483 三つのしもべ

 皆のおかげでアイリと仲直りが出来て、一緒に屯所へと向かうことが出来た。そんな他愛もない事が本当に嬉しい。考えてみれば、向こうとこちらで五十年以上生きているのに、本当に余裕がないよなと思う。結局の所、人間というもの生きた年数ではなく、経験した数量がモノを言うのだという事を痛感させられる。


 これまで山と谷の起伏を少なくして生きてきた俺にとって、こちらエレノでの生活は凄く動きが激しい。そうさせているのは現実世界に帰るために色々やってしまっている俺が悪いのだが、それを差っ引いてもアイリとの付き合い、レティとの絡み、そしてクリスとの関わりのような非常に濃密な人間関係なぞ、今まで体験したことがなかった。


「私、本当に足を引っ張ってばかりよね」


 ポツンとアイリが言ってきた。時としてアイリはネガティブになる。自身の事を過小評価しているのだ。俺から言わせれば、アイリはこの世界のヒロインなのだから、もっと堂々と振る舞ったらいい。しかし遠慮がちに振る舞うのがアイリの良さでもあるので、その辺りのアドバイスは非常に難しい。なので『常在戦場』での立ち位置について話した。


「何を言っているんだ。『常在戦場』の面々は、アイリが来るのを待っているんだぞ。もしアイリと一緒に行けなかったら何を言われるか・・・・・」


「えっ!」


「どうして連れてこなかったとか、俺がアイリに悪いことをしたとか言われるに決まっているじゃないか」


「そ、そうなの?」


「この前だって、わざわざ俺の隣に席を用意していただろ。『常在戦場』にとって、今やアイリは象徴なんだよ。だから今、俺と一緒に屯所へ向かっているんだ」


「そうなんだ」


 アイリが感嘆している。アイリは自分が思っている以上に、相手から求められているのだ。それは俺も同じなので、『常在戦場』の面々の気持ちは分かる。その事について色々話すも実感が湧かないようで、首をかしげたまま。まぁ、それは形が伴わないものなので、アイリの中で実感が湧きにくいのであろう。その部分は仕方がないところ。


 俺達が話していると、馬車は屯所の馬車溜まりに入っていく。よく考えれば、屯所に来る時はアイリと一緒というスタイルにいつの間にかなっている。屯所に着いた俺達が会議室に入ると、今日の会合に出席する『常在戦場』の面々が既に参集していた。団長のグレックナーをはじめ、事務総長のディーキン、第一警備団長のフレミングの三幹部。


 第二警備団長代理と二番警備隊長を兼ねるルカナンス、第三警備団長と四番警備隊長を兼務するオラトニアという屯所と営舎の責任者。そして事務長のスロベニアルトに調査本部長のトマール。そして参謀のルタードエの合わせて七人。アイリは前回と同じように俺の隣に座った。


 早速、グレックナーからの報告が始まる。前回の会合で話があった営舎で編成中であった十六番警備隊、愛称パンの編成が終了。隊長には四番警備隊副隊長のドメグラス・マルテチーニが任命されたとの事。マルテチーニは騎士志望だった人物で、第五警護隊長リンドと同じように、浪人中だった事から入団した人物。


 またムファスタで編成が行われるという話だった十八番警備隊が現地で編成され、ムファスタ支部に編入されたとのこと。この十八番警備隊には愛称の法則に基づき、土星の衛星ユミルの名が与えられた。また営舎では新たに十九番警備隊の編成が始まっているという事で、急ピッチで部隊の拡張が進んでいる。


「二十番警備隊の編成も取り掛かりたいと思っております」


「この上でか?」


「はい」


 俺が聞くと、グレックナーが簡潔に返事をした。二十番目の警備隊を編成する。結成から一年足らず。その間、急拡大を続ける『常在戦場』。増殖に歯止めがかからないような状況に、本当に大丈夫なのかと危惧を覚えてしまう。それが表情に出てしまったのか、事務総長のディーキンが俺の方を見ながら言ってきた。


「統帥府からの強い要望がありまして・・・・・」


「ドーベルウィン伯からか?」


 俺が聞くと、グレックナーとディーキンが頷く。スピアリット子爵もそうなのだが、ドーベルウィン伯の行動には切迫感が感じられる。フレミングの話によると、近衛騎士団の方も大幅に増員され、以前の倍近い人員となったらしい。ここまで来ると、まるで暴動が起こるのを待ち構えているのではないか、と思ってしまう。


「軍監閣下の危機感は尋常ではございませぬ」


「二度も暴動が起こったのだ。三度目があると考えるのはむしろ当然」


 参謀であるルタードエの言葉に、ルカナンスがそう指摘した。オラトニアがそれに続く。


「過剰なくらいの警戒をしておいた方がいいでしょう」


 確かにオラトニアの言う通りである。現在、王都内の『常在戦場』は三つの警備団に編成済みであり、以前にも増して暴動への対応が行える体制となっていると、フレミングが胸を張った。今後も暴動への警戒態勢を引き続き強めていく事が確認された後、事務長のスロベニアルトが発言を求めてきた。


