046 三商会の協約
ザルツとロバートを見送った俺は、三限目を終えるとさっさと器楽室に籠もった。ある種の高揚感からか、ピアノを弾きたくてウズウズしていたのである。とは言ってもこのエレノ世界、ロクな楽譜がないので、もっぱら脳内採譜した曲を中心に弾いている程度なのだが。
俺は高二までの間、ピアノを習っていたのだが、一日二時間程度しか弾いていなかったのであまり上達しなかった。上達しなかったのは、俺のセンスのなさも影響しているのは間違いない。音楽はやはりセンスが必要なのだ。
そんな俺がなんとか弾けてE難度と言われるレベルの曲。だが、それは鍵盤を押しているだけの、『演奏』とはとても言えないようなレベル。一般の人間がイメージしているようなピアノ演奏なんざ、一日六時間、十年以上は練習しないと無理なんじゃないかと思う。
今、俺がピアノに力を入れている理由は、商人剣術向上に器楽併修が効果的である以外にも理由がある。俺のスキルに『ピアノ』が加わったからである。レベルは二六。悪くない数字なんじゃないか。能力が数値で見えると目標ができる。一つでも数字を上げたいという欲求が生まれてくるのだ。
ただ上がったからといって、即演奏スキルが上がるわけではない。それはあくまで技術的、技巧的レベルの話。俗に「指が回る」とか、「譜面に強くなる」とか、そういう話。情感であるとか、表現の向上が伴う訳ではないのだ。それを会得しようと思えば、俺の感受性を高めるしかない。具体的に言うと、曲の色、曲の風景、曲の趣、そういうものを捉える心だ。
そういうものをキャッチするのに、一番必要なのは「高揚感」だ。心が盛り上がってくると、譜面の見方も指の運びも変わってくる。普段は単調な俺のピアノの音が、今日は踊っているのが自分でも実感できた。だからノリノリで弾けているのがよく分かる。
こういう練習、こういう弾き方が毎日できればいいのにな、と思いつつ、「グラバーラス・ノルデン」に向かう時間が近づいたので練習を切り上げた。約束の時間を忘れるぐらい集中できるようになったら、俺のピアノは間違いなく向上するだろう。そう感じながら、商人服を身に
王都トラニアスの最高級ホテル「グラバーラス・ノルデン」に到着すると、ロビーにちょうどジェドラ息子のウィルゴットがいた。
「まいど!」
お互いに商人式挨拶を交わすと、ロビーのソファーに腰掛け、これまでの経緯を聞いた。ウィルゴットによると、王都ギルドでの加盟式自体は滞りなく行われたのだが、ちょっとした小競り合いがあったらしい。フェレット商会の当主が、ジェドラ父であるイルスムーラム・ジェドラを詰問したというのである。
「要はフェレットが、こちら側に企みがないか探りを入れてきているのさ」
「もう企んでいるのにか?」
「君は凄いな! それを言うか」」
ウィルゴットが大笑いした。だってそうだろう。こっちが企んでるから、アルフォード商会を王都ギルドにねじ込むことになった訳だし、フェレット君、そんなことも分からずにガリバーなのかい、と勘ぐってしまう。
「だったら相手の要望通り『悪だくみ』してやればいいんだ」
俺はウィルゴットに向かってニヤリと笑った。だってそうだろう、相手から「企んで下さい」と言ってくれているのだから。
「相手の望みを叶えてやるのも商人の仕事だぜ!」
「無茶苦茶だな、グレンは。でも凄く面白そうだ」
「こういうのは、むしろ楽しむのに限る」
俺たちは悪だくみ話で盛り上がったのだが、しばらくしてウィルゴットが顔を正し、話題を変えてきた。
「ところで、あの屋敷なんだが・・・・・」
お、どうだった。
「レグニアーレ侯爵の屋敷だった」
レグニアーレ候とはどういう人物なのかと問うと、初老の地方領主なのだという。嫡嗣、夫人が早世し、後継が定まっておらず、かつ宮殿近くにも屋敷があるため、学園近くの屋敷が空き家状態になっているというのだ。
「譲ってもらえるのだろうか・・・・・」
俺が尋ねるとウィルゴットの顔が微妙な表情になった。
「行けると言えば行けると言えるのだが、条件が・・・・・」
「どんな条件だ」
「借金の肩代わりという条件だ。物件値じゃないんだよ」
これはなかなか難しい。とウィルゴットが言う。そりゃそうだろうな、
「レグニアーレ候の借金はいくらだ?」
思わず、えっ? という顔を見せるウィルゴット。暫く考えこんだ後、口を開いた。
「一二億ラント程度ある」
