第三十六章 奔流
470 詠唱の杖
ブラッドのキャラクターアイテム『詠唱の杖』。ブラッドはそのアイテムを持っていなかった。いや正確には「今」持っていないだけで、過去に見つけたのだが、なんとコルレッツに渡してしまったというのである。しかもその後、コルレッツが退学してしまったので、『詠唱の杖』が何処にあるのか分からないとの事。なんてこった、というお話である。
「あの時、なんで言わなかったんだよ!」
「そこまで言う義理はないじゃないか!」
・・・・・確かにそうだ。ブラッドの言葉は納得できる。ブラッドに事情を話す義務がないのだから当然の話。だがコルレッツに『詠唱の杖』を渡してしまうなんて、本当に斜め上の展開である。大体でそんな事、予測しろという方が無理な話。しかしブラッドは、何でそんな大事なものを安易に渡してしまったのか。
「いや・・・・・ 見つけたのがジャンヌだったからさ」
・・・・・そうか。コルレッツはゲーム知識を使って、キャラクターアイテムを見つけ、それを我が手にしたのだな。だが、それならばリンゼイはどうなる? リンゼイはキャラクターアイテムの『グラディウス』を握りしめ、『園院対抗戦』に出場していた。つまりリンゼイの方は、キャラクターアイテムをコルレッツに取られなかった事になる。
一体その差は何なのか? 俺にはサッパリ分からない。ただ確実なのは、今ブラッドが『詠唱の杖』を持っていないということ。こちらの方はコルレッツに確認するしかないだろう。ブラッドが「話が終わったんだから、もういいだろう」と立ち去ろうとしたので、俺は慌てて引き止めた。
「もう一つ聞きたいんだが」
「なんだよ、一体!」
鬱陶しそうに答えるブラッド。そのブラッドを引き止めても聞きたい話があった。以前から気になっていた一件、ゲームではいつも居た筈の図書館に、どうしていないのかという話。ブラッドがいない事から、俺とアイリが親密になっていった訳で、この辺りの事は一度聞いてみる必要があった。するとブラッドは思わぬことを話し始める。
「それは・・・・・ リッチェル子爵夫人がトメロ教官を紹介してくれたからだよ」
「トメロ?」
誰だそれは? というより、何でレティがブラッドに教官なんか紹介してるんだ? ブラッドの話の中でレティが出てきた事に困惑した。レティは何処でも首を突っ込むところがあるが、まさかブラッドに教官を斡旋していたなんて驚きを禁じえない。しかしだったら、俺とブラッド達との決闘の際に一言ぐらい言えよと思う。
「魔道士上がりの教官だよ。トメロ教官の部屋で勉強させてもらったのだよ。図書館で一人調べるより、ずっと効率的だからな」
それは分かる。俺だって図書館で一人調べるより、ケルメス大聖堂で長老格のニベルーテル枢機卿の話を聞いたほうが、ずっと進捗が早かったからな。だがそこで、何でレティが出てくるんだよ! どうしてなのかと、俺の頭はその事でいっぱいだ。レティがそんな事をいつ教えたのか? 思わずブラッドに事情を尋ねた。
「入学してすぐだったよ。いきなり言われて驚いたが、トメロ教官と知り合えて良かったよ」
入学早々だと? 俺と会うより前の話なのか。俺がレティと初めて会ったのは、学園入学から一週間ぐらい経ってからの話。その時にはもうブラッドの姿は無かった。つまりそれより前にブラッドは図書館でレティと出会い、トメロという教官を紹介してもらった事になる。レティは一体何を考えてそんな事をしたのか? 俺にはさっぱり分からない。
「もう、いいだろ」
ブラッドはそう言うと、足早に去っていく。しかし俺はレティの事ばかり考えていて、ブラッドを引き止めるどころの話ではなかった。それに引き止めたところで、これ以上の話を聞き出すなんて出来ないだろう。しかしどうやってレティに確認するべきか。ブラッドのキャラクターアイテムである『詠唱の杖』の話から、予期せぬ話になってしまった。
――レティはブラッドに、どうしてトメロという教官を紹介したのだろうか。それも入学早々に。レティはいつトメロという教官を知ったのだろうか。この話を丸一日考えたものの、全く答えは出なかった。確かにレティは世話焼きなところがある。特に弟ミカエルに対しては、もう母親かというぐらいの溺愛ぶりだ。
しかしレティの世話焼きは知り合いとなったものに対してであり、ブラッドのように初対面でいきなり世話をするなんてのは、考えられない話である。しかしブラッドが嘘を言っているようには思えないので、レティが教官を紹介したのは紛れもない事実だろう。考えれば考えるほど、謎は深まる。どうやってレティに確認すればいいのだろうか?
