380 暴動発生

「暴動が発生しました」


 魔装具越しに暴動発生の報を俺に伝える『常在戦場』事務総長のディーキン。かつてない程に狼狽うろたえた感じのディーキンと同じ、あるいはそれ以上に狼狽えている俺がいる。ディーキンからの一報に「暴動」を「某動画」と、一瞬勘違いしたぐらいなのだから、狼狽えているのが自分でも実感できた。


 妙な話なのだが、狼狽えている自分を冷静に見ている俺がいる。しかもこの俺、冷静なだけで全く役に立たない。「なんで今、暴動なんだ!」「いくら何でも起こるのが早すぎる!」と同じ文言を脳内で叫びまわっているのに、冷静な俺の方は、身動き一つ取れないのだから。「なんでなんでなんで」という言葉が、俺の頭の中をグルグルと回る。


「群衆は口々に「小麦をよこせ!」と叫んで暴れているようです」


 原因はやはりそれか。王都の小麦価はジリ上げして、今現在二〇〇〇ラントを越えているからな。平価の三十倍に達している訳で、民衆の不満がいつ爆発してもおかしくない状況であったのは事実。


「それで?」


「状況は分かりません。警備団からの孫請け情報ですので」


 なるほど。ディーキンが言うには、暴れる群衆によって被害を受けた商店主が警備団のいるゴーガイド兵営地に駆け込んできたらしい。その情報を警備団長のフレミングから聞いたグレックナーからの話なので、これ以上の事は分からないというのである。確かにそれでは話をしようがない。代わりにディーキンが知っている情報を教えてくれた。


「現在、警備団が急行しています。第四近衛騎士団も向かっているとの事!」


 ゴーガイド兵営地に配備されている警備団が暴動の現場に向かっているらしい。フレミング指揮下の警備団は三つの警備隊をごうした『常在戦場』最大の部隊。『オリハルコンの盾』も配備済みだ。ドーベルウィン伯の実弟レアクレーナ卿率いる第四近衛騎士団も向かっているとのことで、二つの部隊が合すれば約三百人が展開する事になる。


 しかし間が悪い。第二、第三近衛騎士団は、先日終わった三者協議に訪れたディルスデニア、ラスカルト両王国の使節に随行して警備を行っている為に不在。普段営舎にいる三番、四番警備隊は両王国の使節が通る幹線にある駅舎を警備しており、任務が終わって帰投中。これら部隊が動けばもっと人員を動かせるというのに。


「屯所からは団長と共に二番警備隊と第三、第五警護隊が向かっています」


 グレックナーも屯所から向かったとの事で、こちらは百五十人程度の規模。合わせて四百五十人。中央大路で発生した暴動とやらがどれほどの規模かは不明だが、いずれも盾術使いのファリオさんの指導を受けている者達。そこそこの規模の暴動対応はできるはず。


「トマールが調査本部の者へ屯所に集まるように指示を出しております。団長が第六警護隊と共に至急、暴動の背後関係を調べろと」


 グレックナーは、誰かの差し金で暴動が発生したのではないかと疑っているのだな。十分にあり得ることだ。その為にトラニアス市街に諜報網を構築しているトマールと、貴族社会に明るい第六警護隊長のルタードエを屯所に集めた。迅速にして適切な処置、さすがはグレックナー。民衆の背後に貴族がいるのではないかと危惧しているのだろう。


「ではおカシラ。次の報が入り次第連絡します」


「分かった」


 俺が返事をすると、魔装具が切れた。暴動の現場なり屯所に入るなり、何がしかの行動に出たい衝動に駆られたが、俺が入っても逆に足手纏いとなるだろう。そう思って屋敷に残る判断をした。よくよく考えれば俺がトップなんだよなぁ。社畜が染み付いているからか、全く自覚がなかった。トップというもの、情報は集まるが振る舞いが面倒だ。


 これならトップよりも社畜の方がずっとマシだよな、これ。割り切ればいいだけの話だからな。割り切れば後は自由だし。対して俺の今置かれた状況は、状況が分からぬ現場に、離れた事務所。そこからの連絡を受けて物事を考えなきゃいけない訳で、これをどう判断しろというのかと。結局の所、ただひたすら待つしかない。


 ザルツやリサに連絡を取りたいが、これも躊躇ためらわれる。というのも、二人が暴動を知っていても話せないことが多いし、暴動の事を知らなくても話せないことが多いからである。暴動が起こっている場所や、人員配置はシークレット情報なのだから、話すことができない。実に面倒くさいではないか。だから俺は連絡を取らなかった。


 第二報が入ってきたのは、一報から一時間後。暴動の場所や、規模であった。場所は中央大路とマーサル庭園に向かうマーサル通りが交差する広場。通称ラトアン広場と呼ばれているところだ。どうして通称なのかというと、正式に定められた訳ではないからである。昔、ここにラトアンという人物が半世紀以上、毎日露店を開いていた事に由来する名称。


