第54話 特別な人

「最近、眠れないの? 起きてることが多いね」

 リコはベッドに座って本を読んでいた。以前なら「ああ、本を読もうとしていたんだな」という痕跡を残して眠っていたが。

〈眠れないわけじゃないから、大丈夫。むしろ最近、今までみたいにいつもいつも眠い、ってことがなくなったんだよね〉

「そうなんだ」

 バルクは隣に座ると、本ごとリコを抱き寄せ、額にキスする。

〈多分、闇が万全になったからなのね。今までは、眠りで闇の要素を補ってたんだ、ってわかったの。眠りは、人の中にある闇なのね〉

 リコは本を傍に置くと、バルクの背中にそっと腕を回した。目を閉じて胸元に頬を寄せる。

〈自分の意思とは関係なく眠っちゃうことがなくて、快適。初めてバルクと泉に行った時のこと、覚えてる?〉

 あの日、リコはバルクに寄りかかってすぐ眠ってしまった。投げ出された足が可愛かったな、と思う。

〈あの後ドラゴンに、せっかく気を利かせてやったのになんですぐ寝るんだ、赤ん坊でももうちょっと粘るだろ、って怒られちゃった〉

「赤ん坊でももうちょっと粘る…。言い方」

 バルクが笑う振動が胸から伝わってくる。リコも笑った。

 バルクを見上げる。目が潤んで、視線に熱がこもっているのが自分でもわかる。いつもいつも触れているのに、こうして抱き合っていると胸がどきどきする。

〈あの時…。バルクに触れると、満たされた感じがして、すごく気持ち良くて、びっくりした…〉

 目を閉じて、もう一度バルクの胸に頬を寄せる。もっと身体を寄せようともぞもぞ動くと、そのまま膝の上に抱き上げられた。ぴったり身体をくっつけあう。

〈今も。満たされてて、気持ち良くて、嬉しい〉

「嬉しい?」

 バルクがリコの肩に顔を埋めたまま言う。

〈そう。嬉しいの〉

 バルクの肩に顔をぐりぐり擦りつける。

「そう言ってもらえると、僕も嬉しいな」

 バルクの手がおとがいに添えられて、引き寄せられ、唇が重なる。

「愛してる、リコ」

 僅かに唇を触れ合わせたまま言う。

〈わたしも。大好き、バルク。愛してる。わたしの特別な人〉

 大きな手で背中を撫であげられると、優しく絞り出されるように、ふぅっと甘い吐息が漏れる。

〈触って、もっと…〉

 あなたの手で。あなたの唇で。身体中、全て。

 首筋にキスされると、身体がぞくぞくしてじっとしていられない。耳を優しく唇で食まれると、もう腰ががくがくする。腰のビリビリしているところを指先でそっとなぞられて、背中が反り返ってしまう。

 身体は魂の境界だ。愛しい人と魂の境界を触れ合わせていて、気持ち良くないはずがない。もっと触れてほしい。もっと触れたい。ひとつになりたい。溶け合ってしまいたい。

 壊れやすい宝物みたいに扱われると、本当に自分が価値ある存在になった気がする。部屋に閉じ込められて、カーテンを引かれて、隠されていたのに。なんで生まれてきたんだろう、なんで今も生きているんだろうって、ずっと考えてた。その日に宿った命がわたしでなければ多分ママは死ななかったし、みんな幸せだった。全部わたしのせい。それなのになぜ、まだ生きているんだろう、本当はここにいちゃいけないのに、って。

 口の中に入ってきたバルクの舌に自分の舌を必死で絡める。キスしながら頬や髪を撫でてもらうの、好き。わたしもバルクの両腕の間から手を入れて、バルクの頬から首筋、鎖骨、肩となぞる。何度もしたのに、何度しても、やっぱり胸がどきどきする。大切なもののようにそっと触れられると、ここにいていい、生きていていい、と言われている気がする。ありがとう、大好き、わたしの特別な人。

〈バルク、好き。愛してる、特別に〉

「好きだよ、愛してる。リコ、唯一無二の人」

 唇を重ねて舌を絡め合わせる。


 バルクの腕の中に抱かれると、ここがわたしの居場所だと感じる。カーテンの引かれたあの部屋じゃない。ここがわたしのいるべき場所。あなたがいるところが、帰るべき場所。それがはっきりとわかった。

 苦しみは消えない。でも、どんな苦しみの真ん中に投げ出されても、わたしにはもう帰る場所がある。だから、立ち向かえる。あなたがいる。そのことがわたしを強くする。愛してる、わたしの特別な人。水の魂の人。狼の魂の人。

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