186 後始末

「立木打ちをエキサイティングなものに変えてやる」


 俺のいきなりの宣言に闘技場はどよめきが起こった。これは前から考えていたことだ。ただ単に百回打ち込むだけだったら、のんべんだらり・・・・・・・とやる人間だって出てくる。それをさせないためにはどうすればいいか? そういう奴には尻に火をつけるのが一番だ。


「五百回。五百回だ! 俺も一緒に立木打ちをやってやる。俺が五百回打ち込んでいる間に百回の打ち込みを終わらせろ。さもなくば・・・・・」


 俺は言葉を止めた。闘技場の目線は俺に集中する。


「打ち込みを百回加算する。お前ら全員、死ぬ気で打ち込め!」


 声量全開で宣言すると、闘技場は大きくどよめいた。一方、フィールド上でこれから打ち込みを始める教官達やコルレッツ代理人達は、何が起こったのか分からないという顔をしている。俺は【装着】で鍛錬の時の格好となるや、手に握ったイスノキの枝を握り、奇声を発しながら一目散に俺の立木目がけて打ち込み始めた。


「キィィィィィヤァァァァ!!!!!」


 ひたすら立木の左右に打ち込み続ける。カウントされようとされまいとどうでもいいこと。立木打ちはリズム。リズムを掴むことで素早く打てる。リズムというもの必ずしもすぐに掴めるものではない。だからリズムを掴むことを最優先にすべきであって、一打を打つことの労を惜しんで号令を待っているようでは遅いのだ。


「打ち方、始め!」


 副会長のエクスターナの声で一斉に打ち込みが始まった。俺の立木の上にも数字が浮かび上がった。俺はもうペースを掴んでいるので、どんどん数字が上がっていく。同じ間隔で左右に打ち込みを続ける。同じ間隔ならば出る音も同じ間隔。同じ間隔で打ち続けることで、リズムを安定して刻んでいくことができる。


 しかし周りから聞こえる音は不協和音。これでは打ち込み回数が増える訳がない。緩慢で怠惰な音。まるで準備できていないではないか。もう周辺の事を考えても仕方がないので、ひたすら打ち込みを続ける。そして難なく五百回に到達した。


「おおおっっっ!!!」


 闘技場からどよめきの声が起こった。どうしたのかと会場を見渡すと、なんと誰も百回に到達していない。お前ら何やってんだ! 俺だけ五百回と、数を多くしてペナルティーを背負っているのにそれはないだろ。全くやる気がないのだ。これには頭にきた。


「なんだ。誰も百回終わってないじゃないか! もっと真面目にやれよ! 全員二百回だ。もう一回チャンスをやる。俺が千回打ち込んでいる間に終わらせろ。さもなくば百回加算だ。少しは真剣にやれ!」


 俺は再び打ち込みを始めた。奇声を発して立木の左右にひたすら打ち込む。周りの不協和音がどんどん元気がなくなっているのは分かるが、そんなものお構いなしに打ち込みを続ける。人間、集中すると不思議なもので、周りの状況がわからなくなる、というか気にかからなくなる。だから気兼ねなく打ち込める。そして悠々と打ち込み千回が終わった。


「なんだ! 誰も二百回に達していないのか! 遊んでるのか、お前ら!」


 誰も二百回に達していない。一番打ち込んでいるのでリンゼイだが、それでも百六十回。中には立木の前でうずくまっている者もいる。どうなってるんだ、こいつらは。そう言えばドーベルウィンが言ってたな。「あれは結構キツイぞ」って。そういうことか。


「勝った俺は千五百回打ち込んで、負けたお前らは二百回も打ち込めないなんて、おかしいだろ! なんだその腐った態度は! 全員宮仕え失格だ! 人に向かって偉そうにするんだったらな、少しは行動で示せよ!」


 そんなに嫌だったら、人が訳の分からん条件を押し付けられているとき、キチンと反対すれば良かったんだよ。それをだ、見て見ぬフリをしてやり過ごし、無意味に人に期待してホッカムリなんかするからこんな事になったんだ。全部自分の責任じゃねえか。嫌だったらとっとと辞めてしまえ、ってんだ。