そんなことと考えていると、魔装具が反応した。誰かと思ったらグレックナーから。魔装具は反応があると、スマホのように相手先が表示されるのである。一体何があったのかと思って出ると、声の主はグレックナーの妻室ハンナ。どうしてハンナ? と考えていると、いつもははんなりした受け答えをするハンナが、慌てた感じで俺に言ってきたのだ。
「た、大変ですわ!」
「どうしたんですか、ハンナさん」
「どうしたも、こうしたも、ありませんわ! アウストラリス公が貴族会議の招集を宣言しましたの!」
「えっ!」
いきなりの展開に、俺は固まってしまった。背中が異様に寒い。一瞬で零下に達したような感じである。
「派閥パーティーの席で、アウストラリス公が貴族会議を招集すると宣言しましたのよ。アウストラリス派内は蜂の巣をつついたような騒ぎですわ!」
ハンナが俺の意識を引っ張り戻そうといった感じで叫ぶ。貴族会議・・・・・ 百五十年前に開かれて以来、一度も開かれていないという貴族会議。その貴族会議をアウストラリス公は招集をしようというのか。
「確か、貴族会議の開催には、貴族の三分の一の賛成が必要だよな」
「ええ。直臣陪臣の区別なく、全貴族の三分の一の賛成が要りますの」
「アウストラリス公は、その目処が立ったというのだろうか?」
「いえ。宣言しただけだと思いますわ!」
ハンナは断言した。目処が立っているのであれば、三分の一の貴族達からの開催要望書を持って、既に内大臣府に提出している筈だというのである。それならば多くの貴族が貴族会議の招集運動があることを知っている筈。ところがそういった話が全く聞こえない事から、アウストラリス公が動くのはこれからなのだろうというのが、ハンナの読み。
「だったら、これからの流れはどうなる?」
「まず、アウストラリス公をはじめとする有志が、内大臣府に貴族会議の招集を建議します。それから三十日以内に三分の一以上の貴族から、貴族会議招集の賛同を得られれば貴族会議は開催される事になりますわ」
「じゃあ三十日以内に三分の一以上の賛同を得られなかった場合には?」
「その場合でしたら、貴族会議の招集建議そのものが流れてしまいますわね」
つまりは三分の一を巡っての攻防ということになるな。貴族会議の招集に賛成する貴族が三分の一以上集まったら、アウストラリス公の勝ち。集まらなければ負けということ。負けた場合は単なる負けでは済まないだろう。アウストラリス派の副領袖といわれるアンドリュース侯のあの態度を見れば、派閥がガタガタになるのは目に見えている。
「ハンナから見て、この戦いの趨勢。どう映っているんだ?」
「・・・・・なんとも言えませんわ。まだ空気感が出ていませんから」
なるほど。貴族達はその場の空気を読んで判断していくということか。だったら宣言した以上、何としても貴族会議を招集しなければならないアウストラリス公は、小麦の件を煽りに煽ってくるだろうな。対する宰相は実績をアピールしながら、守りを固めて忍耐をするといった感じだろう。しかし情緒に流されかねないこの情勢。実に危うい。
「勝負はアウストラリス公が内大臣府に届け出てからということか」
「そうなりますわね。同志を募って出されるのか、それとも・・・・・」
「それとも?」
「一人で出されるか」
そんな事があるのかとハンナに聞くと、同志を募った方法では初めの数こそ集まるが、派閥の色合いが強く出過ぎて人が集まってきにくい面があるらしい。なるほどな。あれだ、現実世界で知事や市長を選ぶとき、無所属で立候補するあれだ。どこどこ党やなになに党だった人間が、知事選や市長選に出ると無所属になっているあれと同じか。
エレノ世界であろうと、現実世界であろうと、その手の世界の住民が考えることなど決まっているということだな。また動きがあったら連絡を取ることをヘレナと確認して、魔装具を切った。しかしアウストラリス公が、何の前触れもなく貴族会議を招集するという手に出てくるとは思ってもみなかった。伏線を張らない突飛な行動に戸惑う。
しかし宰相の座を狙っていると言われるアウストラリス公が、この貴族会議の開催を実現できたならば、ノルト=クラウディス公の宰相解任が現実味を帯びてくる。三分の一の貴族からの支持を得た事を背景として、貴族会議の席で国王に解任を迫る事ができるからだ。現に乙女ゲーム『エレノオーレ!』において、宰相は最終的に失脚している。
しかしゲームでは確か、暴動を食い止められず多数の犠牲者が出た事を指弾されてだった筈。宰相支持派と貴族派がいずれも過半数を握っていない中、中間派をボルトン伯が纏め、貴族派の側に付いた事で宰相の失脚が決まったという話である。しかし現段階において、ラトアン広場とトラニアス祭という、二度に亘る暴動は退けられた。
ならばアウストラリス公が貴族会議を招集する名分は一体何なのだろうか? これから起こる暴動を予見して、事前に招集するとかそういったものなのか? 突飛過ぎる発想だが、ここは『世の
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