第二部 Ⅸ:喧嘩(けんか)

 レモが差し出した鍵を、船室の隅から歩み寄って来たアリス3号は黙って受け取った。何だか気のない素振りだ。

「コレ、アゲル」

 片腕にかけていた何かを押し付けるように銀河に渡して、そのままハッチに向って行った。見ると、ハーフ・マントがきちんとたたまれて銀河の手にあった。

「どこへ行くんだ?」

 銀河がたずねても「散歩してくる」と独り言のように言い置いて、そのまま嵐の中へ出て行ってしまった。小やみになったとはいっても、まだまだ雨風は強い。

「何だ、あいつ?」

 みんなは首をひねって見送った。そう言えば合同庁舎へ行って以来、元気がなくなったような気がする。変な奴だ。銀河は肩をすくめる。まあ、いいか。そのうち勝手に帰って来るだろう。


 だが、レムたちがポチに乗って帰って行っても、アリス3号は戻って来なかった。最初は大して気にしていなかった銀河も、胸騒ぎを覚えはじめた。あいつに限って遭難するとは思えないが、遅すぎる。一体、どこで何をしているのだろう。嵐がまた激しさを増してきはじめたのに、いつまで待っても戻って来ない。これはおかしい。

 仕方なく、銀河は再び宇宙服に身を固めると外に出た。

 一時間、二時間 … いくら捜しても、どこにも姿がない。命がけの冒険のすぐ後なので、銀河の身体からだにずっしりと疲れがのしかかってきはじめた。それでも、自分にむち打って捜し回る。とうとうおそれ地蔵のほこらまで来てしまったが、何の手がかりもつかめないままだった。

「アリス … 」

 知らず知らず、心の中で名前を呼んでいた。なぜ、どこへ行ったのだろう?家出する心当たりはない。心配のあまり少し腹を立てながら、さらにけもの道のぬかるみに分け入り、とうとうジャングルに入り込んでしまった。ここまで来ると、あとは怖ろしい毒沼を抜けて、その先にはもうあの断崖しかない。

 おや、あれは誰だろう?全身うろこだらけのグロテスクなシダの巨木の向うに誰かがいる!間違いない。アリス3号がふらふらとこちらへやって来るではないか。歩き方がおかしい。まるで夢遊病者だ。

「アリス!」

 マイクで呼びかけると、ヘルメットのイヤフォンにアリス3号の声がかろうじて返って来た。

「アニキ、カギヲナクシタ … 」

 安心しかけたのも束の間、銀河はギョッとたちすくむ。

「鍵を —— 失くしただって!!」

「ヌマニコイシヲナゲテイタラ、マチガッテカギマデナゲコンデシマッタ」

「沼に小石を?? 間違った!? お前、この嵐の中で一体何をしてたんだ!!」

「シツレンシテイタ」

「失恋!?」

「レモサンニキンタヲトラレタ」

「盗られたって … 」

「ハジメテニンゲンヲスキニナッタノニ … 。デモ、レモサンハイイヒトダシ、レムノオネエサンダカラハリアエナイデショ?シカタガナイカラ、コイシヲナゲテイジケテイタラ、ウッカリカギマデナゲコンデシマッタノ」

「バカッ!!!」

 銀河の怒りが火を噴いた。つい今までこんな奴の身を案じていた自分は一体何だったのか!

「自分のしたことがわかっているのか」

「ゴメンナサイ」

「謝って済む問題か!!」

 怒れば怒るほどますます怒りが込み上げてくる。

「アニキ、オコラナイデ。ヌマニモグッテサガシマワッタケド、フカスギテワカラナカッタ」

「命がけでとり返してきたキーだぞ。いや、そんなことより、これでチュラ星が全滅したらどうする気だ!!」

「ゴメンナサイ … 」

「この大馬鹿!!」

 もう、怒りに歯止めがかからなかった。すっかり落ち込んでしまっている相手に、さらに詰め寄ってたたみかける。

「今度という今度は許せない。もう一度捜しに行け!見つかるまで沼から出て来るな!毒で錆びるか、カバに喰われて死んじまえ!」

「アニキ、オコラナイデ。モウイチドサガシテクル。ワタシガワルイノ。デモ、スコシダケデイイカラオトメゴコロモ … 」

「乙女心だって!お前のその一目れのせいで何十億人もの人やロボットが死ぬことになるんだぞ。何が失恋だ、このセコハンの、能無しの、オマンコロボット!」

 アリス3号がとうとう壊れてしまった。

「ナニヨ、コノ、クサレチンコ!」

 一瞬怒り返したかと思うと、出し抜けに、冷たくめきったよそよそしい態度に変って行った。

「ギンガクン、オセワニナリマシタ」

 アリス3号に名前で呼ばれるのはこれで二度目だ。一度目の時は言葉にできないほどの大惨事さんじが起きた。

「ジバクシマス。ココジャアブナイカラムコウヘイッテクルネ」

「勝手にしろ」

 銀河はくるりと背を向けた。そんな台詞せりふは聞き飽きた。何千回聞かされたことか。いつも通用すると思ったら大間違いだ!

