482 明日の小麦問題を考える御苑の集い

 『明日の小麦問題を考える御苑の集い』。クリスが国王陛下から借りた御苑で開く予定だった、貴族の慰労会の看板が、いつの間にか掛け変わっていた。一体誰が、こんな妙なネーミングを付けたんだ? 俺の疑問を放置して、以前から決まっていたかのように、クリスがリサに話している。


「ええ。これで『明日の小麦問題を考える御苑の集い』の目処が付きました」


「後は御苑で集いを開くだけね」


 レティの反応を見るに、どうやら皆は知っているようだ。ということは、知らぬは俺だけか。渦中にいながらこの疎外感は一体何なのだろうか? こちらの世界に来て、何度も感じる違和感である。話の中にいる筈なのに、あたかも透明人間であるかのような扱い。いつもそうだが、本当に妙な感覚だ。レティがリサに聞いた。


「ねぇ、集会の準備の方はどうなの?」


 するとリサはロバートにアイコンタクトを送って頷いた。それを受けてロバートがトラニアス中の料理店のシェフを総動員する体制が出来たことや、各種スイーツ店のパティシエを御苑に集める準備が整った事。ノルト=クラウディス公爵家側の窓口、執事長のベスパータルト子爵との最終調整に入っている事などについて詳しく話す。


「その資金はどうなっているの?」


「そちらの方は『金融ギルド』のシアーズさんが、グレンのカネから出しておくからと」


「えっ、勝手に?」


 ロバートから話を聞いたレティが驚いている。そのままこちらを見てきて、俺が聞いているのかと尋ねてきたので、「いいや」と答えると、呆れたように言ってきた。


「貴方ねぇ、自分のお金なのに知らないって・・・・・」


「まぁ、人に頼んだって時点で、責任が伴うからなぁ」


「それはそうだけど・・・・・ でも普通の額じゃなさそうじゃない」


「心配するな。そちらの方は大丈夫だから。預かったカネの範囲でやれるから、シアーズがそう言ったんだ」


 シアーズは優秀な人物だ。ロバートからの話を聞いた時点で、かかる費用について、大まかな計算は出来ている筈。ましてシアーズが敬愛して止まない宰相閣下とノルト=クラウディス公爵家の大事となれば、自腹を切ることも厭わないだろう。もっとも、俺がシアーズに預けている金額が、そんなもので雲散霧消するような、ヤワな額じゃないのだが。


「たとえグレンが潰れても、この御苑の集まりは成功させなければいけません」


 リサがニコニコ顔で恐ろしいことを言っている。それでも姉か、君は。その話に皆が笑っている。唯一人アイリを除いて。今日はアイリを見ないようにしていたのだが、こういう場面となると、どうしてもアイリの方に目が行ってしまう。リサは皆に他の質問がないかと確認を行い、会合の手仕舞いの準備を始める。


「では、本日の会合はこれで終わりですね」


 このまま散会してしまう。そうすると、次にアイリと会う機会がいつになるのか分からない。しかし、俺から声を上げることができなかった。声を掛けたいのに、踏ん切りがつかない。いざとなるとヘタレになってしまうという、自分の根性の無さが泣けてくる。俺はこの機を逃すのか。そのとき、レティが俺に向かって言ってきた。


「グレン。何か言いたいことがあるんじゃないの?」


「いや、その、あの・・・・・」


「アイリスの事に決まってるでしょ!」


 レティが俺を叱責する。俺の方はといえば、突然のことで身じろぎ一つできない。アイリの方に目をやると、黙って座ったまま、目を伏している。


「シャキっとしなさいよ、シャキっと!」


「ア、ア、アイリ。ごめん・・・・・」


 ようやく言葉が出た。レティにせっつかれて、ようやく出た言葉がそれ。


「アイリスも言いたいことがあるのでしょ」


「あ、あの・・・・・」


 いきなり振られて、アイリが戸惑っている。


「言っちゃいなさいよ、もう」


 レティに促されていたアイリは、視線を逸しながら言ってきた。

 

「グ、グレン・・・・・ ごめんなさい」


「アイリが謝ることはないよ。俺が悪かった」


 アイリはかぶりを振ると、こちらを見ながら話す。


「私が悪いの。私一人が取り残されたような気持ちになって、グレンに当たってしまったの・・・・・」


「そんなアイリの気持ちを考えないで、一方的に話したのは俺だ。本当にごめん」


「はいはいはいはい。それじゃ、いつまで経っても話が終わらないわよ」


 俺とアイリが謝り合っているのを見て苛立ったのか、レティが両手をパンパン叩いて指摘する。確かにその通りなのだが、アイリにこれ以上言いようがない。それはアイリの方も同じようだ。アイリの顔を見れば、すぐに分かる。


「仲直りしたいの?」


「当たり前だ」

「ええ」


 レティからの問いかけに、俺とアイリは同時に返事をした。えっ、と思いアイリの顔を見ると、アイリの方もえっ、という表情で俺を見ている。どうやら俺とアイリは同じことを考えているようだ。


