第9話 八月八日、森里蒼太

「花木さん。ちょっと落ち着こう。その気持ちは凄くよくわかるけど、ここは電車の中だから声落として」


 興奮したままの碧理を宥めるように、美咲が肩に手を置いた。

 そこで碧理は、現実へと戻される。


「あ……ごめん」


 美咲の言葉に周りを見ると視線が突き刺さる。

 人がまばらと言っても、大声を上げた碧理の声は、やはり迷惑だったらしい。四人は居たたまれない気持ちになり黙り込んだ。


 誰から見ても、恋にこじれた修羅場に見えるだろう。

 するとタイミング良く駅に着いたらしく、電車のドアが開いた。

 降りて行く人と乗り込む人の流れを眺めた。電車内の快適な涼しさとは違い、生温かい不快な空気が入ってくる。


「あれ……花木?」


 沈黙が続く重苦しい空気が、声一つで変わった。

 苗字を呼ばれその人物を視界に入れると、碧理は驚いたあと、はにかんだように笑う。


「森里君」


 碧理の名前を呼んだのは、図書室で少しだけ話すようになったクラスメイト。


 ブルーグリーンのTシャツに黒のパンツスタイル。黒いリュックを持ち、首には黒とゴールドのリングネックレスをしていた。

 普段制服姿しか見ないせいか、私服は新鮮で、碧理は自然と顔が緩む。


「あれ、蒼太? 珍しい所で会うな」


 蒼太が碧理達の元へと来ると、慎吾が声をかける。


「慎吾。……珍しいメンバーだね。皆でどこか行くの?」

「いや。花木と白川とは偶然会った。森里は?」

「僕はバスケ部に顔を出した帰り。後輩に指導したあと引退祝いの打ち上げだった」


 話し出した蒼太と慎吾は友達らしく仲が良い。

 どんな接点があるのかと思っていたら、美咲が碧理に耳打ちする。


「森里と赤谷は、小、中学校が一緒だったらしいよ。うーん、花木さん。森里は人気だから狙うなら頑張って。同じクラスぐらいじゃ弱いかな」


「えっ?」


 美咲からの、いきなりのアドバイスに碧理は慌てる。

 声をかけたあの一瞬で、蒼太のことを気にしているのがわかったらしい。


「ですね。爽やかイケメンで元バスケ部ですか。あれはモテます」


 なぜか翠子も同じことを言う。

 それよりも、さっきまで翠子とは険悪な雰囲気だった。それが、なぜか蒼太の登場によって女子三人がコソコソと話し出す。


「そうなの、モテるの。聞いた話によると、森里は告白されても上手く断るから、女の子側のダメージが少ないんだって。そこがまた評価高いのよ」


 どうして引きこもりの美咲が、そこまで情報に詳しいのか碧理は不思議でならない。

 確かに、他クラスの女子が、蒼太を呼び出しているのを何度も目撃したことがある。その度に周りは「またか」と興味津々で見送っていた。

 それほどまでに蒼太はモテた。


「好印象男子ですね。でも、さっき花木さんに声をかけた雰囲気では脈ありでは?」


「脈ありって、言い方ふるっ!」


 美咲と翠子は、恥ずかしがる碧理を真ん中に挟んで恋バナを繰り広げる。ここまでくると、女子会だ。


「……お前ら、喧嘩してなかったか? 何の話で盛り上がっているんだよ」


 私達の様子に、慎吾が怪訝な表情を見せる。だが、そんな慎吾を無視するように、美咲が蒼太に声をかけた。


「森里久しぶり。バスケ部引退? 最後の試合はどうだったの?」


