105 心の内にあるもの

 トス行きの了解を得たクリスは安心したような顔を見せて、兄の執務室を後にしようとしていた。だが俺はノルト=クラウディス卿デイヴィッドを直視したまま、立ち位置を動かさない。その振る舞いに疑問を思ったのかクリスの視線が俺に刺さったが、敢えて無視して話を切り出す。


「閣下。少しよろしいでしょうか」


 そう問いかけると、長兄デイヴィッドは少し戸惑った色を見せたが「なにか?」と返してきた。クリスの方は動きを止めて何事かと俺の方を見てくる。


「今年の小麦の出来について何かお話を伺っておられますでしょうか?」


「いや、特には・・・・・」


 収穫までまだ期間がある。領主代行であるデイヴィッドの反応を見るに家中の者が誰も把握していない可能性が高いな、これは。


「昨日シャダール行きの車中において畑を見ておりますと、小麦は黄褐色だが、穂先が細い。これは実がふくらんでいないからだと思われます。つまり・・・・・」


「不出来だと・・・・・」


 デイヴィッドの顔が真剣なものになった。


「私も車上での確認でしたから、断言はできません。ですが先日私の故郷、モンセルへの帰途の際、街中で作物の出来が悪いとの話を耳にしておりましたもので、気になっておりまして・・・・・ 気のせいであれば良いのですが」


「いや、わざわざ知らせてくれて礼を言う。万が一不作ともなれば食糧が不足し、大変な事態となる。早急に詳細を調べ対応策を考えたい」


 長兄デイヴィッドはサルスディア行政府にいるサルス・クラウディア執権イードン伯と協議すると説明してくれた。この「執権」という地位は昔の「代官」に当たるのだろう。歴史を知らないから詳しくは分からないが、悪代官と悪徳商人なら理解ができる。俺は一礼し、クリスと共に執務室を後にした。


「・・・・・驚きましたわ。いきなり・・・・・」


 居間に戻るとクリスは呟いた。


「もしかしてあのお話・・・・と関係が・・・・・」


「ああ、そう睨んでいる」


 クリスが心配そうな面持ちとなる。それは自分の家の没落話だからだ。


「不作となったとすれば食糧難となる。そうすれば・・・・・」


「民が困窮し、不満が大きくなります」


「そういうことだな」


 クリスの見立ては正しい。正しいが食糧は小麦だけではない。もちろん主食は小麦であり、ウェイトが大きいのは事実。だが小麦不足だけで民の不満が高まって爆発するのだろうか?


「何か他にもあるのですか? お顔を拝見しますとそのように見えますが」


 クリスは鋭い。黙っていても勘ぐられるだけか。ならばと疑問点を率直に話す。すると思わぬ答えが返ってきた。


「小麦がないと思えば、誰もが他の作物を買い集めるでしょう。ですので食糧全体が不足します」


 なるほど。一つの作物が不足すると思えば色々な食糧を買いだめする。だからどの食糧もなくなるのか。人の心理がそう動くという訳だ。こういう話は俺よりもクリスの方が上だな。


「先程デイヴィッド閣下に申し上げた事が杞憂であればいいのだが」


「正しいのではないですか? グレンの話と合致しますから」


 俺よりも俺の言ったことを信じ切るクリスの方が素直に凄いと思う。俺の話はあくまでゲームエレノの流れ。それがリアルエレノでどう変化していくのかなんて全く想像できない。まずもってクリス自身、ゲームとリアルで違うのだから。


「ですので今後、異変に気付きましたら、私にも教えて下さい」


 俺はクリスの望みを断る事はできなかった。クリスの父親である宰相ノルト=クラウディス公の立場と密接に関わる問題であり、同時に公爵家の浮沈に関わる事案だからである。だから俺は気がつけばクリスに教える事を約束した。


 クリスと共に居間で昼食を摂った後、俺は約束通りフィーゼラーの父親と会いに向かう。案内は執事に頼んだので、広い屋敷を迷うこと無くフィーゼラーがいる衛士の詰所までたどり着くことが出来た。詰所にはフィーゼラー以下数名の衛士がおり、フィーゼラーは詰所近くにある応接間へと俺を案内してくれた。


「君は凄いな。お嬢様と気安く話せるなんて」


「いやいや。部外者だからな、俺は」


「先日もそうだが、あのようなお嬢様は初めて見たよ」


 まぁ、基本ツンツン娘だからな、クリスは。ただそれは責任感からのものであって、本来の気質じゃない。その辺り、臣下の者には分かりにくいだろう。俺は前から気になっていた件をフィーゼラーに聞いた。


「王都から警護に来ていたアッカード卿たちは元気なのか?」


 俺がそう聞くなり、フィーゼラーが苦笑した。


「まぁ、元気になったんだけどさぁ。王都には行きたくないって」


 なんじゃそりゃ。理由を聞くと王都の時間についていけないとの事だった。特に高速馬車の速さは圧倒的だ、あれにはついていけないと異口同音に話したのだという。主君を護るどころじゃない話。ダメだこりゃ、というエレノお決まりの展開だった。


