083 結婚してはみたものの

 晴れて子爵家の娘と結ばれたグレックナー。そこまでは良かったのだが、いざ結婚してみると問題が発生した。妻となった貴族の娘は家事全般が全滅。家の事は何一つできない為、人を雇い入れなければならず、騎士団の給金だけではとてもじゃないが暮らせない。そこで稼ぎのある傭兵稼業に飛び込んだのだという。

 

「ところが平和でさぁ。仕事の入りが不安定なんだよ」


 苦労してるなグレックナー。佳奈なんか自分から働きに出て稼いでくれたりしてくれているんだから感謝しないと。その点、俺はホント恵まれてるよな。同じ恋愛結婚でもグレックナーとは大違いだ。俺はワインを口に含ませてグレックナーに聞いた。


「で、妻室は今」


「『シーズン』だ。実家に帰ってパーティに出ているんだ。あいつにはそれしかできないからな」


 グレックナーによると、妻室は『シーズン』になると実家の一員となって、あちこちのパーティーに顔を出しているのだという。学園時代から社交性があった妻室は、実家の顔として振る舞い、それで家から若干の駄賃を貰っているそうだ。


「顔は広いのか」


「顔だけ・・は広い。俺との結婚話でさえも肴にして話をするぐらいだからな」


 ほう、それはそれは。自分をネタにして人の懐に飛び込むなんざ、中々の猛者じゃないか。


「なら貴族同士の関係は当然・・・・・」


「頭に入っているよな。それだけが取り柄だから」


 グレックナーはグラスのワインを飲み込んだ。空になったグラスに俺が注いでやる。


「だったら妻室に一つ頼みがある。レグニアーレ侯爵という人物がいるんだが、この人物や家門について、知っている限りの事を教えて欲しいんだ。報酬は出す」


 ずっと気になっていたんだよなぁ。レグニアーレ侯爵のトンズラ。あれのおかげで当初の半値である六億ラントで購入できたのだが、どうして逃亡したのか今でも引っかかる。


「どんな関係なんだ?」


「屋敷をその人物から買ったんだが、その際面会を求めたら逃げられた。それでな」


「ちょ、ちょっと待て! 屋敷を買ったってアンタ!」


 グレックナーが慌てている。どうしたのだ。


「『金融ギルド』の話といい、『命の指輪』といい、家からどれくらいのカネを送ってもらっているのだ?」


「あれは全部俺のカネだぞ。『金融ギルド』に入っている家のカネも半分は俺のカネだ」


「は、はぁぁぁぁぁぁ?」


 スキンヘッドがつぶらな瞳を見開いて硬直している。


「商人だからな。たまたまそうなった。気にすることはない」

「それより妻室に言付けておいて欲しい。早馬でこちらに送ってくれたらいい」


「ああ分かった。早急に手配を整えよう」


 グレックナーはそう言うとワインを呷った。俺はつかさずグラスにワインを注ぐ。どこか注ぎたくなる気にさせるところがあるんだよなぁ、グレックナーという人物は。俺はグレックナーに一つ尋ねた。


「で、どうして俺と決闘なんか望んだんだ?」


「いや、絶対に強いと思ったからさ」


「あれで良かったのか?


「良かったどころか、最高だろ」


 グレックナーは機嫌よく語った。まるで俺が決闘のウラのウラまで知り尽くしているかのような、精緻な戦い方だったと。だがそれは、現実世界で乙女ゲーム「エレノオーレ!」をやり尽くしたことが原因なのだとは、とてもではないが言えない。


「正直、勝つ自信があったのだが、途中いつの間にか形勢が逆転しているし、勝負の決め手を見極めた筈なのに、終わってなねぇし、大したもんだよ」


「いやいや。こちらがこの勝負もらったと思った瞬間、負けを悟るなんて思ってなかったよ。本物は違う。プロは違う。と実感したよ。正直恐怖した」


 俺とグレックナーはこの日、長くワインを酌み交わし、結局、ボトル二本空けた。帰りがけ、ボトルの銘柄を見たグレックナーが「二本で三万ラントか。うまいわけだ。いいものを飲ませてもらったよ」と呟き、上機嫌で帰っていった。


 グレックナーと飲んだ翌日。俺はまた元のルーチンワークに戻った。いわゆる鍛錬、ピアノ、図書室の三点セットである。学校に通っているのに学校無視の生活というのは実に気分がいい。もし現実世界で人生をやり直せるのなら、是非やってみたいものだ。


 昨日のグレックナー戦で思い知らされた事がある。商人は剣術をいくら鍛えても所詮は商人にか過ぎないということだ。戦士や剣士といった専門職に対し、どうあがいても対抗できない事がハッキリした。だからせめて武器だけでも最強の物を用意すべきだ。俺はクラウディス地方にあるという『玉鋼たまはがね』を手に入れなければとの思いを強くした。

 

 長期休学中、大きく変えた方針がある。図書館での調査だ。本来ならここで現実世界に帰るためのヒント探しを行うはずだったのだが、全く成果が上がっていない状態。しかも最近は単にアイリやレティとの待ち合わせ場所になってしまっているような有様で、なんのための図書館なんだとなっていた。


