130 ケルメス大聖堂

 今日のアイリはかつてないほどテンションが高い。二人で食べさせあった巨大なショコラパフェがなくなると、なんともう一度、巨大なショコラパフェを頼んでしまったのだ。


「はい、グレン。あ~んして♪」


 俺は内心戸惑いながら、アイリの言葉通りに振る舞い、口を開けた。口の中にパフェをすくったスプーンが入ってくる。それをパクリと加えてキャッチする。それが終わると俺がスプーンでパフェをすくい、目を瞑ってアイスを待つ、アイリの口の中にスプーンを入れる。そして二つ目の巨大なショコラパフェも完全になくなってしまった。


(これがバカップルというやつか・・・・・)


 俺は今、とんでもない体験をしている。『エレノオーレ!』のヒロインと誰にも言えない、恐ろしくて言えないような事を喜々として受け入れ、それを実行していた。俺だけではない、アイリの方もだ。目の前のアイリは充実感に満たされた、満足げな顔をしている。アイリが喜んでくれるのは嬉しいが、しかしこれは色々な意味でヤバいのではないか。


「グレンが喜んでくれて良かった」


 アイリがそう言うので、俺も満更ではない顔をしているのだろう。こんなこと佳奈ともやったことがない。付き合っている感で言えば、アイリの方が上なのは間違いがない。佳奈には申し訳ないが、毎回図書館で待ち合わせみたいなの、ってのはまさに健全なお付き合いではないか。


(あゝ、佳奈よ許してくれ)


 心のなかで侘びながらも、アイリと楽しんしまっている自分がいる。俺とアイリはこの後、紅茶を飲みながら他愛もない話で盛り上がり、気がつけば一時が過ぎてしまっていた。アイリといるといつも時間のことを忘れてしまう。後の予定もあるので俺は魔装具で馬車を呼び、もう一つの目的地であるケルメス大聖堂へ向かうことにした。


 ケルメス宗派の総本山、ケルメス大聖堂は平坦なトラニアスの中にあって、なだらかな小高い丘のような場所に建てられており、一応は聖地らしい体裁を取っている。実際見てみると、古代ギリシャの神殿をパクったような建物で白を基調として彩色がなされており、いかにもエレノらしい「製作者が考えた聖地」だと思った。


 アイリの話では、アイリ姉妹が通った修道院はステンドグラスがあったとのことで、建物内の構造などから西洋の教会建築のようなものだろう。宗教なのだからそれらしくしておけばいいだろうという、安易な発想が垣間見える。連中ならここに本来相容れない筈の神社仏閣なんかも、必要だと思えば容赦なくぶっ込んで来るだろう事は誰の目にも明らか。


 大聖堂内部に入ると、若いカップルが結構いる。宗教施設みたいなものは、年寄り主体だと勝手に思っていただけに意外だった。俺が不思議がっていると「結婚式を挙げる所ですから」とアイリが教えてくれたので、それならば合点がいく。それなら若い人がいるはずだ、と。


 聖堂内を進んでいくと、やがて立ち入り禁止区内に達した。これ以上は部外者禁止、聖域だから誰も立ち入れぬ、そんなところか。なんて思っていたら一定の寄付をしたら立ち入ることが出来るという。どのくらいの金額を寄付したらいいのだろうか?


「私には分かりませんねぇ」


 やはり聞く相手が悪かった。アイリはこういう銭勘定が苦手。これまでの付き合いから分かっている事じゃないか。まぁ、あれだ。クリスの全国地図のアレと同じようなものだ。これがレティならば的確に答えてくれただろう。


 色々と考えて、係の者に三〇万ラントほどを出して通してもらった。【収納】でお金を出したので相手は驚いたようであるが、通路を開けてくれたので金額的には問題がなかったのだろう。俺はアイリと一緒に立ち入り禁止区内に立ち入り、神殿の奥に進む。


 神殿は単一の建物ではなく、複数の建物で構成されているようで、渡り廊下を通って次の建物に入る構造になっている。そこで白く長い顎髭を伸ばした、神官姿の初老の男が背中から駆け寄ってきた。


