323 内廷

 貴族社会は見栄と虚勢が渦巻く世界であって、我々商人のように利害打算だけで動く社会ではないのかもしれない。しかし執拗に近衛騎士団の予算を削減し続ける内定掛のバッテラーニ子爵。削減して捻出したカネを懐にカネを入れていないのではないかと、ボルトン伯は言う。いくら職務に忠実であろうとも、恨みを買うリスクが高すぎるだろう。


「しかし、バッテラーニ子爵がそこまでやらなければならぬ理由は・・・・・」


「ある」


 は? あるのか、そんなものが。ボルトン伯の確信はどこから来るのだろうか。その貴族独特の意識たるや、俺には理解し難い部分だ。


「陛下と子爵の祖母は姉妹。つまりははとこ・・・。血で結ばれておるのじゃ」


 呆気に取られた。まさかマティルダ王妃とバッテラーニ子爵がはとこ・・・だったとは! 二人の祖母はベルセツテージ伯爵家の出身で、姉はウェストウィック公爵家に嫁ぎ、妹はバッテラーニ子爵家へ嫁いだとのこと。俺から見れば遠い関係にしか思えないのだが、エレノ貴族にとってのそれは血縁を意識するもの。貴族をやるのは本当に大変そうである。


尚侍しょうじマークエット男爵夫人の母堂はバッテラーニ子爵の叔母。つまりマークエット男爵夫人は陛下、マティルダ王妃の従叔母じゅうしゅくぼ、つまり「いとこちがい」にあたる」


「・・・・・尚侍とは一体・・・・・」


「内廷女官の最高位。我が家で言うならば侍女長のようなものだ」


 なんと! 俺は呆気に取られた。マークエット男爵夫人。つまり正嫡殿下アルフレッドの従者であるエディス・ブラウファー・マークエットの母は、マティルダ王妃のはとこ・・・であり、内廷掛であるバッテラーニ子爵の従妹いとこだったのか。それも単なる侍女ではなく、内廷女官を取り仕切る立場。


 それだけではない。ボルトン伯の話によれば侍女次長に当たる典侍てんじにはウェストウィック公爵家の陪臣プラスクマルード子爵家の息女プラスクマーレ子爵夫人が、内廷主管にはバッテラーニ子爵の実弟アルガーロ卿がそれぞれ任じられており、マティルダ王妃を支えているというのである。王妃は内廷を自身の一門血族で固めているのだ。


 本当にボルトン伯の話には驚かされる。つまりマティルダ王妃を中心として、内廷掛のバッテラーニ子爵やその弟で内廷主管のアルガーロ卿、尚侍であるマークエット男爵夫人とその実娘であるエディス、そしてマティルダ王妃の実子である殿下殿下アルフレッド王子は、ベルセツテージ伯爵家を軸とする血縁で結ばれた間柄だったのである。


 だからクリスは、アルフレッド殿下が椅子を交換してしまった事件に対し、「殿下はなんてことをなされたのでしょうか・・・・・」と言ったのだな。クリスはこの血縁関係の話を知っていた。いや、事実上の婚約関係であった以上、知っているのはむしろ当然なのか。その上で正嫡殿下の事を心配していたのだろう。


 しかし、そんな事を考えると何だかモヤモヤしてしまう。婚約話が流れたとはいえ、クリスが他の男のことを考えることについて、違和感を抱くのだ。佳奈が拓弥と付き合っている時には無かった感覚。そう言えば、アイリがドーベルウィンやカインと踊っていた時にも似た感覚だったな。あのときも、クリスと殿下が踊っている姿を見てモヤモヤした。


 違う! 今はそんな事を考えている場合ではない。アイリやクリスの事は家に帰ってから考えるとして、ボルトン伯の「陛下」という言い回しが気になる。マティルダ王妃を指して「陛下」と呼称しているのだろうが、ボルトン伯は王妃に対して、あまり良い感情を持っていないのではないか。「陛下」という言い回しがすごく他人行儀に聞こえてしまう。


 その心情を探ろうとボルトン伯の顔をちら見するが、心の内を窺うことはできない。この辺りが狸爺たぬきおやじたる所以で、そうでなければ貴族社会を遊泳する事なんてできないのだろう。俺は今回の話の元にある、近衛騎士団の削減問題について今一度、頭の中で整理した。この削減を誰が主導しているのか。ボルトン伯の話を聞くに明確である。


「つまりは・・・・・ 『御意向』だと」


「そういうことだ」


 最早言葉は不要だった。ハッキリ言ってしまえば、マティルダ王妃が親族で内廷を固め、我が子を正嫡、即ち王太子とする為に貴族工作をバッテラーニ子爵に指示していたのである。その費用は近衛騎士団の削減で賄われたが、その削減に誰もモノが言えなかった。


 そして内廷費が縮減されても工作費を維持する為に、更に近衛騎士団を削減して費用を捻出したのである。そのような経緯、普通に考えるだけでは、まず分からないだろう。というのも現場にいる近衛騎士団の青年将校も、クリスの次兄で宰相補佐官であるアルフォンス卿も、ボルトン伯も全てを知りうる立場ではないからである。


 つまり近衛騎士団と宰相府、そしてボルトン伯。この三者から聞いた三つの話が掛け合わされる事で、初めて全体の概要が見えてきたという訳だ。しかし、こんな事が分かるのに、どれだけの労がかかるのか。人の思惑とは実に恐ろしいもの。


