108 波乱の予兆

 俺たちが『玉鋼たまはがね』を作っているアビルダ村からデルタトスの宿泊施設に戻ってきたのは夕方のことだった。フィーゼラーが言っていたようにアビルダ村への往復は本当に一日がかりの行動。同行していた従者のトーマスとシャロン、侍女のメアリーにも疲れの顔が見える。俺たちは食事を済ませると明日に備え、早々に部屋に戻った。


 翌日。クラウディス城への帰途の準備を進めているとアウザール伯が訪れて来た。今度こそ見送りの為であろう。万が一「私もご一緒に」なんて言われても、俺に対処する方法はない。


 皆が馬車に乗り込むところで、俺にアウザール伯が声をかけてきた。


「これをダグラスに頼めないか」


 アウザール伯は封書と剣を差し出してきた。俺は快諾した。


「ヤツとは長く会っていない。が、昨日の話を聞いて元気にやっているのだな、と思ったのだよ。宜しく頼む」


 実は昨日、グレックナーが何をやっているという質問に、俺のところで警備団をやっていると答えたら、アウザール伯が笑いすぎて地面にへたり込んでしまったのである。それまでのできる男というイメージをぶち壊す事態に、思わず苦笑してしまった。だがアウザール伯にとって、学園時代の思い出はそれだけ楽しいものだったのだろう。


 俺たちの一行は、アウザール伯らデルタトス行政府の人々の見送りを受け出発する。その車中だが、もちろんと言おうか、当たり前と言おうか、タダでは済まされなかった。出発するなり、クリスの尋問が待っていたからである。俺は事の経緯をありのままに説明した。グレックナーに求められて闘技場で決闘する事になった過程を。


「それで殺し屋さんと決闘を?」


「ああ。人を殺した事がない元殺し屋だが・・・・・」


 俺が事実を伝えると向かいに座っているトーマスとシャロンが噴き出した。しかし主君が顔色一つ変えずに目を瞑っているのを見てか、直ぐに平常運転に戻る。クリスがそのままの状態で訊いてきた。


「結果はどのように」


「相手の打撃力がカインの三倍以上あって、どうかと思ったが何とか互角に持ち込めた。そしてこちらの一撃で終わった・・・・・」


「勝ったのですか?」


「いや、相手の体力が「一」で踏みとどまった」


 俺がそう言うとトーマスが割り込んできた。


「そんな事、あり得るのか?」


「戦士特殊技能【生命保持ホールドアップ】というものらしい。トーマス。お前もレベルが上ったら身につけられるぞ」


 トーマスは唖然としている。実はトーマス、剣士じゃなくてグルックナーと同じ戦士属性なのだ。


「では負けたのですか?」


「いやそうじゃない。今度は俺がやられたんだが、付けていた『命の指輪』が砕けて、俺も体力が「一」になった。そこにレティが割り込んできたから、決闘はそれで終わった」


「レティシアさんがどうして」


 クリスが琥珀色の目を開いてこちらを向いた。


「相手さんの要望でヒーラー要員として立ち会ってもらったんだ。結果、両方共身動きが取れなくなってしまっていたから正解だったんだが」


「ですが、シーズン中なのではありませんか」


「そうなんだが、レティの家は王都の屋敷を売り払ったらしくて、寮で暮らしながらホテルで身支度してパーティーに行っているそうだ」


 俺の説明にクリスが驚いている。屋敷を売り払うなどという事など考えたこともなかったのだろう。


「レティの家は決断できているからマシな方で、もっと深刻な問題を抱えている家は多いと思うぞ。だからセシメルで聞いたような話が出てくるんだ」


「そのように話が繋がるのですね。私はもっと知らなければなりません」


 クリスは目を瞑って俯いた。俺は思ったことを言った。


「確かにそういう事を知るのも勉強の一つだが、クリスは他の人に出来ないことを今日やったじゃないか。領民に希望をもたせる事を。ああいうことは中々できない。大したもんだ」


「ありがとうございます」


 クリスはこちらを向いて微笑んだ。人間なんでもできる訳じゃない。できることからすればいいんだ。昨日のアビルダ村での俺とクリスの違いを思い出しながら、心底そう思った。馬車がクラウディス城に到着したのは、その日の夕方。既に日が落ちようとしていた時間で、空は夕陽で真っ赤に焼けていた。