「お、お待ちを。私はラシーナと申す。いきなりだが貴殿の名は」


 どうするべきか考えたが、年長者なのに先に名乗りを上げているので答えなければならないだろう。


「私はグレン・アルフォード。学園の生徒です」


 するとアルフォード商会の方か、と聞かれたので素直に肯定するしかなかった。しかし王都にいる聖職者の間にもアルフォード商会が知られるようになったのかと思うと、正直ビックリである。ラシーナと名乗る神官は、ケルメス宗派の枢機卿とのことで、高位にある神職身分の人物だった。


「一つお尋ねしたいが、何故あのような多額の寄付を・・・・・」


 多額! 多かったのか、あの額が。三〇万ラントぐらいが妥当かと思ったがそうではなかったのか。日本円換算で考えてみる。九〇〇〇万か・・・・・ 確かに多額か。この世界にいたら、儲かるのが当たり前過ぎて金銭感覚が麻痺してしまう。この程度かな、と思って出しました、みたいな事を言っても通りそうもないので、急遽別の理由を作った。


「以前デビッドソン司祭という人物にお世話になったのですが、感謝をする機会に恵まれず、こちらの方に寄付という形で・・・・・」


「おお、主任司祭のデビッドソン殿か。なるほど」


 ラシーナ枢機卿は長い白鬚を揺らしながら頷いた。合点がいったという感じである。しかしフレディの父親って主任司祭という地位だったんだな。ただの司祭よりかは責任ある立場という事なのか。


「よく分かりました。アルフォード殿、今後ともケルメス宗派とケルメス大聖堂のこと、よろしくおねがいしますぞ」


 ラシーナ枢機卿はそう言って頭を下げると、俺達の元から立ち去った。あれは多分今後の寄付の事なのだろう。クラスで今度、フレディに改めてケルメス宗派について聞いてみなければ、と思った。


 神殿の一番奥の建物に入るとそこは無人だった。祭壇と机らしきものはあったが、椅子はなかった。ガランとした広い空間。仏像や御神体のようなものも飾られていない。ケルメス宗派ってどんな宗教なのだ?


「アイリ、ケルメス宗派の神様ってどんな神様なんだ?」


「私もよく分からないんですよねぇ」


 えええええ! 修道院にいたのに知らないのか!


「特には教えてもらいませんでしたから。グレンも知らないくらいだから、私が知っている訳もないし」


 いやいやいや。知らないからアイリに聞いたんだ。まぁいい。知らなくても普通に生きているんだから、知らなくても問題がないんだろう。詳しいことは全部フレディに聞けばいい。


「でも大聖堂に初めて来ましたが、きれいですね」


「うん、そうだな。飾りっ気はないけど、整えられているな」


 荘厳とか豪奢とか華美ではないが、手入れが行き届いている事もあって、神殿風の大聖堂全体がクリアな領域になっている。神域とか聖域とかでも無さそうなのが面白い所だ。神社仏閣やヨーロッパの教会聖堂に入ったときの空気感とはそこが異なる。


「どんなところだろうと思って来ましたが、自然で良かったです」


「うんうん。本当だよな」


 アイリが言うように、大聖堂といいながら本当に自然な空間だった。若いカップルが訪れる理由もその辺りにあるのかもしれない。俺たちはケルメス大聖堂を後にし、アイリのリクエストである『グラバーラス・ノルデン』へと馬車を走らせた。


 ホテル『グラバーラス・ノルデン』はケルメス大聖堂とさして離れていない位置にあった。両方とも同じ丘陵地にあるため、距離が近いのは当然と言えば当然なのだが、今まで意識していなかったため気付かなかったのである。俺たちはホテルに着くと、フロントの脇にあるラウンジで休憩した。


「落ち着いた雰囲気ですよね。『グラバーラス・ノルデン』は」


「アイリはこれで三回目だよな、確か」


 最初は今アイリの右手中指に輝く『癒やしの指輪』を取りに行った帰り、二回目はモンセルの帰途。いずれもレストラン『レスティア・ザドレ』での食事がメインだった。今回、アイリが『グラバーラス・ノルデン』の温泉に入りたいということで、それはいいアイディアだと今日のコースに入れたのである。


