009 挑発
教室に戻ると、やはり正嫡殿下アルフレッドとノルト=クラウディス公爵令嬢クリスティーナとの婚約話で持ちきりだった。おかげで俺とドーベルウィンとの決闘話は雲散霧消したようである。やはりモブとモブ以下の対決話と主役と悪役の婚約話では比べようもない。そもそもネームバリューが違う。
席につくと早速フレディとリディアが婚約話を振ってきた。
「アルフレッド殿下とノルト=クラウディス公爵令嬢が婚約らしい」
「ハンサムと美人、あのお二人なら釣り合いが取れるもんね」
「王室と宰相家。お互いの結びつきを強めて国も安定する」
「この婚約に反対する人なんていないんじゃない」
ああだこうだという二人に生返事で応対した。が、俺は内心ムカついていた。婚約の話自体ではない。婚約話の流し方、噂の流布の手法についてだ。誰かは知らんが、潰す気マンマンじゃねぇか。そのことを考えていたらだんだん腹が立ってきた。
(いっちょ、仕掛けてやるか)
悪魔の囁きに負けた俺は、誰かは知らぬが噂話を流した張本人を掣肘すべく、意を決して立ち上がった。
「誰なんだろうなぁ。この婚約話の噂を流したヤツは」
両手をポケットに突っ込んで、あえて教室内に響くボリュームで声を発してやった。腹式呼吸、声楽の要領で教室内に響き渡る声質に変えてだ。
「大体この話、本来ならば王宮から、次いでノルト=クラウディス公爵家から発表されて流れて来なきゃならん話だ。それまでは秘匿された話。つまりは機密のはず」
「それが所在不明の噂話ってのはどういう事なんだろうなぁ」
教室の隅々まで響き渡る俺の声に、場の空気が凍りついているのがわかる。殆どの生徒は俺を見ている。俺はズボンのポケットに両手を突っ込んでドヤってやった。多分、カースト最下層の俺が好戦的な姿勢でいることに唖然としているのだろう。こっちを見ている奴らが皆、顔が鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。
側にいたフレディもリディアも俺を見上げたまま固まっている。そりゃそうだわな。入学以来、こういう攻撃的な素振りは見せたことがないのだから。だが、ここらは合わせて半世紀以上生きた俺と、未だ社会に出ていない十五年しか生きていない人間との差。どこで仕掛け、どこで引くかは人生経験がモノを言う。
目を動かし周囲を見渡すと幾人かの生徒がこちらを向いていないことに気がついた。ノルト=クラウディス公爵令嬢と令嬢の二人の従者、男のトーマス・フレディと女のシャロン・クローラルだ。三人は姿勢を崩すことなく前を見ている。
(さすがだな)
彼らは公爵家としての振る舞いやプライドを守るべく、みだりに感情を表さぬような躾や教育を受けているのだろう。俺の4つ隣の席に座っている男の従者フレインの横顔を見ると表情を消している。公爵令嬢も女の従者クローラルも、おそらく同じように無表情なのは想像がつく。
「この婚姻話は言わば国家機密だ。それが噂話が先じゃ機密にもならん。これは王国にとって恥を晒したに等しい。大体、機密ならば知っていても知らぬふりをするのが礼儀というものではないのか?」
「これは王国だけじゃなく、公爵家にとっても泥を塗られたと同じことじゃないのか? 王室と宰相家、縁戚でもあるんだから、一心同体みたいなもんじゃねえか」
「俺は商人の倅だから無関係だが、こんな学園如きで機密がバラされた事は貴族社会の恥だと思うぜ。誰なんだろうなぁ、噂の元は!」
俺の投げかける言葉、浴びせかけるような文言に、貴族子弟らは揃って下を向いている。睨んでくる者は誰もいない。当然だ。君等貴族としての矜持はないのか? と言っているのと同義なのだから。
皆、俺が言っている意味を理解したのだろう、嬉々として話す類のものではないということを。しかし令嬢と二人の従者は別だ。俺の挑発に対し、なおも姿勢を崩していない。この辺り、本当に徹底している。さすが宰相家と言ったところか。
「まぁ、流れたもんはしょうがない。後はイヤでも広がるだけだ。勝手に噂すればいい」
