097 クラウディス城

 俺たちは早朝五時にセシメルを発ち、一路クラウディス地方を目指した。馬車に乗る前、アッカードら一緒に付いてきた衛士を見ると疲れていたようなので声をかけた。すると「こんなに速いとは・・・・・」という嘆きの声が上がる。どうも馬車の速度に対し、精神的に耐えられなかったらしい。


 選抜された筈の護衛が、護衛の役を全く果たさないといういかにもエレノらしい展開。それというのも衛士を選抜した王都警護衛士長ブレーマーに見る目がないからだ。最初から本気でクリスを護る気がないから、こういう事になるのだ。とは言えアッカードら衛士に罪はない。俺は、明日には休めるからもう一息だと声をかけ、励ましておいた。


 一方、苦悶している衛士達と対照的だったのはクリスだった。昨日のジェラルドとの話が楽しかったらしい。そのことを機嫌よく話している。二人の従者トーマスもシャロンも至って元気。若いという事もあるのだろうが、付いてきた衛士とは大違いだ。


「昨日のお話、早かったですね」


 向かいに座る黒髪の従者シャロンが話しかけてきた。その声につられるような感じでトーマスが続く。


「グレンはああやって、仕事をしているのだな」


「まぁ、あれでも遅い方だ。封書が届くのが二日もかかるからな。俺の世界だったら、どこにいたって一秒もかからない」


「えっ!」


 全員驚いている。現実世界じゃメールやメッセ、SNSとかいったもので、即伝達できるもんな。


「報告も一瞬、決断も一瞬みたいな状態だ。一秒遅れたら負けみたいになっているな」


 仕事場では判断のスピードで外国に負けているという話を耳にした事がある。こっちが稟議を回している間に、相手側が決断して仕事を取られるというお決まりのパターン。エレノ世界のスピードでは稟議書回しは有益だろうが、分や秒を争う時代になってしまうと、逆に仇となる。時間自体が隙となってしまうからだ。


「グレンは向こうでそんな感じで仕事をやっていたんだ」


「いやいや。俺は書類整理や確認が主な仕事だ。仕事のお膳立てをする仕事さ」


「先ほど言っていたメールとか言うのを使って?」


「ああ、届いた文書の不備がないかを確認したりする仕事だ。終わったら別の部署に回す。同じような定型業務。毎日それをやり続ける」


「それで、よく持ちますね」


 感心するトーマスに俺は言った。


「消耗するから辞める人間も多いよ。俺がやっている仕事に限った話じゃないが、仕事の流れが早すぎて、ついていけない人間は多いから」


 そうなのだ。人間は、急激な変化に対応する事がなかなか難しいのだ。


「例えば同行している衛士なんか、高速馬車のスピード感にすら、ついてこれないのだからな。人間は直ぐには対応できないんだ」


「衛士がどうかしたのですか?」


 クリスが心配そうに訊いてきたので、俺は馬車に乗り込む直前に見た、衛士の状態を説明した。


「衛士の皆さんも大変なのですね」」


「仕事だからな。しかしあれでは暫くの間、休養が必要だろう。どうも馬車の速度で摩耗しているようだ」


「ですからグレンとトーマスがいるので、護衛は不要と申し付けておきましたのに・・・・・」


 やはりそうだったのか。クリスはそう言ったが、責任者のブレーマーが下がらなかった。だからトーマスと一緒に俺の所に回した、と。トーマスと目が合う。頷いている。俺の予測、どうも間違いなさそうだ。


「衛士の皆さんには、しっかりお休みをしていただきましょう」


「そうだな。しかし、何のために付いてきたんだ、衛士達は? となってしまうが・・・・・」


 一同から笑いが起こった。警護する対象者から休むべきなんて普通は言われないのだから。まぁ、警護が機能しなくても安全であるというというのは大切なことなので、それで良しとしようじゃないか。話をしている間に馬車が二回目の中継地に到着し、速やかに馬の繋ぎ変えをすると、また走り出す。


「クリス。どうして宰相ではなく、お兄様にしたのだ?」


 俺は昨日生じた疑問をクリスに正した。リサ宛に同封したクリスの便箋には、リサとシアールの協議内容をクリスの次兄アルフォンス卿に託すようにしたためられていたからである。


兄様にいさまに伝えた方が確実に伝わると思いまして」


 クリスは説明してくれた。宰相と面識がある俺と違って、リサもシアールも面識がない為、俺やクリスの手紙だけでは門前払いされる可能性が高い。そこで宰相の脇で仕える次兄アルフォンス卿を介すれば良いと判断したのだという。


「兄様にはグレンの事も話をしておりますので、適切に対処できると考えました」


「なるほど。流石はクリスだ!」


 俺がそう言うとクリスはニコッと笑った。クリスの周りにはいつもより刺々しさがない。故郷に帰るということもあるのだろう、張っていた気が和らいでいるのかもしれない。それはシャロンもトーマスも同じだろう。


「トーマスもシャロンもご両親に会うことができますね」


 言葉には出さないが二人共、嬉しそうだ。「明日はゆっくりと家族で過ごすように」とクリスが伝えると、二人共主君にお礼を述べていた。四回目の馬の繋ぎ変えを行う頃には既に夕方となっていた。高速馬車はいよいよクリスの故郷、クラウディス地方に入った。


 クラウディス地方の中心地サルスディア近くにあるノルト=クラウディス家の本城『クラウディス城』に到着したのは夜が更けた二十時過ぎのことであった。出迎えにはクリスの長兄ノルト=クラウディス卿デイヴィッド、サルス・クラウディス執権イードン伯、家令トラスルージン伯、クラウディス騎士団長スフォード子爵ら文武両官が立ち並んでいた。


