313 サプライズ

 学園舞踊会の会場で、俺は正嫡殿下アルフレッド王子から突然呼び出された。席を立ち、訳が分からぬまま殿下の方に近づくと、そこには何故かピアノがある。なんでピアノがここにあるのか?


「アルフォードよ、よく来てくれた。すまないが、一曲弾いてくれないか?」


 え? え? 今? 俺は頭が混乱した。酒が入った状態で、一体何を弾くんだ?


「ピアノに合わせて、ダンスが出来たら良いと思ったのだ」


「このピアノは・・・・・」


 舞踊会が始まった時にはなかったよな、グランドピアノ。


「今、頼んで持ってきて貰ったのだ」


 殿下の後ろにいる正嫡従者フリックが、俺に向かって首を振りながらジェスチャーしてくる。これはフリック達の反対を押し切って持ってこさせたのだな。最近、無茶をやり過ぎじゃないのか、殿下。


「兄上の話によると、サルジニア公国では楽団の演奏に合わせて踊るらしい」


 そ、それを今するの? ぶっつけ本番で? 確かにサルジニアのやり方が普通だけどさ、音楽に合わせて踊る習慣がないノルデンでそれができるのか? 殿下の話を聞いた生徒達がざわついている。音楽に合わせて踊ったことがないのだから、それは当然の話。皆の視線が俺の顔に当たって痛い。


 そんな中、特に強い視線をぶつけてきたのはピアノ近くにいるクリスだ。どうしてピアノの近くにいるのかは分からないが、クリスが公爵令嬢という高位貴族だから、こんな位置にいるのだろう。しかし、そんな目で見ないでくれよクリス。じーっと俺を見たって何も出てこないから。


「アルフォードよ。ダンスに合った曲とはどのようなものだろうか」


 いきなりそんな事を言われたって分からないよ。それでも考えているうちに、アイリとレティが踊っている姿が頭に浮かんできた。モヤモヤした感じはするが、拍子が聞こえてくる。パン、パン、パン、パン、パン、パン、パン、パン。


 スローなテンポ。四分の三拍子ぐらいが合うのかな、この世界のダンスは。だったらシューベルトの「セレナーデ」とかはどうだろうか。俺は殿下に弾いてみますというと、椅子に座って指を動かす。


(どうやら弾けそうだな)


 触りの部分を弾いてみて確信が持てたので、早速練習曲で指を慣らす。屋敷でピアノを弾いていたので指の回り自体はいい。試しにスーパー戦隊シリーズ第一作の初代EDを弾いた。グリッサンドから始まるので「おおっ」というどよめきが起こる。生徒達が飽きないように弾きながら指の感触を確かめ、弾く事ができると確信すると、早速曲を披露した。


 選んだ曲はシューベルトの「セレナーデ」。拍者はくしゃが俺が弾く曲に合わせて、杖を床に打ち付けて拍子を取る。殿下が拍者に踊ることができるのかどうかを尋ねている。ピッタリですという回答を得た正嫡殿下は我が意を得たりと俺の演奏が終わった後、会場にいる生徒達に呼びかけた。


「アルフォードのピアノに合わせて皆で踊ろう。拍者も杖を打つから安心するように」


 殿下の言葉に生徒達は乗り気になったようである。多くの生徒が踊るためにそれぞれの位置に立った。そして正嫡殿下の方はなんとクリスの前に立ち、ダンスの申し込みをしたのである。まさかの展開に俺の心臓が一瞬止まりそうな感覚に襲われた。殿下からの誘いを断ることが出来るものなど誰もいない。


 流石のクリスでもそれは無理な話で、殿下からの誘いを受け入れている。その時、一瞬だけクリスと目が合ったが、目をそむけられてしまった。こんな事は初めてだ。クリスの気持ちが分からない。俺はモヤモヤした気持ちの中、静かに演奏を始める。この曲って確か告白の曲なんだよなぁ、確か。そんな事を思いながら俺は弾く。


 演奏しながらもクリスの事が頭から離れない。クリスの方をチラ見すると、殿下と組んで踊っているのが見えた。殿下の白い貴族服とクリスの赤いドレスのコントラストが美しい。本来、婚約予定だった二人なのだから、息が合うのは当たり前。そんな二人が踊っている中、俺はピアノでダンスの伴奏。一体何をやっているんだ。


 俺はそのモヤモヤを演奏にぶつけた。今日の俺はおかしい。アイリが踊っているのにモヤモヤし、クリスが殿下と踊っている事にもモヤモヤしている。嫁もいるのにこんな身勝手な、しかも二人の女の子の動きにモヤモヤするなんて事が許されるのか。自己嫌悪に陥りながらも、自分の感情を制御する事なんてできなかった。


 俺はセレナーデの演奏を終えると、そのままブラームスのワルツ十五番を弾き始める。こういう時には曲を弾いたほうがいい。だが、今日の演奏は珍しく、実に情感が籠もっている。ワインが入っているからか。胸の中のモヤモヤがまだ解消できないので、俺は更に一曲を弾く。ヨハン・シュトラウス二世の「青く美しきドナウ」だ。


