104 玉鋼を求めて

 朝。ハッと起きると、部屋にはなぜかクリスが立っていた。


「おはよう、グレン」


 クリスの声を聞いた俺は、布団の中でとっさにスボンの上に手をやった。


(だ、大丈夫のようだ)


 下着の中は湿っていない。感覚があったので「しまった」と思ったが、何ともないようなので俺は一安心した。今はクリスと目も合わせるのも恥ずかしい。しかし、ちょっと待て。今、どうしてクリスが俺が寝ている部屋に立っているのか? 


「遅いから起こしに来たのよ」


 俺が疑問に思っている事を察したのか、クリスは答えてくれた。


「お食事の用意ができていますので、居間でお待ちしています」


 クリスはそう言うと、会釈をして部屋から立ち去った。ふぅ、と長く息を吐いて安堵する。


(危なかったぁ。何もなくて)


 俺がハッと目が覚めたのは、佳奈との夫婦生活の夢を見たからだ。肉感的なリアリティーのある夢だった。そんな夢をクリスの実家で、しかもまた悪いことに、よりにもよってクリス本人が目の前にいるときに見るか、と。まぁ下着を汚すような事態は避けられていたようなので良しとするしかない。


(まぁ、昨日は色々あったからな)


 ドラゴンであるヴェスタを倒して『女神ヴェスタの指輪』を手に入れた後、クリスを担いでダンジョン内を上がり、『中庭』まで連れて帰ってきた。その後、意識を取り戻したクリスと共にダンジョンから外に向かい、待機していた馬車に乗ってクラウディス城に返ってきたのだ。


(しかし大きかったなクリスの胸)


 背中に残る感触を思い出した。こんな事を言ったら怒られるのは間違いないが、佳奈より確実に大きい。今まで気にもしていなかったが、実際に触れる機会を得たら、俺も男だから意識をしてしまう。まぁ、だから夫婦生活の夢を見てしまったのかもしれない。


 それより昨日はクラウディス城に帰ってきてからが大変だった。城に帰ってきたのが二十一時近くということで、何があったのだとクリスの長兄ノルト=クラウディス卿デイヴィッドをはじめ家令トラスルージン伯、クラウディス騎士団長スフォード子爵、侍女長のヘルトスディーム、侍女のメアリーらが、俺たちを取り囲み、厳しく問い質してきたのだ。


 もしあの時フィーゼラーに頼んで、早馬を先行させ、帰途が遅くなることを城内に告げていなかったなら大変な事になっていたであろう。フィーゼラーによると、ダンジョン外で待機していた衛士の一人にシャダールの駅舎まで走らせ、その衛士が馬を借りて駆けたらしい。


 先ずクリスが『女神ヴェスタの指輪』を取りに行った事情を説明し、次に俺が『女神ヴェスタの指輪』の云われについて話した。『癒やしの指輪』『護りの指輪』『勇者の指輪』といった、秘めたるアイテムの一つである点や、クリスだから授けられた点を強調し、論点を逸らす。もちろんドラゴンと一体化したことについては全く触れなかった。


 最後にクリスが説明不足であった点を侘び、今後このような事が起こらないよう注意をすると頭を下げた。そこまでされると取り囲んできた面々もそれ以上は言えない。代表して長兄のデイヴィッドが「逸脱する行動は厳に慎むように」とクリスに注意すると、結局それで散会となってしまった。


 俺は風呂と食事を済ませ、自身に充てがわれた部屋に入ったのだが、一人になるとダンジョンで見た東京の光景を思い出し、興奮して眠るどころではない。【収納】でワインを取り出すとグラスに注ぎ、チビチビと飲みながらこのエレノ世界からの帰還への想いに耽った。


(現実世界とエレノ世界は繋がっている)


 どういう理屈なのかは不明だが、ダンジョンの地下と東京の上空が繋がっていた。あり得ない繋がり方だが、本当にそうやって繋がっているのだから認めるしかない。しかし、その光景を広げようと壁面にナイフを突き立てたのだが、隙間が広がるどころか壁に傷一つつかなかった。そしてやがて光も消えてしまって、何も見えなくなってしまう。


(あそこから戻ることはできない)


 ダンジョンと東京上空が繋がったのは『バグ』であるかもしれない。であれば、あの妙な繋がり方や、広がらない隙間は納得がいく。ならばあそこから俺は現実世界に戻るのは難しいだろう。あの『バグ』ではそれ以上広がらないからだ。しかし、俺も通ることができる大きな隙間。『ゲート』の存在がある事は確実になったのではないか。


 そんな事を考えていたらだんだん眠くなっていったので、ワインを片付け、俺は寝床に潜り込んだ。すると肩に残る、クリスの胸の感触を思い出した。大きいというのもあるのだが、クリスが改めて可愛らしく思えたのである。まぁ、元々美人なのだが、しおらくなったりすると本当に可愛い。俺はクリスの顔を思い出しながら眠りについた・・・・・


(だから、やってしまったのだろうな)


 寝る前にああいう事を考えちゃダメだな。煩悩は掻き消さないと帰られるものも帰られなくなってしまう。これからは気をつけないと。俺は食事を摂るため【装着】で服を着替え、部屋を後にした。