 十五秒か、二十秒の間、銀河はそっぽを向いたまま怒りで身を硬くして立ち尽していた。

 風雨が一段と激しさを増してくる。振り向くとアリス3号はすでに消えていた。ふん、どうせそのうち例の調子で舞い戻って来るくせに。そう自分に言い聞かせてみるが、なぜかうまくいかない。怒りがいて、いきなり不安がよぎった。

「アリス?」

 今回はこれまでとは全く状況が違う。事態は深刻だ。あいつだってひどく責任を感じているはずだ。さっきは確かに言い過ぎた。やはり引き止めてやらなければいけなかった。

「アリス」

 うっそうと生い茂る巨大シダの闇にマイクで呼びかける。

「隠れてるのなら出て来いよ。いっしょに捜そう。さっきは言い過ぎた」

 そう言えば、あの瞬間とき、アリス3号は異常に冷静だった。まさか、本気で?そんなはずは …

「アリス!」

 銀河は密林の奥に向ってやにわに駆けだした。

「アリス!!」

 なぜ引き止めてやらなかったのだろう。後悔がどっと押し寄せる。簡単なことだったじゃないか。振り向いて手を引く、ただそれだけのことだった。それをしなかった何秒かの時間が、今、取り返しのつかない過ちになってしまったかもしれない。不安と後悔が、追って行く銀河の頭を真っ白にした。

「ごめん、ぼくが悪かった!謝るから出て来いよ!」

 今や銀河にあるのはアリス3号の無事を祈る思いだけだった。この星の命運の事さえ案じている余裕がない。

 突然あたりが光に包まれた。もの凄い地響きと閃光が嵐を突き抜けて銀河を襲った。

 落雷だ。

 どこかすぐ近くに落ちたらしい。核爆発ではないようだ。不安が恐怖に変った。

「わかってるだろ、本気じゃないって!」

 無我夢中で茂みをき分ける。 —— あぁ、あんな所にいる。ヘヘッと笑って立っている。だが、近づくと姿は消えて、不気味なシダの葉に化けた。銀河はとりかれたように、うねり狂うジャングルを突き進んで行った。

 我に返った時、銀河はひょっとこ丸の前に帰って来ていた。どこをどう戻ったのだろう。何も覚えていない。

 疲れた。体を休めたい。これ以上やみくもに動き回ってももう無理だ。一休みして、もう一度近くから少しずつ塗りつぶして行かなければ。それでもだめなら、あす、みんなにも力を貸してもらうしかない。

 どっしりと宇宙服にのしかかられた体を重く引きずってハッチを開き、中へ入る。キャビンは真っ暗に静まり返り、もしかすると自分で戻って来てくれているのではないかというはかない願いもついえ去る。

 銀河は宇宙服スーツはずして、どっかとベッドに身を預けた。明日あした頼もう、レム、ミモ、ポチ、支配人さん、口裂けお姉さん、山羊ヒゲさん、レモもキンタも、みな信用できる人たちだ。大丈夫、きっと見つかるとも。 —— いや、いや、何としてでも今夜中に、絶対にこの手で見つけ出してやらなければ。だからほんの少し、少しだけ体を休めよう … 今朝がたからの出来事が、いつの間にか遠い昔のエピソードのように浮んでは消えて銀河から離れ去って行く …


  … 銀河はうらぶれた裏町を歩いていた。それは夢というより、二年前の地球に実際に帰って来ている感覚だった。何もかもがはっきりしていて、道先を横切る風にさえまざまざとにおいがある。道の両側には何を商っているのかよく分からないような古ぼけた店々が軒を連ねていた。

 銀河はロボットを探していた。一週間前、お菓子のおまけでモバイル服付きの宇宙船を当てたのだ。ひょっとこ丸というなかなかキュートな船だった。地球を飛び出していざ、宇宙へ!

 とはいえ、今や、宇宙探険に興味を持つ者などどこにもいなかった。老人ならまだしも、銀河のような少年が宇宙のことを話すと、間違いなく茶人ちゃじんあつかいされるのがおちで、せっかくの宇宙船もガラクタ同然なのだ。街なかに出れば一人や二人、必ず宇宙人とすれ違うし、惑星や衛星なんてどこも地球と似たり寄ったりか、さもなければ全然つまらない不毛の地かのどちらかではないか。それで、もう何十年も前から人々の関心は外の世界から内宇宙へと移っていた。最近のはやりは無意識探査だ。深層バスで自分の潜在意識へ出かけて行き、亡くなった人に会ったり、ありえない景色を眺めたりするイベントはどの旅行会社でも大もてだ。だが、銀河は自分の心になどちっとも興味が持てなかった。探険といえばやっぱり宇宙だ。この宇宙のどこかには、まだ人の知らない、想像を絶するような驚きが必ずあるはずだ。それに —— 、それに、銀河は大人になりたくなかったのだ。理由はよく分らない。大人たちはみな子供を立派に育て上げようとするし、どの歌も青春の素晴らしさを讃えるけれど大人なんてまっぴらだ。だって、十二歳の今より十歳の頃の方が、十歳の頃より六歳だった頃の方がずっと楽しくて、世界が不思議に満ち輝いていたではないか。銀河の耳のどこか深い所では、幼い頃に聞いたこんな詩を、いつも誰かが歌っているのだった。


   変なんだ


   牛って

   牧場(まきば)で育てるの

   水と酸素とクローバで


   アシカも海で育てるの?

