342 リシャール・ファーナス

 ファーナス商会の当主アッシュド・ファーナスの長男リシャール・ファーナス。俺と一つ違いのリシャールは、俺が『常在戦場』の屯所に行くことを知ると、自分も同行したいと求めてきた。


「改めてお礼が言いたくて」


 臣従儀礼当日に礼を言ったきりなので、挨拶をしたいと言うのである。なるほど、だったら連れて行ってやろう。俺が分かったと言うと、リシャールは喜んでいる。父親である若旦那の方は恐縮しきりといった感じで平身低頭だったが、俺とファーナスはそんな関係じゃない。息子さんを連れ出すぞと言うと、リシャールを連れて屯所に向かったのである。


 リシャールと連れ立って『常在戦場』の屯所に赴くと、事務長のスロベニアルトが出迎えてくれた。リシャールがスロベニアルトに頭を下げると「よく来てくれたねぇ」と返してくれたので、リシャールは「ありがとうございます」と嬉しそうにまた頭を下げる。今日の屯所は人が少ないなぁ、と聞くと二番警備隊が学園に向かったからだという。


 学園までの行軍と学園の鍛錬場で第四警護隊との訓練を行っているとのことで、おそらくは第四警護隊長のファリオさんの指導を受けての実戦盾術の訓練だろう。説明してくれたスロベニアルトに俺は『小箱の放置ホイポイカプセル』の件について、今少し我慢をしてくれと頼んだ。すると意外なことにスロベニアルトが笑い始めた。


「リサ殿が屯所に来られて同じことを言われましたよ」


 朝、屯所に来たリサはスロベニアルトと二番警備隊長のルカナンスに同じことを言ったというのだ。実は二人共あの記事、モデスト・コースライスの反論を見て怒り狂ったという。ルカナンスに至っては、警備隊を率いて締め上げるぐらいの勢いであったらしい。が、リサが「世の中に私達の正義を示すのです」と言われて我慢する事にしたと。


「ペンにはペン。言論には言論で対峙するのです。そう言われました」


「そうだ。あんなヤツの為に手を汚す必要はない。リサがしっかりカタを付けてくれる」


 スロベニアルトが頷くと、応接室のドアが開く。団長のグレックナーが入ってきたのだ。リシャールが慌てて立ち上がり「先日はありがとうございました」と頭を下げるので、スキンヘッドの男はつぶらな瞳を細めて「お役に立てて良かったよ」と返してくれた。俺がリシャールに座るように促していると、グレックナーが言ってくる。


「おカシラ! 連絡をありがとうございます」


「どうだ。算段がつきそうか?」


「ええ。これでまずは一隊を派遣できます」


 俺が『グランデ・ラ・ムファスタ』を駐在所として確保した事によって、ムファスタの方に警備隊を動かすことができる目処が立ったとの事である。既にムファスタ支部のジワードから受け入れ準備はできている旨の連絡も入ったらしい。兵は神速を尊ぶというが、実に動きが速い。『グランデ・ラ・ムファスタ』を確保した甲斐があった。


 グレックナーによれば、新たに六番、七番、十一番警備隊が編成済みであり、近々十二番警備隊の編成が行われるとのことである。八、九、十は? と聞くと、それぞれムファスタ、モンセル、セシメルの各支部で編成を行う予定の警備隊に割り当てる予定の数字であるそうだ。何れにせよ臣従儀礼の時から倍以上の規模になるということ。


「まずは六番警備隊を派遣します。そして編成が終わり、ムファスタ支部の受け入れられる状況となり次第、十二番警備隊を派遣する予定です」


 六番、十二番警備隊にはムファスタ出身者やムファスタ行き希望者が集められており、ムファスタ側で編成される予定の第八警備隊と合わせ、ムファスタ支部は都合三個警備隊を基幹として、二百八十人体制となるとの事である。つまり人員だけなら、近衛騎士団並の集団がムファスタに現れることになるという訳だ。


 六番警備隊長には一番警備隊副隊長だったアンルツオ・セッタが任じられ、近々編成される十二番警備隊長には三番警備隊の分隊長サムシュリダ・メナールが就く予定。セッタは創業メンバーでジワードと友人であり、ムファスタ行きを志願した人物。対してメナールは冒険者ギルドの登録者から入団したムファスタ出身者。


 いずれもムファスタ支部の支部長であるジワードを念頭に置いた人事であるとのこと。また、三つの警備隊を実質的に束ねるのは六番警備隊のセッタであるとの説明を受ける。またダダーンことアスティンや、リンド、ファリオ、ルタードエらが隊長である各警護隊も人員を増やし、定員を二十名程度とするという話も聞いた。


「随分と大きくなったものだなぁ」


「やってるこちらが驚いてるぐらいですよ」


 俺がそう言うと、グレックナーが苦笑しながら頭をかく。だから『翻訳蒟蒻こんにゃく』で妙な事を書かれるのも無理はないと。


「すまんな」


「いやいや。おカシラの方が大迷惑でしょうに。本当は私が『週刊トラニアス』で答えればいいのですが・・・・・」


「リサか?」


「ええ。貴方は最後ですと言われまして」


 なるほど。リサは敢えて『常在戦場』の団長であるグレックナーを出していないのだな。まぁ、メガネブタの件はリサに任せてある。俺は手間だがリサに協力してやってくれと頼むと、グレックナーもスロベニアルトも快く返事をしてくれた。話を終えた俺は、リシャールを連れて屯所を後にしたのである。


