044 婚約イベント

 公爵嫡嗣モーリス・アンソニー・ジェームズ・ウェストウィックと侯爵令嬢カテリーナ・イザベル・アレクサンドラ・アンドリュースとの婚約は、俺の見立て、エレノ世界の根底を流れる『世のことわり』を示すには十分過ぎるものだった。というのも侯爵令嬢カテリーナが、乙女ゲーム『エレノオーレ!』第二の悪役令嬢だからである。


 正嫡殿下アルフレッドと公爵令嬢クリスティーナとの婚約話の消失によって、『世のことわり』は新たな婚約を定めた形となった。つまり、婚約する人が変わっても、学園に通う生徒同士での「婚約」が行われる定めそのものは変えない・・・・という『世の理』の強い意志がそこには働いているのだ。恐るべし『エレノオーレ!』のゲーム設定。


(だから言っただろ!)


 『世の理』は動かせないと。正嫡殿下とクリスの婚約話を潰したヤツはそこが分かってはいない。この世界はエレノ世界。ゲーム制作者が定めし設定は、『神の啓示』そのもの。みだりに触わろうとしたところで、それは付焼刃の小細工にしか過ぎない。もっと深い根源的なもの、事の深淵を見定めなければ、何も変えることはできないだろう。


(カテリーナはどうでもいいとして、問題は・・・・・)


 ウェストウィック卿だ。ウェストウィック公爵家はクリスの実家ノルト=クラウディア公爵家に比べ、家の規模は小さいが、王家の血はウェストウィック家の方が濃い。しかもマティルダ王妃の実家であり、ウェストウィック公は王妃の弟。つまり、ウェストウィック卿と正嫡殿下は従兄弟に当たる。


 しかし、何より厄介なのが、高貴な身分であるこのウェストウィック卿がモブだということだ。ゲーム上に全く出てこないキャラ。というか、そもそも『エレオノーレ!』でカテリーナの婚約話自体がない。よって、この婚約話は俺のゲーム知識が全く役にたたないのだ。


(厄介な事にならなければいいが)


 この婚約話が、潰された正嫡殿下とクリスの婚約話の代わりのものとするならば、当然ながら「婚約破棄イベント」が発生する確率は高い。ならば婚約者カテリーナと争う位置付けのヒロインキャラが出てくる可能性も大いにある。もはやゲーム外の状況となったこの話、非常に面倒だが留意しておかないと、こちらに火の粉がかかってくる可能性がある。


 ――放課後、俺は昨日約束したように、レティとアイリと連れ立って馬車で王都中心部に繰り出した。目的はドーベルウィン伯爵家に訪れる際の二人の服装。繁華街に降り立った俺たち三人は、早速目的の店、レティ行きつけの店に向かった。


 王都の繁華街はカジノがある歓楽街より少し離れたところにあり、ブティックやテーラー、貴金属店、靴屋、鞄屋、帽子屋などが立ち並ぶノルデン一のファッション街。と、同時に感じのいいカフェやレストランなどの飲食店もあるので、けっこう人が行き交っている。


「グレン。私達はここの店に居るわ。後で来てね」


 ああ、と手を上げて二人と別れ、そのまま行きつけのテーラーに顔を出した。商人服を幾つかオーダーするためだ。というのもアルフォード商会が王都ギルド入りするため、今後俺が商人服を着る機会が増えると思われるからである。


 俺は細い番手で服を作ることを要求した。番手とは糸の太さのことをいい、太ければバシッと決まり、細ければしなやかな着心地となる。ノルデン王国は寒暖差が少ないため、服は通年利用できる。商人服はどちらかというと太い番手で丈夫に作るのだが、出歩くことの少ない俺は細い番手を使って機能性重視で作ろうと思う。


 一通り採寸すると、今度は靴屋に移って靴を数足購入し、そのままレティとアイリのいるブティックに直行した。中に入ると、アイリが濃い青色をベースとしたドレス、レティがピンクが混じった薄いブラウンのドレスを試着していたところだった。


「綺麗じゃないか」


 俺は思わず見惚れてしまった。どう、と胸を張るようなレティに対し、アイリの方は少し恥ずかしそうにしている。どっちにしたって二人の美しさを損ねる振る舞いではない。この世界のヒロインのドレス姿を間近に拝める。そして買うことができるというのは、それだけで光栄なことなのかも知れぬ。


「どうだい、アイリ」


「私ドレスなんて初めて着たのですごく不思議な気分です」


「凄く似合ってるよ。美しい」


 本当に思ったことを口走ると、アイリは白頬を赤らめて恥ずかしがってしまった。


「似合っているかどうか不安で・・・・・」


 やはり女の子。言葉とは裏腹に嬉しそうに微笑むアイリを見て、やっぱりファッションが大好きなんだと思った。


「ところで、訪問用の服は・・・・・」


「あっちよ」


 当初買う予定だった服について聞いてみると、レティがある方向を指差した。そこにはグレーのショート丈のジャケットとミモレ丈のフレアスカートにオフホワイトのブラウスというコーディネートと、爽やかなイエローのアンサンブルが吊られていた。