 踊りやすくするために序奏を飛ばしてワルツから始める。弾いている間に自然と演奏に集中できるようになっていた。そして演奏が終わった後、会場は大きな拍手に包まれた。俺は席を立って頭を下げると、踊っていた生徒が頭を下げる。ダンスで組んでいたクリスと挨拶をして別れた殿下が、俺の元に近づいてきた。


「アルフォードよ。実に素晴らしい演奏だった。兄上の言われた通り、音楽があるダンスは全く違う」


 殿下が本当に感動しているのが俺には分かる。おそらくは現実世界においても、こういった身分ある人物が音楽に理解を示し、発展したのだろう。俺は改めて殿下に頭を下げた。


「本日の学年舞踊会。実に素晴らしいものだった。今年はこれで最後となるが、来年もまた学園で会おう」


 殿下のその言葉に、会場は再び大きな拍手に包まれた。実に立派な挨拶である。殿下のこの動きによって殿下の従兄弟でもあるウェストウィック公爵嫡嗣モーリスと、アンドリュース侯爵令嬢カテリーナとの諍いは完全に吹き飛んだ。もしかすると、それもあってこのサプライズを仕掛けたのかもしれない。だとすると殿下も中々の策士。


 臣従儀礼の際も、兄の椅子の位置と自分の椅子の位置を変えて座らせていたりしていたな。だがそれは、何れも己の為ではなく人の為の行動。私心から生じたものではないという部分が、他の人との大きな違いだろう。利己的でない故に全く予想外の行動に出る殿下だが、そうした殿下の姿勢は嫌いじゃない。


 かくして俺にとっては意外な形であったが、学園舞踊会は大盛況に終わった。


 ――学園舞踊会が終わったことで、今年の学園の行事が全て終わって冬休みに入る。多くの生徒は正月を実家で過ごす為、舞踊会が終わると帰郷の準備に入った。中には学園舞踊会が終わったその日に帰る生徒達もいる。クリスもそのうちの一人だ。クリスは学園舞踊会が終わると、俺と挨拶も交わさずに会場から立ち去ってしまった。


 まぁ本来であれば、対等に挨拶を交わすような身分じゃないのだが、モヤモヤ感を解消するためにも二、三言葉を交わしたかった。まぁ、しばらく会えなくなるのは仕方がない。冬休みなんだから。レティは明日の朝に旅立つらしい。前にも言っていたが、リッチェル城内の片付けをしっかりとやっておきたいそうだ。


 ミカエルもまもなく学園に入ってくるから当然か。レティは家に帰って雑事を一気に片付けるつもりなのだろう。一方アーサーやカイン、ドーベルウィンやスクロードも明日、王都の屋敷に帰るようだ。アーサーには年明けにシャルマン男爵家の件で動いてもらうからな、と言ったらゲンナリした顔をされてしまったが、やってもらわないと困る話。


 フレディはリディアと一緒にガーベル家に寄ってから教会に帰郷との事で、そこまで進んだのというぐらいの大きな進展に、こちら側が驚かされた。そしてアイリは・・・・・ 俺と一日を過ごしてから夕方に学園を発つ事になっている。前日に学園舞踊会で踊ったから疲れているのかと思ったら、すごく元気で若いっていいなと思った。


「はぁ、楽しかった」


 アイリは朝から黒屋根の屋敷に来て、俺の演奏に合わせて歌を歌っていた。音程が取れないのは相変わらずだが、楽しそうに歌うのを見ると、そんな事はどうでも良くなってくる。歌は相変わらずのヅカ歌なのだが。もしアイリを現実世界に連れて行けるのだったら、東京宝塚劇場に連れて行ってやりたい。昨日の動きを見ているとダンスも好きそうだし。


「ねぇ、グレン。また舞踊会があったら、私もっと踊るね」


 屈託なく笑うアイリ。


「どうしてだ?」


「だってグレンが妬いてくれるもの。もっと踊れば、もっと妬いてくれるかなって」


 あああああ。アイリ! そんな感覚でやっちゃダメだ。悪い男に引っかかるぞ。


「もう十分だよ、アイリ・・・・・」


「私の方がまだ足りないもの」


 いやいやいや。その考え、既に地雷化していないか? この話をこれ以上やるのが怖くなってきた。そこで俺は、昨日弾いた「青く美しきドナウ」を序奏から弾くことにした。するとアイリは話すのを止め、目を瞑って聞いている。聞き心地がいいのか、うっとりと聞いてくれている。


 脳内採譜なので、ところどころ飛んだり間違ったりしているだろうが、それでもいいじゃないか。こちらの世界に来て良かったことがある。それはピアノに対する考え方だ。現実世界では正確なキータッチを重視するばかりだったのが、こちらに来て弾いていく間に、それが気にならなくなったのである。


 というのも楽譜自体がないこともあったのだが、そんな演奏であっても喜んで聞いてくれるアイリや殿下の存在が大きかった。「楽しく弾く」 長年、やろうと思っても中々出来なかった事が、この世界で実現できたのである。もちろん楽譜があればいいし、先生がいればもっといい。


 だが、それ以上に演奏で大切なメンタルであるとか、情感であるとか、そういったものが身についたと感じられるのが大きいのかもしれない。アイリと一緒の時間を過ごした後、学園の馬車溜まりからアイリは郷里へと旅立っていったのである。

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