彩の世界で君を待つ
文目鳥掛巣
ヨタカ
ただ一つ、獣人の為だけの国家が、ここガスラの大陸に生まれたのは必然だったのかもしれない。
獣人にとって安息できる地を創ろうと、誰が築いたこの国は、各地で追われた獣人を受け入れ、人間と距離を置きつつ、ひっそりと、慎ましく、獣人が人らしく生活できる基盤を造り上げた。
決して人間と同等にみられることがなかった獣人達が獣としてではなく、人として生きるこの土地は、確かに彼らの楽園であった。
パタパタと石造りの道を走り回る少年の足が小さな段差を乗り越えられず、その体を豪快に叩きつけた。
転んだ拍子にポケットからコロコロと彩りの飴玉が転がっていった。
光を反射させてキラキラと光る飴玉は宝石のようだった。
「あっ、あっ、まって! 」
起き上がるよりも先に手を伸ばしてしまい、もぞもぞとはい回る姿は微笑ましくとも滑稽であった。
1つ、2つとその手に飴玉をしまいこみ、大事そうに拾い上げる。
砂の付いた飴玉はそれでもキラキラと輝いていて、子供の目には本当に宝物のようだった。
1つ、2つ、3つ…7つまで数えて少年は辺りを見渡した。
「あと1つ…」
道の端っこの方に、キラキラとした青色の飴玉がポツンと座っている。
少年が満面の笑みで手を伸ばすが、飴玉は少年の手の内には入らなかった。
「いいもんみーーっけ」
「あっ、それは僕のだ!返せよ」
少年の目の前で飴玉を拾い上げたのは少年よりずっと大きな身体をした男だった。
「大事なもんなら、ちゃーんと持っとけよ」
男は大きな口に飴玉を放り入れるとバリバリ音を立てて噛み砕いた。
青色の飴玉は粉々になって、か細く光を反射させながら、その欠片を石畳に溢れていった 。
少年は欠片になった飴玉を涙目で見ているしかできない。
「はー、ごちそうさん。お?なんだ、まだあるじゃねぇか」
男はニヤニヤしながら少年の手の内にある飴玉に手を伸ばす。
はっとした少年は、これ以上盗られまいと身体を屈めて懸命に隠した。
「おい、チビ助、痛い目みたくねぇならそいつをよこしな」
「うるさい。これはダメなんだ!」
少年はジリジリと迫り来る男から目を反らさずに、ゆっくり後退していく。
「弱小の小鳥ちゃんが肉食に歯向かうんじゃねぇよ」
「お前らカラスは肉食じゃないだろ!」
少年の反論に男は青筋を浮かべて手を振り上げた。
少年はまずいと思い、バッと走り出す。
怒号と共に追いたててくる男を背に走って走って走った。
変化[トランス]で元の姿になれば飛んで隙間に隠れられるかもしれない。
けれど、それでは大事にしてきた飴玉を持っていくことはできない。
鳥の姿では、掴める足は2つだけ。
7つもの飴玉を包むこともできない。
少年は走るしかなかった。
どのくらい走ったかわからないが、いつの間にか男の姿は見えなくなっていた。
息を調えながら、少年は手の中の飴玉を数えた。
1つ、2つ…
「よかった。落としてないみたい」
少年の小さな手の中には彩りの飴玉が確かに7つ握られていた。
ホッとしたのもつかの間、キョロキョロと辺りを見渡すと見慣れない建物ばかりが並んでいる。
逃げるのに必死で道を間違えたようだ。
「どこまで来たんだろう?戻らないと」
赤褐色のレンガでできた家々の間を恐る恐る歩く。
とんがり屋根が空を突き刺しそうな程に高く、空は薄暗く、しかし、はっきりと昼間であることはわかった。
窓はどれもカーテンが閉められている。
赤い扉の装飾は見慣れない模様でキラキラと彩られている。
少年は人影を探すが、人が住んでいる気配すら感じなかった。
バクバクと心臓の音が聞こえそうなくらいに静かな街を抜き足差し足、そろそろと進む。
どのくらいそうして歩いていたのかわからない。
一時間以上かもしれないし、五分だったかもしれない。
なん百メートルも歩いたかもしれないし、数メートルだったかもしれない。
とにかく、少年は一人心細く、時間の感覚を正しく計ることなど出来ないくらいに緊張していた。
泣きそうになるのをぐっとこらえて、前を向いたときだった。
道の先にぽぅっと暖かい色の街灯がみえた。
少年のそばにある街灯はどれも静かに突っ立っているだけで、薄暗い街並みを照らすことも忘れて眠っている。
後ろをみても同じだった。
道の先のただ一つだけが、ふわふわと明かりを灯している。
そろそろと、少年は街灯に近づいた。
手の中の飴玉がこつこつとぶつかっている。
家の壁を伝うように街灯のそばまで近づくと、少年の身長の2倍はあろう高さでガス灯の灯がふわふわ浮かんでいた。
回りにはその灯に照らされた何かがキラキラと舞っている。
真冬にみられるダイヤモンドダストのように、青白い粒に暖かい灯の色が混ざって、複雑に、無数の色を作り出している。
そっと手を伸ばしてその光を掴もうとするが、光は巧妙に少年の手を避けていく。
飴玉を服の裾でぐるっと包み、しっかりと結んだら、もう一度光に手を伸ばす。
今度は腕をいっぱいに使って飛び付いたので、思ったよりも簡単に掴むことができた。
指の間から光が零れている。
そっと指を開いていくと、そこには小さな羽虫がくっついていた。
細かい綿をいっぱいに付けた体を震わせて、ゆっくり少年の手を這っている。
その小さな身体が背負っていたのは、硝子のような透明で薄い羽根だ。
その羽根は街灯の灯りを乱反射させて虹色に輝いていた。
翅脈の節に沿って、電飾を付けたようにチカチカと色が変わっていく。
羽虫は少年の指先にたどり着くと、パッと羽根を広げて飛んでいった。
ふらりと群れにもどった羽虫は、蛇行しながら街灯の周りを飛び回る。
無数の羽虫がキラキラと光を作る。
そのあまりの美しさに目を反らせずにいると、羽虫の群れへと真っ黒な塊が飛び込んできた。
舞い散る誇りのように風に煽られた羽虫が弱々しくよろめいた。
黒い影は、ぐいっと旋回すると薄暗い空を切り裂いて真っ直ぐ群れに飛び込んできた。
楕円形のそれは、確かに翼を持っている。
大きく開けた口に次々と羽虫を吸い込み、また旋回を繰り返す。
特別に速いというわけでもない。
けれども、ふよふよと漂う羽虫にとっては戦闘機が突っ込んで来ているようなものだろう。
きらびやかな羽虫が黒へ飲み込まれていく様子を、少年は瞬きも忘れてみいっていた。
「やぁ、こんばんは、坊っちゃん」
突然、声をかけられ、少年は身体を強ばらせた。
振り向くと、細い脚の男が一人立っている。
派手な衣装とメイクはサーカスのようだった。
肩から伸びる複数の飾り羽根は、付け根は落ち着いた水色だが、先に行くほど鮮やかなピンク色にグラデーションを作っている。
「こ、こんばんは」
「すまないね、食事中なんだ」
男の細い腕がにゅるりと宙を指す。
すると、一心不乱に羽虫を喰らっていた黒い鳥が数回円を描き、男の腕にストンと着地した。
横長のひしゃげた嘴をモゴモゴさせると、引っ掛かった羽虫の羽根がパリパリと音を立てた。
黒雲母を散りばめたような斑紋のあるその鳥には、鋭い爪も備わっていない。
満足そうに目を細め、ぶわりと体を膨らませ、男の腕で丸くなった。
「どうやら、満腹のようだ」
くすくすと笑う男は、鳥を少年の目の前へと差し出した。
「彼の食事は面白かったかい?」
その問いに、少年は口ごもる。
他人の食事を面白いという言葉で表すのは失礼に値するのではないかと思ったのだ。
飴玉を包んだ裾をぎゅっと握りしめて、返事を考えているが、緊張で頭の中に言葉が出てこなかった。
男は急かすわけでもなくニコニコと少年を見つめていた。
すると、男の腕に留まっていた鳥が金色の目玉をギョロッと動かし、体に似合わない大きな翼を拡げた。
バサバサと風が巻き起こり、あっという間に飛び立った。
鷹によく似た鳴き声をあげて、その鳥は旋回した。
「おやおや、全く慌ただしいことだ」
ふぅとため息をつき、男は少年の目線に合わせて腰を屈める。
細長い四肢の男には窮屈な体勢だった。
ぬるりと、男の腕が指したのは少年がやってきた道だ。
「あっちが現実」
男の声が妙にハッキリと脳に響いた。
距離が近いからではない。
耳に届くというよりは、思考に直接入り込む感覚に近かった。
男が伸ばした腕をたたみ、反対の腕を伸ばす。
今度は街灯のさらに向こうだ。
「向こうは幻想」
街灯にはまだたくさんの羽虫が飛んでいる。
その更に先は靄がかかって遠くを見ることは叶わない。
けれど、白い靄の先にうっすらと光が見えた。
水晶が光っているような、水面の反射のような、複雑な光が折り重なっているようだった。
夢幻のような情景に、少年の口はカラカラになっていた。
思わず足が後ろへと引っ張られてしまう。
