076 転生者

 アイリとの仲が修復され、シアーズからの宿題である「金利上限策」もクリアできたため、俺の休日は充実したものになった。この休日の二日間。午前鍛錬、午後ピアノと作業時間をシンプルに別け、より集中できるよう組み立てた。


 あえて図書館を外したのは、商人剣術の仕分けがある程度できた為、『立木打ち』流派の鍛錬法を研究するために時間が欲しかったことと、メンタル面で弾く気になれなかったピアノをガンガン弾きたくなったからである。事実、指の回りが全然違う。「演奏」にはならなくとも、最低限「音楽」と言われる程度の域には持っていきたいところだ。


 俺とアイリの話は基本何も変わっていない。一言で言えば「棚上げ」だ。しかし、確認できたこともある。アイリと俺の思いは同じであるということだ。言葉に出せた部分とそうでない部分があるが、俺とアイリの中だけ・・・の話であって、全てを言語化する必要はないと思う。


 お互い一緒にいたい。一緒に話したい。一緒に出かけたい。一緒に食事したい。すごく単純な望みだが、俺たちにとって、それは重要なことだ。そういう気持ちが「同じ」である部分が嬉しいし、何より俺の気持ちを軽くする。


 それよりもコルレッツ。ジャンヌ・コルレッツだ。やはりコルレッツは中庭にフリックが現れることを知っていた。なのにいる筈のフリックがいないから苛立っている訳で、もしかするとカインのいない屋上や、正嫡殿下のいない庭園を回った後でやってきたのかもしれない。誰もどこにもいないのだから、そりゃ苛立つだろう。


(しかしヤバイよな。女であの睨みは)


 あの鬼の形相はいただけない。なんなんだあれは。この学園で俺の周りにいる女子生徒。アイリ、レティ、クリス、シャロン、リディア、コレット・・・・・ あんな風になる奴は誰もいない。イカれたヒステリックぶりを見ると、落武者トーリスなんか可愛く見えるぐらいだ。よくああいう人間の回りにはべろうと考える野郎がいるものだと感心する。


 コルレッツは間違いなく俺と同じ種類の人間、現実世界の住人だ。そして、ゲーム知識を使って攻略対象者を攻略しようとしている。モブ以下が、ヒロインに代わって攻略対象者を攻略するって、バカなのお前と言いたくなるが、あの形相を見る限り、あいつは本気。最初カインから相談を受けた時「意外と軟弱」と思ったが、それは全くの誤りで、奴は危険だ。


 カインだけではなく、正嫡殿下やフリックまでもターゲットにしている点も問題だ。あいつは現実世界でゲームをしていた。その知識を使って攻略対象者を落とそうとしている。しかも同時にだ。三人の対象者を同時攻略して侍らせる。逆ハーレムとかいうヤツか? しかしロクな事を考えないな、アイツ。


 もう一つ気になることがある。「コルレッツ」という名前だ。俺はこの「コルレッツ」という名前、ゲームで見たことがある。ランダムキャラの名前ではなく、キャラクターとして「コルレッツ」が登場した記憶があるのだ。それが男なのは覚えているが、どこで登場したのかまでは記憶に残っていない。つまり「噛ませ犬」なのだろか?


(しかしどこで男が女に化けたんだ?)


 それはリアルエレノのバグなのか。もしかするとコルレッツが男で、女装して対象攻略者を攻略しているのかもしれない。あの厚化粧だ、十分考えられる。俺と同じモブ外の人間、何をやらかすか分からない。大体、男が乙女ゲームなんてものは普通はやらぬ訳で、遊ぶうちに感情移入してしまって、つい「目覚めた!」なんて事もあり得る。無論、俺は違うが。


 しかしあいつ、いきなり俺を睨みつけてきやがった。俺も睨み返したが、あいつは攻略対象者を隠したのは俺だと勝手に決めつけたのかも知れない。まぁ事実なんだが、もし直感で察知したとするならば、それは同族嫌悪である可能性もある、俺のアンテナもピンピン立っていたのだから。


 男か女かは分からんが、我が身を守るためにも、コルレッツのことは色々調べておいた方がいいだろう。俺の脳内に格納されている、ゲームの記憶のサルベージ作業を含めて、進める必要がある。学園に潜り込んだもう一人のモブ外。俺はこいつと対峙するという確実な未来を予見した。


「グレン。少しいいですか」


 平日初日の朝。教室に入ろうとしたところ、声をかけてきたのはクリスの従者トーマスだった。


「今日よろしいですか?」


 ああ、食事会か。構わないよというと、トーマスが声のボリュームを抑えて言ってきた。


「実は、お嬢様の機嫌が悪いのです」


 ん? 心当たりがない。


「いつから機嫌が悪いんだ?」


「休日に屋敷に戻られてからです」


 トーマスによると晩餐の後に機嫌が悪くなったのだという。よくあることなのか、と問うと最近はなかったというので、以前はよくあったのだな、と思った。


「それでグレンとの会食の用意を、との事で」


 ははーん。おそらく食事の席で宰相か兄のどちらかに、俺絡みの事で何か言われたな。多分、兄じゃないだろう。宰相の方だ。ノルト=クラウディス家も父と娘の絡みがイマイチなのだろう。まぁ、ウチも人の事は言えないが。


「トーマスも大変だなぁ」


 俺は本気で労った。ヘソを曲げた主に仕える時ほど面倒な事はない。シャロンは同性だが、トーマスは異性。感覚の違いから戸惑う部分も多いだろう。いえいえ、とトーマスは手を横に振り、夕方にという事でお互い別々に教室の中に入った。


(はぁ。なんだこれは?)