 ところが『商人秘術大全』の写本を見たスクロードやクリスが口々に「魔導書」「魔導書」というので、こちらの方にシフトしたらどうかと思ったのだ。もし日本語の記述や、現実世界の事象が書かれていたら帰るヒントになる。これまで図書館の魔法本は商人向きではなく、殆ど読んでこなかったので魔導書を当たってみる事にしたのである。


 そして幾つか読んでいくうちに気付いたことがある。魔導書なのに、魔法を全く解説していないものがあったのだ。いい加減と言えばいい加減なのが、エレノ世界のデフォなのだが、気になる記述がいくつもあった。


 例えば目の前の人が突然消えるという話。新月の日、なんの前触れもなく、忽然と人が消えたというのだ。魔法で人が消えたのではなく、次の瞬間に消えていたという感じで書かれている。それだけならいいのだが、消えた人は消えることを予見していたという部分が引っかかった。


 どうやって消える事を事前に知ったのか。どうして消えることを恐れなかったのか。知りたいことが山ほどある。俺も現実世界に戻ることを事前に知っていたら何も恐れないだろう。素直にそう思ったのだ。


 他にも気の引く話があった。月の話だ。エレノ世界には月と同じ大きさの「月」が存在する。周期も同じ二十九日。満月の時に一番魔力が強くなり、新月の時が最も魔力が弱まると記述されているのだ。人が消えたのも新月なら、魔力が弱まるのも新月のとき。月について調べてみるのもいいかもしれない。


 かねてよりリサの監督の下で進められていた、屋敷の改装工事の一期工事が終わったとのことで、リサの案内で改装した部屋を見学した。まず入ったのは俺の執務室。


「豪壮なしつらえだな」


 執務室に入ると印象深いのは天井の高さ。確実に3メートルはある。控え目だが存在感のあるシャンデリア。重厚な作りの机と総革の椅子。その前に置かれた応接セット。この部屋確実に二十五畳はあると思う。


「学園卒業したら、ここを拠点にするのでしょ」


 リサは言った。俺の為にリサはこの部屋を整備してくれたのだ。だがは俺はその頃にはいない。この世界から立ち去っている。しかしリサに対して、そんな事を口が裂けても言えない。だから「そうだな」と言って、俺は場を取り繕った。


 俺の執務室の隣にある部屋は会議室だった。俺の部屋からも廊下からも出入りできるようになっている。こちらも二十五畳は確実にある。広さは普通ではない。リサの執務室はその隣で、こちらからも会議室に入られるようになっている。


「いい作りだなリサ」


「そう。私グレンと一緒に仕事ができると思ったら嬉しくって」


「そう言ってもらえると嬉しいよ」


 楽しそうに言ってくるリサを見るとこちらも嬉しくなってくる。リサは俺以上の仕事人間だ。リサの部屋も改装済みだそうで、こちらの方に近々移ってくるという。


「すぐにでも動きたいのだけど、ドーベルウィン家の帳簿仕事が残っていて」


「ドーベルウィン家の帳簿は見たんじゃないのか?」


「陪臣の家の分が残っているの。報酬を頂いているから、しっかりやらないといけないでしょ」


 ドーベルウィン伯爵夫妻から気に入られたリサは一門、合計九家の帳簿を見ることになっていたのだ。仕事途中で事務所を変えて不備があってはいけないと、その仕事が終わるまでは「グラバーラス・ノルデン」のスイート・ルームを拠点とする方針で行くとのこと。


「ピアノは・・・・・」


「やっぱり見たいんだ」


「当たり前じゃないか!」


 それが俺の一番の主目的だ! リサは少し邪悪な笑みを浮かべている。おそらく俺が言い出さなければ、素知らぬフリをしてピアノ話を素通りしようと思っていたのだろう。俺はリサに出せよピアノ、見せろピアノとせっついた。


「分かったわよ! こっちに来て」


 リサについていくと両階段を下りて、階段の踊り場の真下に位置する部屋に案内された。扉は二重扉だ。


「おおおおおおおお!」


 思わず声が出た。ピアノだ、ピアノ。グランドピアノ。俺は回りをグルグルして確認する。大きい、大きいぞ。フルコンだ! 俺は勝手に天板を開け、中を確認する。


「まさにピアノだ!」


 溜息しか出ない。現実世界では一生手に入れることができないだろう。グランドピアノでさえも置けるかどうかなのに、フルコン、奥行き三メートル近くあるフルコンサート仕様のグランドピアノなんて絶対に不可能。 それが仮とはいえ手に入れることが出来ただけでも幸せだ。名前は「hezendolger」なんてパチもんくさいメーカーだが。


「リサ、試しに弾いてもいいか」


 俺は返事を待たずして椅子に座って弾き始めた。音の広がりがまるで違う。音色はもちろんなのだが、低音の響き、高音の鳴りが雲泥の差。一度音を鳴らすと手が止まらない。俺はひたすら弾き続け、気がつけば二時間弾いていた。もちろんリサがヘソを曲げたことは言うまでもない。


(よし。時間が許す限り、これから夜にここで弾こう)


 俺は自分がやりたいことを心に固く誓った。

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