第36話 公園。

 公園は繁華街からそれほど離れてはいなかった。街の中心近くにあるというのに木が多く、居心地がとても良い。

 だが、千鶴は木製のベンチに座りながら居心地の悪さを感じていた。


(どうしよう……)


 落ち着かない原因を、千鶴は横目でちらりと見る。隣に座って芝生の上で走り回っている子供を目で追っているのは、真一だ。

『話は長くなる』なんて言っていたはずなのに、ここへ到着してから一言もしゃべらない。自分から声をかけてみようかとも思ったが、どんな顔で真一に話しかけたらいいのか分からなくて戸惑っている。本人に向かって『嫌われたくない』と口走り、挙句涙まで見せてしまった後だけに……。


(恥ずかしい!)


今頃になって、羞恥心に一人身もだえていると、おもむろに真一が口を開いた。


「おれは、君の側に居るべきではなかったんだ」

「……は?」


 何を言い出したのかと、思わず口をぽっかりと開けてしまった。きっと間抜けな顔をしていたに違いない。

そ んなへんちくりんな表情を浮かべている千鶴の方へ真一は首を巡らし、じっと見つめてくる。


(綺麗な目───)


 思考が停止した頭でただぼんやりとそんなことを感じていると、真一が再び口を開く。


「おれがいなければ、君は大怪我を負うこともなかったからね」

「? な……!」


 千鶴は思わず声を上げていた。

 だが、言葉が続かない。今度は、あまりに驚いたからだ。


(大怪我……? って、小学生の時のことだよね⁈)


 あの時のことをいまだに真一が気に病んでいたことに、千鶴は衝撃を受けていた。

 そして、酷く悔(く)やんだ。もっと早く気付くべきだったのだと。

 茫然(ぼうぜん)としている千鶴の姿を、真一はただ静かに見ている。いやきっと感情を押させているだけだろう。瞳が僅(わず)かに揺らいでいる。


「おれが千鶴から離れれば、君は安全になると考えて、離れようとした。……でも、それは君を傷つけただけだったみたいだね。おれは逃げていただけだったんだ」


 ごめんね。と囁(ささや)くように言った時、真一は初めて苦しそうに少し顔を歪(ゆが)ませた。真一の『ごめんね』は、今日は二度目だ。


「……バカなんじゃないの?」


 勝手に唇から言葉が零れ落ちる。


「……ばか?」


 千鶴が発した言葉を、真一は少し驚いた様子で繰り返す。


「そうよ。大馬鹿よ!」


 まるで叱りつけるように言うと、千鶴はベンチから立ち上がった。まるで仁王のように真一の前に立つ。


「……」


 真一が千鶴を見上げる。いつも涼し気な目が、今は大きく見開いていた。


(やっぱり、ちょっと可愛いいかも……)


 体が大きくなった分、見かけは随分と変わってしまったけれど、こんな表情を見せられると、一緒に駆け回っていた時と何も変わっていないんじゃないかと思ってしまう。千鶴の胸にぽっかりと空いていた穴が埋まって行く。


(どんなに姿が変わって、何を考えているか分からなくなっても、真一は真一だ) 


「もし、あの男達に捕まっていたのが私だったら、真一はどうした?」

「もちろん、助けに行った」


 考える素振りなど全くなく、真一が間髪入れずに答えた。千鶴の顔に笑みが広がる。


「うん。ありがとう! じゃあ、同じだよ」

「同じ……?」

「そう。私達は同じなんだよ。私は真一が危険にあったら何度でも助けに行く。真一も助けに来てくれるんでしょ?」

「!」


 真一がはっとするのが分かった。


「何度でも……?」

「うん。何度でも!」


 突然、真一が俯(うつむ)く。


「真一?」


 心配になった千鶴が名前を呼べば、真一が両手で顔を覆った。


「え⁈ 真一! ど、どうしちゃったの⁈」


 おろおろとする千鶴の耳に、真一がくすっと小さく笑う声が聞こえてきた。


「……そうか、何度でも助けに来ちゃうんだ」

「え? うん。もちろん!」

「おれもだ。千鶴を助けたい。……何度でもね」


 そう呟くと、真一が顔を上げた。その顔はどこか困っているような、安心したよう、な言葉にすることは難しい表情をしていた。目に涙の跡はなかったが、僅かに潤んでいる気がする。泣いていないことに千鶴は内心ほっと胸を撫でおろした。真一が涙を浮かべながら笑っている姿は見たことがあるが、それ以外で涙を流す姿など見たことがない。

 もし、真一が泣いていたなら、きっと千鶴はどうしていいか分からず、ただおろおろするしかなかっただろう。大切に思えば思うほど、自分の無力さに気付かされる。


「千鶴、座れば?」

「あ、うん」


 促されるまま再びベンチに腰を下ろす。ふと視線を感じ、顔を向ければ、ずっとこっちを見ていたらしい真一の目と合った。

 その瞬間、心臓が痛みを伴うほど大きく鳴った。

 真一の目が違っている。先ほどまで懐かしさを感じるような表情をしていたのに、ひどく大人びた表情に変わっている。


 「!」


 その眼差しのあまりの強さに、千鶴は思わず目を逸らせてしまった。


(あっ! 今のは、絶対に感じが悪かったよね? でも、でも、なんだか怖いんだけど……。すっごい目がマジなんだけど!)


「真一!」


 まるで場を繕うように慌てて名前を呼んでみたが、目を合わせることは出来ない。 

 ただ、口を開け閉めするだけで、続きが出てこない。苦し紛れに思いついた事を口にする。


「あ、……ほ、ほら、キノって! そう、キノって、何で呼ぶの?」

「……『サル』が良かったの?」


 どこか不機嫌にさえ聞こえる声で真一が聞き返してくる。


「は?」


 心の葛藤などどこかへ吹き飛び、すごい勢いで振り向く。そこには眉間にわずかな皺を寄せ、不機嫌そうな真一の顔があった。


(何で、あんたがむっとしてるのよ!)


「いいわけないでしょ!」


 勢いよく立ち上がった千鶴の姿を真一が目で追う。


「じゃあ、仕方がないよね」

「何でよ! っていうか、何がよ?!」


 この時、千鶴の中に芽生えかけていた何かはどこかへ綺麗に消え去り、悔しそうにキーッと怒る千鶴を見る真一が、とても幸せそうに微笑んでいることにも気付いていない千鶴だった。


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