「おカシラ。実はお願いがございまして・・・・・」


「なんだ、改まって」


 何か言いにくそうなスロベニアルト。隣にいたディーキンも同じような感じである。一体どうしたのだろうか。俺が改めて発言を促すと、意を決したのか、スロベニアルトが話し始める。


「実は、この暴動対応で他の仕事を断っているような有様でして、昨今の物価の値上がりも踏まえ・・・・・」


 遠回しにモゴモゴと言うスロベニアルト。その顔を見て、俺はピンと来た。


「給金か?」


「は、はい! そうです」


 スロベニアルトの声が打って変わって元気になった。フレミングやルカナンス、オラトニアが顔を見合わせているのを見ると、どうやら隊士からは不満の声が上がっているようだ。『常在戦場』は当初、こちらが出す基本給を受け取りながら、各々で請け負った仕事ができるようになっていた。それが隊士達にとって魅力的だった筈。


 ところが相次ぐ暴動の中、その対処を行うために警戒態勢に入っては、仕事ができない。あるいは仕事が請け負えたとしても、以前に比べて少ない仕事量しか請け負えなくなっているのであろう。いくら事情が分かっているとは言っても、隊士達もやはり人間。話が違うと不満を募らせるのは、むしろ当然である。


「スロベニアルトの案はどうなのか?」


「はい。手当として五〇〇〇ラントを上乗せできればと・・・・・」


 五〇〇〇ラントか。日本円で一五万円。悪くはない案だ。しかし現在、小麦価は四五〇〇ラントに達しており、平価の六十倍を越えた。純粋に考えて、物価が六十倍になっているのと同じこと。一〇〇円のジュースが六〇〇〇円になっているのに、給与が三割アップとか言われたって、受け取る側の隊士達にとったら微妙なところだろう。


 かといって、給金を六十倍にする訳にもいかない。現在『常在戦場』は隊士二千人近くおり、補助要員を含めれば二千五百人に達しているのだ。ざっと計算して月に二五億ラントという計算。それでは俺が『金融ギルド』に出資したカネの運用益では、とてもではないが賄いきれない。なので、現状出せる額を提示せざる得ない。


「一〇〇〇〇ラント上乗せして、一五〇〇〇ラントでどうだ」


「お、おカシラ!」

「倍じゃないですか!」

「い、いいんですかい!」


 俺が言うと、皆がざわめき出した。アイリが俺の方を見てくる。皆が驚いているので心配になったのだろう。グレックナーが言ってくる。


「おカシラ。確かに隊士に不満があるのは事実ですが、そんな額は・・・・・」


「今、暴動対処で仕事が請け負えないのだろう」


「それは否定しませんが、それでも・・・・・」


 給金を倍にするという俺の方針に、グレックナーが戸惑っている。おそらくは人員を増やしているのに、その上で従来の倍も出して大丈夫なのかと言いたいのだろう。心配になったのか、ディーキンが心配そうに話す。


「しかし、おカシラ。今の我が団の規模を考えますと、おカシラの負担が・・・・・」


「心配するな。それにこれは小麦が暴騰している期間だけの手当。いつまでも続く訳じゃない」


 その額を出しても、まだ運用益だけで賄える。元本に手を出さなくてもよい。それにこれは一時的な手当の話。


「大丈夫だ。スロベニアルト。すぐにでも手配をしてくれ」


「おカシラ! ありがとうございます」


 スロベニアルトが頭を下げた。恐らくは予想外の回答だったのだろう。スロベニアルトに合わせて皆が頭を下げてくる。隊士らの給金増額が決まったことで、皆が安堵の表情を浮かべているのを見ると、やはり隊士の間でかなりの不満が溜まっていたようだ。そんな中、顔を上げたディーキンが俺の方を向いて話してくる。


「これで裏方の者達も安心するでしょう」


 どうやら不満は、隊士だけには留まっていなかったようである。隊士以外の者も働いているのだから、寧ろ当然の話。喜びの声は調査部門の責任者である調査本部長のトマールからも上がった。


「調査員も喜びます」


 市井の中で動いている手の者達も、給金増の恩恵に与ることができると、トマールが笑みを浮かべる。これまでトマールからもたらされる情報が様々な場面で大いに役立ったのは紛れもない事実。裏方や調査員らにも隊士らと同じ待遇を与えるのは当然の話だろう。


「その調査員からの情報なのですが・・・・・ ダファーライが経営する店は全て閉店しました」


 トマールが暴動のとがで王都より追放されたダファーライの話を始める。確かダファーライが営業する店は『バビル三世』だったよな。名前が大概だっので、ハッキリと覚えている。もし現実世界でこんな名前の店なんかやっていたら、絶対に訴えられるだろうからな。しかし全てということは、他にも店を経営していたのか?


「はい。あと三店舗を経営していました」


 三つ! トマールの挙げた数字を聞いて、嫌な予感しかしかい。


「もしかして・・・・・ それはロプロスとか、ポセイドンとか、ロデムとか言うんじゃないだろうな?」


「流石はおカシラ。よくお分かりで! その店々は「ダファーライの三つのしもべ・・・」とか言われてました」


 やっぱり・・・・・ 嫌な予感は当たるものだ。ここエレノは何処までもネタに生きる世界なのだと、俺は改めて痛感した。

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