「キレイでしょう」


「確かに」


 レディスはアイリ、アンサンブルはレティのものだろう。素材で分かる。特にアンサンブルは貴族の象徴、ガチの正絹。素人が見ても分かるような高級品だ。これを現実世界で作ったら、いくらするのか想像もつかない。


「後はお願いね。グレン」


「もちろんだ」


 本当は目の保養になる二人のドレス姿をじっくり見たかったのだが、夜になったので俺はそろそろ出ようと促した。二人が別室で着替える間に納品の打ち合わせと精算を行って店を後にし、予約をしておいた近くのレストラン「ミアサドーラ」に入った。「ミアサドーラ」は、シェフが決めたコース料理しか出さない高級店らしい。


「今日はワインはいけませんからね」


「えー! なんでー!」


 「ミアサドーラ」の個室に入ると開口一番、アイリは言った。それに対して悪態を付くレティ。


「この前の休日にレティとグレンが酔って朝に帰ってきていたと噂になっていますよ!」


「!!!!!」


 俺とレティは思わず顔を見合わせた。そうだったのか。というかマズイだろそれ。


「たまたま外で鉢合わせして、飲んだだけだよ」

「偶然なのよ、偶然。偶然出会ってしまっただけなの」

「店に入って飲んでたら朝になったんだ」

「単に個室で飲んでただけだから大丈夫なのよ」

「まぁ意識はちゃんとあったから帰ってきたんだが」

「間違いなんて起こってないから心配しないで」


 二人は一緒になって説明したが、当事者である俺が聞いても言い訳にしか聞こえない。というかレティの狼狽っぷりが何気にヤバい。それは火に油を注ぐような言い回しだ。俺にアイリの事言ってる場合じゃないんじゃないか、君。


「私はお二人のこと知ってますから大丈夫です」


 この場に安堵の空気が流れる。


「ですが人に疑われるような事をしてはいけませんから」


 レティはうなだれて「はい・・・・・」と神妙に答えた。無法者レティもアイリには弱いようだ。というか「分かりました」と言うしかない俺も弱いのだが。


「ですので今日はワインなしということで」


 レティは苦笑していた。やっちゃったなぁ私、という感じなのだろう。


「これからは学園で飲んで下さいね」


 ニッコリと言うアイリに俺は内心笑いが止まらなかった。というのも「学園で呑むように」なんて、現実世界では狂気の沙汰ではないか。しかしそれが通用するのがエレノ世界。アイリの話っぷりと内容の落差に吹き出しそうになりながら反省したフリをしていると、料理が運ばれてきた。


「グレンは何かを買ったの」


「ああ、商人服を何着か仕立てた」


 食事中、レティが聞いてきたので事実を答えた。


「ところで、商人服って・・・・・」


「ああ、商人服か」


 アイリの疑問に俺が答えた。商人服とはロングジャケットにロングベスト、スラックスにクラバットという商人独特の出で立ちの服で、純毛で仕立てられている。対して貴族服はロングコートにウエストコート、キュロットという組み合わせで、こちらは正絹しょうけん


「へぇ。そうだったのですね。勉強になります」


「色々面倒なのよね、服一つにしても」


 俺の説明に感心するアイリの隣で、レティはポツリと呟いた。身分制度は服の形や素材に至るまでエレノ世界の奥深くまで入り込んでおり、潜在的に人間を支配している。商人服と貴族服はある面、その象徴と言えよう。


 その貴族子弟が、純毛で仕立てられている学園服を着ているのはある種の皮肉である。エレノ製作者が、服飾の設定の矛盾を理解できなかったから発生した「バグ」なのだろう。近世西洋をモチーフにしながら、意地でも日本的な学生服をねじ込まなくてはいけない、という固定概念が、この悲劇を生んだとも言えよう。


「だから行く場所によっては必須だからしょうがない」


「本当にしょうがないよね」


 レティは出てきたコース料理を食べながらため息をついた。


「あのぅ、服の費用なんですが・・・・・」


「あ、心配しなくても精算は終わってるから」


「え?」


 アイリは唖然としていた。着替えている間に精算したんだから知らないのは当たり前。


「いいの、いいの。約束だから。お願いね、グレン」


「いいんですか、本当に・・・・・」


「あれぐらいの費用、グレンなら今回の仕事で出せるから。凄腕商人だし」


「でも・・・・・」


「あの服はこの仕事を成功させるために必要なのよ。だからグレンを信用してあげて」


 戸惑うアイリに殺し文句で迫るレティ。ヒロインなのに、主人公なのに、なにこの駆け引きの術は。


「わかったわ、レティシア。グレンを信じる」


 アイリは頷いた。レティのあの脅迫的な説得を無条件に受け入れるのか、アイリは。レティの交渉能力の異様な高さに呆れながらも、それを表情に出さす、俺は声をかけた。


「ありがとう、アイリ」


 俺の言葉にニッコリ微笑むアイリ。そうこの笑顔。この笑顔にはいつも癒やされる。

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