   トンボも空で育てるの?


   きみも

   三時の揺りかごで

   ミルク飲まされちゃうんだね


 この頃、銀河はふと自分が大人になりはじめているような気がして不安になる。光の速度で宇宙を旅すれば時間が経たないはずだし、人工冬眠カプセルで寝ているうちは成長しなくて済む。だからどうしても宇宙へ出るのだ。

 ただ、そのためには絶対にロボットが必要だった。ひょっとこ丸の操縦だけならハンドブックを読めばわかるが、宇宙のことは何も知らなかったし、計算も、力仕事も、料理も苦手だ。きっと危険な目にも会うだろう。むろん、ロボットくらいデパートやホームセンターへ行けばいくらでも売っている。けれど、宇宙探険用ロボットはもうずいぶん前から製造中止になったままだったし、それはあきらめても、探険に使えそうな汎用はんようロボットのほとんどが大人おとな型なのは問題だ。年上のお兄さんやおばさんロボットに「いかが致しましょう」なんて毎日かしずかれるれるのは気づまりだし、大人がうつりそうで願い下げだ。かといって、子供ロボットはみな、遊びや教育や医療用に特化し過ぎていて話し方がわざとらしく、いくら可愛くても使えない。いや、それ以前に、そもそも、そういうまともなロボットたちは、ひと月借りるだけでもとんでもない費用がかかってしまう。銀河にはとても手が届かない。そんなわけで、今も、立派なディーラーやロボット・ショップの立ち並ぶ表通りではなく、時化しけ裏路うらみちをぶらつきながら、こうして掘り出し物はないかと物色しているのだった。

 ひさしの壊れかけた一軒の店の前で、銀河はふと足を止めた。骨董こっとう屋だろうか。小窓をのぞくとつぼや調度の並んだ薄暗い小部屋の一番手前の窓際の机の上に、ガラス頭のブリキ人形に似た姿の物が不格好に腰かけさせられていた。首にかかった 返品お断わり の値札に目をやった銀河の胸がドキンと高鳴った。捨て値とはまさにこのことだ。だがロボットであるはずはない。ただの特大人形か、怪物のおもちゃか何かだろう。それでも念のために確めておかなければ。

 入って行くと、いかにもうさんくさ気な小男の店主が奥から銀河を値踏みするように目線をよこしてきた。

「正真正銘のロボットだ」

 それから、客がひと言でも何かをたずねたり口をはさんだりできないほどの早口で胡乱うろんな口上を並べ添(そ)えた。

「太陽電池も原子力も必要ない。代謝効率は最低だが、一旦起動すれば死んでも止まらない丈夫さだ。九九は言えるし、引き算とクシャミもできるが時々反抗する。怒るとイケナイ言葉を吐くから気をつけな。名前はアリス3号でメーカー不明、保証書なし。多分、裏ロボットだ。三十年間この場所に売れ残っている。廃棄はいき処分直前の最終価格だからいかなる理由があろうと、返品、交換はお断りだ」

 告げ終えると速足に歩み寄り、こちらが頼みもしないのに、切断不可能な起動スイッチを入れてみせた。

 すると、ブーンという真空管の紫色の音がして、ロボットの顔が上がった。

「歳はいくつ?」

 銀河はたずねてみる。

「ジュッサイ」

「宇宙へ行く?」

「イク」

 こうしてふたりの冒険が始まった。

 家に帰ると、銀河は両親が心配しないように、さっそく手紙を書き置きした。

「宇宙へ行ってきます。元気でね」


  … タイヘンダ ハヤクキテ

 物音で銀河は目が覚めた。しまった!寝込んでいた。ちょっと体を休めるだけのはずだったのに。シールドを閉じ忘れた窓には澄んだ青空があった。もう朝か。誰かがまたハッチをどんどんたたく。船全体がグラグラ大揺れした。何て乱暴な。跳び起きた銀河は急いでハッチを開けた。

「アニキ、タイヘンダ!」

 タイヘンって …

 目の前にいつものアリス3号が興奮した様子で立っていた。

「お前、どこにいたんだ … 」

 何だか地面がくらくらする。安心したとたん、また怒りたくなってきた。雨上がりの空に、見たこともないほど大きな虹がかかって肩越しにアリス3号を飾っている。体中の力が一気に抜けてしまった。

「入れよ」

 かろうじてそれだけ言ったのに、アリス3号は逆に銀河の腕を激しく引っ張ってきた。

「アニキ、イチダイジダ」

「一大事って、鍵を失くしたり、お前がいなくなったりするより大変なことなのか?」

「ヨゲンシャガイルノ」

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