517 慰労会

 『常在戦場』の隊士達が、黄色の丸の中に三本足のカラスが描かれた旗。錦旗きんきをそれぞれ手に持って、鼓笛隊の演奏に合わせて入場してくる。そりゃ行進してくる多数の隊士達が王国旗をズラズラと掲げて会場へ入ってきたら、どよめきが起こるのは当たり前。


「絹の青い旗が綺麗に輝いていたのよ。本絹ほんけんって言う生地だって、クリスティーナが教えてくれたの」


 本絹。混じり気のない絹の事だな。以前、仕事で聞いたことがある。しかし、ノルデンで絹というのは貴族の象徴。その絹、混じり気のない本絹の旗を大量に掲げて『常在戦場』の隊士達が入ってきたというのは、王室の威光を背景とする宰相家の姿を『御苑の集い』に参加した貴族達へ見せつけたという事。ルタードエがやりたかったのはこれか!


「ひたすら青い旗が入ってきたのよ。凄かったわ」


 そりゃそうだろう。五百人が一本ずつ旗を持って行進してくる光景。そんなマスゲームなんか見慣れていないのだから、圧倒されるのは当然である。現にミカエルの襲爵式の際には、感激のあまり涙する者や興奮して雄叫びを上げる者が続出したのだ。あの時、俺はやり過ぎたと思ってしまったが、今回の集いに際してはアピールが必要だと目を瞑った。


「どんな曲で入ってきたんだ?」


「こんな曲よ」


 アイリが上機嫌で鼻歌を歌う。タイケの「旧友」だ。ニュース・ラインは以前の打ち合わせ通り、『常在戦場』の行進曲に「旧友」を採用して演奏したのである。アイリの鼻歌を聞くに、ニュース・ラインはかなりの編曲を行ったようだ。何れにせよ日程的にタイトだったので、奏者も隊士も聞き慣れた曲で行進出来たのは良かったのではないかと思う。


「先日御挨拶をしたアリガリーチ猊下が講話をなされたの」


「えっ! アリガリーチ枢機卿がか?」


「うん」


 これには驚いた。まさか『御苑の集い』にアリガリーチ枢機卿が挨拶に立つとは。『常在戦場』の隊士達の行進が終わると、アリガリーチ枢機卿が聖歌隊と共に会場へ入って挨拶に立ったとの事。枢機卿が聖歌隊を率いて宰相の娘であるクリス主催の『御苑の集い』で挨拶を行うという事は、ケルメス宗派が宰相閣下を支持したと同義。


「小麦不足が深刻なので一刻も早い解決が望まれますって、お話をされていたわ」


 アリガリーチ枢機卿は、この危機を王国一丸となって解決するするべきだと訴えたとの事。つまりは宰相閣下の元で纏まって小麦問題に向き合いましょうと言ったのである。クリスにとっては力強い援軍だっただろう。枢機卿の挨拶が終わると、鼓笛隊の演奏に合わせて、聖歌隊の合唱が行われた。「華龍進軍」にアイリが詩を付けたものだ。


「もう凄かったの。私、感動してしまって・・・・・」


 アイリは感極まったのを全身で表すように話をしてくれた。自分の詩をケルメス大聖堂の聖歌隊が歌っているのだ。敬虔なアイリが感激しない筈がない。合唱が終わった後、大きな歓声と共に拍手が起こったというのだから、感動したのはアイリだけではなかったのは間違いない。会場が静まった後にクリスが挨拶に立った。


「クリスティーナは、小麦問題の事を王国開闢かいびゃく以来の危機だと言ったの。この危機を乗り越える為には貴族の団結が必要だと訴えていたわ」


「それで反応はどうだった?」


「参加していた貴族の方々は頷かれていたから、クリスティーナの言葉は伝わったと思うの」


 アイリの話は漠然としたものだったので、実際はどうなのかまでは分からないが、参加した貴族達の反応は概ね良好だったのだろう。クリスティーナの挨拶の後、エルベール公の挨拶が行われ、そこでエルベール公が宰相閣下の支持を表明し、会場がどよめく中でエルベール公の音頭による乾杯が行われたとの事だった。


 後は朝に聞いたミカエルの話のように有力貴族が次々と挨拶をする中、和やかな雰囲気で歓談が行われ、無事に『御苑の集い』が終わったという事である。改めて挨拶に立った後、集いに参加した全貴族を見送ったクリスは、さすがに疲れていたらしい。とはいえクリスは、前代未聞の御苑で開かれたパーティーを見事やりきったのである。


「本当に頑張ったんだな、クリスは」


「ええ。今日は御屋敷に滞在して、明後日には学園へ戻ってくる予定なの」


「明後日? 休日にか?」


 クリスが屋敷から学園に来る際は必ず当日の朝。前の日にやってくる事なんて、これまで無かった。


「そうなの。レティシアの慰労会をすることになっているのよ」


「おお、そうか!」


 話を聞くにクリスの発案で、女子寮の茶話室でエルベール派を切り崩したレティの慰労会を行うようだ。なるほど。朝のミカエルの話を聞いた時も思ったが、レティのエルベール派の切り崩しが相当効いているんだな。文字通り獅子奮迅の健闘といったところである。そのような理由でアイリとピアノ部屋で過ごすのが、明日の休日になった。