 集まった群衆の規模はおよそ八百と見積もられ、その一部が声を上げてシュプレヒコールを続けているようである。現在、現場に居合わせたドーベルウィン伯が近衛騎士団とフレミング警備団を指揮して、民衆を半包囲しているらしい。グレックナー率いる屯所部隊もドーベルウィン伯と息を合わせて、その半包囲網の一翼を担っているとのこと。


「どうしてドーベルウィン伯なんだ?」


「分かりません。アスティンからの連絡です」


「ダダーンか・・・・・」


 グレックナーは一時的に第三警護隊長のアスティン、つまりダダーンに魔装具を渡しているようだ。そしてディーキンはダダーンから状況を伝えられた、そんな感じだろう。群衆八百でドーベルウィン伯が指揮しているならば十分に鎮圧できるはず。後は怪我人等がどれほど出るだけだな。そう考えると俺の気も楽になった。


「おカシラ、無事鎮圧しました!」


 ディーキンからの第三報が届いたのは、二報の四十分後。大盾軍団に半包囲された群衆に向かって、ドーベルウィン伯が『音量増幅ボリュームブースター』を介して、その場から解散するように呼びかけた。当初、興奮気味だった群衆もドーベルウィン伯の説得を受け入れ、自発的に解散し散り散りとなったと。どうやら事なきを得たようである。


「怪我人等は?」


「報告はありません」


 まだ確定ではないが、怪我人もなさそうだ。ディーキンが「どうして怪我人の事を?」と聞いてきたので、俺は言った。


「怪我人が出ると、またたく間に噂になるぞ。そうなったら、噂が噂を呼んで次々と人が集まってくる」


「集まった者が、次々と暴れる群衆の中に入っていくと・・・・・」


「そういうことだ」


 俺の言ったことをディーキンはすぐに理解した。そもそも暴動というものを体験した事がないエレノ世界の住人が、群集心理を理解するのは容易なことではない。ディーキンがそれを理解できたのは、情報屋の経験によるものだろう。情報屋とはある面、人の心理を読む仕事だからである。


 情報を取り扱う仕事は本質的にセンシティブなものであり、その仕事を値踏みするところから情報を取るところまで、全て人の心理が影響してくる。情報という観念そのものが人が作りしものな訳で、人の心理が深く介在するのは当然の話。群集心理というのもまた人の心理な訳で、応用する方法を指摘すれば理解できるというもの。


 今回の件で大切な事は、騒ぎを大きくせずに野次馬を集めず、集まった人々を戸惑わせて解散させる事だった。ドーベルウィン伯はそれをしっかりと理解している人物だったので、集まった群衆を適切に扱い、無事に解散させることができたのである。


「ともあれ、無事に収めることができて良かった」


「はい」


「皆に礼を言っておいてくれ。落ち着いたら直接会おう」


 俺に今、顔を出されても、皆が応対に追われるだけ。俺は『常在戦場』の実質的なトップであり、オーナーであっても『常在戦場』での役職はない。会社で言うなら創業者にして大株主だが、会社での役職はないといったところか。この微妙な立場を考えれば、第一線で督戦という訳には行かないだろう。俺は今後の自分の動きをディーキンに委ねた。


 ――中央大路のラトアン広場で暴動が発生したにも関わらず、学園は平常通り授業が行われていた。生徒達の口からも暴動の話は全く出てこない。これは生徒達からだけではなく、ザルツやリサからも暴動の話が話題に上る事はなかった。昨日、個室で一緒に夕食を囲んだにも関わらず、暴動の話にならなかったので知らないのは間違いないだろう。


 しかしこのエレノ世界、情報の伝搬が遅い。まぁ考えてもみれば小麦の高騰もレジドルナから始まって、王都で本格的に高騰するのに二ヶ月近くかかっている。そうした事実を見れば、こんなスピードなのかもしれない。昨日のザルツはジェドラ、ファーナスとの意見交換。リサの方は『常在戦場』調査本部長のトマールと共に、第三民明社に訪れていた。


 リサが言うには、第三民明社と王都通信社との間で共通企画を行うための打ち合わせをしていたらしい。第三民明社側からは『小箱の放置ホイポイカプセル』の編集長フロイツと『常在戦場』から出向しているマッテナーが、リサとトマールに応対したとのこと。フロイツは雑誌の編集が楽しくて仕方がない、と上機嫌だったという。


 今日のリサは三者協議を受けての対応の為、ザルツに同行して宰相府へ赴く予定とのことで、小麦対策も新たな次元に突入しそうな空気である。今日の協議でどのような対策になるのかは、タッチしていないので分からないが、昨日のような暴動を抑止する役割を果たすことはできるだろう。しかしその一方、気になることがある。


 クリスが登校していないのだ。クリスだけではない、二人の従者トーマスもシャロンもである。確かトーマスは学園に今日から戻ると言っていた。クリスがレセプションに出ていたであろう三者協議も既に終わっているので、クリスの役割も終わっているはず。なのにどうして学園に戻っていないのか。結局この日、クリス達が顔を出すことはなかった。

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