けることができる。これで『貴族ファンド』も身動きが取れぬ。融資資金が完全にホールドされたのだからな!」


 満面の笑みを浮かべながらザルツが言う。手足を括り付けられたまま、宙ぶらりんだと。貴族と『貴族ファンド』がこれで一蓮托生になると、確信を持って話しているのが分かる。これはこれは・・・・・ リサ以上の悪魔が居たわ。ザルツは俺が現在保有している小麦を全て売り払い、意図的に高値掴みの状況を作ろうと考えているのだ。


「前回、ジェドラ商会とファーナス商会が売った時と同じように、先ず二商会が持つ現物を売れるだけ売り払う。その次にグレンが保有する小麦を売る。できるか?」


「もちろんだ。しかし、つい最近に売り払っているから、それほど在庫は溜まっていないかもしれないぞ」


「それは構わない。動かせる小麦をありったけ売ってくれ。ジェドラ商会とファーナス商会に連絡して手筈を整えるように」 


「ちょっと待って!」


 俺とザルツとの話にリサが割って入ってきた。先ず私に売らせてというのである。


「管理を依頼されている小麦を全て売り払いたいの」


「ディール家やクラート家の小麦か?」


「ええ。アンドリュース侯から任されている小麦もよ。徐々に売ってたけど、この際、一気に片付けるわ」


 リサによるとディール子爵家やクラート子爵家、アンドリュース侯の血縁であるアンドリュース=ドルト子爵家、オースルマルダ子爵家、バルトー男爵家、アイスルアーラ男爵家などから任された小麦を売りたいというのである。


「しかし、一気に小麦を売って『貴族ファンド』やアウストラリス公に目を付けられないのか?」


「まだ月初めだから大丈夫よ」


「どうしてだ?」


 俺が聞くと、リサが大丈夫な理由を説明してくれた。相場で小麦を売っても小麦の保有証明書を渡すだけなので、小麦を管理している倉庫に小麦の所有者が変わった事はすぐに伝わらない。『貴族ファンド』が行う小麦保有のチェックも月始月末だけなので、それを外せば、暫くは露見しない。分かったところで、違約金を支払うのみだと。


「しかし、売り払った事がいつかは分かるよな」


「ええ、売り払ったタイミングもね」


「それじゃ、売った側の貴族家はマズくないか?」


 ディール家にしてもクラート家にしてもアンドリュース家にしても皆『貴族ファンド』を主導した、アウストラリス公を領袖とするアウストラリス派に所属する貴族家。事が明らかになれば派内の視線が厳しくなり、その立場も微妙なものになるのではないのか。


「相手も一蓮托生になるのだから、寧ろこの際、こちらの方も一蓮托生になった方がいいじゃない」


 リサがニコニコ顔で言ってきた。いやいやいや、恐ろしいことをサラリと言うよな。リサの物言いならば、相手を孤立化させて追い込んで、こちら側の立場に固定化させればいいと言っているようなものだ。


「それに他にも預かっている家が幾つもあるの。そこの小麦も売り払うのよ」


「他の家って何処なんだよ」


 そんな話は今、始めて聞いた。おいおい、リサよ。君はどこで暗躍しているんだ? 聞いたことがない家の名前がいくつも出てくる。その数十四家。いつの間にそんなネットワークが構築されていたのか。リサの行動はステルス性が高い。それに飽き足らずリサがまた別の貴族家の名を挙げる。


「ブラスティ伯爵家と、アメストローヌ子爵家」


「何処の家なんだ、それ」


「エルベール公の血縁よ」


「はぁ?」


 エルベール公の血縁だと! 一体何故?


「リッチェル子爵夫人から依頼されたのよ。二家が買った小麦の面倒を見る代わり、貴族会議開催に賛成しない確約を取ったんだって」


 そうだったのか! レティめ。エルベール公が、派閥内の貴族名簿を見せたら態度を一変させたと言っていたが、あれは方便だったんだな。どのように知ったのかは分からないが、エルベール公の親族が『貴族ファンド』の小麦特別融資に手を出した件を持ち出して、交渉したのだろう。結果、エルベール公はそれを了解した、と。要は取引したのだ。