「白川、一年以上ぶり? また不登校だって聞いたけど今日はどうしたの? 翠子さんも久しぶり」


 翠子にも挨拶した蒼太は、慎吾繋がりで面識があるらしい。蒼太に翠子が丁寧に頭を下げる。


「その話は置いといてよ。あ、私と森里は去年クラスが同じだったの。それでバスケは良い思い出になった?」


 美咲が言うには、二年の時に二人は同じクラスだったらしい。だが、美咲は二学期から不登校になった。それ以来の再会だと言う。

 意外と軽快に言葉を交わす二人に、碧理は心がもやもやする。二人を見ていると、とても羨ましくなった。


「三回戦で負けた。相手が優勝候補だったから。でも善戦したよ。それよりも、一回戦で刹那が足を攣ったのが大変だったかな」


「刹那……ああ、筧君か。二人共、バスケ部で仲良いもんね。問題なかったの?」


「大丈夫。試合も勝ったから笑い話になってる」


 そんな二人の様子を熱心に見つめている視線に碧理は気づく。

 隣に座っている翠子だ。

 美咲と慎吾は付き合っている設定。楽しく会話している二人を怪しんでいるらしい。


 碧理には関係がないのに、ここでまた修羅場が勃発すると今度こそ収集がつかない。どうしようかと狼狽えると、美咲がなぜか隣にいる碧理をちらりと見た。


「ところで森里は彼女出来た? モテるから選び放題でしょ?」


「……なんだよ、それ。まだ出来ない」


 思いがけない質問だったようで蒼太が苦笑する。


「まだ、ね。好きな子はいるの?」


 すると、蒼太が気にするようにチラリと碧理を見た。

その分かりやすい態度に美咲の顔が綻ぶ。


「いるんだ?」


「まあ……白川は? 家庭教師とは結局付き合ったの? もうすぐ一年経つけど、諦めて学校来たら?」


 美咲に気づかれたと悟った蒼太は、誤魔化すように曖昧に頷いた。そして仕返しとばかりに美咲へと質問する。


「意地悪。まだ頑張るの。絶対、諦めないから」


 どうやら蒼太は美咲の事情を知っているらしい。

 しかも不登校になった原因を。


「そっか。ところで何処行くの? 慎吾と翠子さんはいつも通りとして、白川と花木は一緒に出かけるほど仲が良かった? それにその荷物、まさかの家出とかじゃないよね……」


 触れて欲しくなかった話題に、碧理と美咲はお互い顔を見合わせて目配せする。


「違うよ。偶然会っただけ。私はこれから母に会いに行くの。駅で白川さんに声をかけられたんだ。えっと……白川さんは赤谷君と待ち合わせだったよね?」


 適当な言い訳を考えていた碧理は、美咲と慎吾が付き合っている設定を思い出す。ここまで芝居をしたのだからと、後は任せたと言わんばかりに美咲へと話を押し付けた。


「えっ? あっ、うん。そうなんだ。ね、慎吾」

「う、ま、まあ。そうだ」


 その設定を思い出した美咲だが、何も思いつかなかったらしく慎吾へと話をふる。だが、慎吾も対応出来ず、あきらかに不自然だ。


「白川と慎吾ってそんな関係だった? 翠子さんは?」


 更に混乱したらしい蒼太が順番に全員の顔色を伺った。


「……もう、よろしいですわよ、下手な芝居は。さっきも慎吾君が美咲さんのことを苗字で呼んでいましたし。美咲さんには慎吾君ではなく他に想っている方がいるのもわかりました。家庭教師の方ですか?」