 フィーゼラーと帰ってきた衛士達の話をしていると応接室に二人の人物が入ってきた。一人は侍女のメアリーで、もう一人は長身で体格の良い中年の人物。顔の作りからしてフィーゼラーの父親だろう。


 フィーゼラーの父親はレナード・フィーゼラーといい、現在はクラウディス城の警護責任者の一人を務めているのだという。どうしてメアリーもいるのかと聞いたら、レナード・フィーゼラーが誘ってくれたからだと答えた。よく考えたら共にかつての宰相の従者。トーマスとシャロンのような関係なのだから、メアリーを誘うのは自然な話か。


 挨拶もそこそこに歓談となったのだが、話題の方はといえば全員が学園を卒業しているという事もあって、学園におけるクリスの様子の話となった。少し気になったのはメアリーの話で、クリスが帰郷してから話をする機会が何度もあったのだが、学園の話は一切出てこなかったそうだ。


「ですが貴方の話はすごく多くて」


「え、私の話ですか?」


 クリスよ。一体何の話をしたのだ。


「貴族の子息の方との決闘の話を」


 フィーゼラー親子の視線が俺に向かってきた。学園出身者にとって「決闘」は格別なものであるらしい。


「相手を木の枝で倒してしまわれた、と仰って」


「あれは相手が魔剣を持ち出してまして、木の枝を持って魔剣の方に敵意はないとなだめる戦法に出たからですよ」


「いや、君は魔剣持ちと戦って勝ったというのか!」


 フィーゼラーの父、レナード・フィーゼラーが驚いたように言ってきた。


「まぁ、相手が聖騎士なのに、なぜか魔剣を持ってきたみたいな状態でしたから」


「え?」「なんですって!」「なんと!」


 全員が呆れ返って、ドッと笑い出した。


「俺がやると、いっつもこんな話なんですよ。なんで決闘なんかしてるんだ、というような」


「お嬢様がアルフォードさま・・のお話ばかりされる訳ですね」


 メアリーが微笑みながら話した。クリスよ。もっと家族の事を話せよ。


「いやいや。だから閣下が「グレン・アルフォードをつけたので宜しく頼む」と書いておられただけのことはある」


 なに? 宰相閣下はクリスの帰郷に際して、かつての従者であるレナード・フィーゼラーにも手紙を出していたというのか。


「はい。「なかなか面白い人物だから」と書かれておられましたわ」


 侍女のメアリーもそう話している。かつての従者に宛てて手紙を書く。宰相閣下は中々の筆忠実まめのようだ。


「閣下はお元気であらせられるか」


 レナード・フィーゼラーが訊ねてきたので、俺が知りうる限りの近況を伝える。するとレナード・フィーゼラーも侍女のメアリーも目を輝かせ、前のめりになって俺の話に耳を傾けた。かつて従者として仕えた主君の話が一番聞きたいのだろう。多分、トーマスとシャロンもクリスと離れたら、おそらく同じような事になるのだろう。


 俺は宰相閣下と面会する契機の話、『金利抑制案』で宮廷工作を仕掛けたら、どういう訳か宰相閣下の前に立たせられた話をすると、二人共喜んでその話に耳を傾けた。


「いやぁ、これは一杯食わされたと思ってしまいました」


「まぁ、閣下ったら」


「全く変わっておられないな」


 そうなんだ。あれが宰相閣下の「地」なのか。


「悪戯っぽいところがお有りなのです」


 侍女のメアリーが楽しそうに言った。


「学園時代は人を驚かせるような事を何度かなされて、後が大変でした」


「そうでしたね」


 レナード・フィーゼラーの回顧にメアリーが同意している。なんでも『学園学院対抗戦』のとき、その身分から学園側からメンバー入りを自粛するように求められた事があったらしい。その時、宰相閣下は学園側に同意しつつ、登録メンバーの数を減らすように根回しを行い、当日、人数が足りないからと宰相が自ら名乗り出て、急遽「飛び入り」参加した、と。


 人数が足りない状況を作り上げ、たまたま・・・・を装って手を挙げる、予定調和甚だしい理想的な三文芝居。中々の策士ではないか、宰相。レナード・フィーゼラーとメアリーは楽しそうに語らい合っていた。二人にとって学園の思い出は、そのまま青春時代の思い出なのだろう。内容はまるで違うが、なんだか俺と佳奈を見ているようだ。


 宰相の二人の元従者と息子のフィーゼラーとの歓談は、終始和やかな雰囲気だった。これは思い出話や彼らの人柄というものもあっただろう。去り際に侍女のメアリーから「明日もよろしくお願いしますね」と声をかけられた。


「いやぁ、親父もメアリーさんも喜んでいたよ。ありがとう」


「いやいや。ところでフィーゼラー。名前は何というのだ」


「グレゴールだ」


「そうか。これからはお互い名前で呼び合おうぜ。グレンでいい」


「では、グレンと呼ばせてもらうぜ」


「ああ、グレゴール。よろしく頼む」


 俺とグレゴール・フィーゼラーは固く握手を交わした。

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