そう言って俺は席を座った。みんな緊張していたのだろう、フゥという息を吐く音の後、生徒らは動き始めた。
「あー、ビックリしたぁ」
まず固まっていたリディアが声を上げた。
「正直すまんかった」
次いでフレディが頭を下げてきた。
「ごめんごめん。二人に言いたかったんじゃない。話を洩らしたヤツにムカついただけだから」
「でも怖かったよ。グレンがあんなに怒って言うなんて」
「これ、触っちゃいけない話だったんだと思ったよ」
二人はそれぞれ申し訳無さそうに言う。まぁ仕方がない。話を知る人間とそうでない人間。脅すつもりはなかったが、後々の展開を考えると噂を流したヤツ、おそらく俺と同じく現実世界からやってきた転生者に対する、威嚇と警告にはなるだろう。言うか言わぬか損得計算の中で、言う方が得という判断で言ったのだから。
「知っていても黙っているのが商人の基本だ」
二人にそう言うと、リディアが聞いてきた。
「ねぇ、グレンはいつから知ってたの?」
「入学前から知ってたよ」
あえて右斜め前の席に届くように声量を上げて答えた。
「ええ!」
二人は俺の一言に驚愕したようで、一緒に固まっている。一方、右前の席の女子生徒、公爵令嬢の従者クローラルは一瞬肩をピクつかせたが、それ以上の反応を見せなかった。この辺りは従者としての訓練の賜物だろう。まだ十五歳だというのに大したものだ。俺が惚れ込んだだけの事はある。勿論ゲームの中での事なんだが。
「いや、ホントだから」
前から知っていたのはウソではない。この世界に来る前から知っていたのは、紛れもない事実なのだから。正嫡殿下と公爵令嬢の婚約イベントは『エレノオーレ!』をプレイするたびに必ず見るイベント。少し複雑そうな表情のアルフレッド殿下と勝ち誇った顔のクリスティーナ悪役令嬢、そして背後にはそれぞれの従者が従う、という絵はゲームをする度に飽きるほど見てきた。
「グレンは凄い情報網を持っているんだね」
フレディが感心している。だがそれは単なる勘違いに過ぎない。俺はゲーム情報以外、この学園の情報や国の動きを知らない。例えば今、俺に降り掛かっている決闘話なんて、ゲームの中には全く出てこない話。だから俺はこの決闘話の事など、全く知らないのである。
「いやいや、そんなんじゃないから。そんなの持ってたら決闘なんか申し込まれていないって」
この辺りきちんと否定しておかないと、何かとんでもない話になりそうなので、しっかり否定しておかないといけない。まぁ、俺の話を聞いて二人共「確かに」と頷いてくれたのでとりあえずは安堵したが、あんまり出過ぎたマネをすれば自分の身に何かが降り掛かってくる事になる。今後、気をつけなければいけない。
放課後、俺は職員室に呼び出しを受けた。理由もちろんドーベルウィンとの決闘の件だ。応対に当たった名も知らぬ教官は大仰に事由を述べる。この学園の教官は基本モブなので、相手にする必要は皆無。昇進試験も卒業試験も存在しない学園だ。教官に媚を売ったり、取引したりして進級する必要がないので、存在自体消しておいても全く問題がない。
事実、使える奴と会ったことがないのだから、名前を覚えるだけ無駄というものだ。ドーベルウィンのように直接の利害関係者となりうる生徒とは、そういう部分が全く異なる。現実世界の教師に比べ、存在感も権限も弱いこの学園の教官の価値は、俺にとって塵にも等しい。
教官からの決闘の通知の内容は、ドーベルウィンとの決闘が七日後になるという予想通りのもの。教官として決闘を止めることもない。その上で決闘趣意書と誓約書の二通を差し出されたので、さっさとサインをして退出した。
何が書かれているのか読まなくても分かる。決闘で何が起ころうとも学園は預かり知らない=責任は持たない旨だからだ。俺にとって重要なのは趣意書にある「ドーベルウィン伯爵家をかけて」の一行のみ。これが入っていればそれでいい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます