第一部 Ⅱ:墜落

 戻るにも進むにも道がわからない。

 見通しをさえぎる木々の間からは、それでもまっ青な空のかけらがのぞいていた。

 少し先で、立ち止ったアリス3号が木漏れ日をあおいでいる。こんな時なのにいかにも気持ち良さそうだ。追いついた銀河は不機嫌にめつけた。

「せっかく息を吹き返したのに気絶させてどうするんだ。何か聞き出せたかもしれないのに。三人で飢え死にしたらお前のせいだぞ」

「シャミセン、アル?」

 アリス3号はつぶやいた。

「三味線?」銀河は訳がわからない。

 アリス3号は寂し気に言葉をつぐ。

「ソラガアンナニアオイノモ」

 それから背を向けたまま続けた。

「ユウビンポストガアカイノモ、ミンナワタシガワルイノヨ」

 端唄はうたか何かだ。

「アニキダッテワルイヨ」

 まだ不満そうだ。

「何がさ?」

「ダッテ、コノコハハダカデタオレテイタワケジャナイデショ。キテイルモノモ、コシミノヤドウブツノケガワナンカジャナク、チャントシタハンソデシャツトハンズボンダシ、クツヤクツシタモハイテイルヨ。トイウコトハ、コノホシニハ、ヒラケタブンメイガアルトイウコトデショ?ダッタラウチュウゴデキケバヨカッタノニ。ウチュウゴクライキットイエヤガッコウデナラッテイルハズヨ。チキュウゴデハナシテモワカルワケナイワ」

 一理あるだけにますます腹が立ってくる。ふたりはお互いにもう口もききたくない気分で、木々の茂るゆるい傾斜を、意識のないお荷物をしょったままさまよい登って行った。

 林はやがて森になり、空も見えなくなってきた。

 道なき道をさらに進んだ時、ふたりの目の前に、木とツタにうっそうとおおわれた土手が現れ、銀河の背丈のゆうに四、五倍はありそうな大きなほら穴が口を開けていた。奥を探ってみるべきだろうか?

 迷っていたその時、

「ヤヤッ?」

 アリス3号が、入り口のかたわらに立つ小さな石人形に気がついた。お地蔵さまだ。ま新しい朱色の前かけをして、片方の手には杖を持ち、もう片方の手のひらをこちらに向けて穏やかな微笑みを浮かべておられる。

「やったぞ!」

 銀河は小躍りした。

「近くに誰かが暮してるんだ」

 ふたりでさらにあたりを調べてみる。

「見ろ、足跡だ!」

 銀河が指さした。

 下草を刈り取られた乾いた地面の上に、幾つものくつ跡がくっきりと残されていた。少なくとも三人くらいの何者かが、ごく最近ここにやって来て、そのあと、また同じ方角へ帰って行ったようだ。何に使ったのか、少し離れた所に丈夫そうな荒なわが打ち捨てられている。

 アリス3号は、さっそくお地蔵さまに両手を合わせて「ナムナム」とお礼を唱えはじめた。足跡を発見してくれたアニキにも感謝しておこう。

「オジゾウサマ、コレカラモドウカアニキヲミマモッテヤッテクダサイ」

 黄色や水色の可愛い猛毒の野草をそこら辺から適当に摘んできてお供えしている。

「行くぞ」

 銀河は先に立って、くつ跡の帰って行った方向を追いはじめた。

「あっちだ」

 先ほどまでとは見違えるほど力強い足取りを取り戻して登って行く。しばらく行くと、切り立った斜面の茂みの間から、けもの道のような細い道あとが現れた。一本道なので、もし、くつ跡を見失っても、もう迷う心配はなさそうだ。

 ただ、進むにつれてあたりの景色はますます怪しげに変ってくる。森はやがて密林になり、どこかで鋭い叫びが上ったかと思うと、突然すぐ足元から大きなはばたきが起ったりする。その先は不気味な沼地へと続いて行った。沼は岸が見通せないほど広くて、所々にマングローブの茂みを置きながら、あちこちからコボコボとにごった湯玉を吐き上げている。いやな臭いの瘴気しょうきが沼の表面全体から立ち昇り、一行は、そのまん中に心細く渡された倒木と朽ち木の上を用心深く這い伝って行くのだった。蒸気ですぐに曇って、危なく足を踏み脱してしまいそうになるアリス3号の顔面を、銀河は持ってきた風呂敷で何度となくぬぐってやらなければならなかった。

 ふいに、足もとの水面からばかでかい二つの耳先が突き出した。続いて大きな目玉とヒゲもじゃのどでかい鼻の穴が現れた。

「カバダ!」

 アリス3号が飛び込みかけた。捕まえて食べる気だ。

「よせ!」

 銀河が必死に引き留める。耳先だけでも2メートルはある。牙はどれくらいあるだろう?いくら空腹でも、こんな化け物とは絶対に戦いたくない。幸い、相手もふたりに驚いてすぐに水底へ姿を消して行った。

 アリス3号は名残り惜しげに波あとを見送っていたが、やがてあきらめて、またアニキの後に従った。

 小一時間も来ただろうか。前方の視界が一気に開け、銀河とアリス3号は自分たちが目くるめく断崖絶壁のふちに出たことに気がついた。それ以上どこにも行きようのない行き止まりの、ものすごい崖淵だった。

 ふたりは遭難してからはじめてこの星の本当の姿を見た気がした。視界の上半分はスミレ色の大空に深々とおおわれ、下半分には赤茶けた大峡谷の岩肌が見渡す限り続いている。足もとを見下ろすと、はるか何百、何千メートルという下界を、一筋の大河が、悠々と背中を光らせながら、様々な高さや形でそそり立つ峰々と巨岩の間をぬって蛇行して行くのが見える。そして、むき出しにそびえ連なる絶壁のなかでただ一つ、豊かな森の緑をたたえたはるか向こうの峰の中腹に、透き通った何かの建物らしい姿が、さん然と輝き映えていたではないか。

 喜びと失望が同時にふたりを襲った。

 遠すぎる。建物とふたりのいる崖の間には、あまりにも雄大な底なしの谷が絶望的に横たわっていた。どこを探っても降りて行けそうな場所などない。

「見ろ、足跡だ …」

 崖だなの地肌のちりの上に、例のくつ跡たちが置き去りにされて、そこでふっつり途絶えていた。先ほどのほら穴に向った時の跡はかかと側を、戻って来た時の跡はつま先側を、あの建物の方に向けたまま。

「どうやって渡ったんだろう?」

 途方に暮れた銀河が、相棒の様子を見るともなく見やる。

 アリス3号は崖ぎわでしきりに何かを測っていた。谷底をのぞき込んだり、アニキの風呂敷を広げたりしながら、夢中で地面に積み算をくり広げている。頭の中でカチャカチャとせわしなく計算機が音を立てているのが聞こえる。

「アニキ、ジョウショウキリュウダ」

 ロボット少女は決然と立ち上った。

「カゼニノッテイコウ」

 銀河は耳を疑った。

「カゼノツヨサト、カザムキト、ガケノフカサト、ターゲットヘノキョリト、ゼンインノタイジュウト、フロシキノツヨサヲアワセテケイサンシテミタノ。ウマクムコウガワヘワタレルワ」

 これまでにも、さんざん馬鹿な話は聞かされてきたが、本気でそんなことを言うとは信じられない。こんな風呂敷で飛び降りたらどうなるか、常識以前の問題だ。谷底からは、なるほど、ものすごい突風が時々吹き上げては来ていたが、それだって常に湧き続けて来るわけではなかったし、いや、たとえ湧き続けて来たとしても、そもそもこんな風呂敷一枚で想像を絶する風圧や三人の体重に耐えきれる訳がない。計算するまでもないことだ。 

 口を開こうとした銀河を、アリス3号はいつになく鋭くさえぎった。

「アニキ」

 ガラスの顔でまっすぐこちらを見つめている。

「オネガイ、アニキノヤクニタチタイノ。コレマデメイワクバカリカケテキタデショ。イッショウニイチドデイイカラヒトダスケガシタイノ。イマダケ、ナニモイワズニワタシヲシンジテイウトオリニシテ」

 真剣に思い詰めている。その気持ちは銀河にもわかったが、だからといってみすみす自分から命を投げ出すようなまねはできない。何と言って思い止まらせればいいのだろう。

 だが、その一瞬のためらいがいけなかった。

 たんげいすべからざる少女ロボットは、広げた風呂敷のひと角をポカンとつっ立っている銀河の手の中に強引に押し込んだかと思うと、片腕に男の子を抱え、もう片方の手で風呂敷の反対の角をつかむやいなや、「ハナサナイデ」とひとこと言うなり、気が付いた時には、もう崖ふちから身を躍らせていた。

「わ!」

 叫んだ時にはもう遅い。足の下には何も触れるものがなかった。

 三人の体は驚いたことに一瞬、アリス3号の言った通りグンと谷風に持ち上げられ、そして、それから、銀河の思った通り、ひとたまりもなく墜落して行った。すばらしい加速度で落ちて行く。が、谷底があまりにも深かったのと、上昇気流の効果もいくらかはあったのか、到着するまでには、何かをゆっくり振り返ったり、話をしたりするだけの時間が充分にあった。

「いつかこんなことになるんじゃないかと思ってたんだ …」

 アニキが言った。

「ぼくの冒険人生もここでおしまいか」

「ボウケンダケジャナク、ジンセイソノモノガオシマイダ」

 アリス3号が指摘する。

「 … アニキ、オコッテル?」

「どうかな …」

 銀河の声は意外に穏やかだった。

「お前には悩まされ通しだったけど、けっこう楽しかった気もするよ。他のロボットなら何でもないことまで全部が冒険に変ってしまうんだから。覚えてるかい?」

 ちょっぴりなつかしそうだ。

「最初の星で雪山を探険していた時、お前がクレバスに転落してそこで古代の遺跡を見つけただろ。それから …」

「ゴメンナサイ」

 アリス3号がふと言葉をさえぎった。

「ショウスウテンノイチガフタケタズレテイタ」

「いつものことさ」

 いよいよお別れの時間が迫って来たようだ。

「ミテ!」

 突然、アリス3号が叫んだ。瀧だ。大空に足を向け、頭を下にして真っ逆さまにちて行くふたりの視野の向こうに、これまで話に聞いたこともないような大瀑布の姿が現れた。途方もない大きさだ。目にしみいる神々しい光をさん然とあたりに放ちながら、大地の果てまで続いていそうな断崖をおおいつくしてふたりと共に落ちて行く。

 空中に身を投げ出した最初の何分の一秒かのうちに風に引き裂かれて吹きとばされてしまった風呂敷の唐草模様の切れ端だけをしっかり握りしめたまま、ふたりは黙ってその絶景に見とれ続けていた。

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