「お前ら全員三百回だ。三百回終わらせる間に・・・・・」


「待って!」


 ソプラノの声が俺を制した。アイリだ。アイリは俺に近付いてくる。


「グレン。二回やってダメなものは、三回やってもダメよ」


「しかし、何らかのペナルティーを与えなければ、真剣にやらないだろ。コイツら」


「でもグレンが二千回打ち込んでる間に、打ち込み三百回終わらせられる人は誰もいないと思うの」


 確かに・・・・・ アイリの言う通りだ。だが、このまま引き下がっても、教官や『ソンタクズ』を甘やかすだけ。どうすればいいのか。そのとき、貴賓席から声が上がった。


「もし十二時までに打ち込み三百回が終わらなければ教官は退職、生徒は退学、それで良いのではないか」


 見ると発言したのは、肥満短躯のヴェンタール伯。すると隣にいた口髭と顎鬚が整えられた美髯伯リーディガーが応じる。


「その方がフォールドにいる者達にとっても、分かりやすくて良いでしょう」


 ヴェンタール伯は生徒会長のアークケネッシュに向けて指示を出し、アークケネッシュがそのまま「十二時までに打ち込み三百回を終わらせなければ退学退職」と宣言したため、この条件が確定してしまう。役目を失った俺は、アイリと共にフィールドの席に戻り、仕置の行方を見守るのみとなった。


 退職と退学がかかっているからだろうか、打ち込みをしている者達のペースが少しずつ上がった。一番初めに終わったリンゼイを皮切りに、十一時以降、仕置対象者が続々と三百本を達成させていった。


「二百九十九!」


 フィールド上にいた対象者が皆三百本をクリアする中、最後まで残っていた教官が立木打ち二百九十九回に到達したのが十一時五十分過ぎ。打ち込みがあと一本という所に迫った。そして三百本に達した時、闘技場は大きな歓声に包まれ、拍手が沸き起こる。結局、誰も退職にも退学にもならずに済んだのである。


(俺のやり方が間違っていたのか?)


 闘技場の歓声と拍手を聞くにそう思う、俺は相手をハナっから信用していなかった。緩慢にしかやらぬと最初から決めつけていた。その見方は間違っているとは思わない。だが、今日の闘技場で湧いたのは最後まで残って打ち込んでいた人間を見てだった。これをどう考えればいいのか。俺は複雑な思いを消化しきれず、さっさと闘技場から去った。


 ――翌日、受付横の伝信室『常在戦場』事務長ダロン・ディーキンのからの封書を読んでいた。前の日、決闘仕置で感じたなんとも言えない後味の悪さから、黒屋根の屋敷に籠もってピアノを弾いていた為、封書を回収していなかったのだ。鍛錬を早めに切り上げ、受付で封書を受け取ると、待望の封書だったので急いで封を開けたのだ。


 ディーキンからの封書は待望の情報、コルレッツの件である。今、俺が一番知りたいことだ。どれどれと読んでみると意外な事が分かってきた。昨日、ディーキンは学園からの呼び出しを受け、コルレッツの身請けを求められたという。文面を読むに、どうもコルレッツが学園にゴネて実現したような感じに思える。


 流れとしてはこうだ。まず学園にコルレッツ家からの絶縁状が届く。次にヘルメス大聖堂からコルレッツの教会推薦無効通知が来る。ここで学園はコルレッツに退学を言い渡すも、次に行く所がなければ動けないとコルレッツが言い張った。そこで絶縁状と共に入っていた債務通知と就職斡旋を見て、学園側がディーキンに連絡を取ったという話。


 そこでディーキンは昨日、斡旋業者と馬車を連ねて学園に来て、学園側と協議。斡旋業者とコルレッツと面談の上、業者の馬車に乗って繁華街に向かったということである。後で業者に確認を取ると、借金の件は了承済みであり、契約金と住居の確保という条件を出すとホイホイと付いてきたらしい。


 どうもコルレッツにとって、絶縁状と業者の斡旋は渡りに船だったようだ。ディーキンからの報告を読む限り、学園への執着やら未練やらは見られないからである。コルレッツは学園を出て、新しい暮らし、借金払いという暮らしだが、新生活をスタートさせる事になった。


 受付から教室に向かうと、廊下にトーマスがいたので声を掛けた。サルスディアギルドの件でクリスと場を持ちたかったからだ。話すとトーマスの方も俺を会食に誘おうと思っていたらしい。こちらも用があったんだよと告げると、では今日しましょうと返ってきた。俺と話すトーマスはどこか楽しそうだ。


「最近、話ができませんでしたから」


 トーマスの言葉になるほどと思った。従者である二人は、他の人がいるとクリスの手前、遠慮してしまうのだ。確かにトーマスもシャロンも、決闘の会合や打ち合わせやアルフォンス卿やグレゴールとの会見にはほぼ立ち会っているのだが、言葉を発することは殆どなかった。まぁ、これも立ち位置としては辛いところである。