「最初入ったとき、こんな高いところに、ってビックリしましたから」


「そうだよな。高級ホテルだもんな」


 『グラバーラス・ノルデン』は王都トラニアスの最高級ホテルという位置付け。ただトラニアス中心部から少し離れた所にあり、アクセスだけに限って言えばカジノ界隈にある『エウロパ』『カリスト』には劣る。だが自然と静寂が調和し、掛け流しの温泉を始めとする施設の素晴らしさで評価されているのだ。


 俺はその掛け流し温泉に今、ゆっくりと入っている。入ったのは半月ぶりか。あのときはアルフォード家の家族会議の時だった。俺は温泉に入っているが、ザルツもロバートも今は異国の地で交渉中のはず。俺ばかり楽をさせてもらって悪いな、と思いつつ、この温泉を堪能させてもらっている。入っているうちに少しウトウトしてきた。


 結局、俺は入浴中に少しばかり寝てしまった。あまり身体に良いことではないはずだが、気持ちよかったのだからしょうがない。おれはサッサと身支度を調え、予約していたレストラン『レスティア・ザドレ』の個室に飛び込んだ。


「お、アイリ。もうお風呂から出てきていたんだ」


「今回は私のほうが早かったですね」


 アイリはニッコリと微笑んだ。お風呂で寝てしまった事を話すと「その気持ちわかります、気持ちいいですから」と返してくれた。湿り気が残ったプラチナブロンドの髪を見て、初めてアイリとこの部屋で食事をした日の事を思い出す。本当にアイリは変わらない。可愛さも美しさも神々しさも。アイリはやはりこの世界のヒロイン、俺は改めてそう思った。


「本当にここのお食事、美味しいですよ」


 アイリは『レスティア・ザドレ』の一番の売りであるノルデン料理のフルコースがお気に入りだ。前回のモンセル帰りの際、ここで食べたとき、リサやレティにも「美味しいですから」と薦めていた。今回、アイリがワインが飲みたいと言ったので、先にある程度食事が進み、水を飲んでからワインを出してもらうようにした。


 前にモンセルでヒロイン二人がまさかの二日酔いという珍事件が発生したので、ああいう事にならないように手を打ったのである。レティは酒呑みなので食べるようにして酒量を調整すれば二日酔いは回避できるだろうが、アイリの場合、飲む機会が少ないので脱水症状が起こらないように気をつけないといけない。


「グレン。今日は本当にありがとう。私のわがままを聞いてくれて」


「何言ってるんだ。鍛冶ギルドやケルメス大聖堂まで一緒に来てもらっているのに」


 アイリは頭を振った。


「だってグレンと一緒にいるのが楽しいですから」


 そう言ってニッコリ笑ったアイリはグラスのワインを飲み干した。さっきから見ていると、以前よりワインを飲むピッチが速くなっている。レティと飲む機会があると言っていたが、その影響なのだろうか? 俺は空になったアイリのグラスにワインを四分目ほど注いだ。


「私、聞きました」


 俺がグラスを口に近づけ、ワインを含ませているとアイリが何かを話し始めた。


「グレンがクリスティーナさんと一緒にクラウディス地方に行ったことを」


 思わずワインを飲み込んでしまった。いきなり何を言い出すんだアイリ。


「誰から聞いたんだ?」


 口からはありきたりな言葉しか出てこない。


「どうして言ってくれなかったのですか」


 アイリは俺の質問に答えてくれない。一体どう言い訳、もとい説明すればいいのか・・・・・


「クリスが突然、用があると言い出して・・・・・」


「だからどうして言ってくれなかったのですか!」


 微妙な論点ずらしを試みたが無意味だった。青い目が据わっている。アイリはゆっくりとグラスを持って口に近づけるとワインを呷った。これは危険だ。俺の脳内では非常警報がなっている。鈍い俺でも分かる、今のアイリはヤバいと。先程までの穏やかさが何故か一変してしまった。いきなりの嵐襲来に俺は面食らって思考が止まる。


「グレン。ちゃんと言いなさい!」


 アイリのソプラノの声が俺を突き刺す凶器に変わった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る