「エルベール派が引き込めるなら安いものだと思って引き受けたのよ」


「リサから話を聞いて、これで戦えると思ったのだ」


 ザルツが以前から知っていた感じで話す。だったら、俺にも知らせろって。いつもそうじゃないか。俺がムッとなっているのを察したのか、ザルツが言ってきた。


「貴族の引き込みなど、我々が直接関与はできんからな」


 そんな事は俺にも先刻承知。しかしながら、俺が知らぬところでごそごそ事が動いて決まっていくというのは、どうにもこうにも気持ちが悪い。なんというか、ムカついた勢いに任せて、リサに食ってかかる。


「『週刊トラニアス』の記事。あれは俺がリサに話した事と同じだが、どうしてなんだ?」


「聞かれたからミケランに教えたのよ」


 リサは『週刊トラニアス』の編集長の名前を出した。俺が語気を強めようと、身じろぎ一つせずにニコニコ顔で答えるリサ。鋼のメンタルだよな、リサの心臓は。しかし、このリサの態度を見て、俺は確信した。『貴族ファンド』のネタは『週刊トラニアス』だけではなく、『無限トランク』の情報源もリサなのだと。


「それにしては、タイミングがジャストミートだな」


たまたま・・・・タイミングが合っただけでしょ」


 本当にあからさまな物言いだ。タイミングが合ったのではなく、自分のタイミングで仕掛けているだけだろ。それであっても、リサは悪びれもしない。


「これで『貴族ファンド』の動きが鈍くなったからいいじゃない」


「そこへグレンがトドメを刺すということだな」


「上手く手助けが出来て本当に良かったわ」


 ザルツの言葉に調子を合わせるリサ。まるで最初から計算されたかのような二人の動きに、こちらの方が唖然とした。と同時に、何だか怒るのが馬鹿らしくなってしまい、それと共に苛立ちも掻き消されてしまったのである。こういうのを見るにつけ、悪魔と悪魔が手を結べば、俺なんかひとたまりもないよなと思ってしまう。


「では、先ずリサが売りに出し、次にジェドラ商会とファーナス商会が売りに出す。そして最後にグレン。それでいいか?」


「ええ、私はそれでいいわ」


 俺に言ってきた筈なのに、何故かリサの方が先に返事をしてしまった。ザルツの話に異論がある訳でもないので、俺は同意したが、何か肩透かしを食らった気分である。タイミングは俺に任せるというザルツの言に従い、俺がリサや若旦那ファーナス、そしてウィルゴットらに連絡を取るという段取りが決まり、明日の夕方改めて集まる事が決まった。


 ――今日の小麦相場で、俺は指値を入れなかった。昨日のザルツとリサとの打ち合わせで、相場からの手仕舞いが決まった事から、一切の買いを入れなかったのである。それもあるのだが、昨日リサからもたらされた情報が芳しいものでは無かった事も指値を入れなかった一因だ。バーデット派が貴族会議開催の賛成を決めたというのである。


 貴族会議の開催を巡って態度を明らかにしていなかった貴族派第三派閥のバーデット派は、派閥幹部会合を開いて貴族会議開催の建議に賛成する方針を決めたのだ。『御苑の集い』でのバーデット侯のスピーチを聞いたレティが、七対三の割合で貴族会議の開催に賛成するのではないかと言っていたが、どうやらその悪いが当たってしまったようだ。


 ある程度は覚悟していたとはいえ、ほのかに期待していた為、堪えたのは事実。ザルツはこれで情勢が五分五分とは言っていたが、やはり精神衛生的に良いものではない。気を取り直して、魔装具で小麦の売り払いをエッペル親爺に告げると「いよいよかぁ」と感慨深げに話した。前に売りで勝負した時とは違って、こうなる事を予感していたようである。


「相場は今の半値以下になるかもしれんな」


「それは先刻承知の上」


「今日は貴族からの買いも入っていない。その上、お前の買いも入らないとなると、間違いなく売り一辺倒の展開になるな」


 エッペル親爺は、事前情報から得られる確実な未来を予想していた。これが現実世界だったら、インサイダー取引で俺も親爺も即座に逮捕だ。おそらくはザルツやリサ、ジェドラ父も若旦那ファーナスも引っ張られるだろう。そうならないのは相場取引に関して、法規制が全く無いからに他ならない。ある意味、エレノというインチキ世界のおかげだろう。

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