「楽しみにしていますので」


 トーマスは足どり軽く教室に入っていった。俺もその足で教室に入る。入ると、やっぱりというか、当たり前というか、俺を見る微妙な空気が漂っている。みんなトーマスみたいな感じではないのだ。いやトーマスのような人間は少数派なのだ。多くの人間は昨日の決闘仕置、俺がやり過ぎだ、とでも言いたいのだろう。


 しかしそれは上辺の話であって、お題目にしか過ぎない。実際のところ何を考えているのかといえば、「あいつは力を振り回してねじ伏せている」であり、「商人風情が偉そうに」という感覚なのだ。俺が決闘に勝とうがそれは些事に過ぎず、この学園の根底に流れているものは何ら変わっていないのである。


 結局のところ、そのとき、そのこと、その場の事でしか見ることができない、見ようとしない人間が多数を占めているのが現状だ。人間というもの、自分がみたいと思うものしか見ようとしない。俺に対しての非好意的な感情を説明できる事情が欲しいだけなのだ。だが一方で、トーマスのように俺に対して好意的に声を掛けてくる物好きもいる。


「これでヤマが越えたな」


 ディールがそう言いながら俺の元に近付いてきた。このディールもまた、いつの間にやらトーマスと同じ部類の物好きになっている。かつて「なんで勝つんだよ」と悪態をついてきた奴がそうなるのだから、人というものは不思議な生き物だ。


「仕置をするのに決闘ってのが、まずあり得ないんだよ!」


 そうなのだ。本来、仕置さえできれば問題がなかった。それをゴネてゴネてゴネ通した挙げ句の帰結に過ぎない。


「オルスワードがあそこまでヤバイ奴だとは思わなかったよ。シャルもビックリしていたからな」


「まったくだ。二度も属性が変わるなんてありえないからな。死人から邪者よこしまものだぜ。そんな奴をなんで相手にしなきゃならんのか・・・・・」


 シャルとはディールの従兄妹クラートのこと。そのクラートはオルスワードの講義を直接受けていた訳で、驚くのは当然だろう。人を操る術について本人から無理と聞いていたのに、目の前で展開されたのだから。自分に掛けられたらと想像すれば恐ろしさというものが自ずと分かる。


「まぁ、グレンがいなきゃ、ああはなっていない。やはりお前はリングを知り尽くしてるよ」


 授業の始まりを告げるタイムが鳴る。ディールはそう言うと、自分の席に戻っていった。その褒め言葉、額面通り受け取ろう。俺も自分の席に座った。


「やっと終わったねぇ」

「お疲れ様」


 教官が来ないのをいいことにフレディとリディアが話しかけてくる。


「いやぁ、本当に大変だったよ。二人とも心配をかけてすまない」


 何言ってんだよ、とフレディが返してくれた。一方でリディアは本当に激しかったわ、と回想する。思えばボルトン伯爵領に向かって、返ってきたらコルレッツ一派との決闘で、その合間にコルレッツ家に押しかけ、そして学園の仕置を巡って再決闘。ハッキリ言ったらメチャクチャ。こんな無茶やってて、よく持ってるよな、俺たち。


「来ないねぇ、教官」


 リディアが不思議がった。確かにそうだ。しばらく三人で話していたのだが、来る気配がない。やがて他のクラスの人間がやってきて出入りするようになった。どうやら他所のクラスも教官が来ていないようだ。何やってんだ、あいつら?


「おい! 教官室に誰もいないぞ!」


 はぁ? 不審に思って教官室を覗きに行った生徒がクラスでとんでもない報告をしたことで、驚きの声が上がった。あっ、俺は思った。多分、昨日の打ち込みで全身筋肉痛に襲われて、誰も身動きができないのではと。学園執行部と教官、ほぼ全員にやらせたからな。きっと全滅したんだろう。俺は思わず笑ってしまった。


「こりゃ、今日の授業はないぞ。教官全員、筋肉痛で悶絶死だ」


「えええええ!!!」


 フレディもリディアも仰け反った。そんなバカなだよな。流石はエレノ世界。やっぱりこう来なくっちゃ、バカ学園サルンアフィアの名がすたるというもの。なんだか気分が晴れた俺は二人を誘った。


「丁度いい。今からケルメス大聖堂に行こう!」

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