 ――『常在戦場』の団長グレックナーの妻室ハンナからの封書。昨日、若旦那ファーナスの息子リシャールと屯所に訪れた際、グレックナーが渡してくれたもので、実はハンナにグレックナーを介して調査を頼んでおいたのである。調査と言っても、それほど大掛かりなものではない。アウストラリス公の動向についてだ。


 アウストラリス公が年末年始どこにいたのか。王都の屋敷にいると考えていたのは貴族の慣例を見てのことで、実際に確認したわけではない。そこでハンナに実際の動きを調べてもらったのである。すると年末、王都の屋敷で開いたパーティーを主催し、年明けには新年の挨拶の為に宮中に参代。王都の屋敷で派閥内の貴族を集めたパーティーを開いていたという。


(アウストラリス公は王都にいたか)


 アウストラリス公は年末年始、所領にはいなかった。やはり見立て通りだったようである。そしてアウストラリス公がいる王都の小麦相場も上がっていない。つまりはアウストラリス公の知らぬところでレジドルナを舞台とした小麦の買い上がりが行われた。そう考えるのが自然であろう。何故ならアウストラリス公が、己の意図を隠せるほど賢い人物ではなさそうだからである。


 そうしてそれが分かるのか? それは臣従儀礼の際、抜け駆け的に儀礼に参列した為、席が用意されておらず右往左往した事から見ても明らかではないか。直情径行、思いつきの行き当たりばったりの人間が、隠忍自重して己だけが知り得る情報を秘匿し続ける事など出来ようはずもない。だから買い上がりの件、アウストラリス公は知らない事が確定した。


 ではアウストラリス公の陪臣で影と言われる男、モーガン伯の単独行動なのだろうか? それだけではないように思える。トゥーリッド商会が絡んでいる? それは確定だろう。だが、これまで行われた買い占めは功を奏しなかったのに、今回の買い上がりはどうして成功したのか疑問が残る。一方、ガリバーと称されるフェレット商会はどうなのか?


 フェレットの財力を費やしたとなれば「買い上がり」は容易に説明が付く。だが、それならば同時に王都でも「買い上がり」が行われているはず。しかしその気配はない。今回、レジドルナで起こった小麦の買い上がり。単純なように見えて、実は複雑で分からないことが多い。ただ、名を挙げた者が何らかの形で関わっている事は間違いないだろう。


 ――リシャール・ファーナスが馬車に乗って学園にやって来たのは昼過ぎの事だった。十三時という約束だったのだが、十二時半に来たのはリシャールの心がいていたからなのは想像が付く。リシャールは臣従儀礼の時、自分と一緒に参加したシーラ・セルモンティとセバスティアン・マルツーンの二人を連れてきたのである。


 実は昨日、『常在戦場』の屯所へ行く路上、リシャールが学園での指導と二人の参加を求めたのである。俺は快諾した。というのも、まず俺が動かなくてもよいし、一人でも三人でも言うことは変わらないからだ。それに一緒にやってくるセルモンティとマルツーンは、臣従儀礼にも参加しており顔も知っている。断る理由は何も無かった。


 俺は朝の鍛錬のときに、三人が打ち込む立木を立てておいた。これさえあれば立木打ちができるのだから、合理的といったら合理的。鍛錬場の端にたててあるので誰の邪魔にもならない。俺とリサのが使う立木の横に立てたので、都合五本の立木が林立した形。学園にやってきた三人をその立木の前に案内したのである。


「さぁ、やろうか」


 着いて早々、三人に立木打ちを始めるように促した。三人とも準備運動をしてやってきていたので、打ち込みから入ったのである。


「きぃぃぃやぁぁぁぁ!!!!!」


「ぎゃああああああ!!!!!」


「てぃぃぃぃやぁぁぁ!!!!!」


 三人がそれぞれ思い思いの奇声を発して左右に打ち込む。一心不乱に打ち込み続ける三人。ただ、緊張しているからかペースが遅い。俺は一度止めて理由を聞いてみた。


「左右の歩幅が気になったので・・・・・」


 セルモンティ商会の息子シーラがそう答えた。左右の歩幅。左足を前にして、一足半ほど後ろに右足を置く。それを学園に向かう車上で聞いたので、それを守るために遅くなったとの事である。またマルツーン商会の息子セバスティアンは「右手で振り上げ左手を添える」という話を聞いたので、それを意識したと話した。何れも俺が昨日言ったことだ。


 そういえば俺も『商人秘術大全バイブル』を手に入れたとき、これをどう解釈すればいいのか困る場面があったな。俺は原文が読めるが、三人が読んでいるのは俺の訳文。原文が読める俺よりもニュアンスが掴めないのは、当たり前なのかもしれない。おそらく三人は俺が渡した『商人秘術大全』の訳文を読みながら試行錯誤したのだろう。

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