「ただいま王都トラニアスより帰参しました。夜分のお出迎え感謝します」


 クリスは長兄と居並ぶ文武の家臣らを前に、全く気負いすることもなく堂々と挨拶した。とても十五歳の子とは思えぬ立ち振る舞いだ。二人の従者トーマスとシャロンはいつもより離れた位置で両脇にいる。俺の方はといえば高速馬車の脇、一緒についてきた四人の衛士達の後ろでひっそりと立っている。


 長兄をはじめ家臣らがひとしきりの挨拶を終えると、クリスらは城の中に入り、文武の家臣らは散会した。俺の元には執事の一人らしき人物が近づき、その案内に従い城内に入る。城だからなんだが、なにぶん広い。というか天井が高い。そして装飾や調度品が豪勢だ。普通じゃない。案内された部屋に入ると先に城に入ったクリスらがいた。


「グレン。ごめんなさいね」


「いやいや。これは分かっている事だから」


 謝るクリスに俺は言った。むしろここに案内されている方が驚きで、俺は別の部屋に行くものだとばかり思っていた。俺たちの元に挨拶の場の真ん中に立っていた貴公子然とした青年、クリスの長兄が歩み寄ってきた。


「デイヴィッド・ライアン・ジュリアス・ノルト=クラディウスです。妹が世話になっています」


「グレン=アルフォードです」


「父の手紙から名は拝見しております」


 宰相は俺のことを長兄に伝えていたか。デイヴィッドは次兄アルフォンスに比べ、柔らかな印象を受ける青年である。顔もクリスに似ているので、中々の美青年だ。今は王都に常駐している父に代わり、所領であるノルト地方とクラウディス地方を治めているという話はグレックナーの妻室ハンナから聞いた。


 長兄デイヴィッドは挨拶を済ませると、ゆっくり食事をと言い残し、部屋を退出した。おそらく旅の疲れを配慮しての事だろう。代わりに部屋に食事が運ばれたので、クリスとトーマス、シャロンと俺で遅い夕食を摂り、用意された寝室でそのまま眠りについた。


 翌日、クリスと会うといつも付き従うシャロンとトーマスはいなかった。高速馬車での話の通り、二人共両親との元に向かったとの事だ。トーマスの父親は昨日の出迎えに騎士団の一員として参列していたらしい。シャロンの両親は共に城内に出仕しているが今日はお休みとの事だ。代わりにクリスの脇には中年とおぼしき一人の侍女が控えていた。


「紹介するわ。侍女のメアリーよ。私が小さい頃から仕えてくれていたの」


 紹介を受けたメアリーは静かに頭を下げた。俺の方も名乗りを上げて頭を下げる。クリスにこれからどうする予定なのかと聞くと母親の墓参りに行くのだという。クリスの母親は二年前にこの地で亡くなったのだ。


「では俺も同行させていただこうか」


 クリスは少し驚いた顔を見せる。だが、俺には参るだけの動機があったので、クリスに同行させてもらうことにした。クリスの母親が眠る場所はクラウディス城のから少し離れた、小高い丘の上だった。木々に取り囲まれたノルト=クラウディス家代々の人々が眠る墓地。その一角にクリスの母、宰相の伴侶の眠る墓があった。


『セイラ・エリザベス・マーガレット・ノルト=クラウディス』


 平たく置かれた四角い墓石にはそう碑銘ひめいされていた。確かに墓石は少し大きいが、それでも王国屈指の権門と称されるノルト=クラウディス家の夫人の墓という割には質素な作りだった。碑文によると享年四十一。若くして亡くなったのだな。クリスの母親は。俺は【収納】で水の入ったボトルと雑巾を取り出し、雑巾を濡らして絞った。


「グレン。何を?」


「こうやって、お墓を拭くのさ」


 俺はクリスの母親の墓を拭き始めた。途中、何度かボトルの水を注ぎ足して墓を拭く。するとクリスが俺に駆け寄ってきた。


「私にもさせて下さい」


「そうか」


 俺は【収納】でもう一枚の雑巾を取り出し、二人でクリスの母親の墓を拭いた。一緒に黙々とひたすらに拭いた。拭き終わると今度は乾いた雑巾でお墓を拭き上げる。拭き終わるとお互いボトルの水で手を洗った。


「これをお使い下さい」


 侍女のメアリーが二枚のハンカチを差し出してくれた。見ると涙ぐんでいる。俺とクリスはハンカチを受け取って手を拭くと、今度はクリスが自分のハンカチを取り出し、メアリーの目元に軽く押し当てた。


「お、お嬢様・・・・・」


「ありがとう、メアリー」


 クリスとメアリーは静かに向き合っている。この二人の間にもおそらく十年以上の誼があるのだろう。俺は二人に構うこと無く、クリスの母親の墓に手を合わせた。俺は引っかかっていた、クリスの名前に『セイラ』が入っていた件を問い質した事を。だからそれをクリスの母親に侘びたかったのである。しばらく拝んでいるとクリスが声をかけてきた。


「それは・・・・・」


「俺の世界ではお墓に向かってこう拝んで参るんだよ」


「色々と違うのですね」


 そう言うとクリスは前かがみに黙祷を始めた。後ろで侍女のバトラーも同じ様に黙祷する。この世界では墓参は前かがみに黙祷する形で行われる。墓に宗教は絡まない。どういう訳か死後の世界に宗教は関与しないのだ。だから墓事情は現実世界と大きく異なる。


 そういえば長らく墓にも行っていなかったよな。自分の世界に帰ったら墓参をしよう。クリスの母親の墓に両手を合わせて拝みながら俺は思った。

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