きっと、先には羽虫よりもずっときれいなものがたくさんあるのだろう。
けれど、少年の体はそこへ行くことを頑なに拒んでいる。
冷や汗が伝う少年をみて、男はゆっくり、再び後方を指差した。
「坊っちゃん、賢い子だね」
男の言葉を飲み込めない少年はポカンと口を開けていた。
男の長い指が、そっと唇に触れる。
「坊っちゃん、彼に1つだけ、お土産をくれないかな?」
そう言って、男が指したのは、少年が大事に大事にしてきた飴玉だった。
裾に包まれたそれを、布の上からつつくと、コツンと音がした。
カラスから守った大事な飴玉だ。
死に物狂いで勝ち取った飴玉だ。
簡単にあげていいものではないけれど、少年は拒まなかった。
「1つ、だけでいいの?」
「あぁ、充分だとも」
恐る恐る裾をほどき、残っていた五つの飴玉が顔を出す。
羽虫に負けないと言わんばかりキラキラと光る飴玉を差し出して、男に選ぶようにと促した。
男の細い指がつまみ上げたのは、真っ赤な飴玉だった。
ルビーのような、情熱的な赤を纏う飴玉がゆっくり、もしかしたら素早く男の手の上で転がった。
影までも赤を溶かして、ゆらゆらと光っている。
鳥が甲高い声を上げた。
旋回を続けていた体をぎゅっと折り畳んだかと思えば大きな口を上げて急降下してきた。
楕円形のその姿はミサイルのようだ。
グングンその速度は加速していき、あっという間に少年の間近まで迫っていた。
「うわっ!」
身を屈めた少年が、警戒しながら顔を上げると、鳥は真っ赤な飴玉を咥えて今度は真っ直ぐに空へと上がっていく。
横長の嘴が僅かに開いて、笑っているようだった。
「さぁ、坊っちゃん、お帰りなさい。坊っちゃんはあっちの生き物だからね」
男が少年の肩を掴んで、街灯を背に向けさせた。
ぼんやりとできた影は半透明だ。
「今度は立派な大人になって会いましょう」
にこりと男が笑った気がした。
気がしたというのは、振り向かなかったからじゃない。
甲高い声と共に男の姿は消えていた。
背筋を這う悪寒に気づかないふりをして、少年は歩きだした。
どれくらい歩いただろうか。
街灯から離れる程に辺りは暗くなる。
だんだん、周りの景色すらわからなくなり、目には何も写らなくなった。
それでも足だけは進めなければと、手に残る飴玉の感覚を拠り所に、ぐんぐんと進んだ。
いつしか、足の感覚も遠退いた。
前へと付き出してはいるが、それが真っ直ぐなのか、蛇行しているのか、上っているのか、下っているのか。
意識すら曖昧になりつつある少年は、それでも体を動かした。
「帰らなきゃ。飴玉を届けるんだ」
最後までその手にあった飴玉の感覚も、ゆっくり、溶けていく。
「おーい、気がついたぞぉ!」
太い声に目を覚ますと、髭をいっぱいに蓄えた屈強そうなおじさんが少年を抱えていた。
「坊主、痛いとこはないか?」
目をぱちくりさせている少年を優しく抱き上げると、おじさんはゆっくりと話し出した。
「おめぇ、あの崖から落ちたんだぞ。
カラスの坊が血相変えて飛んでくるから何事かと思った。
しかし、見たところ平気そうだな。
運がいい坊主だ」
ガハハハと飲み込まれそうなくらい大きく口を開けて笑うおじさんの腕の中で、少年は飴玉を抱えて逃げていた事を思い出す。
虐めっ子から逃げるのに夢中で足を滑らせたのだ。
「そっか、僕、落ちたのか」
見上げると崖は随分高く、本当に自分が無事であることが疑わしいほどだ。
崖下に木々が生い茂っているとはいえ、命が助かったのは奇跡と呼べるだろう。
大人の腕の中でようやく安心した少年は、全身に痛みを感じた。
「痛い」
「痛くないわけがないだろ。
あんな高さから落っこちたんだ」
痛いからだをバシバシと叩いてくるおじさんは、怒っているようだが、優しく感じられた。
「ごめんなさい」
小さな体を丸めようとして、ゴリっと腹部に塊をみつけた。
裾に包まれた6つの飴玉がキラキラと輝いている。
妹にあげようとお小遣いをはたいて買ってきた大粒の飴玉だ。
色とりどりの飴玉を転がすと、その下に雲母を散りばめたような、黒い斑紋のある羽根が顔を出した。
キラキラと光を浴びて輝くその羽根が誰のものなのか思い出せないが、少年はその羽根を飴玉と一緒に大事に抱えた。
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