023 糾弾者グレン

 俺は風呂場に入るといつもの要領で体を洗い、速やかに出た。公爵令嬢との約束があるというのも理由の一つだが、何より浴場での視線が痛かったからだ。当事者である俺を含めて闘技場であれだけ暴れてしまったわけで、直接の危害はないだろうが暫くは学園内で厳しい視線に晒される事を覚悟したほうがいいかもしれない。


 約束通り「ロタスティ」の個室に入ると、既に令嬢、クリスが座っていた。俺は従者トーマス・フレインにテーブルの右側の椅子に案内され、椅子を引かれた。クリスの座っている位置は俺の対面。つまり、この世界のルールでは俺が上位で令嬢が下位に位置していることになる。普通はまずあり得ないセッティングだ。


 椅子に座ると同じく従者シャロン・クローラルが紅茶を差し出してくれた。二人共立ったままだ。俺は令嬢に目で訴えると、クリスは二人の従者に目配せする。すると二人とも下座にあった椅子に座った。意図はすぐに伝わったようである。場が整って、魔法剣のお礼を伝えた。


「『エレクトラの剣』の情報ありがとうございました。お礼を申し上げます」


 俺は頭を下げた。クリスの方は「いえ、礼には値しませぬ」と返してきた。ここからが本番だ。


「早速だが、話というのは」


「貴方の予想通りです」


「簡単だ。俺の方がレベルが上だと言うことだ」


「でしょうね」


 クリスは目を瞑る。ここで話は止まってしまった。しかし近くで改めて見ると本当に美人だ。亜麻色のロングヘアーに白頬の端正な顔立ち。目を閉じたその姿も美しい。これで学年最高のレベル三十四というのだから完全にチートだろう。この世界のキャラ補正は本当に恐ろしい。


「どうして二回も【鑑定】しようと? 無理なのに」


「できずにそのまま引き下がるのが悔しくて・・・・・」


 すると目を見開きながらも表情を変えずキリッと答えるクリス。相変わらず負けず嫌いな気が強いお嬢様だ。再び目を瞑り、ツンとした態度で臨んでくる。


「まぁ、そういう意地っ張りなところは悪くはない」


 俺はそういう部分を否定しなかった。人間、何らかの圧力に屈し、態度を変えるなんてよくあること。それに抗わんとする精神は必要だし、それを持ち続けることは人として大切な事だと俺は思う。負けん気は人の短所だとよく言われるが、決してそうだと言い切れるものではない。


「えっ!」


 クリスはこちらをハッと見てきたが、それは一瞬のことで、また目を瞑った。


「本当に聞きたい話は違うようだな」


 場の空気、というかクリスが醸し出す空気から、それを察した。決闘の時の鑑定の話ではないな、これは。聞きたい話はおそらくあれだろう。


「一体何だ?」


 クリスは目を瞑ったままだ。自分から答えを発したくないようだ。二人の従者も無表情に上座を向いたまま。では、言ってやるか。


「『ことわり』の話か?」


 俺の発した言葉にクリスは琥珀色の瞳を開いた。やはりそうか。


「何から聞きたい?」


「全てです」


「欲張りだな。いいのか?」


 クリスはこくっと頷いた。あれだけ教室で挑発したのだ。気にならない筈はない。


「では怒らないようにな。制止したけれは制止すればいい」


 俺は説明した。正嫡殿下と公爵令嬢の婚約話は来月発表される予定だったこと。その後、正嫡殿下が心を寄せる女性が現れて、婚約者である公爵令嬢との間に三角関係が発生すること。最終的に公爵令嬢が争いに破れ、学園から去らなければなること。それと共に宰相も失脚し、ノルト=クラウディス公爵家自体も没落すること、である。


「それでも男従者のフレインと女従者のクローラルは落ちのびる令嬢のお供を続けた、というのが話の流れ。これが『理』だ」


 部屋の中に重苦しい空気が漂った。三人とも押し黙っている。言えと言われたから忌憚なく話したのだが、少し言い過ぎてしまったか。


「しかし婚約の話。それ自体はありませんでした」


 クリスが沈黙を破り、静かに、しかし毅然とした口調で事実を述べた。対して俺は問う。


「本当にそれでよろしいのですか?」


「八歳の時に王宮で殿下と初めて顔を合わせられた」

「九歳の時に殿下と国王夫妻、公爵夫妻と歓談された」

「十歳の時に殿下と殿下の陪臣フリックと共に王国史を学ばれた」

「十二歳の時にお妃教育を始められた」

「十三歳の時に神殿で『誓いの儀式』を行われた」

「十四歳の時に婚約の内示を受けられた」


 俺は声を一オクターブ落とし、俺が知る限りの事実を上げ続けた。傍目から見れば糾弾者が如く写ってるかもしれない。おそらくそうだろう。四十代、いや五十代に達したおっさんが十代半ばの女の子を追及しているのだ。少なくとも俺はそう思う。


