第26話 碧の洞窟

「――嘘よ。じゃあ、どうして私は、自分が死んだ記憶を失って他は覚えているの? 榊さんは大切な記憶を失うって言っていたのに。どうして、苦しくて辛い記憶を失ったの? 皆は全部忘れているのに」


 碧理の悲痛な叫びが辺りに響く。


 海に落ちた二人が辿り着いたのは、紺碧の洞窟。

 あの場所に二人はいた。

 海水が引いた洞窟は、あの当時のまま存在していた。

 碧理と蒼太、二人が別々に願った瞬間のままに。


「それが花木さんにとって大切な記憶だったからじゃないかな? 花木さん、本当は家に帰りたくなかった。そうじゃない?」


「どう言う意味?」


 蒼太の言葉に、碧理の瞳が不安げに揺れる。


「自由になりたいって、一人になりたいって願うはずだった。だから、永遠に一人になった記憶を、洞窟は消し去ったんじゃないかな?」


「えっ?」


 確かに碧理はそう願う予定だった。


 だけど死にたかった訳じゃない。自分が死んだ瞬間が大切だった訳じゃない。

 でも、もしかしたら、心の中でそう思っていたのかも知れない。自分が知らない内に。

 死んだ方が楽になれると。


「なら、森里君は? 森里君は思い出したじゃない! 私が覚えていないのに、私が死んだって……思い出したんでしょ?」


「……僕が思い出したのは、花木さんがハンカチを追い駆けて、波に呑みこまれて僕が洞窟で願った場面だけだよ。他はまだ思い出せていない。でも、花木さんと僕が死んだのは……確実のようだけど。ほら……」


 蒼太が碧理に見るようにと言ったのは、少し先にある祠がある場所。

 そこから光が溢れていた。

 蒼太に手を引かれるまま碧理も歩き出す。


「なに、これ」

「あの赤いノートに書かれていたよね。『もう一度会いに来て』って。これがメッセージかな。紺碧の管理人からの」


 二人が目を向けたのは頭上。白い鳥の絵が描かれていた場所。

 そこには、鳥ではなく五人の姿が描かれていた。

 花木碧理、森里蒼太、白川美咲、赤谷慎吾、高田翠子の姿が。

 とても楽しそうに笑っている五人を見て、碧理は幸せな気分になる。


「ちょっと! 二人共、無事? いきなり海に落ちないでよ。心配するじゃない。すっごく探したんだから」


 甲高い声が聞こえたと思ったら美咲が姿を見せる。

 それに続いて、慎吾と翠子も。三人共、碧理と蒼太と同じくずぶ濡れだ。


「うわ。なんだよ、これ。すげーな。写真撮ろう」


 天井を見るなり慎吾が歓声を上げた。


「凄いですねー。慎吾君。あとで私にも送って下さい」


「私にも!」


 便乗して翠子と美咲が手をあげる。


「それで二人共、海に落ちた理由はなに? とても心配したんだから」


 美咲の不機嫌ぶりに、碧理と蒼太は苦笑した。

 全く記憶が戻っていない三人に、余計なことは言わない方が良いと、碧理と蒼太は判断する。


「僕が足を滑らせて花木さんを巻き込んだだけ」


 蒼太が困ったように慎吾達を見る。


「気を付けてよ。でも不思議よね。二人が海に落ちたら海水が引いたの。そしたら道が出来て驚いちゃった」


 美咲が慎吾と翠子に同意を求めた。


「私は目の錯覚だと思いました。でも、この絵を見ると……現実みたいですね。こんな不思議な現象があるなんて信じられません」


「俺も……。それよりも早くここから出ようぜ。気味が悪い」


 慎吾は寒気を感じるようで体を震わせた。


「私も早く出たい。ここだけ気温が違う気がするもん」


 美咲も自分を抱き締めるようにしている。

 確かに温度は外よりも低くひんやりとしていた。


「そうだね……。でも記憶は戻らなかったね。帰ろうか……家に」


 蒼太が皆の顔を見て確認を撮ると、美咲と翠子はすぐに頷いた。慎吾も何か考える仕草をしながら頷く。

 最後に蒼太は碧理を見た。


「帰ろう。花木さん。僕らの家へ。嫌な記憶は、ここにおいていけばいいよ。願いは叶ったのだから」


「そうだね……」


 こうして、五人の不思議な夏は終わりを迎えた。


 

 

 

 



 

「また過去問? もう飽きた」


 美咲がだらけるように机に突っ伏した。


「飽きるほどやってないだろ? それよりも白川。まじで頭良かったんだな。さすがは学年トップクラス」


 慎吾が美咲を褒める。

 そんな慎吾は不登校の間、出ていなかった授業ノートを蒼太と碧理から借り、必死に書き写していた。


「赤谷。翠子さんは?」

「あいつは今、イギリス。来年の九月から向こうの大学に行くための下見に行ってる」

「ふーん。良いなあ。イギリス。大学入ったら行きたいなあ」

「その前に入学出来るのか?」

「私は問題ないよ。問題あるとすれば……赤谷だよ」


 軽快なトークを繰り広げている美咲と慎吾を見ながら、碧理と蒼太は笑っている。


 場所は、碧理の祖母の家。

 そこの仏間に大きな机を出して四人で勉強中だ。

 季節は十二月。


 二度目の紺碧の洞窟へ行ってから二カ月が経った。今は受験の追い込みで皆が必死だ。だが、四人の表情は明るい。


 結局、記憶は戻らなかったが対して不便はなかった。

 親達は落胆していたが、明るくなった我が子を見て、五人全員の親が喜んだのは事実だ。


 慎吾の両親は、相変わらずの家庭内別居だが、やる気を出して大学進学を選んだ息子に満足そうだ。

 結局、慎吾は大学へ行くことを選択した。今のままでは語学がやばすぎて海外に行けないのが理由だったりする。


 翠子は、自立した大人を目指すために、一足先に海外へと旅立った。

 両親へは、慎吾と結婚すると宣言もしたそうだが、それは二人の成長を見てからと保留になっている。


 美咲は引きこもりを止めて元気に学校へ通っている。母親とは相変わらずだが、父親とは話すようになったらしい。

 両親二人の前で、記憶を失ったのは浮気をしている二人のせいだと大泣きして以来、父親の帰りが早くなった。


 蒼太は相変わらず家事を手伝い弟達の面倒をよく見ていた。

 一度死んだ後遺症は一切ない。


 碧理はぎくしゃくしながらも、義母と上手くコミュニケーションを取るように心がけることにした。

 一度死んだと聞いたあと、人間は簡単に命を失うと悟り、今を一生懸命に生きようと誓ったからだ。

 だが、父である拓真とはまだ相変わらずだ。すぐには仲良くなれない。少しずつ話していくことにした。


「ねえ。翠子はお正月には帰って来るんでしょう?」

「ああ。新年に帰国する」

「なら、皆で初詣行こうよ。合格祈願も兼ねて」

「良いね。皆で行こう」


 美咲の提案に、碧理や蒼太も同意する。


「そうだな。皆で行くか」


 慎吾も楽しそうに笑うと、あの時の記憶が碧理の脳裏に蘇った。



 五人で楽しく過ごした不思議な三日間の記憶が。

 真夏の不思議な思い出と、大切な仲間に出会えた日々を。

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紺碧のトリアージ 在原小与 @sayo

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