「でしたら、そのまま仲直りされたら宜しいではありませんか」


 ハンナが俺達に言ってくる。すると、リサがニコニコ顔で指摘した。


「もしかして、会合の間お二人共、仲直りすることばかり考えていらっしゃったのではありませんか」


「今日のグレンは発言もございませんですし」


 クリスの言葉にトーマスとシャロンが頷いている。確かに今日の俺はシアーズに絡んだ話しかしていない。言われてみれば、アイリにどう声を掛けようかとばかり考えていたように思う。


「もういい加減に仲直りしちゃいなさいよ!」


「レティシアさん。お二人はもう仲直りをされておられるのでは? お互いのお顔をご覧になっておられるようですし」


 急かすレティにハンナがそう言ったので、俺もアイリも気恥ずかしくなってしまった。俺はアイリに「ごめんな。そうとしか言えなくて・・・・・」と話すのが精一杯。俺に向けられた視線が多くて、なかなか言葉が出てこない。アイリも「ごめんなさい」という以外の言葉が出てこないようである。そんな中、俺は申し訳ないので、皆に向かって話した。


「アイリとは後でゆっくりと話すよ」


「ええ。私もそうします」


 俺の言葉を受けて、アイリが間髪入れずに宣言したのには驚いた。アイリの言葉で皆が俺とアイリとの話が終わったと見たのか、それぞれが席を離れて会合は散会したのである。ハンナやレティ、ロバートが退出する中、アイリの方はクリスとトーマス、そしてシャロンの後を追うようにして会議室から去っていった。残ったリサがニコニコしながら言う。


「良かったわね、グレン」


 知ってたな、リサ! その言葉に俺は直感した。恐らくはレティから聞いたのだろう。多分ハンナやロバートも、俺とアイリが仲違いをしているのをリサを通じて知っていたと思われる。つまり結局の所、何も知らなかったのは俺だけだったという話。茶番と言えば茶番だが、今回はアイリと仲直りをする糸口が掴めた訳で、感謝しなければならない。


 ――俺とアイリは『常在戦場』の会合に出席する為、二人で馬車に乗っていた。昨日の会合が終わった後、アイリに「『常在戦場』の会合があるので一緒に行かないか?」と誘いの封書をしたため、急ぎ女子寮へ届けたのである。すると今日の朝、アイリから同意の返事がきたのだ。アイリは朝にわざわざ男子寮まで届けてくれたのである。


 アイリとは初めて行った文通。「一緒に行きましょう」という返事を見て、俺は思わずガッツポーズをしてしまった。こんなに嬉しいのは、佳奈へ告白したときにOKをもらって以来。久々に俺の心は晴れたのである。屯所に向かう中、アイリからこの一週間の話を聞くことができた。アイリを何かと気に掛けてくれたのは、クリスだったという。


「クリスティーナが昨日の会合に行こうって。忙しいのに誘ってくれたの」


「そうだったのか・・・・・」


 クリスがアイリを連れてきてくれたのだ。家の事で頭がいっぱいだろうに、俺達の事を考えて動いてくれたのである。行儀見習いとして一緒に来ればいいじゃないと、クリスとシャロンに背中を押してもらったらしい。シャロンも言ってくれたのか。二人には改めて礼を言わなきゃいけないな。俺がそう思っていると、アイリがそれを口にした。


「私、行くのが怖かったけれど、クリスティーナとシャロンが言ってくれたから、グレンとこうして話すことができたの。二人にはお礼を言わなきゃ」


「俺も今、そう思っていたんだよ」


「もう! 遅いわよ」


 そう言うとアイリが笑った。そうそう、これが俺が見たいアイリの顔だ。まぁ間が悪いとか、間がズレているのは俺の特性だからな。これはもうしょうがない。俺は気になっていた事を聞いてみる。


「レティとはどうだったんだ?」


「昨日久しぶりに会ったのよ」


「えっ!」


 なんとアイリはレティと一週間以上、全く話をしていなかった。なのに会合の最後、いきなり俺と仲違いしている話を振ってこられたので、ビックリしたというのである。一方的に言われてしまって、どうしようと思ったらしい。いや、それは俺も思ったよ。


「でもレティシアも、私達の事を思って言ってくれたのよ」


「そうだよなぁ」


 しかしそれにしてもグイグイと押し込んでくるようなやり方だったよな。昨日のレティに言われた事を思い返すと、改めてそう思う。俺達はクリスやレティ、広く言ったらシャロンやトーマス、リサやロバート。果てはハンナにまで助けてもらって、ようやく仲直りをしたようなもの。脅迫的に迫られないと、仲直りができないのが俺達の悪いところだ。


「本当にどうなるかと思った」


「そうだよ。どうしよう、どうしようって、そればかり考えていて」


「あっ! 私と同じだ」


「そうなんだ!」


 アイリと同じことを思っていた。なんだかそれが嬉しい。車上、アイリと色々話していくうちに、わだかまりみたいなものはキレイに消え去っていく。俺達は一体、何に拘って仲違いしてしまったのか。それさえ分からなくなっていた。いや、正確にはアイリを一人取り残してしまった俺が原因なのだが、そんな事は最早どうでもよくなっていたのである。

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