 動揺する碧理や美咲。慎吾の様子を見て翠子が呆れている。

 どうやら偽りの関係だと気づいたらしい。 


「慎吾君が翠子と別れたい理由もわかっています。でも、諦めないし別れません! 翠子は慎吾君が良いのです」


 毅然とした態度はかっこよかった。

 顔を上げてきっぱりと言い切る翠子の視線の先にいる慎吾は、ため息を吐く。

 失敗したと頭を抱える美咲と困った表情の慎吾は、隠すことを諦めたようだ。


「俺と一緒にいると翠子が恥ずかしいだろ。もっと釣り合う男を探せ」


「誰がそんな戯言を言ったのかは存じませんが、翠子は慎吾君が良いです。慎吾君でなければ生きている意味がありません」


「まだ十八だ。これから色々な男に会う。俺みたいな男ならいっぱいいる」


「いません。翠子が好きなのは慎吾君一人だけです」


 平行線を辿る二人の会話に、碧理達は見守ることしか出来ない。

 それに、二人の事情がわからない今、口を挟むことは憚られた。


「慎吾達はいつものことだから放っとけば良いよ。それで白川と花木さんは何処へ行く予定だったの? 嘘でしょ? 偶然二人が会ったって」


 言い合っている二人を置いといて、蒼太が碧理と美咲を見つめる。


「あ、うーん。冒険に出掛けたいと思って。そしたら、花木さんと意気投合しちゃったから……こうなった。ほら、私って一人旅好きだし」


 美咲は夏休みや冬休みなどの長期休みになると、一人でふらりと旅をするらしい。高校生とは思えない、その行動力が碧理は羨ましかった。

 だけど、その説明にも蒼太は納得しない。


「本当のこと言って。二人が友達なんて初めて聞いた。それに、花木さん言っていたよね? 夏休み中は旅行も行かないし、ずっと図書室で勉強するって」


「えっ? あ、うん……急に行きたくなったの」


 問い詰めるような蒼太の言葉に、碧理は目を泳がせる。


 終業式の少し前に蒼太と図書室で会った時、夏休みの予定を聞かれた。

 特に予定がなかった碧理は、図書室で勉強くらいだと伝えていた。それを蒼太が覚えていたらしい。


「花木さん。教えてくれないと学校と家に連絡するよ。白川も」


 まさかの脅しに二人は顔を見合わせたあと、諦めた。


「……紺碧の洞窟に行くのよ」


 不貞腐れた様子の美咲は、電車の背もたれに深くもたれかかる。


「紺碧……あの、都市伝説の?」


 意外すぎる答えだったらしく、蒼太が目を丸くした。


「えっ、お前達、それマジで言ってんの?」


 会話が聞こえていたらしく、傍にいた慎吾も即座に反応した。翠子に至っては知らないらしく、不思議そうに碧理達を見ている。


「信じてくれなくても良いわよ。じゃあ、これでこの話は終わりね。私達は次で降りるから。本当のこと言ったから誰にも言わないでよ。アリバイ工作は完璧なの。三日で帰ってくるから心配いらないわよ」


 捲し立てるように説明する美咲に、蒼太の顔色はすぐれない。


「止めた方が良いよ。願いが叶う洞窟なんてただの噂だ。それに女の子二人だと危ないよ」


 蒼太が危険だからと碧理と美咲を止める。


「そうだぞ。あんなの都市伝説だ。願いが叶う訳ないだろ」


 慎吾までが蒼太に同意する。

 男子は夢がなくどこまでも現実的だ。


「願いが叶う洞窟ですか?」


 ただ一人、翠子だけがその話を知らないらしく説明を求めた。


「都市伝説だよ。紺碧の洞窟へ行くと一つだけ願いが叶うって言う。どうせ根も葉もない噂だ。お前ら時間の無駄だから止めろよ。蒼太が言うように危ないぞ」


 翠子に説明する慎吾は全く信じていない様子で呆れている。


「煩いなあ。ほっといてよ。あ、花木さん、降りるよ」


「うん」


 電車が駅に着くアナウンスが流れるとスピードが落ちた。

 二人で降りる準備をして立ち上がる。すると、ふいに碧理の服を翠子が掴んだ。


「翠子も一緒に連れて行って下さい! 叶えたい願いがあります。行きましょう」


「……えっ?」


 碧理が驚いていると電車が止まる。

 ドアが開くと、固まっている碧理と状況が掴めていない美咲の手を取り、翠子が走り出した。


「おい、待て。翠子!」


「花木さん!」


 続いて聞こえたのは慎吾と蒼太の声。



 そして、電車のドアは静かに閉まった。

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