 居間でクリスと一緒に朝食を摂りながら、俺がこっちにやって来た目的である『玉鋼たまはがね』の話となった。クラウディス地方の山岳部であるトス地域にあるという『玉鋼』について、『女神ヴェスタの指輪』の情報を仕入れる為にサルスディアに繰り出した際、金属ギルドでいろいろ情報を仕入れた事をクリスに伝えた。


「まぁ早い。あの時にまとめて話を聞いてきたのですね」


「商人だからな。そこらは無駄がないよ」


「さすがグレンですわ」


 クリスは楽しそうに言った。念願の 『女神ヴェスタの指輪』が手に入ったこともあるのだろう。クリスの機嫌はすこぶる良いようだ。


「ところでトーマスとシャロンは?」


「昨日、遅くまで従ってくれましたのでお昼からの出仕にするよう申し伝えています」


 そうか。クリスはそこまで考えてるんだな。そんな事を思っていると、一つ疑問が湧いてきた。俺がこのクラウディス城にやってきてからというもの、殆どクリスと二人で食事をしているような気がする。クリスは令嬢、俺は商人の倅。いくらクリスの家の中、内々とはいえ、ちょっと距離が近すぎるのではないか?


「『玉鋼』はトスのどちらに」


「アビルダという村にあるらしい」


「アビルダ・・・・・ 私では分かりませんわ」


 クリスは呼び鈴を鳴らし使用人を呼ぶと、何か言付けている。その使用人が部屋を出て暫くするとフィーゼラーが顔を出した。


「お嬢様、お呼びでしょうか」


「昨日の働きに感謝しております」


 クリスが頭を下げるとフィーゼラーは「勿体ないお言葉」と恐縮しきりだった。


「ところでフィーゼラー。貴方はトスにあるアビルダという村をご存知ですか?」


「はい。アビルダは鉄を作っておる村です」


 フィーゼラーは簡潔に答え、山岳の谷あいにある村であることを教えてくれた。


「どれくらいかかるんだ」


「デルタトスから半日かかると思う」


 デルタトス。トスの中心地か。クラウディス城からデルタトスまで一日。デルタトスからアビルダを往復するのに一日、デルタトスから戻ってくるのに一日。最低三日はかかりそうだ。


「分かりました。ではこれより兄上とお話してまいります」


 クリスはすっと立ち上がった。


「おいクリス、ちょっと待て。俺は一人で行くぞ」


「いえ。『女神ヴェスタの指輪』を取りに行くのに同行して頂きましたので、今度は私がグレンの用事に同行させて頂きますわ」


「待ってくれ! だったら俺もデイヴィッド閣下との話、聞かせてもらうぞ」


「えっ・・・・・」


 思わぬ返答だったのだろう。クリスが固まっている。俺はつかさず立ち上がり、先に部屋のドアを開けると、慌ててクリスがこちらにやってきた。去り際、フィーゼラーに礼を述べると、フィーゼラーの父が俺に会いたいとのこと。ならば昼に顔を出そうと約束して居間を後にし、クリスの先導で長兄デイヴィッドの部屋に向かった。


 デイヴィッドの執務室前に到着すると、直ぐに室内に通された。俺はクリスの従者が如く、その背後に陣取った。部屋に入るなり、クリスはトス行きの趣旨を説明する。だがデイヴィッドは昨日のダンジョンの件を持ち出して取り合わない。当然だ。


 昨日遅くまで帰って来ずに心配させておきながら、舌の根も乾かぬうちにお出かけしたいとはなんだ、となるのは当然だろう。だが、そんな事を言われたからといって簡単に引き下がるようなクリスではない。


「私めは父上とお約束しましたの。『アルフォードさま・・』同行して学びますと。ですので共にトスに行かなければ、父上との約束は果たせません」


「ク、クリスティーナ・・・・・」


 長兄デイヴィッドは明らかに困った顔をしている。


「私めは昨日のダンジョンに向かう途中、シャダールなる町を馬車の中からではありますが、この目で確かめることができました。これは以前ではできなかったこと」


「だが・・・・・」


「私はもっと学ばねばなりません。見聞を広めなければなりません。トスに向かうアルフォードさま・・に同行する事は、我が封土について知る好機でございます」


「・・・・・」


 矢継ぎ早に自分の論理を展開するクリスに対し、長兄デイヴィッドは圧されている。温厚そうなデイヴィッドが情熱家のクリスに圧倒されるのは、妹であるということもあり仕方がない部分がある。


「兄上。どうか私めのトス行きをお許し下さい」


 クリスは恭しく頭を下げた。


「・・・・・分かった。トス行きは認めよう。但し条件がある」


 長兄デイヴィッドの言葉にクリスは少し前かがみになったように見える。


「メアリーを同行させることだ」


 クリスが言葉を聞いた瞬間、さっと振り向き俺の方を見た。俺はとっさに小さく頷くと、クリスが長兄デイヴィッドに視線を戻して返事をする。デイヴィッドは侍女メアリーを見張りにつけたか。


「兄上の申される通り、私めのトス行きにメアリーの同行を受け入れます」


「ならばトス行きを許可しよう。アウザール伯の返答後に出発するように」


 トス・クラウディア執権アウザール伯に早馬を出し、準備を整えてから出立することを長兄デイヴィッドは了承した。

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