425 断罪イベント
学年末に行われるイベント『学園親睦会』。サルンアフィア学園の在校生が正装で一堂に会する会場の真ん中で、 モーリス・アンソニー・ジェームズ・ウェストウィックとカテリーナ・イザベル・アレクサンドラ・アンドリュースという婚約者同士が激しく言い争っていた。
「カテリーナ! その方が行っておるエレーヌへの狼藉、見るに堪えぬ!」
「モーリス様! 私はそのように申される事など、全く心当たりがございません!」
(あああああああああ!!!!!)
こ、これは・・・・・ エレーヌ。エレーヌ・マルクリッド・ポーランジェがモーリスに抱き寄せられ、突き飛ばされたカテリーナが抗議するその構図。これはモーリスが正嫡殿下、カテリーナがクリス、そしてエレーヌがアイリかレティ。演じている者が違うだけで、風景や
(『断罪イベント』!)
王子がヒロインを抱き寄せて、婚約者である悪役令嬢を断罪するイベント。それがまさに今、登場人物を変えて目の前で展開されている。正嫡殿下の従兄弟であるウェストウィック公モーリスと、もう一人の悪役令嬢アンドリュース候カテリーナ。そして何処から来たのかポーランジェ男爵の息女エレーヌに置き換わって。恐るべし『世の
「カテリーナよ。余はこれまでそちの行いし悪行、婚約者であるからと目を瞑って見ておったが、最早我慢成らぬ!」
モーリスはカテリーナを激しく
一方で、一つ一つ冷静に反論するカテリーナには感心した。こんな「筆箱隠した」みたいな、小学生でも言わぬ戯言を『学園親睦会』みたいな場で言ってしまう男に向かって、しっかりと誤りを指摘するカテリーナ。その堂々たる姿を見るに、どうしてモーリスみたいなヤツと婚約させられてしまったのかと、不憫に見えてくる。
「ええい、黙れ黙れ! その方の戯言、聞くに値せぬわ!」
「いえ、婚約者である以上、お聞きいただけなければ困りまする」
「そちがエレーヌに対して、良からぬ思いを抱いている事なぞ、余は全てお見通しぞ!」
エレーヌ。ポーランジェ男爵息女の肩を抱き寄せていたモーリスは、力を入れてエレーヌをより抱き寄せた。しかしカテリーナは身じろぎ一つしない。
「私めは違うクラスにおられる方の動きなぞ存じませんし、興味もございませぬ」
違うクラスの方。ポーランジェの事を指しているのだろうが、傍目から見てカテリーナがこのポーランジェの事を歯牙にもかけていないのはよく分かる。この部分、乙女ゲーム『エレノオーレ!』で、ヒロインに向かって激しく絡んだクリスの姿とは全く違う。いくら『世の理』とは言っても、役者が違えば、性格や振る舞いが異なるということ。
「余は最早、その方の悪辣百般の振る舞い、我慢成らぬのじゃ!」
「モーリス様! 何を仰っておられるのですか!」
(いかん・・・・・)
この後に来る台詞はハッキリと憶えている。「私、アルフレッド・ヴィクター・トルーフェ・アルービオ=ノルデンは今ここで、クリスティーナ・メルシーヌ・ノルト=クラウディスとの婚約を破棄する事を宣言する!」だ。クリスの名にセイラはなかった。モーリスはこれからカテリーナに対して、婚約破棄を宣告するはず。
(しかしどうすればいい)
モーリスとカテリーナが婚約したのは『世の理』の定めによるもの。ということは、婚約破棄も『世の理』の定め。だが、何度か見た感じでは、カテリーナはモーリスから糾弾される事など全く行っていないように思われる。その振る舞いに、性悪さが全く感じられないからだ。よく考えればゲーム上のクリスもそこまで悪かったかは疑問だ。
というのも、ヒロインが殿下との親密度を上げる為に楽しげに会話しているところを「婚約者がいるのに、どうしてそのような事を?」と言いに来たり、『実技対抗戦』でヒロインのユニットと対戦したり、『学園舞踊会』で「婚約者と踊るのは当たり前」と殿下とヒロインを注意したりと、特段悪い事をしている訳ではない。
ただヒロイン視点からは対象者との間を引き裂き、その攻略を「邪魔」している者には見える、といった感じだ。プレーヤーが操作するのはヒロインなのだから邪魔者なのは当然だし、相手が婚約者の立場として注意をしても、それは「言いがかり」にしか聞こえない。ゲームにおいて悪役令嬢は当て馬でしかないのだ。
だが、ここはリアルエレノ。そんなゲーム的な収まりで終わる世界じゃない。カテリーナにはカテリーナの信じるところがあるのであり、それはこのエレノ世界の倫理観に沿うもの。だからカテリーナが悪いとは全く思わない。敢えて言うなら、悪いのはモーリスと横にいるポーランジェ男爵息女エレーヌの方である。
もし今、カテリーナの位置にクリスがいるのなら、俺はすぐに飛び出してクリスをここから連れ出しているだろう。逃げるところがないのであれば、外国、北のサルジニア公国や西のラスカルト王国、あるいは南のディルスデニア王国でも連れて逃げればいい。ディルスデニアのイッシューサムならば、話し合うことも出来るだろう。
しかし、本来ならばクリスが立つポジションに今いるのは、アンドリュース侯爵令嬢カテリーナ。クリスじゃない。カテリーナに悪い印象は全くないのだが、クリスと比べれば関わりが本当に薄い。言い方を変えれば、動く義理がないのだ。しかしこのまま断罪されるのを知っていながら、傍観者として黙って見ているだけでいいのか・・・・・
「待って!」
前を踏み出そうとしたら、俺の左腕をアイリが持った。身体を俺に寄せ、両手で左腕を持って、俺が進み出るのを阻止したのである。振り向くと、アイリが首を横に振った。行くなと言いたいのか、アイリ。しかし、これから起こることを知っていながら、目の前のカテリーナを放置してもいいのか。確かに婚約破棄イベントは必然。しかし・・・・・・
「私、モーリス・アンソニー・ジェームズ・ウェストウィックは今ここで、カテリーナ・イザベル・アレクサンドラ・アンドリュースとの婚約を破棄する事を宣言する!」
(あああああ!!!!!)