「昨年末に行われた臣従儀礼の時に、アルフレッド殿下がウィリアム殿下の椅子を御自身の手で交換なされたのを目の前で見てな。これはと思ったのじゃ」


 正嫡殿下が起こした「椅子取替事件」の事について、ボルトン伯は話を始めた。この一件を高位家が陣取る高壇こうだんからつぶさに見たボルトン伯は、思ったという。これはもう内廷からのカネは受け取れないな、と。


「前まではまいを受け取っても足りなんだが、今は受け取らずとも事足りる。であるから受け取ってはならぬな」


 普段から開けっ広げにモノを言うものだから、融通無碍な人だと思っていたのだが、それでも良心らしきものはあるようだ。兄ウィリアム殿下に上手を譲る弟アルフレッド殿下という図は、心に刺さるものがあったのだろう。俺はアルフレッド殿下が話していた事を伝えると、ボルトン伯は目を細める。


「殿下がそのようなお気持ちで・・・・・」


 俺が殿下が椅子を交換した際に行われた兄弟間のやり取りや、椅子を交換した殿下の心境について話し始めると、ボルトン伯は熱心に耳を傾ける。そして殿下から「アルフォードに見倣って」と言われて困った件に及ぶと、右手でぱったと膝を打ち、大いに笑い始めた。


「それは分かる。それは分かるぞ。殿下も御立派になられた」


 ボルトン伯は真顔だった先程までとは打って変わって顔をほころばせる。まるで我が子の成長を喜ぶ親であるかのようだ。実子であるアーサーに対して向ける目とは異なる点が不思議ではあるが。まぁ、俺は祐一をそんな風に見たことがないので、どのような目で我が子を見るのが正しいのかはイマイチ判断がつかない。


「しかしこれからはワシも考えなくてはならぬのぅ」


 意味ありげに呟くボルトン伯。ボルトン伯は一体何を考えなくてはならないのだろうか。このトボけた狸爺の意図を計るには、俺はあまりにも知らなさ過ぎる。エレノ世界の貴族社会を、そして現実世界を含めた人間について。要は経験不足なのである。


 これまで、我が身の安全保障から人付き合いを最小限度に止めていた。だから他人の心理について理解し難い部分、要は経験不足なのである。故にボルトン伯の真意について、俺は推し量ることができなかった。


 ――俺は鍛錬場で立木に打ち込んでいた。が、イマイチ集中できない。というのも昨日のボルトン伯との話が濃すぎて脳裏から離れなかったからである。ボルトン伯との話は昼食を挟んで、ワインを酌み交わしながら日が暮れる夕方にまで及んだ。それを今日まで引きずるハメとなり、俺のスケジュールをも狂わせた。


 いつもなら早朝に起きて、六時半には鍛錬場に入っているところを、寝起きが悪かったので九時前になってしまったのである。確かに酒は飲んだのだが、酒に酔うというより、ボルトン伯の話に酔ったという方が正しい。それだけ話が濃かった。近衛騎士団の削減話の真相に始まって、伯爵の正嫡殿下を初めとする王室への思い。


 そしてボルトン家の家史であるとか、アーサーに対する注文等々である。昼を一緒に食べてワインが進むと、舌が滑らかになったのか、ボルトン伯の話は淀みなく続いた。その話一つ一つが濃厚過ぎて、お腹がいっぱい。特に衝撃的な話だったのは、亡くなった国王フリッツ三世の側室マルレーネ夫人が、ボルトン伯の同級生だったことだ。


 ボルトン伯はマルレーネ夫人とは旧知だったのである。実はこの話だけで一時間以上が費やされた。アズナプール子爵家の息女として生まれたマルレーネ夫人は、フリッツ三世に見初められる形で側室となった。ところが同級生の多くはマルレーネ夫人の未来を案じ、これに反対したのだという。ボルトン伯もその一人だった。


 表向き国王に見初められてとの事だったが、現実にはマティルダ王妃との成婚から十年近く経つのにも関わらず、懐妊の兆候が現れないことを危惧した国王の側近達が、マルレーネ夫人に白羽の矢を立てたのが本当のところ。このエレノ世界には不思議な慣例がある。一夫一妻制のこのノルデン王国にあって、国王のみは側室が認められているのである。


 世継ぎを残さねばならぬという理由があるのだろうが、側室は国王のみに認められた特権。多くの側室候補がいたであろうに、多くの貴族や高位家を差し置いて、一介の子爵家の息女であるマルレーネ夫人が選ばれたのには相応の理由があった。それはマルレーネ夫人が王族の血を引いていることと、家が高位家ではなかった事。


 マティルダ王妃の実家であるウェストウィック公爵家に配慮から、高位家を初めとする名門貴族を外しつつ、王族の血を引き継ぐ結婚適齢期の女性。その条件に適合したのが、王族エディット王女を高祖母に持つマルレーネ夫人であったという。マルレーネ夫人は気丈な女性だったらしく、同級生の華だったという。


 話を聞くに、おそらくボルトン伯も夫人に惚れていたのではないかと推察する。いくら狸爺であろうとも、酒が入った状態ではごまかしようがないようだ。俺はレティの事を思い出したのだが、それについては口には出さなかった。恐らく気丈さに共通項を見出したのかもしれない。レティも気丈だからな。エレノ野郎はどうもあの手の女が好みのようだ。

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