 一方、俺の追及に対し、一見すると目を瞑っているだけのように見えるクリスだが、俺が言葉を続ける度に肩の震えが大きくなっているのが分かる。それが俺が知る限りの事実、すなわちゲームの物語ストーリーが全て正しい事を証明していた。


「そこまでおやりになっているのに、正嫡殿下の事を本当に何とも思っていないと仰られるのですか?」


「アルフォード!」


 従者フレインが両手で机を叩いて立ち上がった。隣の女従者クローラルは表情こそ崩していないが凍りついてしまっている。俺の躊躇なき指弾にショックを受けているのだろう。


「いくらなんでもお嬢様に向かって失礼だろう! そもそも誰も知り得ぬ話を何故そこまで知っているのだ!」


「トーマス!!」


 従者の怒気をクリスが制した。クリスは琥珀色の瞳で男従者を睨みつけている。フレインは主の怒りを前に俯いてしまい椅子に座った。それを見て代わりに俺が立ち上がる。


「フレイン。お前はクローラルと共に三歳の時からずっと令嬢に付き従って育ってきた。お前らはどんな時も令嬢の側を離れたことは一度もない」

「三人は一体。お前らが忠臣なのは俺もよく知っている」


 二人は俺の顔を見上げた。共に驚愕の表情を浮かべている。どうしてそこまで知っているのだという言葉が喉元まで届いているのだろう。


「俺はそういうお前らみたいな忠臣は大好きだ」


俺の告白に男従者フレインも女従者クローラルも呆気にとられていた。令嬢クリスも俺を見上げている。


「で、話を戻すが、その上で何もなかったで片付けるおつもりか?」


 俺は椅子に座り直し、クリスに問いかけた。しかしクリスは表情を消して押し黙ってしまう。


 俺はクリスを見据え、そのまま返答を待つ。暫しの沈黙の後、覚悟を決めたのか口を開いた。


「何もなかったと申すことはできません。ですが、婚約の話がなかったことは受け止めます」


「正嫡殿下に対して何らかの感情はあったが、婚約が成就しなかった事は受け入れるという解釈で宜しいのですね」

「後悔はありませぬな」


 俺の指弾に近い問いかけに、少し躊躇したかのような『間』はあったが、クリスは大きく頷いた。この話に対し、全てではないにしろ、心の中で一定の消化は出来ているようだ。


「ならいいでしょう。この話、私自身の話ではありませんから」


 クリスの表情が少し緩んだ。この場に俺を呼び出したのは、婚約話の件を追及してくる可能性を危惧していたからだろう。教室であれだけあからさまに指弾したのだから、当然と言えば当然か。ただあれはクリスを追及したものではなく、婚約話を潰そうとした者に対する牽制だったのだが。


 向こうの質問に答えたので、代わりに俺は前から気になっていた事を質問した。


「令嬢のお名前ですが、クリスティーナ・メルシーヌ・ノルト=クラウディスだったはず。何故『セイラ』というミドルネームが」


 クリスは公爵家の人間なので、複数のミドルネームを持つことが特権で認められている。が、ゲーム上ではクリスの名前は一貫してクリスティーナ・メルシーヌ・ノルト=クラウディス。ところが学校の入学名簿にはクリスティーナの次に『セイラ』が入っていた。これは最初見た時からずっと引っかかっていたこと。


「母上の名です」


 ハッとした。俺の脳内情報ではクリスの母、公爵夫人は2年前に逝去している。そうか、母の名前を自分の名前に入れたのか。


「済まない。申し訳ないことを聞いた」


 俺は頭を下げた。知らぬ事とは言え、人の心の聖域に土足で入るような事を言ってしまった。ここは素直に詫びるしかない。


「セイラか。その名前、大事にしなきゃいけないなぁ」


 誰彼に言う訳ではなかったが、気付いたら勝手に独語してしまっていた。


「はい」


 俺の独語にクリスは大きく頷いた。その目は少し潤んでいる。忘れていたが悪役令嬢とはいえ、やはりまだ十五歳の少女。亡くなった母の意志を自分が継ごうという意志なのか、母を自分の中で生かそうとしているのか、それとも別の理由なのかはわからない。ただクリスは少なくとも自分の意志で母の名前『セイラ』を入れたのだ。そう考えると何か急に不憫に思えた。


「アルフォード。先程はすまなかった」


 下座に座っていた従者フレインが短く整えた濃い金髪を下げた。


「気にすることはない。むしろ忠臣ならば怒って当然。こちらも非礼を詫びなきゃならんぐらいだ」


 承知の上とは言え、半ば挑発的に物事を言ったのは事実。俺がフレインに頭を下げていると、これまで一言も発していなかったもう一人の従者クローラルが訊ねてきた。


「どうして貴方はそこまでお詳しいのでしょうか? お教え願えませんか」


 女従者クローラルの極めて純粋な問いかけに、俺は腕組みをして目を伏した。

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