 ――ミカエルの話の通り、レティからの封書が届いた。「明後日の昼過ぎにロタスティの個室でお話があります。お手数ですが、足をお運び下さいますよう、お願いします」という、レティらしからぬ穏やかな文言。俺の返事はもちろん「了解」。どのような文面だろうと、変わらぬ答え。レティ一人に質すことができる、こんなチャンスはそうそうない。


 一方、ルタードエからも『明日の小麦問題を考える御苑の集い』についての報告が届いている。まず先日のクリスとの会見をセッティングしたことへお礼から始まって、『御苑の集い』の成果に関する分析が綴られていた。ただ文章の中には、回りくどい物言いをするルタードエにしては珍しく「大きな成果があった」と記されている。


 クリスが内大臣トーレンス候を通じて国王陛下に内奏し、錦旗の使用許可を得た事。『常在戦場』がその錦旗を持って、御苑の会場で行進を行った事。ケルメス大聖堂のアリガリーチ枢機卿のスピーチを得た事。ケルメス大聖堂の聖歌隊と『常在戦場』の鼓笛隊による合奏等が、集いに参加した貴族の心情を大きく揺さぶる事に成功したと指摘。


 それがエルベール公やドナート候、ボルトン伯ら有力高位家が相次いで宰相閣下の支持表明に踏み込む、地ならし的な役割を担ったと書かれている。バーデット候やアンドリュース侯の動きは読みにくいが、ルタードエの献策を採用したクリスの胆力によって、自身が想像していたものよりも遥かに大きな成果が上がったと文章を締めくくっていた。


 どうやらこれを書いていた時、ルタードエもかなり興奮していたのだろう。インキが点々と便箋に飛んでいる。あの冷静なルタードエがこのようになるくらいなのだから、その点においても『御苑の集い』は大成功だと言えよう。しかしやはりルタードエの指摘通り、今後の焦点はバーデット侯とアンドリュース候か。


 貴族派第三派閥バーデット派を率いるバーデット侯。貴族派の巨頭で今回、貴族会議開催を建議したアウストラリス公が率いる貴族派第一派閥アウストラリス派の副領袖アンドリュース侯。『御苑の集い』に出席した二人の貴族派有力者。この二人が、いや二人のうち一人が貴族会議の開催を否定すれば、貴族会議が流れる可能性が高い。


 現在、貴族会議開催を賛成しているのはアウストラリス派とランドレス派の二派のみ。態度表明をしていないバーデット派を除けば、後の七派は全て否定派。もちろん派閥によって色合いは全く違う。トーレンス派やスチュアート派のように宰相閣下を積極的に支持する派閥もあれば、アンドリュース派のように貴族会議の開催に消極的な派閥もある。


 終盤に入って宰相閣下の支持を打ち出したエルベール派、ドナート派、そして中間派のような派閥もある訳で、決して一枚岩とは言い難い。だが、共通しているのは貴族会議開催に消極的であること。この一点が共通している。今回の建議は貴族会議の開催なのだから、この可否が全て。よって色合いが違う事は全く問題にはならないのだ。

 

 ただ俺は貴族ではないので、いくら考えたところでクリスやレティのように、影響力を行使できない。では行使できるところで考えようとしたのだが、これも中々上手くいっていないのが現状。それは『週刊トラニアス』に掲載された小麦無限回転の記事について、リサから聞き出そうとしたのだが、そのタイミングを逸してしまったのである。


 リサはやはり明敏なヤツ。こちらが間合いを詰めようとしたら、事前にそれを察知して、ヒラリとかわす術を持っている。こちらが聞く前に、例によってニコニコ顔を見せて立ち去ってしまうのだ。今日の朝もそれでやられてしまった。俺に学習能力がないので仕方がないが、それでも困る。その代わりと言ってはなんだが、ザルツを捕まえる事が出来た。


「タマが切れたのかもしれんな」


 俺が今日の相場の状況について説明すると、ザルツが感想を述べた。タマが切れた。つまり貴族達が小麦を買うカネが尽きたという話。即ち貴族達が『貴族ファンド』から受けた融資資金が底をついて、小麦を買う資金が無くなったという事である。しかしザルツの見解は、俺のものとは全く異なったものだった。


「『貴族ファンド』のタマが尽きたのだろう」


「えっ!」


 ザルツの答えに驚いた。『貴族ファンド』が積み上げた出資金は三〇〇〇億ラント。日本円にして九兆円。それが全て小麦相場で消えてしまったというのか! いくらインチキ相場だろうと、小麦で兆単位のカネが溶けるなんて、ある意味現実世界よりもスケールがデカい。


「それまで貴族ファンドは貴族向けに融資を行っていた。全ての資金が小麦に回っている訳ではない」


「一体どれぐらい小麦相場へ回っているんだ?」


「おそらく二〇〇〇億ラント程度だろう」


 俺が聞くと、ザルツは自身の見立てを話した。これまで輸入した小麦は、およそ二千万袋。小麦価を三〇〇〇〇ラントと仮定すれば六〇〇〇億ラント。俺がこれまで小麦相場へつぎ込んだカネと『貴族ファンド』が小麦特別融資に回したと思われる二〇〇〇億ラントを合算した額と合わないか、と聞いてきたのである。


「合う・・・・・ な」


 脳内で大まかな計算を行うと確かに帳尻が合っている。俺はザルツからの問いかけにそう答えた。

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