 悪徳商人ワロスからの手紙を受け取ったのは昼休みのこと。わざわざ単発早馬でのお届けだ。何が書かれているのかと封を開けると、そこに書かれていたのはワロスがかつて雇った元殺し屋が近々王都に帰ってくるとのこと。そこでシアーズを交えて会わないか、と記されていた。で、なんでシアーズ? という疑問が湧く。


(ワロスらしい変化球だな)


 殺し屋と大貸金屋と悪徳商人、そして十五歳のガキ。どんな組み合わせなんだ、一体。確かにシアーズとワロスは同業で兄弟分。それは分かるとしてだ。元殺し屋と貸金界の大物シアーズとのコラボってなんじゃそら、って誰だって思うだろ。


 まぁ、どんな経緯であれ結んだ誼だ。いっちょ会って刺激を受けてくるかと、俺はワロスに対して快諾する返事を書くことにした。


 ――学食「ロタスティ」に俺がやって来たのは、待ち合わせより早い十六時五十分の事だった。それまで三時間程度、ピアノに没頭した。没頭できるというのは気持ちがいい。未熟な音楽だが、指も回るので気分は上々。キチンと練習に打ち込めるのもメンタルが良い証拠だ。


 俺はクリスが取っている個室に入ると、既に三人が座っていた。場の空気はやはり重い。クリスは目を瞑ったままで、俺が来ても目を開けない。予想通りのツンツン姫モード。トーマスが言った通りだ。俺がクリスの席の向かいに座ると、下座に座っていたシャロンが立ち上がり、静々と動いて紅茶を入れてくれた。


 俺は紅茶を頂き、クリスの動きを待つ。しばらくしてクリスは口を開いた。


「グレン。私は恥を掻きました」

「父上から言われてしまいました。どうして「あのような者を知らないのだ」と」


 あっちゃー! 宰相閣下は思いっきり地雷を踏みに行ったんだ。


「お前も人を見る目を養うように、と言われてしまいました。私のほうがグレンの事を先に知っておりましたのに!」


 声のトーンがキツイ。目は瞑っているが、肩が小刻みに震えている。プライドの高いクリスにとっては不本意なモノの言われ方だ。かといって宰相家という家庭環境や性格から、その場での反論は一切していないだろう事は確実なわけで、相当なフラストレーションを溜め込んでいるのは間違いない。


「どうして私に『金利上限案』のお話をして下さらなかったのですか!」


 クリスが言葉と共にカッと見開く。同時に琥珀色の瞳は俺の体を射抜いた。よほど悔しかったのだろう。


「クリスが屈辱を受けない為だ」


 クリスがハッとした顔になった。どういうこと、と言いたげだったので、俺は話を続けた。


「もし俺が『金利上限案』をクリスに託したとして、仮に頓挫すればこんな屈辱はないだろう」


「そのような事にならないよう、私は全力で当たりますわ」


「宰相閣下が話を聞かなくともか?」


「な!」


 クリスが硬直した。


「クリスは俺のことを知っていたのに、宰相閣下に対して反論一つしていないじゃないか」


「そ、それは・・・・・」


「これはひとえにノルト=クラウディス家の中にモノが言える環境がない事が原因。違うのか?」


 俺の言葉にクリスが沈黙した。俺とクリスの行方を見守っていた二人の従者も下を向いてしまっている。これは俺の話が事実であることを裏付けるものだ。


「それではクリスが必死に訴えても門前払いされてしまう。こんな屈辱はない」

「頼んだ俺にとってもそれは屈辱だ。仕えている者にとってもだ。違うか?」


 俺がシャロンとトーマスに問うと、二人とも首を縦に振った。


「そんな思いをクリスにさせるわけにはいかないだろ」


 クリスは従者と俺を交互に見ながら驚いた顔をしている。おそらく予想外の展開だったからだろう。


「これは宰相閣下やノルト=クラウディス家の問題じゃないんだ。この国の、この社会の問題なんだ」

「ウチの家でも同じ話がある。姉のリサは優秀なんだが、父親のザルツに意見した時、ザルツが嫌な顔をすることがある。それが優れた案であってもだ。これは構造の問題だ」


 クリスとシャロンが俯いた。王都に帰ってくる高速馬車でリサやレティ、アイリが俯いたのと同じだ。心当たりがあるからに決まっている。男尊女卑がこの国の気風なのだから。


「だから相談できなかったんだ。分かってくれ、クリス」


「分かりました。理解します」


 クリスは声を落ち着かせ、俺に頭を下げた。


「宰相閣下は悪意があって言った訳じゃない。むしろ逆で、クリスの事が心配だから言ったんだ」


「グレンはそんな事が分かるのですか?」


 表情は変わらないが少し声のトーンがキツくなった。父親から言われた事に対して納得がいかないのだろう。その気持ちも分からなくもないが、俺はむしろ宰相閣下の思いの方が理解できる。


「分かるさ。宰相閣下の気持ちが。嫌というほどにな」


「どうしてですか!」


 クリスがなおも食らいついてくる。宰相閣下に言われた内容がよっぽど悔しかったのだろう。だから俺は事実を言った。


「だって、俺には娘がいるんだから」


 俺の言葉に三人が固まった。

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