一二億ラントかぁ。日本円にして三六〇億円。無茶な額だが、まぁいいだろう。いつまでもこの世界に居るわけじゃない。この世界のカネを現実世界には持っては行けないのだから。買いたいものを買いたい時に買う。それでいいじゃないか。
「よし。それはウチが出す」
「えええええええ!」
驚くウィルゴットを尻目に話を続ける。
「ありがとうウィルゴット。話を進めてくれ」
「しかし物件価が・・・・・」
「価値というのはな、客が決めるんだ」
「そりゃ、確かにそうなんだが、釣り合いが・・・・・」
ウィルゴットの見立てでは、あの物件価は四億から五億だという。その倍以上の価格というのはあまりにも差がありすぎる。これがウィルゴットの言い分だ。躊躇するウィルゴットに俺は言った。
「いいんだよ。俺にとっては、あの場所にある
「いいのか、グレン」
「ああ、手数料も算出してくれ。合わせて出す」
分かった、とウィルゴット興奮しながら了解してくれた。同時に俺はレグニアーレ候に会えるのであれば手配して欲しいと要望を出す。もしかするとこちらと誼を結べるやも知れぬ。カネをたんと積んで縁が持てるのなら持っておいたほうがいい。俺がいなくなったらロバートに引き継がせればいいだけだ。
物件の今後について、ウィルゴットとあれこれ話をしていると、ジェドラ父や若旦那ファーナス、がロビーに入ってきた。ザルツとロバートもいる。俺たちは駆け寄った。
「大変だったようですな」
俺が言うと、一様に「そうだ」と言って苦笑していた。
「フェレットがゴネてな」
「いやぁ、加盟式で言うかと」
ジェドラ父の説明に、若旦那ファーナスが軽妙に被せてきた。
「早速、王都の洗礼を受けた訳だ」
ザルツが神妙な顔をして呟いた。こういうときのザルツは、神妙にしているのではなくて、仕掛けることを考えている。間違いなくあの手を使うつもりだ。
一同揃ったところで「グラバーラス・ノルデン」の議場「月桂樹」に移動した。そこには既にジェドラ、ファーナス両商会の幹部と思われる二人の人物が用意を済ませ、打ち合わせをしていた。一人はジェドラ商会の番頭ダブリエ、もう一人はファーナス商会の番頭ナーケテルであると紹介を受ける。
俺とロバートとウィルゴットは席に座り、これから行われる商会間協定、いわゆる「三商会盟約」の加盟式に立ち会う。部屋には世話のためホテルのスタッフも入ってきた。
「これよりジェドラ商会、ファーナス商会、アルフォード商会の王都ギルド加盟三商会の協約調印式を開催します」
司会進行のホテルスタッフの発声から調印式が始まる。ジェドラ父が挨拶に立った。
「至って単純に申し上げて、これから王都ギルド、いやノルデン王国内での商いを円滑に進めるべく、当ジェドラ商会とファーナス商会、そしてアルフォード商会の三商会が、相互の強みを活かし、協力すべく、本日この協約を結ぶものである」
全員が腕組みし「そうだ!」と声を上げると、大きく頷いた。これも『同意』という商人儀礼。エレノ商人、謎の設定の一つだ。俺も商人の末席に位置するのでもちろんやる。
ジェドラ父は発言が終わると、若旦那ファーナスとザルツと共に、長机の前に立った。そこで全員が書面にサインを行う。協約書は全部で三通。その三通にサインを済ませると調印は終わりだ。
「今、王都三商会の当主が調印したことで、この協約は発効する!」
若旦那ファーナスが力強く宣言すると、着席していた俺たちは立ち上がり、拍手を行った。そして一同は両足の間隔を広げ、左手を腰に当て、右手を高らかに挙げる準備を行う。ザルツは発声した。
「皆さん、右手に協定成熟の願いを込め、高々と掲げましょうぞ!」
「よーし!」とジェドラ父の合いの手が入ると、ザルツの発声を全員で追いかける。
「頑張ろう!」「頑張ろう!」
「頑張ろう!」「頑張ろう!」
「頑張ろう!」「頑張ろう!」
商人儀式「頑張ろう!コール」。現実世界でも横行しているじゃないか、これ。どう考えてもエレノ制作陣の茶化しで、勝手に儀礼化設定しているぞ、絶対。だが、みんな真剣なので付き合うしかない。まぁ、ウチの会社でも無意味にやってたなぁ、これ。
「これにて王都三商会協約の調印式は終了しました」
ホテルスタッフのアナウンスによって調印式は終了し、一同はレストラン「レスティア・ザドレ」へと移動した。ここからが俺にとっては本番。あの貸金業界の大物ラムセスタ・シアールと初対面するからである。
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