遂に、遂にモーリスは宣言した。この『学園親睦会』の場で、乙女ゲーム『エレノオーレ!』における断罪イベントでの正着殿下と同じ台詞を、名前のみ入れ替えて正確に発したのだ。『世の理』はやはり働いた。俺はモブ外であるにも関わらず、ゲーム上のイベントを貴族学園の中で平民服を一人着る、場違いなモブとして目撃したのである。
「ちょっと待ったぁ!」
そのとき、よく耳にするアルトの声が会場に響き渡った。その声に静かだった会場がどよめく。その声の主、ペパーミントグリーンのドレスを着た長身の女子生徒は、モーリスという公爵家の嫡嗣の前へ堂々と進み出た。
「家と家との取り決めをそんな勝手に宣言しないでくれる?」
「なにぃ!」
「嫡嗣に婚約を破棄する権限なんてありませんから!」
レティは胸を張って主張した。あのドレスは以前、レティにねだられて買ったものじゃないか! 仁王立ちして言い放つレティに対し、モーリスが怯んでいる。モーリスが抱き寄せているエレーヌの方も呆気に取られていた。レティはエメラルドの瞳を鋭くして指弾する。
「大体、婚約者の諌め一つを聞くことも出来なんて・・・・・ なんて偏狭なの!」
「き、貴様ぁ・・・・・ いきなり出てきて無礼ではないか!」
「無礼? 無礼というなら、先ずは貴方が無礼を働いた侯爵令嬢に謝りなさいよ!」
モーリスに対して傲然と言い放つレティ。おい、レティ大丈夫か? モーリスはウェストウィック公爵家の嫡嗣で、正着殿下の従兄弟。相手の家柄は高い。だからアイリは、一瞬出ようとした俺を引き止めた訳で。するとモーリスがレティを睨みつけた。
「なにぉ! 我は公爵家の嫡嗣ぞ!」
「私は子爵家の夫人よ!」
なんだそれは! レティ、夫人は息女令嬢に比べて格段に地位は高いが、相手はノルデン王国で五つしかない公爵家だぞ。
「うむむむ、子爵家が公爵家に楯突くとは・・・・・ その方、先ずは家柄を考えてからモノを言え!」
「でしたら公爵家が相手とあらば、問題はないのですね、モーリス様」
すると今度は亜麻色の髪を持つ女子生徒が、モーリスに声をかけた。クリスだ! ダリアパープルのドレスを着たクリスは静かに言った。
「リッチェル子爵夫人の御言葉、私も同感でございます。モーリス様、私も公爵家の人間。よもや楯突いたとは申されますまいな」
いつもより一段低いトーンで話すクリスの言葉には、有無を言わせぬ力がある。身じろぐモーリスにクリスは続ける。
「我がノルデン王国では単婚制を国是とし、我々貴族は民に対してその範を求められる身。ですのでアンドリュース侯爵令嬢の御言葉、閣下と婚約なされている身としては当然の事ではありませんか。それは婚約破棄の理由にすらなりませんわ!」
「うぬぬ・・・・・」
モーリスはうめき声を上げた。流石に宰相家ノルト=クラウディス公爵家の令嬢には、レティのようなもの言いは出来ないようだ。しかもクリスの言っている事が正論なのは、誰が聞いても明らか。モーリスは歯噛みするしかないらしい。クリスが地べたにしゃがみ込んだカテリーナに駆け寄るタイミングで、レティが啖呵を切った。
「何度も言わさないでくれる! 婚約は家と家との取り決め。ですからこの場で破棄を宣言したのは貴方の独断。家とは無関係よ!」
「その方の物言い、失礼ではないか!」
クリスにはモノが言えずとも、レティには言えるらしい。モーリスの横にいたポーランジェ男爵息女エレーヌも加勢する。
「そうよ。いくら子爵夫人であっても、度が過ぎますわ!」
「貴方は黙っててくれる。「いつかは子爵」なんてやってんじゃないわよ!」
レティが放ったアルトの声が会場に響き渡ると、生徒達から一斉に笑い声が起こった。
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