 俺とクリスが領主代行のノルト=クラウディス卿デイヴィッドに呼び出されたのは翌日の午前の話だった。王都への出立が明日と決まり、その挨拶かと執務室を尋ねると、長兄デイヴィッド閣下以外に二人の人物がいた。一人はサルス・クラウディア執権イードン伯。クラウディス城に来た日の夜、出迎えた人物だ。もう一人は初めて見る。


 デイヴィッド閣下から応接椅子への着座を勧められた俺たちは椅子に座ると、上座にデイヴィッド閣下、向かいにイードン伯ともう一人の人物が座った。俺たちの後ろには少し離れて二人の従者トーマスとシャロンが立っている。


「先日話のあった小麦の出来についてだが、アルフォード殿の申された通り出来が悪いそうだ」


 デイヴィッド閣下の発した言葉によって、場の空気が重くなった。向かいの二人の表情を見ると予想以上に深刻そうだ。二人のうちイードン伯が口を開いた。


「詳細な話は、徴税責任者のラウニーよりお伝えします」


「小麦の出来についての連絡を受け、至急農家への聞き取りを行いましたところ、例年になく出来が悪いと答える者が多く、中には収穫そのものが難しいのではと嘆く農民もいたとの事でした」


「どの程度減るのだ?」


「あくまで複数の聞き取りの範囲ですので、判断に困るところでしょうが、例年の半分に達すればというような状況ではないかと・・・・・」


「半分だと! それでは卸すどころか、領民の食糧にも満たぬではないか」


 ラウニーの説明にデイヴィッドは思わず立ち上がった。無理もない。デイヴィッドは領主である父から所領を預かる身。それがいきなり食糧が足りませんなどと言われれば、気が立つのは当然だ。


「今年は雨が多かったですか?」


 俺は聞くと、三人全員が確かに雨の日が多かったと答えた。多分それだ。着座したデイヴィッドが雨と出来の因果関係を尋ねてきた。


「雨が関係あるのか?」


「ええ。日に当たる時間が少ないと、実が育たないんですよ。これはクラウディス地方だけの話ではなさそうですね」


「・・・・・全土に及ぶ可能性・・・・・もか」


 俺は首を縦に振った。俺に聞いてきたデイヴィッドは天を仰いでいる。向かいのイードン伯もラウニーも沈痛な面持ちだ。状況が予想以上に深刻な事は三人の態度から分かった。


「仕入れられませんか」


「小麦を? それはできるだろうが、他所が困ることになる」


「・・・・・」


 クリスの質問にそう返すと、そのまま沈黙してしまった。そうなのである。ノルト=クラウディス公爵家は宰相家。自領だけが良くなっても、他がダメでは責任は宰相のところに行く。他の貴族とはそこが全く異なる。


「グレン。いい手はありませんか?」


 クリスが迫ってきた。いい手とは言っても・・・・・


「他所が困らない形で小麦を買える方法です」


 いやいや、そんな都合のいい話が・・・・・ その時、はっ!と思った。


「クリス、他国から仕入れればいいんだ!」


「!!!!!」


「そんな事ができるのか!」


 デイヴィッド閣下が俺に声を上げた。向かいの二人はビックリしている。


「実は最近、我がアルフォード商会はサルジニア公国に「ジニア=アルフォード商会」を設立しました。そこからモンセルのアルフォード商会を通じて小麦を仕入れるのです」


「それができましたら、他所が困ることはありませんわ!」


 クリスが目を輝かせてこちらを見てくる。


「よくぞ、そのようなルートを開拓したな。ならば小麦を入れて領内の不足に備えたい」


「では私めはどの程度の不足が見込まれるか、概算ですが算出致します」


「トスのアウザール伯、ノルトのジームス伯にも連絡を取り、早急に対策を立てねばなりませぬな」


 デイヴィッドの声に徴税責任者のラウニーと、イードン伯が後に続く。


「では私はこれよりすぐ、モンセルのアルフォード商会に封書を送ります」


「おお。我が家の早馬で届けさせよう」


「モンセルにはトーレンなる番頭が切り盛りしております。以後、トーレンとのやり取りを」


「了解した」


 デイヴィッドと俺との話し合いで、過不足無く必要最小限どの仕入れを行い、所領の財政と食糧状況を両睨みをしながら事を進める事で一致した。


「後は王都の父への報告なのだが・・・・・」


「私にお任せ下さい!」


 クリスは立ち上がると力強く言った。それを見たデイヴィッドは目を伏せ、微笑んだ。


「よし分かった。封書を託す故、父上への報告は任せよう。頼むぞ」


 はいっ!と返事をするクリスは家の役に立つ自分を誇らしく感じているようであった。

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